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悪役令嬢の幸せは新月の晩に  作者: シアノ


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4/21

出会いは新月の晩に4

 




 夢を見た。



 前世の、けれどなんてことはない夢だ。


 ボサボサで手入れが行き届いていない髪の毛とろくに洗っていない服、そして冴えない顔色をした少女が、よく行った児童館で漫画を読んでいるだけの夢だ。


 父の後妻からのネグレクトは段々と酷くなり、その頃には食事はよくて一食、風呂や洗濯は彼女の留守中にこそこそと短時間で済ますしかなかった。それすらバレたら怒鳴りつけられる。後妻の気分に左右され、日々恐れて震えるしかなかった。



 昼間はまだいい。逃げ込む場所がある。


 くすんだ灰色のコンクリートでできた児童館は古びていて、あまり他の児童が寄り付かない場所だったから、少女にとっては唯一ともいえる安らぎの場所だった。

 空腹が過ぎてムカムカさえする胃も、ここしばらくずっとズキズキ痛むお腹も、そこで漫画を読んでいれば忘れられる。

 それに給水機やトイレがあったから、空腹であること以外には困らない。漫画も新しい本なんかなくて、古いものばかりだったけれど、どれも面白かった。大抵の本は寄贈された本だし、古いせいか歯抜けだったり途中までしかないこともあるけれど、それは仕方がない。

 少女はその中でも特にお気に入りの本を本棚から取り出した。

『太陽の王・月の王』と表紙に書かれ、表紙には金髪と黒髪の男性に挟まれた少女が描かれている。少しばかり目が大きくやたらキラキラとした絵は、本屋に売っている新しい漫画と少し絵柄は違うけれど、少女の目にはとても綺麗で煌びやかに見えた。


 それはごく普通の平民の娘、シェリーが貴族の令嬢しかなれないはずの月の王の花嫁に選ばれてしまったところから始まる。

 平凡な顔、と形容されていたが、シェリーは漫画の絵では目が大きく、とても可愛らしい。明るくて元気いっぱいで、いつも楽しそうなシェリーが羨ましかった。

 吸血鬼である月の王の花嫁として、シェリーは細い首を差し出してその甘い血を提供する。

 花嫁という名称ではあったが、相手は人ならざる吸血鬼である。実際には結婚はせず、ただ血を提供するだけ。そして太陽の王と呼ばれる人間の王子と結婚することになっていた。


 だが、シェリーのその快活さが月の王の心まで照らし、形式だけでなく本当に花嫁になって欲しいと言い寄られるのだ。

 しかし太陽の王も、シェリーの気取らない雰囲気に心を寄せ、シェリーを手放したくはなかった。

 2人の王から愛されたシェリーは悩み、2人の王は互いに火花を散らす……そして……話はここまでだった。


 この本も最終巻が紛失してしまったのか、もしくは最初から寄贈されなかったのかもしれない。



 少女はまた、同じ本の最初のページを開き直す。


 何度開いても、同じ場所で終わることは分かっていた。それでも何度も何度も捲ればいつか何かが変わるのではないかと、そんな小さな期待と希望で漫画に没頭した。


 そして何度目かわからないその時、最後の白いページが光り、少女は眩しさに思わず目を細めた。







 朝、眩しさに目を覚ませば、カーテンが半分開いていた。


 どうやら先程の夢はこの眩しさのせいらしい。実際に何度も繰り返し読んだが、当然内容が変わるはずもなかった。


 カーテンが開いているということは、どうやら吸血鬼のあの少年はエレノアが寝ている間に去ってしまったらしい。

 吸血鬼は昼間には体が弱るから、陽の差さない場所で眠ると聞いていたし、夜中の内に出て行ったのも当然だ。


 けれど、少しだけ寂しい気がした。





「エレノア、その腕はどうした」


 朝食の席で、広いテーブルの離れた場所に座るでっぷりと太ったエレノアの父は、目敏くエレノアの左腕に巻かれた包帯に気がついたらしい。


「……羽根ペンの先を削っていたら、眠くてうっかり切ってしまいました」


 滅多に声を掛けてくれない父親でも、さすがに心配してくれたのかもしれない。そんなエレノアの微かな期待は父親はふん、という鼻息で吹き飛ばされた。


「まったく、お前は月の王の花嫁の第一候補だというのに、ぼんやりとしているからだ。一体誰に似たのやら」


 期待した心配の言葉ではなく、エレノアは黙って包帯に視線を落とした。

 叱られるのは仕方がない。エレノアがいつもぼんやりとしているからだ。


「少なくとも僕ではありませんね。ナイフどころか剣の練習ですら一度も切ったことなどありませんから」


 冷たい声で素っ気なく言うのは一回りも年の離れた兄である。

 当たり前だ、兄は優秀なのだから。


「ええ、そうね。貴方はなんでも優秀でしたもの。それに比べてエレノアは……もっとしっかりなさい。体に傷が残ったらどうするの?月の王の花嫁に選ばれた後はオズワルド王太子の婚約者となるというのに……まあ、でも女の子で良かったわ。男だったらなんの価値もないものね」


 兄には甘く蕩けるように、そしてエレノアには冷たく吐き捨てるように言ったのは母である。後妻ではなく、正真正銘エレノアの産みの母だ。

 期待通りに動けないエレノアが悪いのだ。



 エレノアは黙り込んで彼らの言葉が嵐のように通り過ぎて行くのを耐え、朝食の続きを口にした。

 何を言われても、心の中で亀を連想して手も足も頭も引っ込めて丸くなる想像をしてやり過ごした。

 あまり言葉をぶつけられることは多くはないから、少し耐えれば終わる。基本的にはこの家の中でエレノアは空気のような存在だ。


 少なくとも叩かれたりはしないし、食事もきちんと食べることが出来る。広くて清潔な部屋も、豪華なドレスだっていくらでも与えられた。

 前世に比べれば天国のようだ。



 だからきっと、幸せなんだと思う。


 エレノアは、砂糖とバターがたっぷりと使われた甘いパンをごくんと飲み込んだ。柔らかく、よく噛んだから喉に引っかかるはずなどないのに、何故か苦しい気がした。





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