2 賢者は匙を投げた。では薬剤師は。
「どうすっかなこれから」
そう呟きながら冒険者ギルドの外へと出た。
一度外の空気を吸って落ち着きたかったのだ。
あまり効果は無かったが。
「……ほんと、どうする」
自分を全否定するような形での追放は精神的に来る物がある。
だからこのまま冒険者を止めるという選択肢も浮かんできたが、それはすぐに選択肢から外した。
別に自分は金だけの為に冒険者をやっていた訳ではない。
寧ろ金は二の次。
大事な事ではあるが一番じゃない。
それ以外に……自分なりに目的があって冒険者をやっているのだ。
だから精神的に苦しくても、その信念は折れなかった。
折るわけにはいかなかった。
故にあくまで冒険者を続ける事を前提で思考を巡らせる。
(……ソロだと碌な仕事を受けられない。それじゃ駄目だ。どこかのパーティに入れてもらうか? これでも一応さっきまでSランクのパーティに居たんだから、その事を売り文句にすれば迎え入れてくれるところも……いや、それもあんまり良くないな)
どこのパーティも余程の事が無ければ必ず後方支援役として薬剤師か賢者が既にいる。
そう、既に誰かが居る。
そこに手を上げて入っていき誰かの席を奪うのは、極論ジーンが自分に対してやった事と変わらない。
だから流石に気が進まなかった。
(やっぱり一からパーティを組むしかないか……組めるか? 一からなんて……でもやるしかねえよなぁ)
そんな風に一応ひとまずの結論を出した所で、ようやく意識を自分以外へと向けた。
(……ていうか向こうの方騒がしいな。何かあったか?)
視線を向けると少し離れた道端に人だかりができているのが分かった。
あまり良い事では無さそうだが、好奇心に駆られるように野次馬しに行くレイン。
そして人混みに近付いてその隙間から騒ぎの中心を覗き、そして息を呑んだ。
「……ッ!?」
冒険者らしい服装を身に纏った女の子が倒れていた。
二、三歳程年下に見える長い赤髪が特徴の……血色の悪い女の子が。
(急病か!?)
そう思って今自分がすべき事を瞬時に思考するが、それもすぐに取りやめる。
既に彼女の治療に当たっている者が居た。
「ふむ……成程」
二十代半ば程の金髪の男が、彼女に何かしらの魔術を使っている。
見るからに病人な彼女に魔術を使う彼は間違いなく賢者だ。
それもかなり優秀な。
そう断言できる代物が、彼の右手首に取り付けられている。
(あの金のブレスレット……アイツ、一級だ)
冒険者にはパーティの格付けはあるものの、冒険者個人の格付けは公式には行われていない。
あくまでパーティとして評価が下され、その延長線上で所属歴や、どういった活躍をしているのかといった情報が出回り、それが結果的に本人の評価となる。
だが賢者は話が別だ。
賢者は何も冒険者の役割の一つという小さな定義に落とし込む事は出来ない。
卓上の空論でしかなかった魔術が現実の物となった現代、医師の多くは賢者が担っている。
魔術を用いない診察や手術、および薬による治療は、高額である事が多い賢者の治療を受けられない貧困層の受け皿となってはいるが、そうでない者は基本的に治癒魔術で病を治す。
故に彼らの評価基準には、冒険者以外の軸がある。
それだけ賢者は世間一般的に秀でた存在なのだ。
そして一級は最上位の賢者。
だから。
(……どうやら大丈夫そうだな)
怪我にせよ病気にせよ、対処できる人間が誰もいない所で患う事が一番良くない状況な訳だが、今は一級の賢者が治療に当たっている。
これであの少女は救われるのだ。
時代遅れの薬剤師程度がしゃしゃり出る場面ではない。
そう考え、踵を返そうとしたその時だった。
「うん、これは無理ですね。お気の毒ですけど」
「……ッ!?」
そんな風に匙を投げるような事を、一級の賢者が言ったのだ。
「……ぇ?」
掻き消えそうな小さな声を絞り出した少女に、賢者の男は言う。
「あなたは依頼先でヘルデッドスネークに咬まれたと言いましたね。あなたを蝕む毒は丈夫な冒険者といえど数分程度で死に至る猛毒ですよ。それがどういう訳かあなたは王都に戻ってくるまで辛うじて生き永らえた。故にこうして治療を試みる機会が生まれた訳です。しかし事前にお伝えした通り、咬まれた直後以外でこの猛毒を消し去れた賢者はいない。あなたが通りすがりの私に縋り付くものですから仕方なくその第一号になってみようと思いましたが、結果はこの通り技量云々関係なく、できない物はできないという事が分かっただけです」
そして男は魔術の使用をやめ……あろう事か嫌悪に満ち溢れた声音で言葉を紡いだ。
「大勢の前で恥をかいてしまいました。あなたの所為ですよ、断りにくい空気を作るから」
言いながら彼は彼女の腰のポーチに手を伸ばし……財布を取り出した。
それを見てレインは思わず野次馬を掻き分けて前へ出た。
「おいアンタ、何やってんだ!」
「何って治療費を頂くんです。それと私への名誉棄損の慰謝料もね。どちらも高いですよ」
「ふざけんなやってる事追い剥ぎじゃねえか!」
「失礼な。正当な金銭の徴収ですよ。本来一級賢者の私の顔に泥を塗った慰謝料だけでも、この薄い財布の中身では全然足りない」
「少なくとも泥塗られたのはお前が無能だからだろ!」
自然とそんな言葉が出てきた。
「……あ?」
賢者の男が怒気の籠った声音を向けてこちらを睨みつけてくるが……だからどうした。
「今なんと?」
「お前が無能だって言ってんだよ。ヘルデッドスネークの毒は確かに猛毒だ。だけどまだ患者が生きていてくれてるなら助けられる」
基本的に数分で死に至る猛毒であるが故に、手を施す前に亡くなってしまうケースの方が圧倒的に多い。
だがそれでも、こうして辛うじてでも生きていてくれているなら。
理論上、まだ助けられる可能性は充分にある。
「戯言を。なんだいキミは。もしやキミは同業者か? 私にそこまで言うならキミも一級──」
一級賢者だと確認しようとしたのだろう。
彼の視線はレインの手首へと向く。
だが当然何も無い。
そもそもレインは賢者ですらないから。
「レイン・クロウリー! 薬剤師だ! とにかくやれるだけの事をやるからそこをどけ!」
「薬剤師……薬剤師っておいおいおい! 一体どれだけ優れた術師が現れたのかと思いきや、キミは賢者ですらないのですか!」
賢者ですらない。
まるで薬剤師という職業を、賢者という高みに到達できていない半端者とでも言いたいように、賢者の男はこちらを小馬鹿にするような笑みを浮かべながら言う。
「一級賢者の私にも治せなかったのです。下級の賢者以下……時代遅れの薬剤師如きに何ができるというのですか」
「少なくともアンタみたいな形で匙を投げたりはしねえ。最善は尽くす」
「果たして薬剤師如きにこれ以上尽くせる善は有りますかね」
そう言いながら、最早倒れた少女に用はないと言わんばかりに、紙幣を抜き取った財布を投げ捨てた賢者はこちらに歩み寄りながら言う。
「レイン・クロウリーと言いましたね……キミも公衆の面前で私の事を無能と罵り顔に泥を塗った。耐えがたき誹謗中傷です」
「……だったらどうする?」
「売られた喧嘩は買いましょう。その子を薬剤師という化石が救えるのなら、その言葉を甘んじて受け入れます。ですが……それが無理ならご覚悟を」
心底人を見下すような嫌な笑みを浮かべる賢者の男。だがそんなのはもうどうでも良い。
「……ああそうかよ」
賢者の男があの少女へ意識を向けなくなったのとは入れ違いに、今度はこちらがあの少女へと強く意識を割き始めたのだ。
……あまり関わりたくない人として終わっている男に、空返事を返す以上に向ける意識の余裕はない。
「では、私はこの後予定がありますのでこれで。精々頑張ってください。旧世代の遺物さん」
そう言ってこの場から去っていく男に最早空返事すら返す事無く少女の元へと歩みを進めたレインは、改めて少女の容態を目の当たりにする。
(……相当衰弱してるな。保ててる意識も辛うじてってところだ)
見ているだけでこちらの胸が苦しくなってくる程に、彼女はもう限界に近かった。
できる事なら今すぐにでも原因を取り除き全身に活力を溢れさせるような処置をしてやりたかった。
だけど自分は賢者ではない。
薬剤師には……旧来の医療従事者にはそんな奇跡を起こすような真似はできやしない。
できる事は、現実をなんとか手繰り寄せる事位だ。
だから地道にそれをひとつずつやっていく。
「悪いな。もうちょっと頑張ってくれ」
そう声を掛けながら少女を背負うレインに、野次馬の男が声を掛けた。
「アンタ、本当にその子を助けるつもりなのか?」
「ああ。だけど此処じゃ薬も道具も何もねえ。実家が診療所だからそこまで連れていく」
「そうか……でも感じは悪いがあの男は一級賢者なんだろ。彼に救えないんだったら……な、なあ。今からでもさっきの男に謝ってきた方が……」
「お気遣いどうも。だけど此処で引く訳には行かないんで」
言いながらその場から走り出す。
もしもこれが賢者の男との喧嘩だとして、そこに確実な勝利がある訳ではない。
寧ろこれから行うのは分の悪い戦いだ。
だけどそれでも逃げる訳にはいかないのだ。
医療従事者の端くれとして、トリアージを行わなければならない状況でもない限りは目の前の命を諦めたくなんてないから。
そして……この子の命を諦めて、あの人でなしに頭を下げに行ったとすれば……最終的にそれ以上に深々と頭を下げて謝らなければならない相手が出てくるから。
(繋ぐんだ……俺が……ッ)
少女の体内を蝕む猛毒は常人よりも遥かに丈夫な冒険者の肉体でも数分と持たない程凶悪だ。
その数分の間に賢者による治療を受けるか……抗毒血清を使用するか以外では救えない。
人間である以上、どれだけ鍛えていてもその現実に抗う事は出来ないのだ。
それでもこの少女が王都の外から生きて帰って来ているという事は……その処置は既に終わっていると考えるべきだろう。
処置した上で、今の容態の彼女の姿がある。
おそらくこの容態は処置してくれた『此処にはいない誰か』が想定していなかったものなのだろうが、どうであれ終わる筈だった命をこの瞬間まで誰かが繋いだ事は明らかなのだ。
だとすればバトンを受け取った者として、その誰かに申し訳が立たない。
(俺が助ける……!)
やるべき事をやれるだけやったであろう同士を、敗北者にする訳にはいかない。
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