3. マナの正体
クラスルームの前方では、担任であるドグラスが四属性ある魔法の相関図を黒板に描いている。
真面目に前を向いたり、机の上に広げた本に目を落とす学生の一方で、欠伸をしたり机に伏せって寝たりしている学生もいる。
ソードベリ王立魔法学院は、貴族の子女が魔法を学び、魔法使いとして認定されるための場所だ。
社交界デビューとなる十六才から二十才までの間に入学する、二年制のカリキュラム。男子は騎士訓練を経て十八才から入学する者も多い。女子は婚活も兼ね、十六才で入学するのが一般的、のように入学の動機はまちまち。貴族の子女が生徒ということで、先生方も『自主性に任せている』大義名分の下、強い態度には出ない。
「さて。えー。このように、水は火に強い、火は風に強い……とぐるぐるとお互いの弱点が回るようになっているわけですが、その、必ずしも、こうではない場合もあります。どういう時でしょう」
ドグラスも特に注意せず、淡々とした口調でクラスルームを見回すが、誰も挙手しない。
分からないとかやる気がないとかではなく――
「ええと、場所による、とか?」
まず最も位の高い――王国第四王子メルギウスが発言するという、変な不文律ができてしまったからだ。にっこり微笑む王子の自由な発言に、私は机から転げ落ちそうになった。
答えは、テキストにでかでかと書いてある。こういう、何かと少しズレた答えが『ポンコツ王子』と陰口を叩かれている理由の一つだ。
「水辺では、火魔法も弱いかも……しれないですね。えっと、他には?」
多大なる気遣いをしたドグラスに促され、次に堂々手を挙げたのは、このクラスのリーダー的存在である侯爵子息セスト・パルヴィス。金髪碧眼でスラリとした長身の、いかにもエリートなセストは、騎士訓練を経てからの入学組で、十八歳だ。
「ランクによります。詠唱する者のランク、それから、魔法自体のランクが高ければ、属性関係より強いものを放てます」
「はい、えー、その通り、ですね。ありがとう。はい。ランクと言えば、進級試験。皆様にはこれから準備についてお話を――」
(……進級試験、かあ)
試験まであと二十日。つまり今は一年目の終わりということになる。雪が降るこの王国では冬になる前に進級試験があり、雪解けまで冬休み、春からまた二年目が始まる。
授業中、マナは慎重に記憶を遡りながら、思いついたことをノートに書いていく。
(魔王が着ていたローブは、丈が長くて階級章がなかった。気温もそこまで低くなかったし、きっと卒業間近か直後だ)
マナは時々目だけを上げ、窓際一番前に姿勢良く座る、メルギウスの背中を見やる。真面目に授業を受けている様子に、魔王の気配は微塵もない。
クラスメイトたちが身に着けているフード付きローブは、黒で腰丈だ。この王国の魔法使いは、黒ローブの長さによってひと目で階級が分かるようになっている。
一番低いランクEの魔法使いは、丈が腰まで。ランクDで膝上、Cからはくるぶし丈になる。
ランクB以上になると今度は階級章が胸に付く。階級章の色はそれぞれ、Bが白、Aは銀、Sは金色なので別名ホワイト、シルバー、ゴールドと呼ばれていたりする。Cは魔法使いとして最低限の技量なので、『色なし』と侮蔑的に言われたりする。
一年生のランクはEで、二年生になるということは、ランクDになることと同じ。筆記と実技試験に合格する必要があった。
マナにとってはほんの一年前で、記憶に新しい。その記憶が正しいか否かは、実際始まってみないと分からないが。
考え事をするマナの目線の先では、堂々と発言した後のセストに媚びる態度をする学生たちが、ちらほら見える。
メルギウスを下げて、王子の次に位が高いセストを持ち上げる。そんな空気がとても居心地悪かったことを、マナは思い出した。当然、本人にもその雰囲気は伝わっているはずだ。
それでも、メルギウスは穏やかに口角を上げているだけなのが、後ろからでも分かる。窓際に立つ護衛騎士のレンゼンは、眉間に深い皺を寄せたまま唇を引き結んでいる。マナは、改めてそんな二人を観察して、気づいたことがあった。
(空気が、歪んでる……あれって……)
マナの目にも分かる。強すぎる魔力が、溢れている現象だ。
他の学生は、誰も気づいていない。それもそのはず、空気中の魔力を読めるのは、ランクSの魔法使いのスキルだ。そしてなぜマナが読めるのかというと、ランクSの要件を満たしているからである。その要件とは――
『やっば、怒ってるぅ〜』
マナの耳元に囁かれる、妖艶な女性の声の正体にある。
『静かに、ヘラ』
『だって、面白いんだもん〜。ね、そうでしょお姫様』
『姫言うな』
闇の精霊ヘラ。精霊との契約という、ランクSと認められる希少な要件をクリアしているマナは、メルギウスを暗殺するため送り込まれた隣国の皇女であった。