(6)ひとかどの英雄の生き様
四人だけで、張角のいる部屋にいた。
張角が入るに当たって護衛の信徒が複数入ろうとしたが、張角の一声で外で待機することになった。
部屋は広いが、寝台と祈祷所があるくらいで、それ以外は質素な作りをしていた。
しかし、張角の傍らにいる女性は何者なのかという疑問が、張世平には尽きない。
どうも張角の性格からして女性にうつつを抜かすとは思えないし、かといって女性は黄巾の信徒という風でもない。
何せ黄巾は付けていないからだ。
「張世平、あんな女前にいたか?」
実際、案内されている最中に、蘇双がこう言ったくらいだった。自分も見たことがない。
「やせ細りましたな、張角殿」
蘇双が、苦笑しながら言った。
同時に、眼に少し、諦念の感情が見え隠れしていた。
死を悟ったのだろうと、直感した。
「乱になり、私は傷ついた信徒に対し癒やしの術を使い続けた。結果がこのザマだ。もっとも、この乱を激化させたのはおぬし達だ。私は、おぬし達に利用されたのだな?」
張角もまた、苦笑しながら言った。
改めて見ても、張角の気は小さくなった。まるで別人と対しているのではないかと、思ってしまうほどだった。
「張角殿は、ずっと信徒に癒やしを施してきました。傷ついた信徒に対し、やり続けた。私は、張角殿自身の気を癒やすように祈祷しましたが、残念ながらそれ以上に使われてしまった。結果が、今の状態です」
女性からは、少し無念さが見て取れた。
「失礼しますが、あなたは? 昔、太平道に来たときにはいらっしゃいませんでしたよね?」
張世平が聞くと、一瞬だけ、女性が不敵に笑った気がした。
何故か、それを見て悪寒が走った。
だが、それも一瞬だった。ただの見間違いだろうと、張世平は思うことにした。
実際、女性の表情からは、変わらず無念さがにじみ出ているのだから。
「失礼しました。私は貂蝉。流れの祈祷師をやっております。信徒ではないものの、太平道からどうしてもと依頼されましてね」
「なるほど、そうした事情でしたか」
貂蝉は静かに礼をした。
自分達もそれに習い、礼をする。
所作や佇まいは落ち着いている。
だが、何かを感じさせる女性だと、思ってしまった。どうも、何かが引っかかって仕方がないのだ。
しかし、それを追求するのは今ではないだろうと、張世平は思い返し、張角を見つめた。
「張世平、おぬし、私の気が見えるか?」
「見えます。陰に、覆われております。残念ですが、長くはありません。今でもその陰は、徐々に広がり続けている」
「だろうな。張世平、おぬしが蘇双に言ってから、今の私達の関係は始まった。おぬしは、私に何を見たのだ?」
ふぅと、一度息を吸った。
今だから紡ぎ出せる言葉があると、張世平には感じている。
そしてそれ自体が、一代の英雄へのせめてものはなむけだと、張世平は思った。
「あなたの気を見て、そしてあなたの気概を見て、私の魂が、あなたに英雄としての基質があると囁いたのです。だから見たかった。あなたが何処まで英雄として生きられるのか。そして、あなたが乱世へと向かうこの世で、更に大きく輝くことが出来るのかを。この乱で、あなたの魂は見事に輝きました。そうでなければ、ここまで大規模な反乱にはならなかったでしょう」
「しかし、張世平、知っているだろう。私が、最初は乱を望まなかったことを」
「ですが、あなたは馬元義殿の死を知った時、その怒りから乱を早めた。その怒りの果てに、乱はここまでいったのです」
「だが、私以外に数多の英雄がいるのを見た。だから、おぬし達はそこら中と手を結んだ」
「はい。乱世が近づくこの世の中で、腐敗した世の中で、それを払拭しようとする者がおります。それも、最低でも三人は」
「いるのだな、私以上の英雄が」
「英雄に順位を付けることは出来ません。英雄とて人間です。完璧な者ではない。得手があれば不得手もある。だから、あなたより優れているかどうかは、私には判断しかねます。ただ、これだけは言えます」
力強く、拱手した。
「張角殿、あなたは確かに、希代の英雄です」
これが、自分の事実だった。
張角と話していた時、少し満たされるような、興味深いような、同時に、利益になりそうな、そんな感じがずっとしていた。
だから話していたかった。
だが、それが終わるのだと、張角の眼自身が告げていた。
張角が、一度目を閉じた。
「分かった。なら、私の役目はここで終いよ」
張角が目を見開いた瞬間、一気に吐血した。
立ち上がった瞬間、信徒が一斉に入ってきた。
「張角様!」
「大賢良師様!」
張角が、肩で息をしていた。
息は荒く、それだけで分かった。
もう、この男は死ぬ。
口々に信徒が心配する声を上げるが、それも聞こえているか分からなかった。
ただ、何故か、張角は安らかに微笑んでいた。
「張角殿、我々との取引、これにて手切れです」
蘇双が、静かに言った。
「それで良い。私はもう死ぬ。同時に、太平道も終わる……。これにて、我が乱もまた、終いだ」
再度、張角が血を吐いた。
「良いか、我が信徒よ。私の後を追うことは禁ずる。私は私一人で死ぬのだ。誰かが殉教することを私は望まぬ。同時に、この者達に危害を加えることも禁ずる。良いな」
信徒が、血涙を流しながら、拱手した。
だが、全員の目から感じたのは、最後の輝きにしか見えなかった。
ろうそくの炎が、最後の一瞬だけ光り輝く様に、何処か似ていた。
張角が、上を向いた。
「天よ、我今よりそちらへ逝かん」
張角が、天に両手を伸ばした。
そして、そのまま、動かなくなった。
瞳孔が開き、呼吸が聞こえなくなり、そして、気が、何も見て取れなくなった。
貂蝉が張角の手の脈を取り、首を振った。
張角が死んだと、誰もが分かった。
瞬間、血涙を流していた信徒が、一斉に崩れ落ちた。
誰が泣くわけでもない。ただ、眼に虚無の表情が見えて取れた。
それは徐々に、部屋の外へと波及し、そして、一瞬にして総本山は静寂の地になった。
静かに、張世平は蘇双と共に張角に対し一礼した。
「さらばです、一代の英雄よ」
言って、部屋を出た。
貂蝉が、後ろから付いてきた。表情は、相変わらず凜としている。
総本山を出るまで、ずっと虚脱状態の信徒と出会い続けた。この組織は終わったのだ。そう、感じざるを得なかった。
外に出ると、朝日が昇った。
眼を細めた。
「終わったな、一つの時代が」
「同時に、我々の一つの仕事もまた、終いです」
蘇双が、静かに頷いた。
「貂蝉、あんたはこれからどうする?」
蘇双が、貂蝉の方を向く。
貂蝉は、ただ静かな佇まいのままだった。
「私は、流れ者です。しかし、時代が必要とする時に、私はまた現れるでしょう。そんな予感がするのです。しばらくは、旅に出ますよ」
貂蝉が、少しだけ優しく微笑んだ。
それを最後に、貂蝉の気配が消えた。
いつの間にかいなくなった。そんな印象がぬぐえなかった。
「不思議な人でしたね」
「張世平、ああいう女には気をつけろよ。何かあるぞ」
「分かりました。出来るだけ、気をつけるようにします」
「それでいい。皇甫嵩の所に戻るぞ」
風が吹く。少し、冷たい風だった。
もう十月になったのだと、ふと気がついた。





