11 治療費
目を覚ましてゆっくりと体を起こすと、それなりの倦怠感と軽い頭痛がレインを出迎えた。
「だっりぃ……」
最悪な目覚めだ。
とはいえ眠る前と比較すれば随分と楽にはなっている。
「もう二度とあんな事しねえ……マジで百害あって一利程度しかねえぞ」
まあその一利が事の解決に繋がっているのだから、百害なんて安い物なのかもしれないが。
そんな事を考えながら置時計に視線を向ける。
「かなり寝てたな……」
時刻は午前7時。
事が起きた時間が朝早かった事や全ての事をとにかく迅速に行った事もあり、相当色々あった気はするものの日が沈みだす前には自分の仕事を終えていて、そこから今に至っている。
半日以上の大爆睡だ。
「……あれからどうなった?」
この時間まで起こされる事無く眠り続けていたという事は悪い方向に事は進んでいないのだろう。
とにかくこれから動くにせよもう一度眠るにせよ、確認できるならしておきたい。
そのつもりでベッドから降りたところでゆっくりと部屋の扉が開き、おそるおそるといった様子で長い赤髪の少女が……昨日の患者が顔を出した。
「も、もう大丈夫なのか!?」
「えっと、お、お兄さんの方は!?」
「いや俺の事どうでも良いから。そっちは? 何か調子悪い所とかねえか?」
「いや、あの、ボクは大丈夫ですけどお兄さんは……」
「そっか……大丈夫か……」
それを聞いて深く安堵する。
意識が無かった状態からこうして元気に受け答えができるようになっているところを見ると、命を救えたことに現実味が帯びてくるから。
「いやぁ良かった……本当に良かったよ」
「あの、それで結局お兄さんの方は……」
「俺? 見ての通り大丈夫だよ。ピンピンしてる」
「……顔色悪いですけど。見ての通り最悪ですけど」
「元からこんなもんだよ」
「……えっと、鏡見ました?」
「ん? どれどれ…………滅茶苦茶悪いな。これはよくねえ」
どうやら誤魔化すのも限界のようだ。
できれば患者から心配されるような事は避けたかった訳だが、思ったより三倍位顔色が悪かった。
流石にこれを元気ですと言い張るのは無理すぎる。
……とはいえ、回復には向かっている訳で。
「まあ白状すると実際良くは無いけど、だいぶ楽にはなったしちゃんと生きてる。だから……お前が気にする事じゃねえよ」
心配そうで……そして申し訳なさそうな表情を浮かべる少女にそう告げる。
きっとリカかアヤから経緯を聞いたのだろう。
この部屋を覗いていた理由もきっとそれだ。
そしてこの子がおそらく二人から色々と話を聞いているように、こちらもいくつか聞かなければならない話がある。
「それより……いくつか聞いておきたい事があるんだけどいいか?」
「え、あ、はい! なんでも聞いてください!」
だったらなんでも聞かせて貰おう。
ひとまず聞きたい事は三つだ。
まず名前などの最低限の個人情報については聞きたいし、それから彼女がいつ目を覚ましたのかは分からないが、それでも知っている範囲で自分が眠っている間に起きた事について。
そして……何よりも今回の件の経緯についてだ。
中でも特に……彼女に抗毒血清を打った『あの場にいなかった誰か』について。
知って何かが変わる訳ではないだろうが、同業者として知っておかないといけない。
「まず名前とか教えて貰えるかな。ああ、その椅子座っていいから」
少し長話になりそうな事もありベッドに腰掛けてから、レインは少女そう問いかけた。
そして少女は軽く会釈しながら促されるように椅子に座り答える。
「えっと、ボクの名前はアスカです……アスカ・クレール。職業は一応冒険者で……あ、あと16歳です。呼び方はその……なんでも良いです」
「おっけ。じゃあアスカな」
たどたどしい自己紹介を聞いたところでこの問いは終了。
この辺りは正直名前だけ聞ければそれでいい。
次の問いへと進もう。
「それで、アスカ。目ぇ覚ましたのは何時頃だ?」
「昨日の夕方ですね。四時頃だったと思います」
「って事は俺が眠ってから、そう間空けずにってところか……だったら俺が寝た後の事は大体知ってる訳だ。ちょっと教えて貰っても良いか?」
正直、この辺の話は必ずしも聞き出さなければならない話ではない。
後でリカか、もしウチに泊まって行ったりしているのであればアヤからも話が聞ける訳で、その上緊急性のある話でも無いから。
だけど、こちらが本当に聞きたい話をいきなりぶつけるのは酷な気がするから。
だからこれはその為の助走。
その助走の為に問いかけた問いについて、アスカは答える。
「眠った後の事……ですか。そうですね……」
何から話すべきか考えるように間を空けてからアスカは答える。
「とりあえず目を覚ましたら、そこからリカさんの色々診てもらって……それが終わってから、事の経緯をアヤさんから聞きました……どうやら随分と無茶をさせてしまったみたいで」
「全然大丈夫だよ、気にすんな」
「あの……そう言ってくれるのは嬉しいんですけど、薬剤師が薬を過剰摂取して全然大丈夫っていうのは、なんというか……物凄く良くないと思います」
「……ぐうの音もでねえ」
確かにそれはそうである。
「全然大丈夫じゃないから、やらないようにな。百害あって一利程度だからな……」
「一の利を認めないでくださいよ……その利のおかげで生きているボクが言える話じゃないですけど……それ認めちゃ駄目ですって。絶対」
「ごもっともです……」
(この子自信なさげな喋り方する割に結構遠慮無くザクザクっと刺してくるな……)
「……それとえっと、多分薬の件についてはリカさんにあとで怒られると思います」
「だろうなぁ……覚悟しときます」
なんとなくそんな気はしていたが知りたくはなかった。
リカは普段はふわふわした感じで人畜無害って感じだけど、その普段から逸脱した時はその雰囲気からは程遠い事になるので普通に億劫だ。
もっともそんな状態で色々と言われる事が害なんて事は絶対に無い訳なのだが。
……そう思ってはいてもあまり考えたくはないのは事実なので次へ進む事にする。
「それでそれから?」
「私は検査入院って言われてご飯もご馳走になって。後はお兄さんが起きたかどうか気になって覗きに来てって感じです。目が覚めなくて心配だったし、お礼も言わないとでしたか……あ」
そう言って思い出したような声を上げ、アスカは立ちかがる。
「まだちゃんとお礼を言えてませんでした。助けてくれて本当にありがとうございます!」
「どういたしまして」
「治療費はその……分割になりますけど、絶対に払いますから」
(……治療費か)
そういえば殆ど考えていなかった話が出てきて少し考える。
さて……どうしたものか。
大前提として診療所の経営は芳しくない。
ビジネスとして破綻していると言わざるを得ないだろう。
加えて今回主に交通費がかなり掛かってしまっているが故に、経費は中々な物だ。
だからこそ問いかける。
「その話、リカにもしたか?」
「あ、はい……そしたらそういう話はお兄さんにしてくれと」
「……そっか」
リカはこちらに判断を委ねていると考えて良いだろう。
だったら答えは決まっている。
「じゃあ良いよ今回は」
「……え?」
驚いたように声を上げるアスカにレインは言う。
「普通に受診に来たんだったら当然相応の請求はする。俺達も慈善事業じゃねえからな……当然ビジネスライクな考え方で動いている訳じゃねえから、少しでも患者の負担を減らせたら、とは思うけど最低限の物は貰うさ。とはいえ今回は俺が無理矢理手を上げて助けたみたいなもんだ。そこに対価を求めるのはちょっと違う気がするんだよ」
ましてや今回掛かった費用の大半は交通費だ。
そしてそれは言ってしまえばイレギュラーにより発生した経費に近い。
そんなものを請求なんてできないとは言わないが、それでもこんなものは患者に押し付けたくなんてない。
「……それにお前は充分払ってるからな。いやまあ持っていかれたが正解かもしれねえけど」
あの賢者に財布の中身をほぼ全部持っていかれている今、アスカは治療に掛かる以上の負担を既に負っている訳で。
そこから更に貰うのは、本当に気が引けたから。
そしてそんな事を言った結果、アスカにとって嫌な記憶を刺激してしまったのかもしれない。
とても不快そうな声音で彼女は言う。
「持ってかれた……あの賢者の人にですよね」




