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窓から射す木洩れ陽はゆらゆらと揺れて、音はなくても風を感じさせる。
その静寂の中、ただ一人の声とプリントをめくる音がわずかに聞こえる空間に、時間を知らせるチャイムの音が響く。すると、空気は一変し、講義室はざわつきを取り戻す。
教卓に立っていた教授が荷物をまとめて、講義室の部屋に外に出ると、気がぬけて声も漏れる。
「はぁ……」
「どうしたー? 憂鬱なため息なんかついて」
講義終わりに声をかけてきたのは、日下部 宇汐。
俺と同じ1年。同い年ではあるけれど、穏やかなしゃべり口と柔和な雰囲気も相まって年上に見える優男である。
「いやぁ……同居人とさ、昨日、共有スペースの使い方でチョット、な」
苦笑いをするしかない。
先ほどまで使っていた講義ノートや筆記用具をバックの中に押し込む。
「あぁ。お姉さんと住んでるんだよね?」
説明が面倒なので、近所のお姉さんを略して、姉と説明している。嘘はついていない。
「まぁ、うん。そうなんだけど……」
「それで、お姉さんと何があったの?」
大抵、こういう話題になると揶揄うような聞き方になりがちだが、気遣うように聞かれてしまえば、つい答えてしまう。
こういう対応の仕方が年上に見えてる一つなのかもしれない。
「いやさ、洗濯物をどこに干すかどうかでな」
「あー。そう言うことかー」
洗濯物という言葉だけで、宇汐は察してくれたようだ。
「異性でも姉弟ってだけで、無頓着だよね。まぁ、どこもそうなんじゃないかなー」
「そうなのか……」
第三者の意見でさえそうならば、変えること難しいことが簡単に想像がつく。
再び、腹の底から湧き上がるため息が盛大にこぼれる。
「なーに、男二人で浮かない顔してんのよ」
鋭い声と同時に金属のぶつかる音で目線を上げると鮎川 貴子がチャームのついたバックを机に下ろしていた。切れ長の瞳にダメージジーンズを履きこなす彼女は、さながらトラのような雰囲気を持ったサバサバ系女子。下の名前が「古臭い」と気に入らないようで「ウチのことは、あゆかって呼んで、ね?」と、有無を言わせない圧を出会って早々にくらった。最初は猫っぽいなぁ、と思ったイメージが、数秒後には虎に変更したのは言うまでもない。
「おはよー、あゆか」
宇汐は入学前から顔見知りであったらしく、突然の登場にも慣れたものだ。その柔和な雰囲気が崩れることはない。手を軽く振りながら応える。
「……はよ、あゆか」
俺にはそんな余裕もなく、むしろ、胸いっぱい状態だ。
なんとか応えたが、そのことが気に障ったのかどうかわからないが挨拶も早々に切り込んできた。
「おはよう。 で、その顔の理由はどうしたのよ?」
話を逸らすこと許されない切り込みを入れてきたあゆか。
さすがにこの話をするには同性としてはあゆかが嫌な気持ちになりそうなので、どう説明するか答えをあぐねてしまう。
「なんか、お姉さんと、洗濯問題で揉め揉めしたんだってー」
そんな俺と正反対に滑らかに応える宇汐。
「う、宇汐っ」
そして、意外そうに目を大きく瞬かせるあゆか。
「洗濯物? へぇー。そんなの気にしてるの? 小鳥遊って意外と初心ね。あ! それとも、思わずときめいちゃう規格外の美人とか!?」
何かを面白いことが思いついたかのように笑みを綻び出した。
その雰囲気に嫌な予感を感じ取り、急いで訂正する。
「おいおい、なんか勘違いされそうだから言っとくけど。そう言うのじゃないからな」
「へー? ふーん?」
ますます笑みが深くなるだけで、あゆかにはあまり効果はないようだ。
新たなため息の発生源に声が漏れそうになるのを飲み込んでいると隣の人物と目が合う。
「えぇ? そうなの?」
宇汐、お前もか。
哀しくも、次の予鈴が室内に鳴り響いた。