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第零話 『竜が天へと昇るとき』

 書ききった。

 何も後悔の感情はない。

 すべてを、己の見た限りを書ききれた。そういう充実した感想だけが、今はある。


 書き残したことはあっただろうか。

 そう逡巡(しゅんじゅん)するが、何も浮かばなかった。


 といわれても、書き残したことがあっても、今の己にはそれを書けるだけの力はない。

 そろそろ、自分は天に還る。寝台から起き上がるほどの体力も、もうなかった。


 しかし、自分でも思うのが、この一二〇年ばかりは、随分と歴史が動き、数多の英雄が生まれ、そして死んだ気がしてならなかった。

 ある者は草鞋(わらじ)売りから一つの国の皇帝になった。ある者は、宦官の家庭に生まれたと蔑まれながらも己の力だけで中華全土の半分近くの大地を掌握した。ある者はつい数年前まで中華に起こっていた状態を造り出す引き金を引く戦を起こす決断を下した。

 天下三分。それが、数年前までの、この中華のありようだった。


 今は(しん)が統一し、その天下三分は夢と消え失せた。

 市井の人々も、その流れを忘れようとしている。

 だからこそ、書かねばならなかった。

 英雄たちの生きた証を。己の目で見てきたすべてを。

 それが長い年月をかけて、生きて、そして見てきた自分に課せられた使命だと割り切り、そして書ききった。


 腕から、鱗が一枚、はがれ落ちた。

 この鱗がすべてはがれ落ちた時に、自分は死に、天に還る。

 もう鱗の数は、だいぶ減っていた。


「先生、やはり、逝かれるのですか」


 弟子の一人が聞いてくる。表情は、淡々としていた。ただ、瞳には興味の方が上回っているようにも見える。

 思えば、自分が英雄を見たときも、こういう眼をしていたのだろうかと、ふと思い出して、少しだけ苦笑した。


「逝くのが遅いか早いか、もうそれだけでしかないよ、私は。だが、もう一度くらいは、夢を見れそうだ」

「英雄の夢、ですか」


 頷いたつもりだが、多分曖昧なのだろうと自分で思った。そうするだけの体力も、今の自分にはないことは、自分自身でよく分かっているからだ。

 そうこうしているうちに、また一枚、鱗が取れた。


「しかし先生。私は、今初めての場に居合わせています。不謹慎かもしれませんが、少し、どうなるのか見てみたい欲望もあるのです」

「そうか。お前は初めてか。竜人(りゅうじん)の死を見るのは」


 一つ、弟子が頷いた。

 竜のような鱗を体に持つが、人の姿をしている存在は、いつの頃から竜人と呼ばれるようになった。自分も、そんな一人である。


 姿形以外にも、色々と違う点はあるが、特に決定的に人間とは違うものが、竜人にはあった。

 寿命だ。人と異なり百五十年近くも生きる存在が、竜人なのだ。

 人と異なる時の流れ故に、己一人で過ごす者や竜人同士でしか過ごさない者も多いが、自分は人と交わることを好んだ。


 名前は、実を言うと一度変えてある。今の名前になってからは、実はそんなに日が経っていない。前の名前でいる期間の方が長かった。


「なら、見ておくがいいさ。貴重な機会だ。逃すなよ」

「承知いたしました。陳寿(ちんじゅ)先生」


 弟子が、一つ拱手した。

 陳寿。(あざな)を、承祚(しょうそ)。それが今名乗っている、自分の名前。

 そして、この世の最後の名前。


 書ききった書物の名を思い出す。

 数多の英雄が刻まれた、生き様の証。


 三国志。そう、自分で名付けた。

 その夢でも、また見てみよう。

 そう思い、目を閉じた。


 聞こえてくる音がある。

 戦の流れを根底から覆した物だ。

 誰が作ったのか、いつからあるのか、そんなことは分からない。

 ただ、一つだけ分かるのは、それが出てから戦のありようがすべて変わったのだろうと、類推することが出来るだけだ。


 その『甲冑』を着込めば、人は二十尺(約四.八m。一尺=約二四cm)にもなれる。

 それが何万と行き交う戦場。

 中心にいるのは、いつもその機械仕掛けの甲冑だった。

 人はそれを、いつの頃からか、『機刃(キバ)』と呼んでいた。


 そしてその時、自分の名前はこんな名前だった。

張世平(ちょうせいへい)』。それが、かつての己の名前だった。

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