バルド王国の深い森の中で
バルド帝国がバルド王国へと国号を変えて数ヶ月が経った。
そのバルド王国の深い森の中で、母娘が、キノコ狩りをしている。
「まだ、時期が早かったかしら」
母親のスゼットは、茂みをのぞき込んで言う。
「もう少し奥に行った方がいいのかな」
スゼットの8歳の娘ヴァレリー(リー)が顔を上げて、森の奥を見た。
その奥の茂みが揺れる。
(何?)
茂みがさらに大きく揺れて、大きな狼がのっそりとでてきた。
「ママ……」
リーが、小さな声で呼ぶ。
狼に気づいたスゼットは、背筋が凍るのを感じた。
「逃げて!」
狼の前に仁王立ちになった。
(せめてリーだけでも……)
しかし、狼は狡猾だ。狩りの技術も長けている。すでに群れに囲まれていた。
(もうダメだ……)
スゼットは天を仰ぐ。
(少しでも時間をかせがなきゃ……)
スゼットは、棒を拾って一人狼に立ち向かう。威嚇して、狼の注意を自分に向けさせる。
「誰かを呼んできて!」
それはリーを逃がすための方便だった。呼んできても間に合うはずはない。
言われるままに、リーは村に向かって走った。
1頭の狼が、スゼットの脇をかいくぐり追いかけてきた。
リーは全力で走る。といってもまだ8歳だ。
すぐ後から狼のうなり声、地面を蹴る音がせまってくるのがわかる。
(早く、早く……)
あせる心が、足をもつれさせ、転んでしまった。
そのスゼットの転んだ先に、1人の少年が座っていた。
眼を閉じている。
森に不似合いなその少年は、置き去りにされた人形のようにも思えた。
大きな音で、その少年は、ゆっくりと眼を開いた。
前には、リーがいる。
〈この娘に従いなさい〉
少年の頭の中に命令が降りてきた。
「助けて……」
リーは、藁にもすがる気持ちで助けを求めた。
「まかせて」
少年がそう言った瞬間に、狼の首が落ちていた。
続いてスゼットのまわりで襲いかかろうとしていた狼たちの首も、一瞬にして落ちた。
「一体何が……」
驚くスゼット。
「魔法だ」
少年は、一言だけ答えた。
「あなたがしたの?」
リーが聞くと、少年はだまってうなずいた。
「助かったのわ。ありがとう」
スゼットは座ったままの少年にお礼を言った。
リーも涙目で少年に抱きついた。
「ありがとう。お兄ちゃん、ありがとう……」
「名前は?」
スゼットが尋ねたが、答えはない。
「どこに住んでるの?」
答えはない。
(口減らしで捨てられたのね。かわいそうに)
「よかったら、家に来ない?」
反応がない。
「そうしなよ。今日採ったキノコもあるから一緒に食べようよ」
リーが言うと、うなずいた。
スゼットとリーの母娘は二人で暮らしていた。リーの父親は、街へ出稼ぎに出ているのだ。
家についたとき、少年が酷く汚れていることに気づいた。
(ずっと森の中に放置されていたのね)
スゼットはお湯をわかして、少年の身体をきれいに拭いてやった。
着ているものを洗濯して、「これでも着ていて」と旦那の服をわたした。
服は、ずいぶんと大きくぶかぶかで、リーはそれを見て笑っていたが、少年は、全く無表情だった。
「さあ、食べましょ」
今日採れたキノコと山羊の乳のシチューだ。堅いパンを浸して食べる。
少年は、これまで食事をとったことがなかったので、二人の食べるのを見よう見まねで食べてみた。
初めての食事は温かく、不思議な感じがした。
「名前は何?」
リーに聞かれた。
「名前は無い」
「それじゃあ困るわ。なんて呼ばれたい?」
「何でもいい」
「うーん」
リーは、腕を組んで考えている。今まで、これほど頭を使ったことはない。パンクしそうだ。
「それじゃあ、ヴィーは?森の神様の名前を少しいただいたの」
スゼットが助け船を出した。
「いいわね、今日からあなたはヴィーね」
「名前……。ヴィー……。わかった」
「よろしくね。ヴィー」
ヴィーと名づけられた少年は、戸惑った表情だが、何か温かいものを感じていた。
******
それから、3人での生活が始まった。
住んでいるのは森の中の小さな村で、20軒の家に60人ほどが暮らしていた。
誰もマギロイドを見た者はいない。
もちろんスゼットもだ。
村の人には、口減らしで森に捨てられて記憶をなくした少年ということにしておいた。
実際に、そういう子どもは多いから、誰もが納得して受け入れてくれた。
いつも1人だったリーにとっては兄ができたようなもので、うれしくてたまらなかった。だから、いつも一緒にいた。
ヴィーは、マギロイドだから、鹿やイノシシを狩るのも容易い。
毎日森に入っては、鹿やイノシシを獲ってきた。
スゼットは、それを村中にお裾分けしたから、村の誰もがヴィーを認めてくれた。
ヴィーのおかげで、父親がいない寂しさも紛れていた。
スゼットとリーにとっても楽しい日々が過ぎていくが、気になるのはヴィーが、いつも無表情だったことだ。
(きっとつらいことがあったのね)
スゼットはそう思ってそっとしておくことにした。
******
村には街から定期的に商人が来る。
現金はあまりないので、基本は物々交換だった。
村で穫れたものと塩や布、糸など生活で必要なものと交換していた。
広場に村人が集まった。
ヴィーが獲った鹿やイノシシの毛皮がたくさんあったので、スゼットはヴィーの服を仕立てる布を多めにもらうことにした。
「この色が似合うね」
布を手に取り、ヴィーにあててみる。
ヴィーの顔を見た商人は驚きの表情を見せた。
「まっ、まさか」
商人は、戦争中は旧帝国の兵士だった。当然マギロイドを見ている。ヴィーをマギロイドではないかと思ったのだ。
緊張しながらヴィーを目で追うが、村人やリーとのやりとりを見ていると、あのマギロイドとは思えない。
(似ているだけか……)
商人は、ほっとして、商売を続けた。
今回は、毛皮など交換したものは多かった。
(大儲けだ)
商人は、喜んで帰っていった。
しかし、この商人が厄を村に呼ぶことになる。
リーやスゼット、そしてヴィーにとっての楽しい日々が続くということはなかった。




