センの変化
それから、エムはセンにできるだけ普通の生活をさせるようにした。大きな任務も終わり、エムにはそれほど仕事もない。研究所へ行く以外は、買い物をしたりと、できるだけ普通の暮らしをするようにしていた。
センは何者かは知られていない。エムもだ。街の人からは、一緒に暮らす兄弟のように思われているようだ。
食堂のおばさん、パン屋のおじさん、そうした人たちにも顔を覚えられ、挨拶をするようにもなってきた。
そうした日々が続くが、センが変わったかというと、そうでもない。以前のままだった。
(本当にこれでいいのかしら)
不安もあったが、ほかにできることもないので、それを続けるしかなかった。
*****
ある雨の日、買い物帰り二人で歩いていると、ミィミィと子猫の鳴き声を聞いた。その鳴き声の方へと行ってみると、路地の片隅に子猫がうずくまって鳴いていた。
エムは、その子猫を抱き上げて
「母猫はいないかしら」
センは、まわりを探査して、
「近くに猫はいません」
「そうか、それじゃあ、誰かに捨てられたのかな。家へ連れて帰ろう」
「なぜです」
「だってかわいそうじゃない」
「かわいそう?」
「そう、弱い者を助けるのも大事なのよ」
「エムがそう言うのならば」
*****
子猫を家に連れて帰り、タオルで身体を拭いてやる。濡れて冷え切っているようだ。毛布でくるんで暖めて、ミルクを用意した。
お腹がすいていたのだろう。一心不乱にミルクを飲み始めた。
「かわいいね」
「かわいい?」
「そう、かわいいの」
「かわいい……かわいい……」
センには理解できない。
お腹が膨れた子猫は、そのまま眠り込んでしまった。
「名前を考えなければね」
「名前ですか」
「センが考えて」
「それじゃあ、1号では」
「ああ、やっぱりダメだね。うーん、センの相棒だから、ミィね」
「ミィ」
「そう、私の田舎の言葉で1000のこと」
「ミィ、ミィ……」
「これからお世話は、センの仕事だからね。食べ物を用意したり、寝るところ、トイレ、全部センがお世話するのよ」
「命令ならば」
「よし、お願いね」
*****
それから二人と1匹の暮らしがはじまった。
センのお世話は、明らかに事務的だった。時間がくればエサを与え、トイレをすれば砂 を替え、眠そうになると毛布をかけてやった。
それでも、ミィはセンによくなついていて、いつもセンの足下にまとわりついていた。
一緒のベッドでも寝ている。
軍での研究で帰りが遅くなった日のことだ。
「何か食べて帰ろうか」
「いや、早く帰らなければ……」
「どうして?」
「ミィのご飯の時間だ」
それを聞いて、エムは微笑む。
これまでなら、エムの提案が最優先だったはずだ。
センが少しずつ変わってきている。エムは、それを感じたのだ。
*****
ある日のこと、めずらしくセンが慌てている。
「ミィが……。たいへんです」
「どうしたの」
「身体中が熱くなって、ぐったりしている」
「風邪をひいたのかもしれない」
二人とも回復の魔法は使えるが、ケガの回復が主で、病気に対してはそれほど効果はない。しかも人間ではないので、効果は低いようだった。
「とにかく、水を飲ませて、寝かせましょう」
「それで大丈夫ですか」
「今は、それで様子を見るしかないわ」
センは、ミィを抱きかかえたまま、ベッドに座った。
センの眼差しはやさしい。
(変わってきたのかな)
エムは、いつもと違うセンからそれを感じていた。
翌朝、エムはセンの声で起こされた。
「ミィが……」
センは泣いている。
「まさか……」
「治ったみたい。ミルクもゴクゴク飲んでいる」
「ほんと、よかった」
「うん」
センは、寝ないで、一晩中ミィを抱いていた。
「えらいね」
「それはエムが命令したから」
「それじゃあ、なんで泣いているの?」
「泣いている?」
「そう、目から涙が出ているよ」
センは、指で目のあたりを拭った。
「これが……、涙?」
「そう、どんな気持ち?」
「気持ち?よくわからないけど、何かここが暖かい感じがする」
そう言って胸のあたりをさすった。
「それが、うれしいという気持ちかも」
「うれしい?うれしい……、うれしい……」
「涙は悲しいときも出るけど、うれしいときも出るの」
「これがうれしい……」
ミィを抱きしめながら、センは繰り返す。その表情は明るく、笑みがこぼれていた。
(愛を少しは知ったかな)
エムもうれしくなってきた。
*****
それからセンのミィへのお世話が変わってきた。なでてやることも増え、ミィの鳴き声に笑顔で応えるようになった。美味しいものを食べたときくらいしか笑顔にならなかったのが大きな進歩だった。
それから、ミィと散歩に出るときも、ミィから目をはなさい。心配するという感情も芽生えてきている。
ミィの世話を通して、センの中に様々な感情が生まれてきていた。