『code 08』 首領との邂逅
炎の魔獣イフリートを具現化し、使役していた強者とは思えないほどの怯えを見せるフィルツィヒは、及び腰でもう一人の俺にローブを差し出している。
いったい彼女は何に対してそんなにも震え上がっているというのか。
俺たちはフィルツィヒを初見した時、あまりに月音に似ていたため冷静さを失ってしまったが、少しして二人して落胆に沈む事になった。それは俺にしても、もう一人の俺を初めて見た時以上に力が抜けるものだった。
パッと見た感じは月音に酷似している。白銀の髪もアーモンド型の瞳に映える紅色の瞳孔も魅力的なプロポーションにしても......でも違う。
似すぎているから余計に割り切れなさを感じる。
月音とフィルツィヒを決定的に分け隔てているのは醸し出す人となり、パーソナリティーともいえる内から滲み出るもの。それにトレードマークであった煌く瞳の星形の紋様と泣きぼくろも見受けられなく、たったそれだけの違い......されど天地の相違を俺たちには感じられた。
『許せよ......ツヴァイ。その者はお主達も感じたであろう月音と似て異なる、レプリカとも呼べる存在。我がこの世界に呼ばれた真意がそこに関わっているやも知れん......そうだな、こんな所で顔を見合わせずに話すことでもあるまい』
首領が喋り終わると同時に体がすうっと沈み込む感覚に捉われる。ルナ・シーツに問うと暫く間が空いた後、エレベーターの原理でこの部屋自体が下に向かって降りているとの事実のみを告げる応えがあった。
ルナから話し掛けてくる事もそれっきりなく、目を伏せたまま立ち竦むフィルツィヒ、直立不動のスタイルを崩さない漆黒の騎士、素肌にローブの地が擦れ収まりが悪いのか落ち着かない様子のもう一人の俺、ここにいる誰一人として言葉を発することなく下降は続く。
誰も喋らないのであれば、これまでの出来事を反芻してみる良い機会かも知れない。
悪の秘密組織に戦闘員として属し非日常な現実を過ごしてきた俺だったが、ここに来て起こった出来事は余りにもリアリティのない夢物語にしか思えなかった。
首領が生きていたこと、少女になった俺、少女の姿をしたもう一人の俺、生き写しの月音レプリカと呼ばれたフィルツィヒ......そして口数が極端に少なくなったルナ・シーツ。
俺が生きて過ごした世界とは紛れもなく異なっていることは漠然とだが感じる。
いったい此処はなんなんだろう。
それでも......首領がいる。
それに何故かな......月音の気配をとても身近に肌で感じることも出来る。
それは元の世界で抜け殻となってしまった......俺にとっては何もかもが終わった世界では二度と味わえることがないはずのカタルシスを得た気分だった。
暗く憎しみと絶望で塗りつぶされていた灰色の世界が、ここに来てからは明るく輝き、二人がいなくなる前の性格に戻った気がする。
首領......オヤジ......『パンドラ・ゼーベ』の象徴、我らの尊き主導者にして超越的存在よ。
いつしか部屋全体が地に着いた感覚に深く沈み込んでいた思考から戻ると、ちょうどそのタイミングで側面の壁全体が音も立てずにスライドしていった。
どおりで扉らしきものが見当たらなくルナも方角を分析出来なかったわけだ。最初にいた場所は部屋全体が堅牢な岩か石の中に彫り込まれた空間の中に納まっていたのだろう。
そこに辿り着くにはここで扉が開くか、テレポテーションのような異能力もしくは何かの力で転送されなければ入る事も脱出することもまず不可能な造りだったということか。
科学力もしくはそれに代わる何か途方も無い力がこの世界にはあるようだ。
開いた箇所に向き直ると正面に魔法陣、そこに頭を垂れ佇むローブ姿の五名、その後ろには玉座が鮮明に浮かび上がる。階段脇に彫像のように並んでいた残る五体の異形のモノも生きとして生ける存在であることが、強化された今の視力であればハッキリと視認できた。
先ほど見たままの光景が目の前に広がり、今はもう一人の俺とも呼べる存在がいる少女の中に、こうして元の身体に戻った俺も、同じようにそこに居たんだといった事実を再認識させられる。
そんな事よりも今は......はやる気持ちを抑えきれずに玉座の間から階段を降りてくる、その人に向かって歩を速める。
急く俺と遅れずに小走りとなって追ってきたもう一人の俺は、階段下に降り立ちそこで待つ、かの人の元に辿りつく。
「「我らの命は尊き首領とパンドラ・ゼーベと共に! ジーク・ヌゥル! 世界を我らの手に! ジーク・フェルフェイト!」」
並び立ち、臣下の礼をとると続いて気炎を吐き、偽りのない気持ちを込めて呼唱を繰り返した。
後に控えていた異形の者達、ローブの者もそれを聞くや姿勢を正し、一糸乱れぬ復唱で応える。
首領はそれをとても満足そうな有り様で聞き入り余韻を楽しむと片手を挙げ制する。言葉を必要としない満ち足りた静寂が辺りを占めていた。
「久しいな。ツヴァイ......我があの世界から消え去り、この驚嘆に値する世界にいざなわれ百年かそこらが過ぎ去ったはずだが、まさかお前に再び出会える日が来るとは思ってもいなかったぞ」
百年? 確かに今、百年と言った。計らずももう一人の俺と目と目が合い、その真意を確認するように二人して素早く首領を仰ぎ見る。
「ふむ、見た目はまるで異なるのに咄嗟の行動はまったく同じだな......少女の姿をしたもう一人のツヴァイよ。そなたは我があの世を去ってから生まれた存在......ツヴァイの力の一つが具現化した姿なのか」
少なからずの衝撃がもう一人の俺を襲ったのだろう。
「違う! なんで、いつから、どうしてこんな情けねえ姿になったかなんて知らねえ! 俺は正真正銘のツヴァイ......『パンドラ・ゼーベ』が誇り、第一種S級戦闘員のコード・ツヴァイ『音速の風脚』にして、喧嘩上等だあよお! かかってこいやああ! だあ!」
息巻いても、悲しいかな可憐な少女の姿と声音では少しも迫力がなく、ただ君主に向けるには余りに不敬な言葉に周りの者から並ならぬ殺意が向けられる。
「ふははッ......よい、鎮まれ。この者たちは我の古き仲間だ。お前たちには後々引き合わせるので、それまで楽しみに待っておれ。その前にツヴァイには是非とも見知っていて欲しいものがある......フィルツィヒ、お前だけ付いてこい」
首領は俺たちと恐れおののくフィルツィヒを引き連れて、運ばれてきた部屋に入ると複雑な印を結ぶ。それに合わせ部屋全体が淡い光に包まれ、体が再び沈み込む感覚を受けた。
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