3 差し込んだ光
町外れの一角に位置する比較的小さな診療所。
長年地域医療に関して総合的に何でもやってきたらしいその場所が、レインの実家であり現在の目的地。
そこに大急ぎで辿り着いたところで、玄関先の掃き掃除をしていた黒髪でボブカットの少女が視界に映った。
そしてそれは向こうも同じなようで、こちらに眠そうな視線を向け声を掛けてくる。
「あ、兄さんお帰りー。そんなに急いでどう…………とにかく中に入って」
ふわふわした雰囲気から一点、真剣な表情と声音でそう言った一つ下の妹、リカ・クロウリーの背を追い診療所の中へ。
「どういう状態? 何が有ったの?」
両親から継いで診療所の主となっているリカの問いに、レインは端的に答える。
「治療に当たっていた賢者曰く、ヘルデッドスネークに咬まれたみたいだ」
「……それって王都の外でやられた事だよね。それでも生きていてくれているという事はその場で最低限の処置はされてる」
「ああ。そして咬まれたのにまだ息が有って、処置をしたのに息が絶えそうって事は考えられる可能性は二つだ」
言いながら診療所のベッドに少女をベッドに寝かせて言う。
「アナフィラキシーかヘルデッドスネークの抗毒血清が結果的に別種の毒として作用しているか。そのどちらか」
「でも賢者さんが治療に当たっていたなら、前者は違うね」
「そういう事になるな」
リカの言う通り今回の場合、体内に抗毒血清という異物を入れた事によるアナフィラキシーを始めとしたアレルギー反応が原因ではない事は既に分かっている。
蕁麻疹などの症状が出ていないなどの理由もあるが、何よりそうしたアレルギー反応の場合、治癒魔術で完治する事が、積み上げられたエビデンスによって明確な物となっているからだ。
ましてや本人の人間性はともかくあの賢者は一級だ。
その治癒魔術により症状が改善されなかった場合の可能性についての見識が無かった事は事実だが、その治癒魔術の精度そのものを否定するつもりはない。
故に確かにあの場で行われた筈の治療で完治しなかったのであれば、その可能性は除外できる。
できてしまう。
僅か一種の治癒魔術によって、万能薬のように多くの病や怪我などの症状が改善されるのだから本当に奇跡のような力だ。
薬剤師が下位互換だと言われても仕方が無い程の奇跡の力。
だけど目の前の少女は、その奇跡の届かない場所に居る。
「つまり消去法で後者って事になる」
抗毒血清が結果的に別種の毒として作用しているケース。
薬害。
端的に言えば、彼女の体との相性が致命的に悪かった。
ヘルデッドスネークの抗毒血清を使用した際、極々稀にこうした症状が出る場合があるのだ。
おそらくこのままだと、どれだけ長く見積もっても一日が限度だろう。
そして今日この場で判明した事実だが、今回の症例は賢者の治癒魔術では対処できない。
そういう症例が度々見つかっているにも関わらず、賢者が薬剤師を始めとした旧医療従事者の上位互換とされているのが、現代医学の最前線で起きている問題だ。
だからこそ、この戦いは分が悪いのだ。
「リカ、急で悪いけどこの子を見ていてくれ。俺は大急ぎで商会に問い合わせて来るから」
「分かってる。その為に一旦ウチに戻ってきたんでしょ? ……あると良いね」
「無いと困るんだよ」
賢者が台頭する以前ならこうしたケースに対応する為の薬の素材は比較的手に入れやすかったらしい。
珍しい症例に対する物であっても流通はしていた。
だが基本的に怪我や病気が賢者の治癒魔術によって治療できるとされている今……旧来の医療従事者が続々と廃業していく今、そうした需要が少ない物から出回らなくなってしまっている。
残念ながら診療所でもストックしていない。
そしてもしその素材が手に入れば、目の前の少女の命は救える。
だが今回必要な素材が取り扱いを止める対象となっていれば……その時点で詰み一歩手前だ。
戦わずして負ける一歩手前まで追い込まれる。
「とにかく頼んだぞリカ!」
「うん、こっちは任せて!」
そんな頼りがいのある妹の声を背に、レインは診療所を飛び出した。
(頼む……あれさえ手に入れば……!)
嫌な予感を感じながらも、それでも縋るように祈りながら。
☆★☆
考えられる限り最悪な形で事が進んでいる。
「どうだった兄さん!」
「駄目だ……もう半年近く仕入れてねえらしい」
外出先から戻った直後、食い気味に投げかけられた言葉に息を切らしながらそう答える。
「……ッ」
大急ぎで普段懇意にしている薬品の素材を取り扱う業者に駆け込んだものの、今回必要となる『とあるキノコ』が最後に在庫としてストックされていたのが三か月前の話。
そしてその最後のストックも保管期限切れにより破棄せざるを得なくなったが故に無くなったらしく、何も得られなかったレインに与えられたのは別業者も半年前の同タイミングで仕入れを止めているという最悪な情報のみ。
つまり保管期限三か月のその素材は、卸業者どころか同業の医療従事者もほぼ確実に持っていないという事になる。
即ち医療従事者としての正攻法なやり方で、今必要な素材を時間内に手に入れる事はほぼ不可能という事だ。
「そんな……だったらどうやって……」
「……詰み一歩手前だ、クソ!」
そう吐き捨てながらも業者を責める事はできない。
今や旧来の医療関係はどうしようもない程の斜陽産業なのだから。需要が無く破棄を繰り返すような需要の無いものからコストカットしていかなければ商売が成り立たない。
故に責めるべきなのは、これから行う予定の事を完遂できると胸を張って言えない自分だ。
だけどまだ、そういう形で自分を責めるだけの余地はある。
「え……一歩、手前?」
そう、詰み一歩手前。まだ詰んではいない。
「ああ……このまま詰ませてたまるか。足掻けるだけ足掻くぞ俺は」
まだ最後の手段が残っている。
「卸してくれる業者に頼れねえなら、自力で採取してくる。勿論最速最短でだ」
幸いな事に採取できる場所は知っている。
強力な魔物が生息している事から通常Aランク以上の冒険者パーティに護衛を頼んで赴くスポットではあるが……あまり前に出ない後方支援担当とはいえ一応元Sランクのパーティに所属していたのだ。
一人でもうまくやればなんとか、辛うじて……どうにかなるかもしれない。
ああそうだ、一人だ。
今現在どこのパーティにも所属してらず、していたところで全く金にならない危険なだけの戦いには基本手は貸してくれないだろう。
そしてAランク以上の冒険者を雇う事は金銭的に厳しい物が有る上に、マッチングや諸々の手続きに掛かる時間を考えると、今のタイムリミット的に逼迫した状況では除外せざるを得ない選択肢だ。
故に消去法で自分一人。少しどころかかなり自信は無いが、やるしかない。
「そんな訳だから……絶対助けるからな」
「……」
最早まともに意思疎通すら取れない程に衰弱している少女に視線を落としてそう呟いてから踵を返す。
幸いなことに今日は本来であればジーン達と仕事をする予定だった為、冒険者としての薬剤師の役割を担う為の準備はできている。
「一分一秒でも早く帰って来る。だからリカはこの子の看病と……いよいよとなった時の延命処置を頼む。大変な事押し付けてる感じになるけど、もう少しだけ頼むよ」
「兄さん!」
リカはどこか不安そうに言う。
「えっと、勿論誰かと一緒に行くんだよね!? 一人で行ったりしないよね!?」
「当たり前だろ。薬剤師が一人でってのはかなり無茶だからな。それは流石にできねえ」
言いながら、こんな状況だというのに少し安堵する。
帰ってきてずっと、この件と関係の無い話は一切できていない訳だから、当然リカはレインの置かれている立場を把握していない。
だからこそ、余計な心配を掛けずに済む。
そう考えたところで、耳に第三者の声が届いた。
「あ、あの! すみません!」
その声はどこか聞き慣れた声だったが……連想する相手は、今現在此処にいない筈の人間。
だからその誰かを自然と脳裏から掻き消しつつ、急いで対応に向かった。
申し訳ないが一分一秒でも早い処置が必要な何かを抱えた患者さんでなかった場合、少し時間を……もしくは日時をずらして貰わなければならない。
リカにあの少女を任せている以上、そうせざるを得ない。
そう考えながら受付カウンターの方へと移動すると……そこに居たのはやはり聞き慣れた声の持ち主だった。此処にはいない筈の女の子。
「アヤ!? 何で此処に!?」
綺麗な金髪を纏めたポニーテールが特徴な、元パーティメンバーの一人がそこに居た。
全く想定していなかった人物の登場に驚くレインとは対照的に、アヤは普段の太陽の様な明るさを潜めさせて、静かで冷静な表情と声音で言う。
「レインさん……その感じだと、あんまり良い方向に事は進んでなさそうっすね」
「その言い草だと……知ってるのか、何が有ったか」
「色々有ったんで大体は。だからこそ、個人的に言わないといけない事も色々とあるっすよ。あるっすけど……」
だけど今はそんな事より、とアヤは真剣な表情をレインに向けて言う。
「単刀直入に聞きます。何か私に手伝える事ってあるっすか?」
「え……」
「見たところ切羽詰まってる感じっすよね。だったら部外者との会話はマジで無駄な時間っす。だから何も無かったら今日の所はこのまま引き下がるっすから。邪魔はしたくねーっす」
「……」
一体どういう経緯でアヤが此処に居るのか。どういう理由でそんな事を言ってくれているのかは分からない。
その辺りの事は今の所まるで分からない。
だけど分かる事があるとすれば……彼女が手伝える事は確かにあるという事実位。
頼りたい事があるという事実位。それでも軽い気持ちで頼んではいけないという事実位。
……それでも、結局言葉を吐き出した。
「ある」
「あるっすか!?」
「ああ。薬の調合に必要な素材が手に入らなくてな。だから今すぐ現地調達しに行きてえ」
「それに着いて来て欲しいって事っすね」
「でも他の誰かを仲間に引き入れる金も時間が無いから俺とお前、薬剤師と弓使いっていう後衛と後衛で前衛のいないアンバランスな状態で今すぐにって形になる。場所はAランク以上のパーティで赴くようなところ。そこにそんな状態で二人だ。だから駄目なら断ってくれ。命の保証は正直できねえからよ」
もうパーティを追放されて仲間では無くなった上に碌な報酬を渡す事もできない自分が、明らかに危険な戦いに着いて来てくれと頼むのは端的に考えて明らかに良くない。
それでも……少なくともこちら側からは信頼を向けている相手が、頼ってくれと言ってくれているのだ。
それに頷かず一人で戦いに臨める程、自分は冒険者としての実力も人間性も優れてはいない。
「それでも良かったら……頼む、アヤ。俺を助けてくれ」
だから頭を下げながら溢れ出てきた。
詰み一歩手前まで追い込まれた自分からどうしようもなく出てきた、縋る様な言葉だった。
それに対しアヤは言葉を紡いだ。
「了解っす。私の方はいつでも良いんで準備できたら言ってください。諸々の事情は移動中に話す事にするっすよ」
小さく笑みを浮かべてそう言ってくれる。
「良いのか? 言っとくけど大した報酬だって出す事は……」
「仲間がそんな顔をして頼んできた事を断る訳にはいかないっすよ。報酬とかそんな事も考えなくていいんで。あ、でも落ち着いたらご飯連れてってくださいっす」
「そんな事で……ていうか仲間って……俺は……」
「言いたい事は分かるっすけど、その話はまた後で。時間無いんすよね」
「……ありがとう」
言いながら、レインは彼女に対してかなり失礼な事を考えていたと自分を恥じた。
パーティからのクビを宣告されたあの場にアヤが居たら、彼女からも拒絶されるのではないかと思い、自分は逃げるようにあの場から立ち去ったのだ。
そして実際の所彼女は、此処に至る経緯こそは分からないが自分を拒絶せずに仲間として受け入れてくれている。
そんな彼女に一体何を怯えていたのだろうか。
その感情を向けるのは、今もこれまでも受け入れてくれていた彼女に対する失礼以外の何物でもない。
「どういたしましてっすよ」
そしてそう言って笑ってくれるアヤを見て改めて決意する。
確かに危険だと分かっている場所に着いて来て貰う選択をした。
口にした通り命の保証はない。
だけどそれでも、彼女の命が失われる事がないように。やれる事を全部やる。
思いつく限り……全部。
そしてそんなやり取りをしていると、リカがバタバタと小走りでこちらにやってきて言う。
「兄さんの事よろしくお願いします! こんな事一人でやろうとしてた無鉄砲な人なんで」
結局バレている。流石に聞こえていた。
「うん、知ってる。任せるっすよ妹ちゃん」
そう言ってグーサインを向けるアヤ。
そして一拍の間を空けて、リカはレインに言う。
「兄さんも、絶対に無理しないでね。こっちはこっちでやれる事全部やるから!」
「ああ。改めてだけど頼んだ、リカ!」
「うん!」
こうして冒険者パーティをクビになったその日の内にそのメンバーの一人と共に戦いに臨む。
目的は必要となる医薬品の調合の為に必要な素材の入手。
タイムリミットは……患者の命が尽きた時だ。