19. ダンジョン、出現?
「ではランクCの試験に向けて、魔法の練度を上げていきましょう」
訓練場でいつもより大きな声を出すドグラスに従って、中級の魔法を練習し始める生徒たち。
メルギウスとマナはというと、すでにランクCのため隅の方で見学状態となっていた。なぜなら――
「お手本をマナさん、やってみてください」
ドグラスの指示でなにげなく火魔法を放ったマナが、五本の的を一瞬で焼き切ってしまったからだ。
どよめく生徒たちの声よりも、一番マナが動揺した。
「な、なんで⁉︎」
『あや〜、やりすぎたべ』
マナの耳元で、精霊のイタズラっぽい声がする。
「ルビ!」
へへ、と笑って誤魔化してから気配を消したサラマンダーの代わりにメルギウスが
「……先生! 僕たちはランクも違いますし、別進行で良いでしょうか」
とマナを庇って声を上げると、ドグラスも
「あ、ああ。えーっと、修行頑張ったんですね! 素晴らしい! 皆さんも、一本焼き切れるようになりましょう〜」
と咄嗟に合わせてくれたようだ。
メルギウスがサッと水魔法を唱えて的を鎮火すると、マナを落ち着かせるよう寄り添う。
「きっとルビ、ダンジョンのことで怒ってたから。イタズラしちゃったんだね。怒らないであげよう」
「そっか……わたし、修行したつもりだったけど、まだまだだ。精霊の気持ちも、考えて使わなくちゃ」
「その通り。人ではない存在と契約して共存することは、思っているより難しいんだよ。皆軽く考えているけれど。それに気付いたマナは素晴らしい」
息を呑んだマナは、ライトグレーの目を見上げた。
中級精霊のサラマンダーですら、一瞬で強烈な火魔法を放つ。精霊王ならば、どうなるのだろうか。
(もしかして、メルが魔王になったのは……)
マナの記憶では、魔王の顔立ちはメルギウス、色は精霊王オベロンだ。
「わたし、素晴らしくなんてないよ。でも、わかりたいと思う。メルの、大変さも」
「嬉しいな。さて、僕たちは卒業試験に向けての練習をしようか。……水魔法の上位版の氷魔法と、風魔法の上位版の雷魔法。なかなか大変だが精霊と共にある君なら、ヨユーだよね?」
おほん、と黒ローブの胸を張った王子に、マナは笑う。
「それってもしかして、エリゼオ様の真似? 似てる!」
「ふふ」
レンゼンがしかめっ面をしたのにマナが気づくと、ゴホゴホと咳で誤魔化している。
絶対レンゼンも似ていると思ったに違いない、とマナはメルギウスと目を合わせて笑った。
★★★
ランクCになれば、魔法の実技は特別扱いになる。
マナの一件は生徒たちにその認識を植え付け、焦らせることになった。
中でも、王国の魔導師団入りを嘱望されている貴族の子女たちは、「王子だけでなく男爵令嬢も」という噂に背中を押された親たちから、まだランクは上がらないのか? という催促を受け取る始末だ。
そんな生徒たちは、学院敷地内にある初級ダンジョン――主であるサラマンダーが不在のものだ――へ無断で潜るようになっていた。厳重に鍵をかけられていた入口は、高位貴族の手引きによって開けられ、常態化してしまった。学院側も、進級試験にしか使わないダンジョンの管理だ、それほど頻繁な巡回はしない。ましてや主が不在となった今、新たな精霊が来るまで封鎖している認識だった。
自分も契約できる精霊に出会えるのではないか。
何か有用なアイテムを手に入れられるかもしれない。
浅はかな考えで潜り始めた生徒に感化され、次から次へ、無謀な挑戦がされていく。
「昨日潜ったら、形状が変わっていた」
「土魔法の試練の崖、超えられた」
「脇道ができていた」
秘密の情報共有によって攻略されていくダンジョンに、ついには『宝箱』が出現した。
間違いなく、精霊もしくは魔法生物が住み着いた証拠である。
「昨日の宝箱は、ポーションと小型ナイフだった」
「てことは、奥に行くほどアイテムの質が上がる!」
「スライムもいたぞ」
「魔獣がいるってことは、経験値も稼げるな」
生徒たちにとって、学院の中の治安よりも、成果を持ち帰ることが重要になってきていた。
そしてそんなダンジョンの様子に、精霊王が気づかないはずもない。
いつものように裏庭のベンチで、マナとサンドイッチを齧っていたメルギウスが、唐突にぼやいた。
「まずいな……レンゼン。騎士団に、学院敷地内巡回強化をしてもらった方がいいかもしれない」
「は。戻り次第至急要請します」
「頼む」
マナが心配そうにメルギウスを見ると、珍しく険しい顔をしている。
「どうしたの?」
「厄介なことになっている。こういう流れになるとは想定外だった」
「こういう、流れ?」
ふう、と大きく息を吐いたメルギウスが、眉尻を下げる。
「いち早くランクを上げて婚約して、マナを守ろうと急いだことで、周りを悪い方向へ刺激してしまった。浅慮にも程があるが、まさか無断でダンジョンへ潜るとはね」
「ダンジョン! 焦ってランクを上げようとして、ってこと?」
「おそらくは」
マナには理解ができない考えだった。
「早く上げたから、なにが変わるの? 卒業試験までに到達していればいいのよね?」
「栄誉や権威ととらえる者もいるんだ。王子である僕と婚約者がそうなら、尚更ね」
「うわぁ……」
自分の母親の言動を思えば、そうかもしれない、とマナは心の奥が冷えるような気持ちになった。
最新のドレス、旬の茶葉、流行の焼き菓子。
物は違えども、誰よりも早く手に入れたい、披露したい、自慢したい。
醜い自尊心に自分の身を食い尽くされそうになりながら、笑って立っている滑稽な姿を思い出す。
「自分に合ったペースが、一番なのにね」
「マナ。そういった言動も気をつけた方がいい。持っている者だからこそ言うのだ、と捉えられたら嫉妬の対象にしかならない」
「っ、気を付ける。メルってずっと、猫被ってたの?」
「ああ。……ん? 猫?」
唐突なマナの言動に、メルギウスはキョトンとなって首を傾げた。
「ニコニコ、穏やかで。何もわかっていません、みたいなのを装っていたでしょう」
「ふふ。人間の本性を探るには、僕の本性を隠すのが一番いい。下に見られるほど、相手は油断する」
やはりこの人の本質は、魔王なのかもしれない、とマナは思った。
「ひええええ、怖い」
「怖い? 僕が? マナには優しくしているつもりだけど?」
「まずその笑顔がこっわい! ちょちょ、レンゼンさーん、助けて」
マナの助けを求める声を聞いた護衛騎士は、難しい顔をしてブツブツ悩み始める。
「殿下からの攻撃は、婚約者殿の護衛対象となるのか。騎士団本部へ戻ったら確認しておこう。対象にならないのなら、力にはなれそうもないが」
「ええっ! レンゼンさーん⁉︎」
動揺するマナに、レンゼンはニヤリと笑った。
「だがその時は、個人的に助けよう」
「うあああよかったあああ」
ホッとするマナへ、今度は優しい眼差しを向けるレンゼンに、メルギウスの心中は穏やかではない。
「おい、レンゼン」
「というわけで、殿下。レディを怖がらせるなど、良くないですね」
「レンゼンにそれを言う資格はないだろう。その顔と剣の腕でご令嬢たちに怖がられて、いまだに縁談がまとまらないじゃないか」
「うぐ」
「え、レンゼンさん、結婚してなかったんですね⁉︎」
「ふぐ」
「そんなにかっこいいのに」
ボワ! と護衛騎士の頬が赤く染まる一方、メルギウスの顔は真っ青だ。
「大変光栄だ、マナ殿」
「調子に乗るな! マナは優しいだけだ!」
そうしてこの日のランチは、一抹の不安を抱えたまま、楽しく終わったのだった。