24. 忌み子の意味
ダンジョンに漂っていた全ての呪いは、闇の精霊ヘラによって吸い込まれ、正常に戻った。
ルルとセストも、後から派遣されてきた魔導師団によって解呪が行われ、念のため魔導師団本部の医務室に収容されている。
ハラハラと出口で待っていたドグラスは、
「あああ、良がった、良がったです」
と全員の様子を見るなり号泣した。
そんなドグラスが、マナたちへ厳しい任務を課した魔導師団長へ、かなり憤慨しながら直訴したというのは、マナが後から聞いた話である。誰もが恐れるランクS魔法使いに抗議した教師として、有名になってしまったらしい。
気を失ったままのマナは、メルギウスによって横抱きにされ、丁重に馬車で王宮へと運ばれた。
それから二日間、マナは目を覚ますことなく寝続け、メルギウスはベッドサイドから離れず寝顔を見守り続けた。当然背後にはレンゼンも控えており、二人ともダンジョン踏破の栄誉はマナが目覚めてから受け取る、と頑なだった。
「メル……?」
三日目の朝、目を覚ましたマナは、目の下に真っ黒な隈を作ったメルギウスを見て、目を潤ませる。
「無事……ね……?」
「ああ。無事だよ、マナ。良かった。良かった……」
マナの手を握りしめて微笑むメルギウスもまた、涙を浮かべている。その後ろのレンゼンは、ぎゅっと目頭を指で押さえているものの、頬に滝のように涙が流れていた。
「メルの、おかげ」
横になったまま、マナは喘ぐように言葉を吐き出す。
「あり、がと」
「いいや、マナのおかげだ。本当に無茶なことを」
「もう、魔王、ならない?」
心配そうに眉尻を下げるマナの額を、メルギウスは愛おしそうに撫でる。
「ならないよ」
「良かった」
「さあ。今はゆっくり休んで」
「ん……」
マナはそれからさらに二日寝たり起きたりを繰り返し、まともに起きられたのは結局、ダンジョンを出てから六日後の朝だった。
湯浴みをし、食事を摂り、簡素なワンピースに着替えたマナは、メルギウスの私室へ向かう。
学院は欠席扱いで、メルギウスも登校していないと聞いて不安になり、会いにいくと先触れを出すと、ならお茶会をしようという返事だった。
「マナ!」
ノック後入室すると、メルギウスは執務机に渋い顔で座っていたが、マナの顔を認めた途端に笑顔で立ち上がった。背後で侍従たちがどこかホッとした顔をしているのが気になったマナは、
「もしかして、お仕事のお邪魔でしたか?」
と探りを入れてみる。
「第四王子の仕事なんて、そんなにないよ」
笑いながらマナに近づく王子の後ろで、侍従が無意識に首を横に振っている。
「ふふ。難しいお顔をしていたから」
「そう? 変なところ、見られちゃったな」
メルギウスが丁寧にマナをエスコートする先は、どうやらバルコニーらしかった。
「春の風を感じながら、お茶を飲むのがいいと思って」
「嬉しいです」
テーブルにはポットや焼き菓子がすでにセットされていて、マナはメルギウスと向かい合わせに席へ着いた。メルギウスの背後にはやはりレンゼンが立ち、侍従がお茶をカップに注ぐと一礼して去っていく。
「さて、いろいろ話すことが溜まっているんだけど……何からにしようか」
「えっと、セストとルルは?」
「元気だよ」
「良かった……ダンジョンは?」
「封鎖して、魔導師団の管理下にある。呪いが完全になくなったかどうか、時間をかけて確認する」
「それなら、安心だね」
マナは、並々と紅茶の注がれたカップに口をつける。香り高い液体を一口飲み込むと、胃が温まり、心が安らいだ。
「他に、聞きたいことは?」
メルギウスは、あくまでもマナを優先するようだ。そのことが申し訳ないと思うと同時に、こそばゆくもある。
「ううん。その代わり、わたし、メルに話さないといけないことがある」
「うん。じゃあ先に、ジラルダのことを話しておこうか」
ドキン! とマナの心臓が跳ねた。
「……何か、あったの」
「第四王子と婚約した男爵令嬢の出自を、どうやらジラルダ皇帝の公妾が嗅ぎつけたみたいでね。探りの書状が届いた」
メルギウスが、大きく息を吐きながらテーブルの下で足を組み直す。
「返事をする前に、僕は、ヘラにちょっとしたお願いをしたんだ」
「ヘラに……?」
「ああ。マナが教えてくれただろう? 闇の精霊の夢は、必ず悪い知らせだと」
マナには確かに、ダンジョンへ潜る前に見たヘラの警告を、そう言ってメルギウスへ伝えた記憶があった。
「それが、何か」
「うん。知らせてもらったんだ。公妾に。忌み子は力を失った、と」
「っそんなことをしたら、ミーナが」
「そしてもし、忌み子の片割れに危機が及んだ場合は、その母を必ず呪い殺す、と。寝ている公妾の首と手首には、真っ黒な呪いの輪が付いたらしいよ。本来はそれほど恐ろしいものなんだね、闇の精霊って」
マナが目を見開くのに、メルギウスは小首を傾げてみせた。
「前から、おかしいと思っていたんだ。以前、精霊王が初めて姿を現した時、ヘラは挨拶に出てこなかっただろう」
「っ、ええ」
「力を失っていたんだね。オベロンの前でそれが明らかになることを、恐れた」
「……」
「けど今は違う。マナとこうして対峙しているだけでも、ヘラの存在を感じるぐらい、力が漲っている。あのダンジョンの呪いを吸い込んで、力を取り戻せた。だから夢を通じて呪うなんて、造作もない。本当にすごい存在だ」
「メル、あのね」
マナは意を決して、口を開く。
「うん」
「わたし、一度、あなたを殺してる。そして、わたしは死んで、あなたは魔王になってそれで、世界が滅んで。ヘラはそれが悲しくて、わたしの死を呪ったの。そしたら過去に巻き戻ってそれで……ああ、うまく話せない。けど、ほんとなの!」
「そっか」
メルギウスがニコニコと穏やかな笑みを湛えたままなので、マナは戸惑うしかできない。
「メル? 聞いてる?」
「聞いてるよ」
「わたし、忌み子なの! だから、精霊王に愛されたあなたを殺したら、あなたは魔王になってしまう。もちろんそんなことしない! けど、また利用されたら……だから、もしかして、一緒にいない方が」
「マナ。恐れる必要は、もうないよ」
「え?」
メルギウスは立ち上がると、マナのすぐ横で床に片膝を突いた。
「マナは勘違いをしている」
優しい声で語りかけながら、メルギウスはマナの膝に手を置き、真摯な表情で見上げる。ライトグレーの目が、日光を反射してダイヤモンドのように煌めいていた。
「マナは、忌み子なんかじゃない。精霊の愛し子だ」
「愛し子……?」
「そう。双子というのはね、人間と人の姿を模した精霊の子が、対で産まれてきたということなんだ」
マナは、メルギウスの話す言葉の意味はわかっても、心では理解ができなかった。
そんなマナに寄り添うように、メルギウスはそっと手を握りさらに語りかける。
「天の御使の血筋たる皇帝が、太古の昔から『忌み子の呪い』でもって闇の精霊を縛っていたんだよ。あの女が公妾となったのは、双子を産んだからってだけだ。そんなこと、皇国として公表されたくないだろうから、強めに脅迫してみた。ちょうどさっき、恨みごとがズラズラ書かれた書状が届いてね。皇帝直々に、公妾にはマナから手を引かせるって。それを読んでたところだったんだ」
「だからあんな顔してたのね」
「どんな顔?」
「魔王みたいな顔」
あは! と笑ったメルギウスが、立ち上がってマナの肩を撫でる。
「とにかく。マナは精霊の愛し子だから、ルビとすぐ契約ができたし、オベロンとも挨拶ができた。そう言われたら、信じられるだろう?」




