ささやかな幸せ2
そしてまた、何度目かの新月の日が来た。
エレノアはふと思い立ち、席を立って独り言ちる。
「……ちょっと書庫にでも行こうかな」
公爵家なのでちょっとした本が並べられた書庫が屋敷の中にはあった。本は娯楽の少ないこちらの世界では貴重な娯楽であるが、エレノアを除いた家族はあまり本には興味もなく、ただ自慢のために集めたことはエレノアも知っていた。 エレノアくらいしか出入りもなく、自由に動くことが出来るのだ。
一階の北側にある書庫はエレノアの部屋からは少し遠い。
窓は例によってほんの少し開けておいた。
戸口の脇に掛けた魔石ランプを消してしまえば人間のエレノアには何も見えない。けれど吸血鬼のあの少年は見えると言っていた。そのまま暗闇の中で隠れて待ち伏せしたところで、あのシャイな少年は来なそうだ。
エレノアは扉をそっと閉めた。
もう夜も更け、屋敷の中はとても静かだった。
屋敷の周囲には夜廻りの護衛はいるだろうが、新月の夜ということもあり、宿直のメイドたちも早々に寝てしまったのかもしれない。
エレノアは書庫に行き、適当に本を一冊選んですぐに部屋へと戻った。
「……おい、話ってなんだよ」
魔石ランプを灯した途端、声がかけられた。
細く開かれた窓は閉められ、珍しいことにカーテンも閉められている。
「良かった。待っててくれたんだね」
エレノアは真っ暗でも少年の瞳であれば見えると思い、いつもプレゼントの置かれている机に『話がしたいから、待っていて』と書いた紙を置いておいたのだ。書庫に行くために部屋を空ければ、その間に彼がやってくるかもしれないと思ってのことだった。
たったこれだけのことを思いつくのにエレノアは数ヶ月を要したので、やはり両親の言うように頭が悪いのだろう。けれど、少年がちゃんと待っていてくれたことが嬉しかった。
少年はちょこんとソファに座っていた。肌は相変わらず雪のように白く、吸血鬼だから血色がいいとは言えないが少なくとも元気そうに見えた。ひどい傷のあった右腕も動かしていたから、そちらもちゃんと治ったのかもしれない。
「話があるんだろ? ……だから待ってただけで」
「ええと、水晶とか、羽根とか、ありがとう。すごく綺麗だし、嬉しかったから。それに、怪我のことも心配してたし、ちゃんと会えて嬉しい」
少年はなんだか変な顔をして黙り込む。何か変なことを言ったのかと内心で首を捻ったが、エレノアにはよくわからなかった。
それより気がついたことがあって、少年をまじまじと見つめた。
「あれ、君もしかして、身長伸びてる?」
「……だから、会いたくなかったんだ」
大人びた態度で肩を竦め、息を吐いている。以前の姿であればませた子供にしか見えなかっただろう。
少年はほんの数ヶ月前には細い手足で如何にも子供らしい体型であったのだ。今も子供といえば子供だが、首や肩もしっかりとしており、そろそろ学校を卒業する年頃……大体13歳くらいに見える。声も以前よりどことなく低く、もう少年特有のソプラノではなくなっている。
エレノアがじろじろと見ていたせいか、少年はぷいとそっぽを向いた。怒らせてしまったのかもしれない。エレノアは手足が冷えて行く気がして、両手をぎゅっと握りしめた。
「あ、あの……ごめんなさい」
「ち、違う!」
怒ってるんじゃなくて、と少年はエレノアの方に顔を向け直して言った。眉が上がって、怒っているようにも見えるが、そうでもないらしい。
「むしろ、俺の方が謝らなきゃならないっていうか……俺、お前に助けてもらった時、傷口の血を舐めただろ」
「え、うん。痛くなくなって助かったよ」
「じゃなくて、お前の血、めちゃくちゃ魔力量多くて……ちょっと舐めただけで俺の怪我も治りが早くて……更に成長促進までして……なんかお前のこと利用したみたいになった。だから、ごめん」
「え、なんで謝るのかわからないんだけど」
エレノアはこてん、と首を捻った。
「だ、だからお前に命を助けてもらった上に、血までもらったなんて、そんなでかい恩、簡単に返せないだろ! 俺じゃまだあんなガラクタを置いてくことしか出来なくて、めちゃくちゃカッコ悪いし……」
「えっと、ごめん、やっぱりよくわからない。私が助けたかったから助けただけだし、出血も痛みもなくなって、私にも利点しかなかったよ」
エレノアからすれば、どうせ傷から勝手に流れ落ちていた血だ。それを舐めようが何しようが構わない。それで彼の傷の治りが早まり成長したのならいいことだ。
「ねえ、それよりも名前聞き忘れてたなって。名前って聞いても平気かな?」
「へ、平気だけど……変な女」
「ああ、うん。変って昔からよく言われる。あ、でもね、私がいてもいなくても変わらないって言った時、否定してくれたじゃない。あれ、すごく嬉しかった。名前、聞きそびれてたけど……友達みたいに話せたら嬉しいなって」
エレノアはそこまで話すと、はあ、と息をした。こんなにたくさん話したのは久しぶりだった。
前世からずっとそうだが、仲の良い友人などいた試しはないし、普段は両親や兄とも挨拶以外はほとんど会話がない。あちらがエレノアに言葉をぶつけることはあったが、エレノアは基本的に聞いているだけで会話ではない。
「あ、あの、友達が嫌なら知り合いでいいから、こんな風に新月の夜に少しだけでいいから、話したくて。それがダメでも名前くらい聞きたいんだけど、吸血鬼には簡単に名乗ってはいけないって掟とかがあるなら別に……」
「ルカーシュ」
「え?」
「だから俺の名前。……ルカでいい」
「ルカーシュ……ルカ。うん、覚えた。私は、」
「エレノア、だろ。……ハンカチに刺繍入ってた。血のシミが取れなかったから、返せそうにないけど」
「そんなのいいよ。気にしないで」
「……じゃあ、あのハンカチ……俺が持ってていいか?」
「え、血のシミが取れないんでしょう? 箪笥に使っていないのもたくさんあるから、そっちから綺麗なのいくらでも持っていっていいよ」
「……違うっての。どうしても辛くて、耐えられないことがあったらさ、俺の名前を呼べ。まだ成体じゃないから、そんなに力はないけど……絶対行くから。エレノアの血の付いたハンカチがあれば、ここじゃない場所にいても俺には分かるからさ」
「助けに来てくれるの……私を……?」
「ああ、助けに行く。でも、その時は名前をちゃんと呼んでくれ。普段はルカでいいけど、その時だけはルカーシュって、声に出してだからな」
「うん、分かった。ありがとう。今は特にそんな辛いこともないけれど……どうしてもの時のとっておきにするね」
ルカーシュは何故か痛そうな顔をした。もうどこにも怪我はないはずなのに。
「……本当に、絶対だからな」
「うん」
そして、エレノアに新月の夜にだけ会える友達が出来た。
吸血鬼の成長スピードは人よりも早いらしく、会う度に身長が伸びてエレノアを驚かせる。
そしてエレノアの宝箱の中身もその度に増えていった。空色の石の付いた銀の指輪や、写真の入っていないロケットペンダント、飴色をした鼈甲の櫛、花をかたどった小さなブローチ、季節の花やお菓子であったりもした。
花は押し花にして本の間に、お菓子はエレノアのお腹の中に収まったが、宝箱は一回り大きな物へと変わったのだった。




