5 はじまる
楽しげな会話が行き交う。鼻先には甘い匂いと香ばしい匂いが流れ込んでくる。
静かに体内で響く音、忘れかけていた空腹が訴えかけてくる。
その本能に率直に応えることはできていないのは、目の前には文字と色とりどりな写真がデザインされており、今まで画面越しであった別世界のオシャレな雰囲気なのか、それとも……
「良ちゃん。ここはお姉さんの奢りだぞ! 進学祝いよー」
目の前から届く明るい声が、雰囲気に圧されつつある俺を一蹴りする。
その響きが聞こえたと思われる、隣にいた二人組の女子が素早く二度見したのを視界の隅でとらえた。
「ちょ! いやっ、べ、別に、そんな大げさな……」
大きくなりそうな声を抑えてながら、答えを出すには決まりが悪く、最後まで音にはならなかった。
俺は今、駅に併設されているビル、いわゆる駅ビルの中に入っているフードフロアにあるカフェっぽい店でユリと向かい合って座っている。きっぱり断ることができないのは、アルバイトもしていない俺の財布にはお金が少ない……というのも事実もあるからだ。
「だいじょーぶよ! なんたって私は大人で、社会人ですからねぇ」
どうにもハッキリしない俺をユリは何をどう思ったのか、メニュー表を大きく揺らしながら、やたらと社会人を強調してきた。
そして、再び、隣の至近距離から攻撃、視線の矢がザクザクと俺の身体に突き刺さる。
……違う違う。そういう問題ではない。
が、ここでウダウダしたところで、俺の空腹が満たされるわけでもないし、いろんな意味で背に腹は変えられない。腹が決まれば、答えを出すことは簡単だ。突き刺さる視線より空腹を満たすことを優先することにした。
「……うん」
「ん? 決めた?」
腹を決めた俺が発した言葉にユリは不思議そうに首をかしげた。
「お待たせしました」
結局、自分の財布状況だったら頼まないようなちょっと豪華なランチメニューを頼んだ。
待つこと数分。
またまたキレイな……ではなく、オシャレなお姉さんが運んできたものは皿の上に、こんもりと盛り付けされ、小さな丘となったパスタ。ランチメニューは無料で大盛りにできるというので、遠慮なく大盛りにした。サラダにスープ、そして、大盛りのパスタが並べられる。言葉にするとなんの変哲も無いメニューかもしれないがそもそも外食といえばファミレスかファーストフードの二択になりがちな外食生活を過ごしてきて俺からすると「これが都会のカフェなのか」と感嘆の声が漏れそうになる。
さすがに、そんな田舎者丸出しにするほど俺は浮かれていない。
それらの声は、心の内に収めながらランチメニューに舌鼓を打つ。
うん、うまい。
黙々とフォークにパスタを巻きつけては口に運んでいたが、腹が満たされてくると余裕が出てきて、ふと目の前で、同じくパスタを食べているユリに目を向け、落ち着いて観察できるようになった。
ーーやっぱり、年を取っていない。というか、時が止まっているみたいだ。
ユリはワンプレートごはんと言われる、1つの皿の中に主食・サラダ・おかずを盛り付けされた、これまた見慣れないオシャレなメニューを注文していて、それを時々、頬を緩ませながら噛み締めては小さく「美味しい……」と声を漏らしていた。
その表情に、俺は見覚えがあった。
ご近所でよく遊んでいた頃、母が俺の面倒をみてくれた御礼と言って”お菓子”をもらっていたユリ。あの頃と変わっていないことが懐かしく、離れて疎遠になっていたはずなのに、それが少し……こそばゆい嬉しさを感じてしまう。
変に口元が緩みそうになりながら、観察を続行する。
ーーそれにしてもだ。仕草が変わっていないだけでなく、見た目も本当に変わっていない。
ユリは確か、短大か専門を卒業して、すぐに就職。叔母と両親からの情報によると、社会人2年目とか言っていた。
記憶を遡りながらユリの仕草を追う。
ユリは、俺に見られていることに気づいておらず、くるりとパスタをフォークに巻きつける。その指先は慣れていて様になっている。
しかし、口に含み噛み締める姿は”もぐもぐ”という効果音が見えるような錯覚を起こしてしまいそうだ。
さすがに着ている服装からすれば、記憶よりは大人っぽくにはなっているけど、スーツを着て、仕事をしている、というイメージが湧かないし、正直、繋がらない。
「んむ……なぁに? これ、食べたいの??」
思ったより長い時間、じっと見つめ過ぎていたようで、ユリと視線がぶつかった。
ユリは、俺が見つめていたのは自分のパスタが食べたいのだと勘違いしたらしく
「やれやれ、仕方がないなぁ。一口だけだからね」
わざとらしく肩をすくめると、器用にフォークにパスタを巻きつけて、膨らみのあるフォークを俺の目の前に差し出してきた。
「?」
意味がわからず、視線を返す。
「どーしたの? 食べたいんでしょ? ほら、あーん」
ユリも俺の反応に目を瞬かせて、笑った。
「・・・え?」
色んな衝撃が走り過ぎて、身体中が機能停止する。ユリは不自然にも固まってしまった俺に焦れたらしく、目の前にある銀色のフォークを揺らす。
「ねぇ。私も食べたいし、うーで、疲れるちゃうんですけどぉー」
少し頬を膨らませながら再度、銀色のフォークを揺らして催促してくる。
そして、隣に座る二人組の女子がより一層、視線の矢をザクザクと投げてきているのを肌で感じる。
どう反応したらいいのか、なんて考えても答えが出るはずもなく、二方向から迫られるその空気に耐えきれず、思い切ってフォークに食いついた。
子供の時以来の”あーん”に照れ臭いような、恥ずかしいような、なんとも言い難い状況に頬が火照るのを感じながら無言で咀嚼し続けていると、
「ほんと、大きくなったねぇ」
ユリは嬉しそうに微笑んでいた。
・・・不覚にも、ときめいてしまった。