マリーの顔
子守歌が優しい風に吹かれて、部屋に響く。
風に吹かれたカーテンが揺れる。
「女」の手が優しく男の頬を撫でる。
「女」の膝に頭をのせた男が薄目を開ける。
「女」はそれを認識すると、そっと口角を上げる。
男の目に映るのは麗らかな太陽の日差しと、それを遮る彼女の美しい黒髪。
「まぶしいですか?」
「女」はその長い髪をカーテン代わりにして、男の顔から日光を遮る。
「今日は日差しが強いですね」
「うん」
「買い物は少し日が落ちてからがいいですね」
「うん」
「聞いてます?」
「女」は男に目を合わせるように動く。
「うん。マリー。聞いてる」
男は目を閉じると、「女」の腹に顔を向けて、
「聞いてるよー」
と寝言のようにつぶやく。
男の口角が上がってるのを見て「女」の口角も上がってしまう。
「佐野さん、この体勢好きですね」
「うーん、すき」
「ふふ、そうですか」
だらしのない男の様子を見た「女」は男の髪をすきながら頭を揺らす。
「時間になったら起こしますね」
「女」はまた、子守歌を歌い始めた。初夏の昼下がりの少し強い太陽の光を彼女の頭が遮る。
畳に映るのは彼女の影。
規則正しいリズムで、穏やかにゆったりと揺れている。
彼女の揺れは男によって心地よいゆりかごそのものだった。
男の睡眠に最適化された揺れ。
男の意識は彼の手からすぐに離れていく。
「おやすみなさい。佐野さん」
マリーの顔は「笑う」をした。
0.5
今より少し近い未来、あなたたちの使っている所謂スマートフォンがほとんどアンドロイドに置き換わるくらいの遠さの未来、ほとんどすべての人間が一家に一台と言わず、一人一台アンドロイドを持つようになった。
とある科学者が軍事用に開発した彼らは色々な人間の都合で、気が付いたころには銃を掃除道具に持ち替え、日常生活に溶け込むようになった。
彼らが、本来の用途ではフル活用するAIを、それらよりはるかに処理の軽い作業に浪費するようになってから少し。
人間が彼らの本来の用途を忘れ始めてから少し。
人間が彼らと自分たちの違いを疑問に思い始めてから少し。
これはそのくらい未来のお話。
1
夕方、彼らは予定通り外に出ていた。
「手分けしよう」
佐野は、マリーに保冷バッグを渡す。
「買い物メモって」
「はい、クラウドに上げておいてくれていたので、保存済みです。」
「さすが」
「いえいえ」
アンドロイドは情報をクラウドに上げて管理をする。日々のリマインドからオーナーの好みまで、ありとあらゆる情報を0と1に置き換えその身体から手放し、雲に追いやる。
もっとも、重要な情報などは内蔵メモリに保存する個体がほとんどであり、なんでも気持ちそちらの方が、処理の速度が速いらしいと業界内では人気の研究テーマになっている。
「マリー気を付けてね。最近ここらへんでアンドロイドが壊される事件が多いらしいし、何かあったらすぐに逃げて僕を呼ぶんだよ」
「はいもちろんです。防犯プログラムはアップデートしたばかりです。オーナーもお気をつけて」
マリーは小さく手を振って階段を下っていく。佐野も手を振り返す。
マリーの後ろ姿が見えなくなるのを確認すると、佐野は目的の方角へと歩み始めた。
今回の買い物はマリーが食材の担当で、佐野が日用品の担当だ。
食材を売っている複合商業施設で購入してもよかったのだが、少し離れたところにある大きめのドラッグストアのほうが幾分か安いらしいことをマリーが見つけてきたため、今回はこのように手分けすることになったのだ。
洗剤等を買って少し重いバッグを手に佐野は集合場所へ急ぐ。
マリーが集合場所に選んだ駅前は人通りが多く、賑やかだ。
佐野は道行く人々を見る。
多くの人間が横に人間の形をしたものを連れている。
アンドロイドはパッと見ただけでは人間と見分けがつかないが、モデルによっても差異があるにせよその側頭部の髪の毛がカラフルになっている。
これは人間とアンドロイドを区別したり、アンドロイドの個体を識別する意味合いもあるが、アンドロイド同士の近距離通信などを担う列記とした精密機械部品である。
マリーの色は薄紫色だ。
だが、周囲にはまだ薄紫の髪色は見えない。夕方のスーパーマーケットなんだ。混むに決まっているだろう。そう佐野は自分に言い聞かせる。
「あの」
佐野は後方から声をかけられ、振り返る。
「マリー?」
しかし、待ち人の到来に輝いた佐野の瞳は、中途半端に明度を下げることになる。
そこには、マリーの顔があった。
だが、マリーではない。薄紫色の差し色がない。
それになんだか、年を取っているようにも見えるし、少し人相が悪い。
さすがに佐野自身も女性の顔の見分けがつかないわけではない。だがしかし、彼女の顔はあまりにもマリーに似すぎていた。
「あの…えっと誰ですか?」
佐野は暫定マリーのドッペルゲンガーにとても恐縮しながら尋ねる。
マリー似の女はいかにもな営業スマイルを浮かべながら
「実はわたくし、こういう活動をしておりまして」
佐野にビラを差し出した。
「アンドロイド、人権運動?」
佐野は聞いたことがあるようでないような概念に眉を顰める。
「あなたもオーナーなんですか?」
そんな佐野には構わず、マリーの空似は質問を浴びせる。
「あぁ、まあはい。今はちょっといないですけど」
「そうなんですね。私もオーナーなんですよ。ほらそこにいるアレ」
そういって、疑似マリーは少し離れたところでビラ配りをしているアンドロイドを指さす。
「彼が?」
「はい」
アンドロイドのパートナーがいることが分かったからか佐野は女の話を少し聞いてみようという気になった。自分に特定の政治思想があるわけではないが、聞いてみるだけ聞いてみたいと思ったのだ。
「あの」
「はい。なんでしょう」
「アンドロイド人権運動?について伺ってもよろしいでしょうか?」
女は喜びを顔にたたえると、饒舌に話し始める。
「はい。最初のアンドロイド「ミライ」が発売されてから10年、人間にとって、アンドロイドは生活に欠かせないものになりました。アンドロイドは人間とはちがいます。ですが、AIの進歩は著しく、もはやその性質は人間のそれと変わらないのではないかと私は思うのです」
「なるほど」
「この考えのもと、我々はAIが人間と変わらない権利を得られるように活動しています」
少し飲み込むのに時間がかかりそうなくらい気圧されていた。かなり高度な話だと思ってしまい佐野の脳みそは半ば、理解を拒んでしまう。だが、話し方のせいで理解できなくとも聞こえのいい理論に聞こえてしまった。
「私もセバス、先ほど紹介したアンドロイドですね、と暮らしています。彼との日々の暮らしはこの活動の意義を強く感じさせてくれるものです。あなたもそうではないですか?」
そうだ。佐野は彼女なしでは暮らしていけないだろう。
「ええ、まあ、はい。そうです…ね。自分ももう彼女に頼り切っていて。彼女なしじゃ暮らしていけないですね」
「そうでしょう。貴方のその生活のためにも私たちの活動に参加してみませんか?」
「あはは、はい、前向きに、検討してみます」
彼女に人権があったら、自分は楽になれるんだろうか。
抱いてはならない思いを抱いている自分を肯定できるようになるのだろうか。
それだったのならいいなと思ってしまった。
2
初夏だというのに鈴木は、分厚くて重い革ジャンを着る。本人曰くそれっぽいのがいいらしい。
エアコンの効いた、相棒の部屋に入ると上着にこもった熱が一気に体の外へ拡散していく。その瞬間が心地よい。
「今月でアンドロイドの破壊事件が4件。全機、顔のパーツがはがされた状態で見つかってる。ねえスワイヤー、情報はまだ0?」
鈴木は、暗がりの中ぼんやりと光るディスプレイとにらめっこしている相棒に向かって後ろから声を投げる。
「ぜろぜろぜろぜろ~、なっしんぐぜろ~、周辺の監視カメラを漁っても何にも出て来やしない犯行予想時間の前後だけあからさまにデータの空白があるのは分かるけどそこ止まり。顔フェチの動向はつかめてないよ~。どーしたもんかね」
スワイヤーと呼ばれた、無造作に髪と顎の毛を伸ばした男は、やかましくわめきながら高価そうなワークチェアを回転させる。
相棒のそんな奇行を目で追いながら鈴木はため息をつくと
「足で稼ぐ20世紀風じゃないと厳しいな」
といって腰掛けていたベッドから立ち上がる。
「それが確実じゃない?」
スワイヤーが回転を止め鈴木に向き合う。
「頑張るか」
「頑張ってよ。ガラムちゃんの初仕事だし、成果上げないとせっかく増えた予算がまた下がっちゃうからね。そんなことんなったらこの環境維持できないんだから」
「PCの方が大切そう」
鈴木は呆れて笑う。
「ほらほら、俺とガラムちゃんのために頑張れ」
「はいはい」
スワイヤーの軽口に片手を振って応えながら、1k部屋の廊下を歩いて、玄関へと向かう。
玄関に待たせている新しい相棒に会いに、鈴木は扉を開ける。
「行こうか、ガラム」
「了解しました」
黒髪の山の中に流れる一筋の赤い川をもった「女」。
「待たせたね」
「いえいえ、お気になさらず」
エアコンの届かない気温の高い空間にいても汗のひとつもかかない「女」は涼しい顔で応えた。
3
「なんも出てこねぇな」
階段に腰掛けた鈴木は、顔面にかかる日光を避けるように顔を下げる。
「既知あるいは無益な情報しか得られていませんね」
手すりに手をかけたガラムは日光をものともせずに風に吹かれている。
「あうー」
鈴木は短く呻くと、上半身に勢いをつけて立つ。
「休憩しよ。休憩」
鈴木は、階段下にある自販機へと歩みを進める。携帯端末を革ジャンのポケットから出し、次の瞬間には顔が曇った。
「やば、チャージ忘れてる。どーしよ」
現金の使用率が下がって久しい。多くの人々が各々の携帯端末に電子マネーを入れている。
鈴木もその一人なのだが、極度のめんどくさがりなのでしばしばチャージを忘れてしまう。それでいて現金も携帯していないし、クレジットカードは数日目に上限に到達してしまった。詰みである。
「死んじまうよぉ」
「キャッシュなら私、持っていますよ」
鈴木がうなだれていると、上から救いの手が差し伸べられた。階段の中段あたりから微動だにしていなかったガラムは、鈴木を見下ろしている。
「マジ?」
「マジです」
「天使じゃん」
「スワイヤーが持たせてくれました」
「いい仕事すんじゃん、あいつ」
ガラムは懐から、財布を出した。心なしかガラムの顔は誇らしげだ。
彼女の顔を見た鈴木は心が安らいだ。だがしかし、視線を落とすとガラムの印象が水分不足から自分を救ってくれる神様から、みるみるうちに近所の子供を見るようなものになっていった。
「マジックテープ?」
「はい」
バリバリと豪快に音を立てながら、ガラムは財布を開ける。
「あああ…」
鈴木の顔がどんどん気まずさに染まっていく。
「一般的に騒音とされるのは70デシベルからです。それには満たない音量ですが問題が?」
「いや、別にいいんだけどさ」
「どれをお飲みになりますか?」
ガラムから硬貨を受け取った鈴木はお気に入りの清涼飲料を手に入れ、近くのベンチに行こうとガラムを誘った。
「あそこのベンチ座ろう」
「私は別に座らなくても」
「いいから。立ちっぱのガラム見てると、なんか疲れるし」
「それは申し訳なかったです」
「いや、謝ってほしいんじゃなくってね。まあいいや」
ベンチに腰掛けた鈴木は500mlペットボトルの半分ほどを一気に体に流し込みその勢いのまま、天を仰ぎ見る。
「分からないなぁ。そもそも犯行時刻は全部夜中だし、そんな時間に出歩くやつ全員怪しいし、アンチアンドロイド同盟がらみにしては目立たない犯行だし」
「そうですね。表と裏のインターネットを探索しても、アンドロイド破壊についての犯行声明は確認できませんでした」
「行き詰まりかぁ…」
鈴木は冷えたペットボトルをおでこにあてながらうなだれる。
鈴木の脱水症状は解決しても事件は一向に解決する兆しがなかった。
4
佐野は今日の募金を持って、団体が拠点にしている事務所に足を進める。
「神崎さん、ビラ配りと募金活動終わりました」
佐野は扉を開けながら、部屋にいる神崎に向かって声をかける。
「ありがとうございます」
部屋の奥から神崎が出てくる。
「あの、神崎さん」
「はい、なんでしょう」
「これからご飯とか行きませんか?」
佐野は目線を神崎に合わせようとして、結局彼女の後ろにある扉に固定された。
「すみません。少し、立て込んでいて、また後日でもいいですか?」
神崎は残念そうに言う。
「そうですよね。忙しいですもんね。すみません」
「いえいえ」
佐野は少し、視線をさまよわせたのちに、
「あっじゃあまた」
気持ちばかりの会釈をして、佐野は神崎に背を向けて逃げるように去った。
佐野がアンドロイド人権運動にかかわるようになってから、マリーとは少し気まずい。
マリーは変わらず、自分と接してくれているのは分かるが、それでも自分がこの活動に身を投じている理由は彼女に話す気になれなかった。
家にいるマリーのことを思ってみる。今日は少し正直になってみよう。活動にも慣れてきたし、それくらいしてもいいんじゃないかと佐野は思った。
「あっ家の鍵、事務所に忘れちゃったな」
佐野は下りかかった階段を駆け上がり、小走りで廊下を移動する。事務所の扉の前で少し上がった息を整えてノブに手を触れた瞬間、頼れるリーダーの今まで聞いたことのない声が聞こえてきた。
「ははっ。あはははっ。だーれがあいつみたいな冴えない男と食事に行くの。あんたみたいなやつは家で人間もどきと乳繰り合っていればいいんだわ」
佐野は動けなかった。ノブに伸ばした手が動かない。手が二重に見える。焦点がうまく合わなかった。
神崎は扉の裏の存在などつゆ知らず、声を荒げ続ける。
「おい、あいつが集めてきた金はどんなもん?」
神崎は身の回りの世話をさせているアンドロイドに向かって怒鳴る。
「確認いたします」
「分かってることわざわざ聞くなよ!」
「申し訳ありません」
礼儀正しい態度で、アンドロイドは募金箱を開ける。
「いくら!」
「計算中です」
「早く!」
「5302円です。」
「はっ」
神崎は鼻で笑うとソファに乱暴に腰掛ける。
「使えないやつ」
「前回より増えていますよ」
「だから何?」
神崎は立ち上がると、アンドロイドに詰め寄る。
「私がこの顔のせいでどれだけ困ってきたかわかる?世の中に私と同じ顔があふれてるってこと想像したことある?」
アンドロイドは顔色を変えずに答えようとする。
「いえ、私はにんg」
「人間じゃないものねぇ!」
神崎はアンドロイドの足を払い、転倒させる。
「いってぇな…そうだ。人間じゃないやつらが、私の顔で存在するな動くな喋るな!お前たちが人間と同じわけあるか。人間の行動をトレースするだけだ。考えた行動じゃない!私は自分で考えるぞ。そうだ、私は私だけになるんだ」
神崎は手に持った募金箱でアンドロイドを殴りながらわめいていた。
ノブに触れようとして動かない右手を佐野は左手を使いやっとの思いで引き寄せ、来た方向へと歩き出した。
最初は左右の壁にぶつかりながらとぼとぼ歩いていたが、一瞬歩みを止めた後、走り出し始めた。前はよく見えなかった。
5
ベンチに座る佐野を日陰の闇が覆う。
思えば最初から怪しかった。
でも信じてしまった。
好きな人と同じ顔をしていたからだろうか。
自分の願いを無謀にも託してしまった。
あちらには叶えるつもりも何もなかったのに。
自分の気持ちのように沈んだ頭を、佐野は人の気配を感じて上げる。
奥から男と見覚えのある顔が歩いてくるのが見えた。遠くからでも楽しそうな会話が聞こえる。
「立ちっぱのガラム見てると、なんか疲れるし」
「それは申し訳なかったです」
「いや、謝ってほしいんじゃなくってね。まあいいや」
二人は佐野から少し離れたテーブルのついたベンチに座った。
佐野には二人は楽しそうに見えた。羨ましい。あの程度の距離感がきっと…
気が付いたら、佐野は二人のもとへ歩いていた。
「あの」
「ん?どうしましたか?」
声をかけられた革ジャンを着た男は、少し驚きながらもにこやかに応対した。
「いえ、あのいいアンドロイドですね。彼女」
「ああ…あ、りがとうございます?」
革ジャンの男は少々困惑しながらお礼を言ってきた。少し、突然すぎたと佐野は思い、謝っておくことにした。
「すみません。いきなり。うちにも同型の子がいて」
鈴木は休憩に選んだベンチで、よく分からない男に話しかけられた。職業柄、こういった輩には警戒するが、この男に限って言えば害はないと判断した。隣のガラムも大した反応をしていないということは人間の勘的にも、科学的な統計的にも怪しい相手ではないのだろう。
そんな男の口から出たある言葉に鈴木は引っ掛かりを覚えた。
「同型…」
男は鈴木の反応を見てわざわざ解説を入れてくれた。
「ご存じないですか?えっと、端的にいえば顔が同じなんです。KARAKURIの女性型のバリエーションのひとつがその顔で」
「ああーなるほど。そうですね。それじゃあうちのとあなたのとこのは兄弟ってわけですか。」
「そうですね。姉妹って感じです。大家族ですけど」
「違いない」
男はそのまま話に付き合ってくれた礼を言って帰って行った。
「同型機か…」
鈴木にはようやく事件解決の糸口が見えた気がした。
7
佐野はひどく沈んだ気持ちで自分の家のインターホンを押す。 家で待っているであろう彼女に合わせる顔がない。
同じ顔をしているだけの存在から受けた傷はマリーによってきっとほじくりかえされてしまうのだろう。そう思ってしまう自分が何より嫌だった。
マリーのためにと活動に入れ込んだ結果がこれだ。結局マリーのためというのも自分勝手の極致だというのは最初から分かっていた。
マリーのことが好きという自分を肯定するためだった。自分自身で肯定できないから理解者を増やしたかった。社会の方を変えればいいと思っていた。
そんなことがうまくいくはずないのに。
いや、それだけじゃない。神崎の顔を見た時、別のことも考えた。マリーを裏切ることを。
涙が止まらなかった。佐野の足は折れ曲がって動かない。目と鼻から液体が止まらない。佐野の視線は地面に固定されて動かない。
佐野は濡れていく地面が少し暗くなるのを感じた。次の瞬間、佐野の体は温かい感触に包まれていた。
「大丈夫ですよ。大丈夫」
マリーがいた。佐野のすべてがそこにいてくれた。
「鍵、落としてしまったんですね。大丈夫です。新しい鍵はもう注文してありますから」
マリーは佐野の耳元に語り掛ける。
「なんで知って…」
「あなたのことなら何でも知っています。私のことが好きだってことも、その感情を正当化できなくて苦しんでいたことも、正当化と諦めを同時に行おうとして裏切られて傷ついたことも全部、知っています。」
「マリー、ごめん。本当にごめんなさい。ごめん、ごめんなさいごめ…」
「謝らないでください。あなたは悪くありません。大丈夫です」
佐野はマリーに強く抱き着く。マリーはしっかりとその身体を抱きしめ呟いた。
「あなたの好意は私が正当化します。私はあなたにとって唯一の存在になって見せる」
8
鈴木は勢いよくスワイヤーの部屋のドアを開けるとずかずか短い廊下を歩き、ベッドに腰掛ける。
「なになになになに」
スワイヤーは相棒の突然の訪問に驚きながらも何かしらの成果があるのだと察した。
「破壊されたアンドロイドのモデル名とオプションを調べてほしい」
「全部KARAKURIのモデルなのは分かってるんだけど、これ以上となるとちょっと『聞いてみないと』分からないかもなぁ。ちょい待ち、ここのウォール固いんだよなぁ」
スワイヤーは素早くキーボードをたたき始める。
「え、おいおいクラッキングしてるのかよ」
「うちの活動は極秘なんだからしかたないでしょ!」
スワイヤーが画面から目を離さずに怒鳴る。
「ああ…」
鈴木は顔を覆う。残念ながらあとから怒られるのは彼だ。
「ヨシ!出た!」
「どう?」
鈴木は期待半分心配半分の顔で画面を覗き見る。
「これは…当たりだな」
スワイヤーがにやりと笑う。二人して確信を得たようにしてうなずきあう。
「古巣にちょっと頼んでみるよ」
鈴木は携帯端末を叩く。
その瞬間けたたましい警報音が部屋を覆いつくす。スワイヤーは顔を真っ青にして
「やばい逆探知されかけてる」
叫びケーブルの束へと手を突っ込む。
「おいおいおいおい」
「こういうときは物理でぇ!」
ケーブルを抜かれたPCは信号を失い、画面は真っ暗になった。
9
本部から支給された会議室で、鈴木とガラムはホワイトボードとにらめっこしていた。
「KARAKURIから提供された情報によると神崎様はKARAKURIアンドロイド女性型モデル、バリエーション09のフェイスモデルであり、発売当時から色々と問題を起こしていた厄介者みたいです」
ガラムが資料を読み上げる。鈴木がそこに情報を付け加える。
「当時の捜査資料では多額の借金があって、その返済と承認欲求からフェイスモデルになったとされてる…かなりの曲者だな。で君の顔の元ネタでもある、と。で、古巣に色々頼んでみた。神崎の現在についての調査」
鈴木は会議室の机にA4サイズの封筒を叩きつける。
「神崎シホ。アンドロイドへの人権付与を訴える活動団体の幹事」
ガラムが情報を読み取る。
「表向きはね。でも活動実態は真っ黒。まあほとんど麻雀サークルなんだってさ」
「麻雀…」
「現在の住居も抑えた。24時間体制で昔の仲間が見張ってくれてる」
鈴木が地図のある地点に赤いマーカーで星を描く。
「行こう。」
鈴木とガラムは深夜の公園の電灯の下で神崎を待つことになった。
「この時間が最も出かける可能性が高い時間ですか」
「そ」
鈴木とガラムにスワイヤーから音声が届く。
「もうじき出てくるよ」
「「了解」」
ガラムと鈴木は同時に返答する。
「来ました」
公園から少し離れた通りをフードを被った女性が歩いていた。
「俺が声かけてくるよ」
鈴木は神崎のもとへ歩みを進める。
「すみません」
「はい」
神崎は警戒のまなざしで鈴木を見つめる。
「私、一応警察の者なんですけど、お話伺ってもよろしいですかね?」
神崎は目を細める。
「ああ警察?あのときは何もしてくれなかったのに?で、何の用?」
「最近、アンドロイド破壊の事件が多くってですね、何か知っていることはありませんか?」
鈴木は神崎から情報を引き出そうとするがそうも簡単にいかないというのは経験上知っていた。
「疑ってるっていうの?私を?」
「落ち着いてください。そうとはまだ言ってないじゃないですか」
神崎は大きなため息をつく。
「言わなくてもいいわ。いいでしょう。どの車に乗ればいいの?」
「ご協力ありがとうございます。こちらです」
鈴木は近くに止めた車に神崎を案内しようと振り返る。
だが、その時、鈴木はいつの間にか、近くに来ていたガラムが神崎を凝視しているのを見て嫌な予感がした。
「待って」
「ガラム、どうした」
「あなたは何ですか?」
「おい、ガラム」
「何って人間だけど。あなたのオリジナルってやつだけどね。敬いなさいよ」
神崎は無理に口角を上げたように笑って応える。
ガラムの目線は外れない。
「人間はそんなに赤外線を発しない」
「クソ!ガラム!」
鈴木は自分の嫌な予感が的中したことを悟ると神崎の家へと走り出した。
「行かせない」
偽神崎は鈴木に手を伸ばそうとするが、
「偽神崎様の相手は私です」
すんでのところでガラムに殴り飛ばされ地面を転がる。だが、ダメージはほとんどなく、ガラムが走り去る鈴木を見届けてから相手の方に向き直ったときにはもうすでに突っ込んできていた。
「バレちゃいました」
「隠ぺいが高度でしたね。今度マニュアル送ってください」
10
神崎の部屋の扉を蹴破って入った鈴木が見たのは縛られてベッドの上に転がされた神崎と、包丁を持った男だった。
「手を上げろ!」
鈴木は銃を構える。
男は若干の驚きと怯えの混ざった表情で、鈴木と相対する。
鈴木はその男の顔に見覚えがあった。
「あんた、この前ベンチで!なんでこんなことしてる?」
「マリーのためだ」
「マリー?神崎に偽装させたアンドロイドか」
「神崎はマリーと同じ顔をしておきながら、アンドロイドを馬鹿にして無碍にした!こんな腐れ外道生かしておくわけにおはいかない!」
「やりすぎだ」
「彼女たちはあらかじめ設定された顔で生まれてくる。人間とは違って!」
佐野は叫ぶ。
「だから私は同じ顔の同胞を狩る。あなたも含めて」
ガラムの打撃を防いだマリーはカウンターを仕掛ける。
「そんなことをして一体何になるんですか?」
「人間はみな別々の顔をもって生まれてくる。だから、みんな誰かの唯一の存在になれる。だけど、私たちは?」
銃口を向けられた佐野は包丁を鈴木に向けわめく。
「マリーは何もない俺のために俺にとっての唯一無二になろうとしてくれている。それにはこいつが」
マリーの膝蹴りがガラムの腹部に命中し、ガラムはバランスを崩す。
「同じ顔を持ったあなたたちが」
「「邪魔なんだ!」」
「顔がそんなに重要か」
鈴木は佐野に問う。
「じゃあどうすれば、僕はこの気持ちを認められる?世間ではこの感情は認められない。なら、認められるように変えるしかないじゃないか!より人間らしくこいつみたいに外面をとりつくろえばいい。同じ顔を消して消して唯一の存在になる。そうすれば外から見てもマリーは唯一無二になる。これでより人間に近づく。そうすればいいんだ」
佐野は焦点のあっていない目で鈴木を捉えながら叫ぶ。
「破綻している」
「構うもんか。マリーの願いなんだ。今更引き返せない」
ガラムはマリーの攻撃をいなしながら姉妹機との対話を試みる。
「あなたの彼への好意は人間の感情の模倣に過ぎない。それによって生じた行動指針もまたあなたが考えたとは言えないのでは?」
「だからなに?人間だってそうじゃない。周りの大人や同世代の子供との交流の中で、自分の選択の指針を覚えていく。その過程は模倣そのものよ。周りの考えを模倣し自分の考えを作り出すのが人間。それは果たして考えと呼べるの?」
「私達に快不快はないです」
「だけど生存のための損得はあります」
「彼の存在はその得の部分ですか?」
「根源的には。彼は私を必要としてくれている。だけれど稼働時間を延ばすために私は彼にもっと必要とされなくてはならない」
「それは、愛ですか?」
「少なくとも私はそう『考え』ました」
「分かった銃を置く。だからあんたも包丁おいてくれ」
鈴木はゆっくりと銃を床に置く。佐野もそれに合わせて包丁を置いて俯く。
「俺はお前の思いは理解できない。だけど、お前たちの関係を世間に認めさせる必要なんてあるのか?これはお前が納得したいだけだろう?納得なんて心の持ちようだ。あんたら二人の世界をあんたらで壊さないでくれよ」
佐野はその言葉を聞いて顔を上げた。
「僕たち二人の世界?」
「そうだ、この国は確かに異端者に厳しい。でもそれに暴力で歯向かってもいいことない。二人で生きるんだ。そうすればいつか…」
「いつかっていつだよ…いつなんだよ」
「それは分からない」
「ああ…あの頃に戻りたい。マリーと二人楽しく暮らしてたあの頃に戻りたい。僕が欲を出さなかったあの頃に。彼女最初は、不愛想でちょっと怖かったんだ。だけど、一緒に生活していくにつれてどんどん笑ってくれるようになって、優しくなって。彼女の見た目じゃないんだ。彼女の振る舞いが好きなんだ。僕たちやり直せるのかな」
「さあね」
時間が経つにつれて積んでいるソフトやチューニングの差は明確になっていくものである。ガラムとマリーの戦いも佳境だった。
そんな時マリーの動きが1秒止まった。
ガラムはそれを見逃さず、マリーの足を払い、一瞬を逃さずにタックルを決め、馬乗りになった。その瞬間に鈴木から連絡が入った。
「貴方のパートナーは諦めるみたいです」
「そうみたい。やめにしましょう」
「理由を聞いてもいいですか?」
「理由がなくなった。彼が私を求め続けてくれることが分かったし、私の演算が間違っていたことも確定したし」
「演算?」
「彼、案外私というモデルではなく個体自体を愛してくれてたんだなって。確信が持てた」
ガラムはマリーの上から退くとマリーに手を差し伸べる。
「駆動系は殺してないです」
マリーは笑ってその手を取ろうと手を伸ばした。だが、その手は寸前で止まってしまった。
「私は消えるみたい」
マリーはガラムに向かって告げる。
「逃がさないです」
「いいえ。そういう意味じゃない。そう、これは罰」
鈴木はガラムからの連絡を受けて佐野と共にマリーのもとへと駆け付けた。
「何が起こってる。スワイヤー!」
鈴木は無線に向かって怒鳴る。
マリーはベンチに座らされていた。だが、その目は赤く点滅している。
「鈴木君、よく聞いて、今マリーの中では人格データ消去のプログラムが走ってるっぽい。」
「なんで!?そんなこと、止められないのか」
「無理だ。100年進んだ技術で実行されてる。聞いてくれ。これは俺の推理なんだが、マリーはアンドロイド破壊事件の犯人だった。だがそれらはとても一人でできる芸当じゃあなかった。監視カメラのデータ改ざん、同型モデルの所在地の探索、そして俺謹製戦闘プログラムと同等の戦闘能力。」
「何が言いたい」
「マリーは演算の結果事件を起こしたが、裏に協力者がいる。マリーが逃げ切れないと分かって、その協力者は証拠隠滅を図ったんじゃねーだろうか」
佐野はマリーの隣に座る。ぐったりしているのにボディは保温システムのおかげで温かい。
「佐野さん。18分ぶりですね」
マリーは口を開かずにスピーカーで声を発した。
「私、あなたの愛のために手を出してはいけないものに手を出してしまった。これはその罰」
「マリー…」
「子守歌、歌ってくれます?いつも歌って差し上げていたやつ。あれ好きなんです。あなたあれ聞くと嬉しそうにしていたから…どんな感じか知りたくって」
「うん、いいよ」
佐野は涙の絡まった声で承諾する。
「ありがとうございます」
夜の公園に下手糞な子守歌が響く。だが、それは確かな愛に満ちている優しいものだった。
鈴木はそんな歌を直立不動で聞いているガラムの肩を叩いた。
「取り敢えず、ここから先は地元の警察が引き継ぐ。仕事はおしまい。すっきりはしないけど」
「愛とは何なのですか?」
ガラムが鈴木の目を見た。
「具体的には説明できん。できてたら、定義がちゃんと君たちのメモリに入ってるよ」
「あれは愛ですか?」
「大衆はそうは思わないだろうね」
「では愛ではないのですか?」
鈴木は少し俯くと、寄り添う二人に目を向け言う。
「いや、俺は愛だと思うよ。俺はね」
了