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「えっち、すけべ、へんたい」


 目の前には、ほかほかとした湯気をまとい、頭から全身を覆うように数枚を重ねたバスタオルに埋もれているユリ。

 その隙間から出てくる言葉は小学生のような羅列。普段なら鼻で笑い飛ばす言葉が離れることなく、目の前に積み上げられていく。積み上げた言葉のタワーの発信源はバスタオルで隠れているため表情を知ることができない。

 だけど、冗談だろ?とふざける雰囲気でないことは確かである。


「ごめんって」

「・・・」

「わざとじゃないんだって」

「・・・」


 しかし、口に出ててくる言葉は自分で思った以上に陳腐ちんぷだ。

 それのことを示すかようにユリからの反応が返ってこない。なんだかんだ、うまく共同生活ができてきたと思っていたのに、並べられた言葉のような最低な人間だと認識されてしまったら……。


「なぁ……ユリ?」


 相手の反応がないと……どうしたらいいのか分からなくて不安になるわけで、せめて言葉じゃなくても表情が知りたくて、そっと手を伸ばす。ユリを覆うバスタオルの端に触れると、ビクリと震えたわずかな反応はあったけが、それ以上動かなかった。そのままバスタオルをゆっくりとめくる。


「……ユリ?」


 ようやく現れたのは、リンゴのように真っ赤に染まったユリ。

 それはお風呂に入ったからではないことを証明するように、熟れて美味しそうなぐらいだった。


「真っ赤だ」


 気づけば心の声がこぼれてしまっていた。


「っ! ばか! あほ! まぬけ!」

「うわぁっ」


 めくった反対側のバスタオルの端をひるがえしたユリはそのままの勢いで俺を叩く。湿ったバスタオルは地味に重く、そして痛かった。

 瞳が心なしか潤んでいるように見える。眉を上げて、吐かれる言葉には力みが見える。ただ、残念なことに、頬を染めた状態では威厳の何もあったものではない。


「ほんっとに、見てないんでしょうね!」


 ユリはしばらくして落ち着いてきたのか、今度は”見た”、”見てない”を気になりはじめたようだった。どの辺から”見た”、”見てない”なのかは分からないところだが、答えないわけにもいかない。仕方なしに事実を伝える。


「見てないって言うか、まぁ、背中は見えたけど……」

「あぅっ」


 小動物のような変な声をあげ、まるで重石おもしが降ってきたように肩が下がるユリ。


「言っとくけど……これは不可抗力で”見えた”ものであるから」

「ぐぅぅ」


 さらに上体を前に倒し、重石に耐えるように両手で顔を覆いながら声を漏らしている。


「これはさ……」

「りょ、良ちゃんのそう言う……冷静に分析するのやめてぇ」


 俺の言葉を遮るように、片手をまるで白旗のようにあげて止める。


「・・・」

「背中は……致し方がないわね。うん、まぁ背中だし、うん」


 まるで自分を納得させるようにブツブツと呟いたかと思うと、最後には自分なりの落とし所が見つけたようだった。それから目があった。ユリは、一度口を結んで、再び頬を赤く染めながら口を開いた。


「とっとにかく、見たものは忘れて、記憶から抹消するのよ!」


 なんとまぁ、無茶を言ってきた。そんな部分的に記憶喪失なんてできるわけでもないのに、とは思うが、これ以上、この話題を続けたところで不毛になることは必然である。となれば、俺の行動は決まっている。


「わかった。消す、抹消する」


 ふざけずに真面目な顔を作り、同意すればいい。


「よぉーし! ならば良かろう!」


 ユリは意気揚々と頷いた。そして満足したようにユリの唇は弧を描いた。

 しかし、あまりにも純粋と言うか、無防備と言うか……騙されないか心配になってくる。こんなあからさま、とは言わないが、こんな芝居じみた対応だと俺自身でも思う対応を素直に信じるのだから。


「あ。そうそう! バイトっ! どうだったぁ?」


 俺の心配なんて知るよしもないユリは、映画の時と同じく感想をお求めのようだ。

 たぶん、ユリ的には俺のことが心配で気が気じゃ無いんだろう。

 本当にユリは大忙しだな。数十分の間に頬を染めたり、視線が合わなかったり、百面相をしていたユリ。正直、ちょっと面倒だし、どんな考えなのかとか、理解できない時もあるけれど、そういうところがにくめないし、俺のぐたぐたとした悩みにだって付き合ってくれて、たぶん、こんな風なことが、ユリの意見を突っぱねるほど嫌いになっていない理由だと思う。


「なんかさ。イベントスタッフって、大変なんだなって」


 今日、1日を振り返って感じたことを素直に伝える。


「んふふっ。意外だった?」


 しかしユリは予想通りというように笑った。


「うん。少なからずイベントに行ったことあったし、見てきたはずなんだけど、目に見えるスタッフ以上にスタッフがいて、イベントを動かしてた」


 俺は受付と会場警備だけだったけど宇汐のように出演者のフォローをする人がいたり、配られたタイムテーブル以外に資料をもって動き回るスタッフもいた。ステージ上にあった壁も床もスタッフによって作られていた。


「バイトしてなかったら、知らなかったわ」

「なら、よかったぁ」


 ふぅと息を漏らすユリ。


「なんか、次、イベント行く時、すげーありがたみ感じそう」

「そうなのよねぇ。分かる分かる。あぁ、でも、宇汐くんのイベントってどういう感じなの?」

「ん?」

「イベントスタッフって言っても、いろいろあるのよぉ?」


 まるでイタズラが成功したかのように笑みを浮かべるユリ。


「そうなのか!?」

「そうなのっ。また宇汐くんに紹介してもらってバイトしてみれば?」


 今日の労働スケジュールが高速で頭をぎる。


「……いや、いいわ」

「ふふっ。そうよねぇ。ま、大変だけどその分の達成感もあると思うから、その気になったらやってみよってなればいいのよ」


 そんな時が来るのだろうか?

 今の俺には想像がつかないけれど、もし、そうなった時はやってみよう、と思うのは自分でも分からない。


「で? どんな仕事したのよ?」


 はじめてマジックショーを見た子供のように瞳を爛々《らんらん》とさせたユリに苦笑が漏れてしまう。

 そんな俺に不思議そうに首を傾げたかと思えば、テーブルを指で叩いて話の続きを催促するので、一つ一つ説明をする。

 その度に頷き、質問を投げかけて、楽しそうなユリの表情が……一変するなんて想像もつかなかった。



「ーーねぇ。それ、本当に言ったの?」



 いつものとろみのある甘い声ではない、低く冷ややかな声と鋭い眼差しをしているのがどうしてなのか……理解できなかった。


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