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わずかに揺れる体。
窓から見える景色は青と緑の風景から灰色の建物といつのまにか変わっていた。
電車が進むにつれて人が多くなり、向かい側にあった窓の景色は隠れて見えなくなる。
少し残念に思っていた時、目的地である駅名がアナウンスされ、数秒後には電車が止まってドアが開く。
「えーっと。どっちだ?」
まだ肌寒さが残り、桜の花ひらく3月。
この春から大学生になる俺は、今日から最寄駅となる場所に降り立った。
地元では比べ物にならないぐらいの人が、どっと降りたかと思うと、乱れることのない大群となり、階段へ吸い込まれていく。
俺はなんとか大群から抜け、ホームに立って、すぐ上にある案内板を見上げて、出るべく階段出口を探し出した。
ホームからさらに階段を下ると、また複数の行き先を表す通路に出た。人通りはやはり、今まで見たことがないぐらいに多く、波のように絶え間無く流れている。なんとなく左側通行にはなっているが、携帯やタブレットを見ながらすれ違う姿を見ると、海外の人が「Oh!SHINOBI!」って言うのも理解できる。
ぼんやりとそんなことを考えていたからか、人の流れに逆らうように、ただ立っている俺は邪魔のようでリュックや肩がぶつかる。
「す、すみません」
俺は、目の前で繰り広げられる光景のようにすれ違うことができず、何度もぶつかる。
その度に小さく謝罪の言葉をしながら、慌てて通路の端側に寄って、やっと一息つくことができた。携帯の交通乗換案内アプリを使って、慣れない電車を乗り継いで到着した駅は、いわゆるターミナル駅と言われる、電車の路線が多く集まっている駅らしい。聞いたこともない地名から中心部から外れた位置……と認識はしていたが、予想以上に人が多く、視界は大忙しだ。
ピコン。とメッセージアプリ”RAIN”の着信を知らせる電子音が鳴る。
『良ちゃん! もう、改札口にいるからね』
『あ、たくさん改札口があるけど、南改札口だよ。ちゃんと確認してから改札出るのよ!』
モーション付きのイラストが、文字とともに送られてきたメッセージ。
すぐさま、携帯画面をタップする。
『了解』
『ユリの目印教えて』
時間を空けずに返信したが、既読のマークはつかなかった。
「はぁ……」
こぼれたため息はこの途切れることのない人混みによるものなのか自分でもわからない。
ユリからの返事を待ちながら、記憶を遡る。
ユリとは幼い頃によく遊んでいて、その頃、”年上を敬う”なんてことを知っているはずもなく、呼び捨てにしていた。怒られたわけでもないし、注意されたわけでもないが、大学生になった今、「さすがに年上を呼び捨てなんてできないなー」と思って、「ユリ姉」なんて書いてみたら、本人から「いまさら、さん付けされると背中がムズムズする。今まで通りで!」と返されてしまったのだから……仕方がない。俺に礼儀がないわけではない。”本人の希望”により”呼び捨て”になった。
だから、ドラマやマンガでみるような恋人とかなんとかーーロマンティックな展開があったワケではない。
ただ、そんな数年も接点がなかった俺たちが再び接点をもつことになり、同居することになったのは、鶴の一声であり、神様のイタズラのような巡り合わせだとは思う。
こんなことを口に出すと怒る人がいるかもしれないが、大学進学は「入ればなんとかなるだろう」という漠然としたものだった。
俺には、”将来の夢”などという大層なものがない。
でも、それは俺だけでなく、そういう人間が大多数だと思う。
テレビでみるような夢や希望をもつ人は、ドラマの登場人物のような別世界の人だ。
とりあえず「そこそこの企業に就職できればいいなー」の心持ちで、進学の選択ができる俺は”恵まれた環境である”と認識はしている。たぶん、一人息子ということもあって親が甘いところもある。他人からみれば”親の臑を嚙っている”と言われても仕方がないぐらい、ぬるま湯に浸かって、ぼんやりと目の前の景色を眺めている、そんな人間だ。
こうして、特に、夢も希望もない俺がなんとなく進学先に選んだ大学は「自宅から頑張れば通えるけれど、それを4年間も続けるには不安がある」ぐらいには、離れている場所だった。
正直”一人暮らし”に憧れもあったこともあり、無意識に、可もなく不可もない場所を選んでいたんだろう。
そんな風に大学進学にかこつけて一人暮らしを希望してみたものの、簡単に許されるはずもなく進学祝いの時点で諦めていた。実家通いをして、ちょっとずつ、一人暮らしをアピールしてたら、うっかり許されたりしてしまう……そんな微かな希望を抱いたりもしていたが、実家通いであることがほぼ確定であった。
しかし、鶴の一言で、この予定が直前になって覆されることになるとは・・・。
別にユリとの同居がイヤだとか、そういうのではない。
俺も数年ぶりに会うので、記憶はおぼろげではあるけど、よく遊んでくれたのを覚えている。6つも離れているにも関わらず、そんな子供と嫌な顔をせず一緒に遊ぶような天真爛漫な近所のお姉さん。
あの頃は……人として好きだったと思うし、もしかしたら初恋に近いような想いもあったような気がするが、それは若かりし頃の淡い思い出だ。