『code 12』 フィルツィヒの存在理由
得物を持たず徒手空拳で闘う首領に憧れて、俺も様々な機能が盛り込まれたグローブを装着してはいるものの、基本的には己の拳のみを信条の戦闘スタイルを鍛え上げた。
しかし刺突の構えを見せる首領からは、長い年月を掛けて刀の扱いに慣れた達人の気配が窺える。確かこちらの世界では魔王と呼ばれる存在に成るまで二刀を携えていたと先ほど話されていたのを思い出す。
それよりなにより問題なのは一切の隙を感じさせない刃の先が、魔法陣の中心でかしずく......フィルツィヒの心臓を狙って斜め下に向けられているということだ。
「オヤジ......いや、首領、教えて下さい。よもやその刃で彼女を刺し貫くつもりではないですよね」
俺はそれが今から起こり得ることだと半ば解っているのに、現実とは信じられずに問いを発した。
「だとしたら、どうだと言うのだ」
応えは短く、当たり前だが簡潔だ。
だが......。
「首領は俺たちに見せたいものがあると仰っていましたが、まさかそれだけの理由で彼女......フィルツィヒを道具のように扱うつもりなのですか」
天に唾するような俺の問いに首領が醸し出す圧力がギリッと音を立てて増す。
「それだけの理由か......ツヴァイ、お前には失望したぞ。この世の理を現す場所を知らずして、どうしてこれからお互いの命を預け運命を共に出来るのだ」
首領は微かに言葉の端に苛立ちを含み言い做す。
「仲間を......それもコードナンバーまで与えられた仲間を犠牲にしてまで、この世の理を知りたいとは思いません!」
コードナンバー、それは『パンドラ・ゼーベ』に属する総ての者が追い求める証。首領からのみ与えられる掛け替えのないナンバー。それを与えられし者はその生を全うするまで本名を捨てコードで呼び合う。コードを剥奪されることが組織の内では最も忌み嫌われる大罪だった。
そして首領を象徴する『ヌゥル』は全ての根源、代わり無き者ゼロを意味する。
次に位置する者からは前任者から引き継ぎが可能となる。
壱の位『アインス』先輩が辞退したことで空位。
弐の位『ツヴァイ』
参の位『ドライ』先の大戦で死亡(こちらも後継者が定まることなく空位)
肆の位『フィーア』陸の位の『ゼクス』と共に最後まで生き残った女性のS級戦闘員、あの戦況で生き残ることが出来たのだろうか。
伍の位『フュンフ』先の大戦で死亡(こちらも後継者が定まることなく空位)
漆の位『ズィーベン』先の大戦で死亡(こちらも後継者が定まることなく空位)
捌の位『アハト』女好きで陽気な不死身の先輩(死亡)その後空位。
玖の位『ノイン』月詠みの巫女......月音。
S級最後は拾の位の『ツェーン』までとなり、以下A級戦闘員は五十番を意味する『フュンフツィヒ』、以下B級は三百番までと続き、C級は一般戦闘員のためナンバーはなしだった。
そしてフィルツィヒ......四十番目の同胞を現すコードナンバーを授かりし者。
「仲間か......久しくその言葉を忘れていたわ。この世界、とくに我が支配する魔族とは力こそが正義、単純にして明解。弱き者には誰も従わず、より強き者にのみ従う。ツヴァイ、甘い考えを捨てねばこの世界では到底生きてゆけぬぞ」
それでもと思う。
『パンドラ・ゼーベ』は純然たる悪の秘密組織だ。とはいえ無作為にビルや市街地を攻撃したり、略奪、かどわかした一般市民を人体実験して戦闘員に改造や人体兵器開発に利用しているなど、世間がイメージしているような悪逆非道なことは実はまったくしていない組織だった。
そう。どちらかといえば戦闘部門を除けばコングロマリット......多角的経営を営む巨大企業の総元、もしくは後ろから操る財閥といった決して表に出ない組織が実態だった。
実際のところ関連企業の大多数の従業員は『パンドラ・ゼーベ』が大元であるとは知らずに一生を過ごすことになるだろう。
『パンドラ・ゼーベ』本体は総勢一千名近くの組織であったが、その内五百名が戦闘部門に配置され残りは補助、研究、技術、試作開発と多岐に渡り、庶務課なんて部門も中にはある。そこでは普通の会社のように一般業務が普通に取り行われていた。
戦闘部門は俺が所属していた第一種特務戦闘課を始め、第二種、第三種とそれぞれの特色、違いはあれど首領からの勅命を除けば、縦の命令系統より横の繋がりを大事にする風潮が根強くあった。それは命を掛けて、組織の名に泥を被せない矜持を組織員一人ひとりが持っていたことにもよる。
平たく言ってしまえば、自分の戦闘力に絶対の自負を誇るあまり個人プレーに走ってしまいがちではあるが、仲間をそれは大切にし、勝つための手段や目的のために犠牲にするなんて事は絶対に無かったということだ。
「それでも承服しかねます。何故この者の命が必要なのですか」
「――その者は封印を解くコアだ。それにツヴァイよ......思い違いをしているようだが、そのモノは人に在らず。いや誤解のないように言い換えれば、この世界で生きるは人のみではない。そういった意味でもこのモノは魔族でも龍族でも不死者ですらない。月音を模して魔力より生まれた、この世界ではゴーレムと呼ばれる人造物。その仮初めの命を捧げることにより魔法陣は一時的とはいえ開かれる。その目的のために彼奴によって造られた生物ですらない疑似生命体......それがフィルツィヒなのだ」
事実をありのままに淡々と語る。
俺は驚きに目を見開いて後ろで地面に膝をつき首を垂れるフィルツィヒを見やる。
この月音にとてもよく似た少女が造られた存在だというのか。
――それにしても何故にここで月音の名前が出てくるのだ。
「それにツヴァイよ。この世界を最も人知を超えんとたらしめる存在......この先には正真正銘の月音が待っているのだぞ」
前置きなく、理不尽な力にて胸を何百もの拳で殴りつけられたような衝撃が俺を襲う。
首領は今なんて言った? 月音がこの先にいると言ったのか。二度と逢うことは叶わないと腹を括っていた彼女がこの先に居ると確かにそう言った。
それはどれほど望んでも満たされることのない、俺にとっては永遠に失ったはずの魂の救済......それでも。
首領は再び銀色の輝きを放つ刀を構え直す。
それでもと俺は思う。
コードを与えられし仲間を見殺しにしてまで月音のもとに辿り着いたとして、彼女は俺を許してくれるのだろうか......だけど一目でいい、もう一度逢って記憶通りのその姿を確かめたい。それに首領の言う通りなら人ではない、人の形をしただけの道具なのだから。
逡巡する俺の脇を振り抜かれた刃が通り過ぎ、血しぶきが舞い上がる。
どうあがいても、どんな言い訳をしたとしても結局のところ俺は一歩も動こうとせずに、みすみす仲間を犠牲にしてしまったということだ。
「この......うつけ者がッ!」
呆けたようになっていた俺の耳に首領が上げる怒声が聞こえ、ぼんやりと向き直り......焦点の定まっていなかった目を大きく見開く。
そこにはフィルツィヒを突き飛ばし位置を変えたのか、もう一人の俺......シュリュッセルが腹を刺し貫かれ苦悶の表情を浮かべ、刀が刺さったまま地面に串刺しになっている姿が映った。
流れ出る血がじんわりとローブに染みをつくり広がっていく。
「――情けねえよな、本当に。お前に言ってるんだよ、そこの俺よ! お前はそれでも俺だというのか!? 見えてなかっただろうが、フィルツィヒはオヤジの言葉どれ一つにも身を、心を抉られ柔肩をずっと震わせていた。造られた生命? だからなんだ! お前も見た、そして知っていたはずだ......演技でもプログラムでもねえ、怯えすくみ上る生身のこいつを......違うか!」
シュリュッセルの文字通り血を吐き、責め立てる言葉一つひとつが俺の胸を切り裂いてゆく。
「そりゃ俺もあいつに逢いたい、逢いたくて逢いたくて恋焦がれているさ。その気持ちはもちろん俺も一緒だ......だけど、俺は誇り高き『パンドラ・ゼーベ』のコード・ツヴァイなんだろう? どんな時でも信念を失っちゃいけねえ......月音が泣くぜ」
口の端から一筋の血が滴り落ちる。それはシュリが命そのものを削り......そして俺の嚙み締めた唇から流れ落ちる悔恨だった。
「道ハ開カレタ」
そのあまりの無機質な声音に血の気を失くし白くなりつつある顔のシュリも俺も、そして首領もそちらに振り向き直立不動の姿勢で宙に視線を彷徨わせ呟くフィルツィヒを見つける。
「私ハ実在スル体ヲ、ツイニ手ニ入レタ」
シュリから流れ落ちる血が地面に垂れ落ちるたびに、そこから銀色の粒子が舞い上がり、いつしか魔法陣の中は荒れ狂う白銀の光が饗宴と化し、そこに集う全ての者を飲み込んでゆく。
銀色に輝く一面のうねりの中で、俺は頭の中でなにかがカチリと切り替わる音を微かに聴いた気がした。
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