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「うちに侵入者が入った?」
「はい。エルシック氏もキャリーヌさんも不在の昼間を狙おうとしたようです。ただ、今日は運良く私とエルシック氏でちょっとした打合せがありまして、事にすぐ気づいたんです」
「そんなことが……」
侵入者は二人組で、父親の書斎に忍びこもうとした。キャリーヌの父親は、不定期に夜遅くまで仕事をしているので、昼間の方が計画を立てやすいと思われたのかもしれない。
「あの屋敷は元々、エルシック氏の仕事以外で外部から人が来ることはほとんどないと伺いました」
アーロンが確かめるようにハリエットへ視線をやると、彼女はこわばった表情で頷いた。
「その通りです。屋敷の食料品や日用品、その他の雑務で使うものは、全て使用人が町へ買いに出ていましたから。年に一度のリネン類の入れ替えも、注文していた品を受け取りに馬車を出していました」
「エルシック氏は慎重な方です。近頃は特に、こういった事態になることを予想していたのかも」
ぴんと来ないながらも、キャリーヌは頷いた。確かに、屋敷の外から人が来ることはほとんどないが──数少ない友人の来訪をのぞいて──幼い頃がそれが当たり前だったので、疑問に感じたことはなかった。
「侵入者たちは、元々、こちらに危害を加える意図はなかったようです。逃げながら使用人の一人を人質に取って移動し、最後は人質の手を扉に縛り付けて、東館のサロンの窓を破って森へ逃げました」
人質。キャリーヌはうなじが鳥肌立つのを感じた。ちらりと隣のハリエットに視線をやると、彼女は口を引き結んで目を閉じていた。
「捕まえたの?」
「正直に言うと、わかりません。私たちはエルシック氏の指示で、侵入者が逃げてすぐに防具店に向かいましたから。キャリーヌさんを屋敷に帰さず、そのまま王都に移動するようにと」
「……キャリーヌ様の身の回りの物は、最低限ですが持ち出させていただきました。お洋服なども……」
「ありがとうハリエット。本当に大変だったのね」
「あ……いえ、私は大丈夫です。キャリーヌ様が無事でよかったです」
ハリエットの瞳は再び潤んだが、どうにかそこで堪えようとしているようだった。
父親の書斎を狙って屋敷に忍び込んだ侵入者が、その足で防具店にいるキャリーヌを害しにくるとは考えにくいが、ハリエットは馬車で防具店につくまでの間に、ありとあらゆる「最悪の事態」を想像したようだった。
ここまでの話だけで十分に疲労感を感じていたが、キャリーヌは再び口を開いた。
「それで──彼らは何を求めて、お父様の書斎なんかに潜り込もうとしたののかしら」
恐らくそれが、一番の問題だった。危険を冒してまで得なければいけない何かが、父の書斎にはあったということだ。
アーロンはの表情がわずかに固くなる。
「それは、彼らを捕まえて聞き出さないとわからないでしょう。……ただエルシック氏には見当がついています」
妙な言い方だった。キャリーヌは一拍遅れて、アーロンも侵入者の目的が何であるかについての見当がついているのだと理解した。そのことが何を指しているのかについても。なぜアルベルトではなく、アーロンが自分を迎えに来たのかが不思議だったが、これで説明がつく。
キャリーヌは直感のままにつぶやいた。
「あなたは元々、お父様の依頼でオレンドールに来ていたのね。アーロンさん」
アーロンは一瞬だけ意表を突かれた顔をしてから、すぐに元に戻った。
「ええ、そうです。もっともエルシック氏は、あなたというご息女が市街の防具店で働いていることは知らせてくれませんでしたが。それであんな初対面になってしまったんです」
「そう……」
話を逸らされているのだとわかったが、キャリーヌはそれ以上深追いをしなかった。これ以上聞いても、アーロンは答えてくれないだろう。本当に聞くべき相手が誰なのかは、キャリーヌもよくわかっていた。
日が傾きはじめる頃、馬車は王都にたどり着いた。アーロンがキャリーヌたちを連れて向かったのは、王都で一番広い通りに面した大きな宿だった。キャリーヌがこれまで泊まっていた宿よりも、いくらか等級の高い宿だ。
どっしりとした赤褐色のレンガ造りの壁はそびえるように高く、4階か、もしかすると5階まであるように見えた。エントランスは大きなアーチ型の屋根がついており、空室があることを知らせる青く大きなリボンのような旗が、両端から垂れていた。
ずらりと並んだカウンターで手早く受付をすると、アーロンは鍵を持ってキャリーヌたちの元へ戻ってきた。
「まずは部屋に行きましょう。落ち着いて話す必要があるし、あなたは何か食べた方がいい」
最後の言葉はキャリーヌに向けられていた。その言葉でキャリーヌは、自分が昼食を食べ損なっていたことに気が付く。馬車に乗り込むときに手にしていたパンは、いつの間にかハリエットの持つ荷物の上に乗っていた。
「そういえば、私……お腹すいてるわ。とっても」
顔をしかめてそう言ったキャリーヌに、ハリエットが微笑みを浮かべた。アーロンも少しだけ頬を緩める。
疲れた面々に初めて、温かい空気が流れたのだった。
「まずはこれをどうぞ。あなたのお父様からの伝言です」
荷ほどきを終え、宿の部屋で簡単に食事を済ませた後、アーロンが小さな紙を差し出した。ハリエットは、とんぼ帰りでオレンドールの屋敷へ戻る御者に言づてをしに行っている。
キャリーヌは紙を受け取ると、折りたたまれたそれを開いて、やや荒い父親の字で書かれた文章を目で追った。
* * * *
キャリーヌ、突然のことですまない。アーロンから簡単に経緯は聞いたと思うが、屋敷が安全な状態に戻るまで君には王都に居てもらう。準備が整ったら私も王都に向かう。王都で外出する際には必ずアーロンを伴うように。
* * * *
手紙というには短く最低限の文章は、それで終わっていた。
顔をあげてアーロンを見る。彼が父親からこれを預かったということは、内容には一通り目を通しているか、読んでいなくとも書かれている内容については承知しているのだろう。特に最後の一行については。
(お父様、これはやりすぎではなくて?)
◇ ◇ ◇
ジダンは、どうしてこうなったのかさっぱりわからないという顔をして、机の上にある紙の束を見ていた。
目を通しているわけではない。視線は上滑りしていて、書類の内容は少しも頭に入ってきていないだろう。
「どうしたの。それ」
フィリップは仕方なく声をかけた。夕食を部屋で取ろうと、二人分の食事を持って帰ってきたら、机の上はジダンの広げた紙の束で埋まっていたのだ。
「……今年の創立祭、俺たちの学科は合同発表するんだって」
「ふうん、いいじゃないか。で、それがその合同発表の資料なら、汚れるかもしれないから避けてもらえるかい?」
フィリップは手に持っている、湯気を立てる鍋と皿を軽く持ち上げた。
紙束はすぐに雑に机の端に寄せられ、フィリップはようやく熱々の鍋と焼き野菜の乗った皿をおろすことができた。
「それで、何かあった? 創立祭のことなんだろ」
「うん……俺たちの学科は例年、簡単な個人発表だけだったんだよ。創立祭と言えばお前の学科の方が有名だろ? 遺跡素材を加工した記念品の販売とか」
「まあそうかもね。で、そっちは今年趣向を変えることになったの?」
「そうらしい。でも──今日だぞ? 言われたの。しかもそれぞれ仕事が割り振られてて、俺のが一番面倒なやつ」
「どんな内容?」
「生息植物と素材の採取。中級階層中心に、47種類」
「うわあ……」
思わず声が出た。ジダンと一緒に遺跡に入っていたころを思い出す。見つけた素材を手当たり次第に採取したとしても、一度の探索では7、8種類が限度だった。必要な素材を全て揃えるまで、中級階層まで何度も入らなくてはいけないことを考えると、聞いているだけのフィリップでさえ気が遠くなる。
ジダンが苦々しい顔で頷いた。
「しょっちゅう遺跡に入ってるから適任だろってさ。でもあと1ヶ月だろ。キャリーヌが王都に来ても、会う時間が作れるかどうか……」
ジダンが哀れっぽいうめき声をあげてうなだれる。流石に気の毒になり、フィリップは何とか彼を元気づけられないことがないかと頭の中を探しまわった。
「そういえば、創立祭の夜にパーティーがあるのは聞いた?」
「うん? ああ、教授に言われた。参加させるつもりだからまともな服用意しておけって」
「本当? なおさら僕も参加できるか教授に聞いておかないと。で、それにキャリーヌも出るらしいんだよ」
「まじで?」
「まじで。パートナーは多分父さんだけど」
「あ、そう……」
ジダンの顔が再び曇った。キャリーヌの父親が、いまだに彼と娘の交際を認めていないことを思い出したのだろう。
失敗だ、バカ。フィリップは自分の迂闊な話題選びを軽く呪い、それでも明るく言った。
「ともかく、パーティーには綺麗な格好したキャリーヌが来るし、同じ会場にいるんだから一言も話せないってわけじゃない。お楽しみが一つ増えたと思って、頑張ってよ」
「ああ、わかったよ」
ジダンは肩をすくめて、シチューを食べることに専念しはじめた。




