『code 00』 いつか会するその日まで
どこまでも蒼く澄み渡る空の上、遥か遠くに浮かぶ雲の合間を高速で飛翔する影が点となって消えていく。
「次は逃がさねえからな」
間もなく少年を脱し青年と呼ばれる年齢に達するであろう若者は、闇の夜を思わせる艶やかな黒髪を風に波打たせ、切れ味鋭い視線を空に向けたまま小さくぼやく。
影が完全に見えなくなるまで遥か彼方を睨み付けていたが、しばらくして
「さて......行くか」
誰に向けるでもなく一言呟き、スタスタと歩き出した。
「相も変わらず、自分中心なヤツだよね」
「まあ、そこがツヴァイのツヴァイたる所以なのですけども」
足元から聞こえてきた二つの呟く声に堪らずクスッと笑みを溢す......若者と同じく夜の闇を、しかしこちらは夜空を照らす柔らかな月の光を思わせる白銀に輝く髪を掻き上げた少女は、同じく消え行く影を見上げていた視線を戻し、眼差し強く前に向き直った。
「次は逃がさねえ......からな」
極めて可憐な見た目からは想像だにしない若者と同じ乱暴な物言いに、地面にほぼ近いところに寝そべっていたモノたちは、ため息まじりにぼやきで返す。
「もうボクすんごく疲れちゃったよ。拠点に戻ったらクロジルシ特製の極上マタタビンを浴びるほど飲みたい気分......ニャ」
「わたくしも精も根も尽き果てましたわ。今夜はとっておきのマタタビンをキューっと一杯いただきたい気分です......ニャ」
愚痴る自分たちの事などまるでお構いなしに、少女は若者に続き足早に立ち去っていく。
「おーい! 待って......ニャ。先ほどの戦いで魔力も体力も空になっちゃたよ! 戦闘に最も貢献したボクに礼を尽くし、なんならキミの肩に乗る名誉を授けてもよい......ニョ?」
「わたくしも不本意ながら、くたくたです......ニャ。なんならあなたの襟元をわたくしのふわもこの毛並みで癒して差し上げます......ニョ?」
スタスタスタ。少女の足は止まらない。
「ま、待つニャ! 置き去りにするつもり!?」
「お、横暴ですわよ! こんなにも愛らしいわたくしたちが魔物にむさぼり食べられてもいいのですニャっ!?」
胸を張って......ボリューム的には若干寂しいものがあるが......歩いていた少女の足はピタリと止まり、ゆっくりと振り返る。そして誰もが瞬きするのも忘れて見惚れる、その可憐な顔に極上の笑みを浮かべた。
「寝惚けんなよ。あの時、お前たちの反応がわずかに遅れたせいでアイツを取り逃がすことになった。そんな不甲斐ないお前たちの晩飯は、もちろん飲み物ふくめて全て抜きだからな」
笑顔のまま、中指だけをビシッと立て、辛辣な言葉を発すると何事もなかったかのようにスタスタと歩き去ってゆく。
「ニャ、ニャンですっと!?」
「ニャアアアアアっ!」
しばらくして、この世の終わりを迎えたともいえる悲痛な叫びが街道に響き渡った。
※※※
街道から少し離れ、そこだけ周囲と景色が異なる荒涼とした大地に五つの人影が佇んでいた。
「なんつうか......えげつないものを見せつけられたってもんやな」
「確かにな。こちらの世界とはいえ、あれほどの力を持つ者など、そうは居まい......やはり侮れないな」
「とか言ってますけど、リーダー......すんごぉく楽しそうなカオしてませんかぁ」
「......」
「そんな事はない。舞台は変われど世界の秩序を守るのが俺たち......我らの務めなのだからな。それと今はリーダーではなく団長だ」
「団長のおっしゃる通りですわ。私たちはこの世界を......人族を守護する栄えある神聖王国の精選されし騎士に拝命されたのよ。平和裏に争いを収める事をまずは生業としているのですから」
「かァーっ 正真正銘、待ったなしのバトルジャンキーであるお前がそれを言うんか! 寝言もホドホドにしとけ。お前さんの平和ってのは、その腰にぶら下げている物騒な物で再起不能になるまで叩きのめすことを言ってんかいな」
「うふふっ なんなら貴方のその体で・た・め・し・てみる? いつでも掛かっていらっしゃいな」
「......」
「......」
「そんなぁことよりもぉ リー......じゃなくてダンチョ、ツヴァイ君たち魔力も体力もヨレヨレみたいだから、今すぐ仕掛けた方がいいんじゃないですかぁ」
リーダー改め団長と呼ばれた男は、いささか舌っ足らずな喋り方をする年相応の少女趣味な装いの騎士の前に立ち、爽やかな笑顔をつくる。
のぼせたように顔を真っ赤にして見上げてくる少女のピンク色の髪を軽やかに撫で付け、そして額に優しく手を添えた。
「俺がそんなフェアじゃない事をすると思うか? やはり正々堂々と差し向かいの全力で戦い、相手を完璧に打ち砕いてこその完全勝利じゃないか。モモなら解ってくれていたと思っていたのにな......それと大事なことだから言っておく。俺はダンチョじゃなく団長だ」
もう一度ニッコリとほほ笑んで、無垢な子犬の愛らしさで笑い返してくる少女に......凄まじいまでのデコピンを喰らわした。
「――いたし! オリハルコン級にいたいしぃぃ!」
頭を抱え、額からプスプスと煙を噴き上げる少女を一瞥すると少し前まで激闘が繰り広げられ、その余波により到る所が陥没し草や木が根こそぎ無くなっている大地を眼差し鋭く見渡す。
明らかに周りの草原と景色を変貌させた生きるものの姿が何もない荒地を。
「守護騎士団、団長として、そして勇者としてこれからの生をまっとうする......それもわるくはあるまい」
仲間たちが好き勝手に話す声を聞き流し、握り締めていた手の平を開くとそこにある十文字の無惨な傷痕を静かに見据える。
「借りは必ず返す。それまで俺のためにも死なないでいてくれよ......ツヴァイそしてシュリよ」
再び手の平を力強く握りしめ「帰還する! 遅れた者には懲罰を与える。それが嫌なら死ぬ気でついてこい」凛とした声を発した。
「げっ まさかこっから走って帰るんかいな!? これやから脳筋は」
「ふふっ 堪りませんわね......それに先ほどからそれはねっとりと絡みついてくる気配......ふふっ 至極たまりませんわ」
「ダンチョやっぱり素敵ですぅ!」
「......」
などの罵詈雑言、ドM発言や一部意味不明な独り言、崇拝の言葉、黙して一言も語らず頷くだけの偉丈夫を背に、先の若者たちとは反対方面に向かって、赤い髪をなびかせ疾風となり駆け出した。
遅れじと残りの三名も後に続く......一人その場に留まった装備一式を青色を主体に揃えた偉丈夫は、周囲を推し量るように見渡し視線を定めると目を険しくする。そこは先ほど意味不明な独白を漏らしていた薄紫一色の女騎士が見詰めていた地点でもあった。
しばらく一点を睨みつけていたが「蒼士! なにぐずぐずしてんねん! リーダーはやるって言うたら必ず実行する男なのは、お前が一番知ってるやろう! さっさと行くで!」
こちらは一切合切をエメラルドグリーンに映える装備で固めた、賑やかしい男が遠くから仲間を急かす。
「......」
蒼士と呼ばれた男は再び宙に鋭い視線を投げ掛け、きびすを返すと今度こそ仲間を追うため疾風となって駆け出した。
※※※
生きるものの姿が何もない荒地に夜の闇がせまる頃、ひとつの影が空間を歪ませその場に姿を現す。
顕在化すると同時に何が可笑しいのか、けたたましく笑い出した。
「ハハハッ 永き時を待ち侘び渇望する日々を飽くことなく幾千、幾万と過ごしたことか。だがこの日まで生きながらえた甲斐は確かにあった。再びお前に......あの頃とまるで変わらぬお前と再会を果たすことが叶うとは......ハハハッ!」
狂ったように笑い崩れるその者の周囲に暗闇をより濃くした靄が立ち上り地を圧する。
「あの屈辱を、絶望を、裏切りを、そして憤怒を、片翼を手に入れたと魂の底から思えた......俺が初めて心から愛した背信の者よ。今まさに報うべき時は......満ちたぞ」
哄笑とともにいつしか影は靄とともに闇の中へと消え失せ、真の静寂がその場を訪れた。