3.オレガノ商会の跡取り息子
夜、就寝の挨拶を済ませて寝室のドアを閉めたミモザは、ずるずると床へと座り込んだ。
(昼はなんとなく良さそうな気がして同棲話に乗っかったけど――慣れない! 人がいることに慣れないよー!)
祖母が亡くなってから一人暮らしを満喫していたせいか、家に誰かがいることに気疲れした。特に陽が落ちてからが落ち着かなかった。
互いに寝間着姿で対面すると、どうしようもなく恥ずかしかったのだ。
こんなことがこれから毎日続くかと思うと、言いようのない羞恥心が体を駆け巡る。
(やっぱり、同棲を解消してもらえるようにお願いしよう!)
婚約が済んだのならこの家の所有者に王族が加わったといえるので、誰も手出しできないから大丈夫だ。
今までも店をひとりで切り盛りしてきたし、きっとシャロンが同棲しなくてもなんとかはなるだろう。
決意が固まると、明日に備えて早めに眠ることにした。
ベッドに入りサイドテーブルに置いてあるシェードランプのあかりを消すと、いろいろあって疲れていたせいか、すぐに深い眠りについた。
翌朝、ミモザは日の出とともに起床し身支度を整えると、一階へと下りて行った。
そこにはエプロン姿のシャロンがいて、今から調理をはじめようとしている。
「え! 早すぎでしょ」
「おはよう、ミモザ。オレンジジュース飲むか?」
シャロンが紙袋からオレンジを取り出して尋ねてきたが、そもそもキッチンにオレンジは無かったはずである。
「どうしたのよ、そのオレンジ」
「朝市に行ってきた。ここから近いだろ」
既に起きて出かけて買い物して帰ってきたあとだということを知り、ミモザは一歩後ろに下がった。
いや、引いた。
「なにしてるのよ」
「一度行ってみたかったんだよ。薬研の寮からだと遠くて行けないから、ここに住んだら絶対に行こうと決めていたんだ」
他にも焼き立てのパンやジャム、ハムにチーズなどを買ってきたらしく、机の上があっというまに美味しそうなもので埋まっていく。
「どうした?」
「ナンデモナイデス」
美味しい朝食にありつきたくて、同棲解消の話をするのは一旦やめることにした。
◇◆◇◆
午後、オレガノ商会に納品するための品をバスケットに詰めていた時だった。
――カラン、カラン
店の扉が開き、ベルが鳴る。
ミモザが店先に顔を出すと、今から向かう予定だったオレガノ商会の跡取り息子――クラントが立っていた。
「こんにちは、ミモザさん。ちょうど用事があったので寄ってみました。準備できているなら納品の薬も貰っていきますよ」
一目でわかる仕立ての良いスーツに艶のある革靴。ソフト帽を脱いで持つ手元にはカフスの宝石がきらりと光る。
銀髪を撫でつけてきちんとセットされた髪に、少し垂れた目元と薄い唇はいつも少しだけ上に上がっている。
人好きする笑みは、年寄りから子供まで好感が持てるような柔らかさがあり、彼がオレガノ商会きっての『人誑し』であることを示していた。
「ちょうど今荷物を詰めて、これから向かうところだったの」
「用事があったついでですから。お気になさらず」
「用意しますから、座ってお待ちください」
ミモザはバスケットを取りに戻り、そのあいだ、クラントは店の中を歩き回ると置いてある薬の入った小瓶を手に取り眺めていた。
「お待たせしました」
「こちらもひとつ頂けますか?」
「いいですけど。腹痛の薬ならオレガノ商会でも取り扱っていますよね?」
「美しかったものですから」
ちょっと変わった価値観の持ち主であるクラントは、ミモザの作る薬を個人的に買っていくときがある。
「やはりミモザさんの作る薬は素晴らしい。どうです、我が商会で今からでも働きませんか? むしろお嫁に来て一緒に商売を広げましょうか」
そして、少々ぶっとんだ理論の持ち主でもあった。
内職を請け負うようになってから、なにが気に入ったのか、こうして引き抜きを打診してくるのだ。
ただ、ミモザの場合引き抜かれた瞬間に店を畳む羽目になるので、内職以上の話はお断りである。
「まだお店は続けられそうですから。いつも女の人にそんなこと言っているんですか? そのうち勘違いされちゃいますよ」
「まさか、あなたにだけですよ。勘違い、ぜひして頂いていいですよ」
軽口をかわしながら、ミモザはバスケットに頼まれた薬を入れて代金を受け取った。
そこへシャロンが顔を出したので、クラントは大いに驚いた顔をした。
「シャロン殿下がなぜここに?」
貴族相手の商売も手広く扱っているオレガノ商会は、もちろん王族の顔もしっかりと把握している。
シャロンは王族としての露出が少なく顔も知られていないのだが、抜かりのないクラントは第三王子の顔をしっかりと記憶していた。
「俺は昨日からここに住むことになった。ミモザと婚約したからな」
「は?」
いつも余裕の笑みを浮かべるクラントが、珍しく困惑した表情をみせた。
なにかの間違いですよね、と彼はミモザへと目線を合わせたのだが、ミモザが頷いたことでこの話が本当であることを理解した。
直後、クラントは自分の体に起きた変化に困惑した。
みぞおちあたりが鈍く痛みだし、手が震え、言葉が上手く出てこない。それに心がジクジクと痛む。
「――すごい。胸のあたりが痛くて――こう、抉れるというか、潰れるみたいな――はは、やっぱり僕は本当に、ミモザさんのことが好きだったんですね」
あけすけなく気持ちを口にするクラントは、胸元のシャツを乱暴に掴み、顔を歪めている。
ミモザは伝わってくる痛みに感化されてしまい、思わず胸元を抑えていた。
クラントの悲嘆に影響を受けたミモザを目にしたシャロンは、すぐに彼女の腕を掴んで引き寄せて距離をとる。
「そういうわけで内職もしなくてよくなったし、ミモザにちょっかいかけるのは遠慮してもらおうか」
話を終わらせクラントを帰らせようとしたシャロンだが、なぜか相手はきょとんとした顔をし、ゆっくりと顎に手を添える。
一拍ほどおいて、首をひねってこう言った。
「いや、遠慮する意味がわかりませんね」
「は?」
「僕は相手の経歴は気にしませんので。未亡人でも元愛人でも全然いけるクチですし」
己の個人的趣向を吐露したクラントは、にっこりと笑って前に出ると、ミモザの手をすくいあげた。
その行動は素早くて、シャロンとミモザがあっけに取られている間に、手の甲に唇を落とす。
「シャロンさんと別れたら次はぜひ僕のところに来てください。キャンセル待ち一番に予約させてもらいます」
「その手を放せ。今すぐ帰れ!」
シャロンが慌ててミモザの手を取り返し、肩を押し戻そうとしたが、それより早くクラントは姿勢を戻す。
いつも通りの人好きする笑みを作り、両手を上げてこれ以上はなにもする気がないと態度で示した。
「今日は帰ります。これからも僕と仲良くしてくださいね。ミモザさん」
シャロンを無視し、あくまでもミモザにだけ気持ちを伝えると、クラントは満足して帰っていった。
「ずっと冗談だと思っていたの。商売人特有のリップサービス、みたいな?」
「しるか!」
その日は一日中、シャロンの機嫌が悪かった。
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