5. ポンコツ根暗ペア
ランチ後の授業で、進級試験のための初級ダンションの説明とペア決めが行われた。
学院の敷地内にある初級ダンジョンは、先生たちの魔法によって作られた、人工のものである。
通常のダンジョンは、何らかの要因――魔法生物の棲み処であったり、洞窟や打ち捨てられた廃墟に何らかの要素が作用したり――でできたものと考えられている。そこにいる魔法生物を倒すことで得られる、材料や経験値は、騎士や魔法使いにとって非常に重要なことから、魔法学院でも初級ダンジョンの攻略が進級試験として設定されている。
「初級ダンジョンには、学院に馴染んだ精霊たちがいるから、心配はいりません。とはいえ、魔法の基礎は試される構造ですから、気を引き締めてくださいね。ではしばらく時間を取りますので、ダンジョンへ向かうためのペアを組んでみていただけますか」
高位貴族の子女が通うということもあって、基本的に担任のドグラスはこうして口で指示を出すだけである。
魔法は、精霊の力を借りる行為だと言われている。基礎的な魔法は、精霊に関わる素質があれば使うことはできるが、上級魔法使いは、精霊と独自の契約を結べた者に限る。
マナは仮とはいえ、闇の精霊ヘラと契約があるため、本来なら上級魔法使いとして登録されるべきだ。しかし、メルギウス暗殺任務のため隣国から送り込まれた、という背景からも、その能力は隠している。
つまりマナにとって初級ダンジョンは、目をつぶっていてもクリア可能。だから死に戻る前は、適当な学生とペアを組んで、適当にクリアした。
だが今回、マナはメルギウスに目をつけている。
(魔王になる素質……気になりすぎる。でも相手は王子だし、こちらから誘ってもいいのかな)
なるべく目立たないようにと掛けている伊達眼鏡越しに、綺麗に伸ばされた背筋を見つめていると、視界の端をふわふわ邪魔するピンク色の何かがある。
「セスト様ぁ、ダンジョンって、入ったことはございますの?」
常に甘い砂糖菓子みたいな香りをさせているのは、伯爵令嬢メリル・ルグラン。親しい人間はルルと呼んでいる彼女は、ピンク色の髪色で青くぱっちりとした目の美少女で、クラスルームの男子たち憧れの存在である。
当初は王子であるメルギウスに擦り寄っていたが、あまりのポンコツ具合に、侯爵家の跡取りセスト・パルヴィスへ鮮やかに鞍替えした。
「ああ。騎士訓練で何度か」
「さすがですわ! わたくし、もう名前の響きから恐ろしくって。どうしましょう」
「ハハ、そうか。良ければ、私がエスコートしようか」
「まあ! 嬉しゅう存じますわ」
手を祈るように組みつつ、キラキラと輝く目でセストを見上げるルルを見たマナは、なるほどと頷きそうになった。
女性から誘うのははしたない、という貴族社会ルールを破らず、相手から紳士的に誘われるように仕向けるなど、マナにはできそうにない。
キョロキョロとクラスルームを見回すと、ところどころでペアが出来つつある。
メルギウスは、護衛騎士レンゼンがハラハラと見守る中、未だ一人席に着いたままだ。
(わたしには、ああいうの無理。真正面から行こう)
マナは立ち上がると、教室の対角線に座っているメルギウスの元へと向かった。
「あのぅ」
常に猫背で、長い前髪と眼鏡、それからフードで顔すら隠しているような『根暗』のマナが話しかけると、メルギウスは少し驚いた様子で振り返った。マナと目が合うと、ライトグレーの瞳の中で瞳孔が大きくなっていく。
「よ、よかったら、わた、わたしと」
「うん! ありがとう!」
全部言うまでもなく、満面の笑顔で立ち上がり、頷かれた。
「ほえ。いい、んですか?」
「もちろんだよ。嬉しいな、話しかけてもらえるなんて。僕、ダンジョンなんて行ったことないんだけど、良いのかな。レンゼンは、見ているだけだよ?」
「え、それはそうですよね。護衛騎士様が手伝っちゃったら、ただのズルですもん」
マナがちろりとレンゼンを見やると、赤い短髪の筋肉隆々な騎士は、眉間に深い皺を作っていた。無礼だと怒られるだろうか、と思わず身構えたマナだったが――
「殿下へのお声がけに、心より感謝する」
直角のお辞儀をされて、思わず後ろへ飛び退いてしまった。
「あは。猫みたい。かわいいね」
「かわ⁉︎」
ペロリと余計なことを言うメルギウスと組んだことを、早くも後悔し始めたマナの耳に、さらに
「うわ、根暗がポンコツと組むの?」
「関わりたくね〜」
「順番、最後にしてもらおうよ」
と口さがない学生たちの声が入ってきて、動揺してしまう。
するとメルギウスが、一歩離れてしまったマヤへ寄り添ってきて、顔を覗き込んできた。
「僕はああいうの気にならないけど……君は、大丈夫? もし嫌だったら、替えてもらっても全然」
その言葉を聞いたマナは、驚きで固まってしまう。今まで何を言われようが気付かず、ただニコニコ過ごしていると思っていたメルギウスは、きちんと状況を把握していたのだ。
「で、殿下、わかってらして……?」
「え? あー、まあね。ポンコツなのは、ほんとだし?」
照れたように囁くメルギウスの眉尻が、盛大に下がっているのに対し、マナはキッと睨んだ。
「そんなの、ダメです」
口を突いて出てきた言葉に、自分でも気圧されそうになりつつ、踏ん張る。マナもまた、実の母親からさえ『ダメな子』扱いをされてきたからこそ、分かるのだ。顔は笑っていても、心は傷ついている。半ば自棄になって闇の精霊と契約したことは、後悔していない。だがもし一年後に世界が滅びるのなら。この人が滅ぼすのなら。――せめて笑ってその時を迎えてもらおう、と思ってしまったのだ。
「だめ? って……」
「はい。ポンコツじゃないって証明、しましょう!」
ぎゅ、と握り込んだマナの拳を見たメルギウスは、とても嬉しそうに笑って首を縦に振った。
その後ろでレンゼンが、咄嗟に右手の親指と人差し指で両眼を押さえたので、マナが気になって見やると、またメルギウスが悪戯っぽく笑う。
「レンゼンてさ。怖い顔してるくせに、涙脆いんだよね」
――実際に話しかけてみないと、人となりは分からないものだ、とマナは心の中で猛省した。改めて護衛騎士に対して、マナは深々頭を下げる。
「レンゼン様。不束者ですが、殿下とペアを組ませていただきます、マナと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「あああマナ殿! どうかどうか、殿下と仲良くっ、っくうう。なんと。なんと嬉しいことか! これは早速王妃殿下にご報告をっ」
「ええ⁉︎ やめてよー」
背後で学生たちは失笑を送り合っていたが、マナにはどうでも良かった。
(こうなったら、めいいっぱい、楽しんじゃおう)