第一話「転移」①
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!! 走れ走れ走れ走れ、サギリ!」
やばいやばいやばいやばい!
早く早く早く早く早く! 追いつかれちまう!
「ちょっと、団長! なんか……依頼者の……話……と、違く、ないですかぁ!? このデカイ虫たちは一体何なんですかっ!?」
息を切らしながら走りまくる二人の男女。
何から逃げてるかというと……
「俺に聞かれても分かんねえよ! 第一なんだよあのサイズ! ダイオウグソクムシとかの比じゃねーぞ!」
バカでかい、”ゴキブリ”達からであった。
「え? ダイオ……なんて言いましたぁ!?」
「何でもねえ!! 今はとにかく走るぞ!」
「ぎゃあああああ!! きもいいいいいぃい!! 来ないでええええ!!!」
迫りくるバカでかい虫の大群。隠れられる場所も何もないだだっ広い草原。
俺たちには全力疾走以外の選択肢がない。
「どうやってまけばいいんだよ、コイツら! キリコ!なんか持ってないのか!?」
「何もないっす! 私達『経費削減』とか言って、水筒しか持ってきてないっすよ!」
「あーーー! そうだったあああ! 俺のバカぁ!!」
後ろから聞こえてくるゴキブリ特有のカサカサ音――ではなく、更にデカく、複数組み合わさった気持ち悪いバージョンのガサガサ音。
異世界のゴキブリの羽音キモすぎる。そしてデカイ。一匹で人間くらいのサイズがある。
なぜ、こんなに俺たちは走り続けているかというと、話は2週間程前にさかのぼる……。
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それは突然の出来事だった。
何かの拍子で、世界が暗転した。
雷に打たれてブレーカーが落ちる時のように、プツッと連続した時間が途切れた。
その瞬間だけは覚えている。
…………眩しい
途切れた時間の始まりは、光からだった。
目に当たるように差し込んできた光に、咄嗟に腕を伸ばす。
森の……中?
眩しさの正体は、木々の隙間から指す陽の光。いわゆる木漏れ日というやつだった。
どうやら、俺は仰向けになっているらしい。森の中で、腐葉土に埋もれて。
上体だけを徐に起こす。
葉は青く、空もまだ明るい。昼頃だろうか。
目が徐々に周りの明るさに慣れていく。といっても昼下がりくらいの明度なのだが、ずいぶんと長く眠っていたのだろうか。
これが夢ではない、というのは感覚的に分かった。そもそも俺は、明晰夢を見たことがない。
人間というのは凄いもので、匂いや触覚、直感から、ここが慣れ親しんだ国ではないということは直ぐに分かった。
青臭さとはまた違う、今まで嗅いだことの無いような草の匂い。日本とは思えない、カラカラとした空気。
「一体、ここは……」
普通は心の中で思うようなことが、ふと口から出た。
声になって改めて、ここが静寂で不思議な空間であることに気付く。
自分の声以外、何も聞こえない。木の葉のこすれる音を除いては。
夢うつつだった意識が、徐々に目の前の世界を受け入れようとしている。
漂ってくるのは、やはり嗅ぎなれない匂い。植物のか動物のか、それすらも分からない不思議な香りだ。
肌に触れる空気は穏やかであるが、腐葉土の感触は何とも奇妙である。
フワフワしているようで、乾いたような、底が浅いような。森の中の土って、もっとこう沈み込むような感じではないのか?
着用しているものも確認してみた。
靴も洋服も普段の服装。携帯やリュックは持っていない。周りにも置いてない。
どうやら、この身一つでここに居るようだ。
目が覚めた時から感じる、この森への違和感。冷静に考えてみても、とても不気味な状況にいる。
携帯が無いからには、助けを読んでみることも出来ない。位置情報も使えない。
どうしよう。ひとまず立ち上がり、近くの木に手をついて――
「へっ!?」
咄嗟に手を引く。何とも情けない声が静寂に響く。
取り巻く空気とは逆に、木の表面はヌルっとしていて、冷たく湿っていた。明るく晴れている空とは対照的に。
マジで、一体ここはどこなんだ?
多くの疑問が頭を反芻する。
とりあえず俺は……歩いてみることにした。
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少し歩いてから気が付いたが、俺が目を覚ました場所は、どうやら全くの藪の中では無いようだった。
草木が茫々と茂っているでもなく、むしろ少し踏みならされているような感じすらする。
実際、今何となく進めているのも、道のようなところを進んでいるからなのだ。
思ったよりも危険にも遭遇せず、道に迷っている感じもしない。
まるで、道を知っているかのように。
迫る危険もなく、生命の不安もない状況だと、意識は内側に向いていくようだ。
俺、何でこんなところに居るんだろう?
ここが不思議な所で、俺の知っている場所ではないことは確かであるが、ここまで来た経緯が全く分からない。
何をしていたんだ……? 全然思い出せないな。
私服だから、高校に行く途中ではないか。
買い物? 山登りでもしたか?
いや、ハイキングすら行ったこと無いのに、登山なんて行くだろうか?
誘拐?ドッキリ?動画とか番組の企画に巻き込まれてる?
色々な考えが思いついては消える。
どうしたものか。
ここに来るまでが本当に思い出せない。
記憶喪失……ってやつなのか?
本こそあまり読まないが、物語にはよくある状況。まさか自分に起こりうるとは思いもしなかった。
自分が学生であるとか、ハイキングに行ったことないとか、何となく自分の事が分かるようで、
どんな学校だったかとか、家族構成とか、そういうものは全く思い出せない。
何とも怖い状況なのだが、思いの外周りに動物や人の気配が無くて、変に冷静でいられる。
「とりあえず森を抜けよう」
ここが一体何処なのか、どうやってここまで来たのか、そしてなぜ何も覚えていないのか。
考えるべき疑問は沢山あるが、それはとりあえず安全が確保されてからでいいだろう。
「よし、とりあえずこのまま進んでいけば――」
一瞬足が止まる。身体が自然と後ろにのけぞる。
ガサリという音。それまで静かだった藪から、何の前触れもなく黒い物が出てきた。
目をやると、そこに居たのは動物。ヤマネコのような見た目と大きさで、黒い毛に包まれていて……
え? 尻尾なんか尖ってね?
お尻からは三角定規のように鋭利にとんがったピンと伸びた尾。
顔こそネコだが、ネコには不相応な白い角がおでこから伸びている。まるでユニコーンの様に。
「……し、新種?」
いやいや、何言ってるんだ俺。
野生動物を前にしたら、襲われるとか逃げるとかだろう。
しかし、平和ボケしてるのか、真っ先に出てきたのは”困惑”だった。
だってしょうがないだろ?世界広しと言えど、こんな尻尾と角を持ったネコなんて聞いたこと無いぞ?
ここが本当に未開の地で、まだ知られてないのか?
原住民とかにここに放置されてしまったとか?いやいや、そもそも原住民が日本に居るのか?
「――!」
頭で色々な考えを反芻させていると刹那、そのネコモドキは素早い身のこなしで、再び藪の中に消えていった。
暫く――実際には10秒も無いだろうが――の間、俺は立ち尽くす。古文単語に出てくる、「驚き呆れる」とはこういう状態を指すのだろうか。
だから落ち着け俺。今は古文なんてどうでもいいんだ。自分でも状況を呑み込めていないことが良く分かる。
ただ、あの動物のことを考えたって仕方がない。
とりあえず森を抜けて、人に会ってみよう。
俺は既に、ここが地球なのかどうかすらも怪しいなと思っていた。
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どれほど歩いただろう。
随分と足が疲れてきた。特に、太もも付け根。ここがだいぶ痛い。
感覚だが、数時間は歩いてるんじゃなかろうか。一体どんな山奥に居たんだ?
動物こそネコモドキ以外には見かけたなかったが、ここに来るまで多くの植物を見た。
木の実や花、カラフルなものもあったが、落ち着いた白が大半だ。
どこかで見たようで知らない植物たち。植物園にいるみたいだ。
――なんてことを頭で考えて忘れようとしていたが、やはり疲れが……。
辺りは暗くなってきた。少し冷え込んでも来た。ちょっと腰を下ろしたい。
だが、果たしてこのままここで休んでしまってもいいのだろうか?
山は凄く寒いって聞くけど、大丈夫なんだろうか。
喉が渇いた。おなかも空いてきた。
急に不安になる。
野生動物の危険は無かったが、自然の中というのはそれだけで危険だと、本能が直感している。
このままじゃ真面目に命が危ないのでは?
毛布とかその辺に落ちてるわけ……ないよな?
食べ物って、飲み物って、どうやって調達すればいいんだ?
というか、道のような所を進んではいたけど、そもそも道だったのか? ちゃんと森の外に向かっていけてるのか? 逆に奥まで来てしまったんじゃ……!
落ち着け、落ち着け。今は焦ってもしょうがない。とりあえず、今は寝床を何とかしよう。
あたりを見渡す。防寒具になるものは無いか? 身体の熱を逃さないようなもの。一晩しのげる場所。
疲れがだいぶ来ているが、もう少し踏ん張って探すしかない。寒さも増してきた。一応長袖長ズボンではあるが、流石に持たないだろう。
しかし、探せど探せどそれらしきものはなく、枯れたり枯れてなかったりする落ち葉があるだけ。
こんなことなら、Youtudeでサバイバルドキュメンタリーでも見ておくんだった。何がどんな役に立つのか皆目検討もつかない。全く、なぜ人間には毛皮がないんだろう。原始人なんて、よく肩掛けの毛皮1枚で生きてたな。なんで自然に弱くなる方向に進化してんだよ。
「って!そんなこと考えてもしょうがないだろ!」
焦りでつい、原始人への愚痴が出てしまった。いや、厳密には自然淘汰への抗議?
って、そんなことはどうでもいいんだってば!今は一晩を明かす方法を考えなくちゃいけないんだよ!
大きな大木は見つけた。『危険が危ない』みたいな日本語だが仕方ない。本当にバカでかいのだ。
見上げても一番上が見えない。優に50mはあるだろうか。根本が洞穴のようになっていて、なんと入れるスペースがある――中はジトジトだけど。
ここなら多少マシだが、やはり寒さは凌げない。今日は何とかなっても、体調を崩せば明日歩けないなんてことになりかねない。
洞穴の入り口を覆うでかい蓋があればいいが、そんなものは無かった。日中見かけたデカい蓮の葉でも、もぎ取っておくべきだった。
ちくしょう。マジで原始人はどうやって生きてたんだ?竪穴式住居とか作ってたんだっけ?あれ、それって弥生時代?いやだからそんなことはどうでも――
……原始人?
原始人といえば、アレだ。原始人における、というか人類における大発明。アレがあるじゃないか!
「火!」
そうだ!火を起こせば良いんだ!
天才なのか俺は? 薪で暖を取れば全て解決じゃないか! 温かいだけじゃない。そのへんの物も火を通せばワンチャン、というかダブルチャンスくらいの安全性で食えるだろ!
よーし、そうと決まれば早速火をつけよう。枝と、枯葉と、木かな? その辺があればいいんだろ? よしよし。余裕余裕。
余裕余裕。
……余裕……余裕。
………………
「ぜっんぜん付かねえ……」
噂には聞いてたけど、火ってこんなに付かないもんなの?おかしくない?
完全にナメていた。かれこれ数十分間格闘しているが、煙すら立たない。棒を転がし続けていたせいで、マメもできた。
辺りはすっかり暗くなってきて、もはや手元が見えなってくる。完全な暗闇になる前に、何とかして火を起こさなければいけないのだが……。
「俺、ここで死ぬのかな?」
俺の本能が言っている。マジで凍え死ぬぞ、と。
『雪山で寝てはいけない』とはよく言うが、こんな状況なのに本当に眠くなってきた。疲れもあるのだろう。
小一時間あぐらで棒を擦っていると、流石に腰も痛い。俺は魂が抜けたように、大の字で寝転がる。
見上げると――
「月が……2つ?」
闇の中では微かすかな光がよく見える。それは人工照明のない大自然の夜空にも言えることだ。
遥かに臨む三日月は、漫画に出てくるような嘘みたいな形をしていて、そして、当然のように、2つ浮かんでいた。
淡い臙脂えんじ色と、シリウスのような光り輝く青。まるで、2つで1つとでも言うように、寄り添うように、確かにそこにあった。
思わず目を擦る。
人は驚くと本当に目を擦るらしい。二三回と目をゴシゴシ擦り、目を凝らし、目を強くつぶって開き、頬を叩いた。
夢じゃない。
これは、夢じゃない。確かに現実で起こっている。確かに目の前にある景色。
ここは地球ではない……のか?
もしかして――
『異世界』
それはいざ目の前にすると余りに突飛で、しかし一方で世の中では使い倒されてきた言葉。
信じられない。そんな訳ない。なぜかと言われると……理由なんて答えられないが、『異世界』だなんて、そんなこと。
「あるわけ……ない」
しかし、揺れ動く感情とは違い、俺の脳は驚くほど冷静に状況の分析を始める。
確証は持てない。が、空気や草などは日本のもの、少なくとも俺の行ったことのある場所では無かった。
初めて来たとしても、明らかに見たことのない物が多すぎた。植物はバリエーション豊かなのに、どれも見覚えがない。何よりあのネコモドキは、明らかに地球の動物ではないだろう。稲妻形の尻尾と、ユニコーンのような角を持つネコなど、存在すれば何かしらで目にするはずだ。
薄々気付いてはいた。ドッキリとか、夢遊病で近くの森の中とか、本気で思っていた訳では無い。現実から少しだけ目をそらしていただけだ。十中八九なにか大変なことに巻き込まれたか、誘拐だろう、と。外国の線も片隅にはあった。
しかし、まさか別世界に来てしまうとは。
ネコモドキは見間違いの線もある。植物だって知らないだけの可能性も十分にある。しかし、空に浮かぶ2つの月はどう考えればいい?地球ではない可能性を、どうして否定できる?
少なくとも異なる惑星、もしかすると異世界。
「パラレルワールドなんて……半分オカルトだと思ってたのに」
俺の中で、答えはほぼ決まっていた。ざわめく心をよそに、俺の思考はここを地球ではないと結論づけていた。ただ、異なる惑星にしては、生物の形があまりに地球と似通っている。植物もだ。
だからここは、恐らく地球の別の姿。異なる世界線の、パラレルワールドの地球。つまり、
「異世界いせかい」
その言葉を口にした途端、身体に電流が流れた。
比喩ではない。
ビリリと電流が流れ込んできた。
微かな痺れは、俺の身体の中に『何か』を残していった。いや、俺の中の何かを発現させたといったほうが正しいのだろうか。
五感ではない別の感覚で感じる。俺はそ・れ・ができるような気がした。
手探りで薪を探す。枝に手に当たった。よかった。幸い目の前にある。俺は、薪に人差し指を向ける。そして、念じた。
(火よ、灯れ)
瞬間、闇夜に光が生まれた。夜空に浮かぶ月とは別の、小さな煌めき。
俺は確かに見た。目の前の驚嘆すべき出来事を。
俺の指の数センチ先から突如として現れたオレンジ色の光の玉は、薪めがけて飛んでいった。
そして――――炎になった。
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