22. 呪いと記憶
「ルル、だったんだ」
マナはてっきりセストが進級試験の妨害をしたと思い込んでいた。だが今までの言動を見るに、どうやらメリル・ルグランが犯人だったようだ。
「……俺は、止めた」
巨大なサラマンダーを前に、諦めて逆に冷静になったのか、セストは静かに肯定した。侯爵家としての体裁も忘れ、素で話している様子だ。
そういえば、進級した途端ルルと距離を取っていたな、とマナは思い返す。
「僕もセストだと思っていた。謝ろう」
「いや。クラスルーム内で散々俺を持ち上げ、殿下を下げるような連中に同調していたのは、紛れもない事実だ。謝罪の必要はないし、こちらが謝罪しなければならない」
「なるほど、あれらも全てメリル・ルグランの仕業か」
メルギウスが断定すると、ルビが心底汚いものを見るような顔をする。
『呪いを呼んだの、この子の欲深さだ』
「なんで! わたくしは、わたくしに相応しいものを得ようとしただけよ!」
『オラ、ずっと嫌だっただよ。周りを操ったり傷つけたりして、欲しいものを手に入れようとするのが』
「そんなのしてない! 欲しいって言っただけ!」
マナは本国にいる自身の母を、まざまざと思い出していた。もっと残虐で手の込んだ方法を取るが、生き物として同種だからだ。皇宮の権力を意のままにしようと画策し、人を操り蹴落とし、欲しいと思ったものを手に入れるまで止まらない。
(あれに比べたら、全然可愛いけどね)
マナがそう思えるのは、精霊王という莫大な力を持ち、優しく寄り添ってくれるメルギウスがいるからだ。
改めて感謝の気持ちが湧き上がり、胸の中が温かくなる。
「ルビ、悲しかったね。でも、それで人を傷つけちゃったら、今度はわたしが悲しいよ」
『主……』
「戻ってきて。そんな熱かったら、すりすりできないじゃない?」
手を差し伸べるマナの優しさが、ルビの理性を取り戻そうとしている。
だが――
「殿下!」
手には抜き身の剣を握り、頬を土埃で汚したレンゼンが、焦った様子で走り込んできた。サラマンダーの背後から、叫んでいる。
「危険です!」
「どうした!」
「カースドウルフを確認っ!」
マナが首を傾げると、メルギウスがサラサラと早口でその特徴を語った。
「呪いの魔法生物で、ダークウルフの進化系だ。巨大で凶暴な狼のモンスター。おそらくそいつがダンジョンのボスだな」
「うわぁ」
「狼なら、鼻が効く。その辺からふらりと紛れ込んで、呪いを吸い込んで進化したと言われたら納得だ」
マナはぎゅっと唇を噛み締めてから、下腹部に力を入れて叫んだ。
「ルビ! ボスが出たの! 一緒に戦ってくれる?」
『うぐ……でも、オラっ』
「わかるよ。許せないよね。でも、無事に外へ出てから決着つけよう? 約束する」
『……わかっただ。逃げたら、承知しないだよ』
びくりとルルの肩が波打つと、サラマンダーは渋々その体を小さくし、マナの肩へ戻ってきた。
頬を擦り寄せ、口からは長い舌をチロチロ出して甘えている。
「ありがと、ルビ」
「なによ! 勝手にこのわたくしを悪者にしたこと、絶対ゆるさないっ」
「いいよ。無事出られたらね……見てあれ」
レンゼンが剣を構えながらジリジリとこちらへ後退してくる、その剣先に捉えていたのは――真っ赤な目を見開く、巨大な黒い狼だった。足元には通常サイズの狼の群れがいる。
長い口蓋からはダラダラと唾液を垂らし、鋭い爪でギリギリと石畳を削りながら歩いてくると、ミシミシと壁からも悲鳴が上がる。
見上げるほどの大きさを誇る体躯は、重さも計り知れない。
『ぐるるるる』
「な、な、なんなのよあれええ!」
地を這うような呻き声に恐怖を感じたルルが喚くと、
「黙れ、刺激するな」
メルギウスが警告を発する。だが、素直に頷くルルではない。
「早く倒して! 命じられたんでしょう!」
逆上し、さらに大声で喚いたルルへ、カースドウルフは目を向け――
『がおおおん!』
咆哮を放った。
「しまっ」
メルギウスは、咄嗟にルルのローブの袖を引こうと手を伸ばしたが、間に合わずルルは全身に声の波動を浴び、
「ギャッ」
と短い悲鳴を上げ仰向けに倒れた。
セストが駆け寄り起こそうとするのを、メルギウスが「触るな!」と止める。
白目を剥いてピクピクと全身が波打ち、よく見ると耳の辺りの肌が黒く染まっていた。
「呪いだっ!」
セストはそう叫ぶと、後ろへ飛ぶようにして後ずさる。
メルギウスは前へ向き直り、狼の群れを牽制するように、派手な火魔法で地面に線引きをした。今にも飛びかかりそうだった狼たちは、ウロウロその場を歩いて隙を窺っている。
「助け出すにしても、ああも出口に居座られてしまっては、倒すしかなさそうだな……レンゼン」
「は。いつでも」
「風の精霊よ、我が騎士を守れ」
レンゼンが剣を構えると、身を守るように風の壁が取り巻いているのが見えた。
「すごい……!」
素直に感心するマナに、メルギウスは先ほどまでと正反対の、優しい目を向ける。
「マナにもできるよ。戻ったら、教えよう」
「うん!」
「セスト! 何もしなくて良いが、よく見ておいてくれ。我が国最強の騎士を」
「承知した」
メルギウスの嫌味も、セストは一礼と共に受け止めた。以前までの彼とは違うかもしれない、とマナが思っていると、メルギウスが苦笑した。
「だから厄介だなって思ったんだ……さて、レンゼン! ボスを殲滅しろ!」
「は!」
躊躇いなく剣を振るうレンゼンの殺気に気圧されることなく、カースドウルフは咆哮を放ちながら噛み付こうとし、爪を振るう。
レンゼンは素早い身のこなしでそれらのすべてを避け、飛び上がり、何度も剣で斬りつけた。
手強い相手に分が悪いと悟ったのか、ボスはマナたちへ顔を向け、
「まあ、そう来ると思った」
ニヤリと口角を上げるメルギウスは、バトルを楽しんでいるように見える。
「炎の巨人よ、なぎ倒せ」
穏やかな声に従って、火の精霊が巨人の姿で現れた。悠然と闇を照らし、カースドウルフを見下ろすと、大きく右腕を振りかぶって殴る動作をする――それだけで、前方へ炎の柱が噴き出た。
熱波がマナたちへ襲いかかり、咄嗟に両腕で顔を庇う。
『グラアアアアアアアアアア』
全身のほとんどが焼け爛れたダンジョンのボスは、天井を仰ぎ断末魔の咆哮をあげる。ビリビリと鼓膜を震わせる音の恐怖が、マナたちから血の気を奪っていく。
「ぐ、は」
セストが地面に片膝を突いてゼエゼエと肩で呼吸をし、額から脂汗を垂らす。マナも同様に両膝を地面に突いて、自分で自分の両肩を抱きしめる。
メルギウスは気丈に立ったままだが、腕の一部が黒く染まっている。全員、呪いを受けてしまった。
レンゼンは単独で狼の群れを押し留めていて、数に太刀打ちするのが精一杯だ。
メルギウスが、悔しげに歯軋りをする。
「ハウリング・ホラーとは! この規模のダンジョンのボスで、なぜここまで強力な呪いが?」
「……そっか、ヘラは、これを……言いたくて……」
マナの脳裏に浮かび上がるのは、魔王となったメルギウスの顔だ。
『きっかけなんて、あらゆる場所に。そう、誘惑は常に側に』
じんわりと紫の光を纏ったヘラが姿を現すと、マナたちの頭上にふわりと浮かび上がった。
『精霊王の主が呪われたなら、あとは待つだけ。ふふ』
「ヘラ! だめ!」
『あら、どうして? メルギウスの暗殺。願ってもないことでしょう?』
「いやよ! わたしの……大事な人だもん! もう、失いたくない。絶対、失いたくないの!」
(思い出した――メルギウスが魔王になったのは、わたしが、殺したからだった……)




