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悪役令嬢の幸せは新月の晩に  作者: シアノ


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2/21

出会いは新月の晩に2

「なんだ、子供じゃない。怖くないよ。それより、怪我、ひどそうだね。これで応急処置出来るかな」


 少年はだらんと右腕を下げている。腕が上がらないのかもしれない。痛々しいほどに出血も多く、ポタポタと血が床に模様を描いていた。もし骨に異常があるのなら素人の技術と救急箱の薬草程度では対処が出来ない。そして少年の様子から、人は呼ばない方が良さそうだった。


「……人ほど脆弱じゃないから、傷も骨折もほっとけばいつかは治る」

「でも、痛いでしょう。それに血はどうにかしないと。魔物は血の臭いに敏感だから。この辺りは吸血鬼ばかりだけれど」


 エレノアが救急箱から包帯を取り出して促せば少年は大人しく従った。


「ねえ、貴方も吸血鬼?」

「……そうだ」


 エレノアは少年を椅子に座らせて、なんとか服を脱がそうと四苦八苦した。血で服が肌に貼り付いてしまっている。無理に剥がせば痛むだろう。それに、右腕も上がらないようだから、簡単には行かない。

 なんとか脱がして傷を見ればかなりの深手であるのが素人のエレノアにも分かった。よく平気な顔をしているものだ。

 救急箱の中の薬草を当て、布で押さえてその上から包帯を巻いた。包帯を巻くときに触れた肉体が冷たくて驚いたが、吸血鬼は元々体温が低いからで怪我のせいではないらしい。



「素人だから、このくらいしか出来ないけど」

「いや、包帯巻くの上手いんだな。お前……公爵家のご令嬢なんだろ?」

「保健委員だったからね」

「ホケンイイン?」

「ああ、私、前世持ちなんだ」


 エレノアは前世の記憶がある。

 

 この世界にもごく稀にいるらしい。言えば無用な火種になるのはわかっていたから、誰にも言ったことはなかった。だが目の前の少年は行きずりで吸血鬼とは言っても幼い子供にしか見えないから、思わず口が軽くなってしまった。



 しかし、転生とはいえ不思議なのは、この世界がエレノアの前世の少女がかつて読んだ、古い少女漫画『太陽の王・月の王』の世界観にそっくりなことだった。


 その漫画でエレノアという名前は主人公の少女シェリーを虐めるライバルポジションの公爵令嬢の名前だった。古い漫画だからその当時としてはただライバルと呼ばれていたが、前世のエレノアの頃にはそう言ったライバルポジションの少女のことを総じて悪役令嬢と呼ばれていたのを薄っすらと覚えている。


「前世持ち……たまにいるのは知っていたが」

「まあ、なんの役にも立たない記憶だよ。早くに死んじゃったし、ただの平民だったし、今でもメイドに何から何まで世話されるのが苦手ってくらい」


 エレノアの前世は、いわゆる放置子と呼ばれる存在であった。

 両親が離婚して、父親に引き取られたがすぐに再婚した。だがやってきた後妻とは反りが合わなかった。何処にでも転がっていそうな、よくある話だ。

 父親も、後妻を苛立たせ転校先の学校にも馴染めなかった彼女を疎み、後妻からの虐待にもまた見ぬふりをした。

 家にも学校にも居場所はなかった。時間を潰す為によく通っていた児童館の遊戯室にあった古い漫画を読んでいたくらいのもので。

 それで痛いのも苦しいのも誰にも言えずに我慢していたら、病気がもう取り返しがつかないほどに進行していて死んだ。それだけの人生だった。


「……今もそれほど変わらないけどね。公爵家だから何不自由ないけど、両親や兄からしても私なんて空気みたいなものだし……いてもいなくても、変わらない」


 前世のせいにはしたくないが、貴族社会にも馴染めないエレノアに家族は優しくはなかった。社交的ではなく、得意なこともないエレノアを不出来だと嘆き、いないものの様に扱う。それはしょうがない話だ。

それとも貴族なんてそんなものなのかもしれない。エレノアも適齢期になれば親の決めた相手と結婚しておしまいだ。エレノアにはそれしか期待されていないのだ。



 見ず知らずの少年に思わずベラベラと語ってしまったのが恥ずかしくて、思わずエレノアは照れ笑いをした。頬は大して動いていないだろうけれど。


「そんなこと言うなよ!」


 少年の口から零れたのはそんな強い言葉だった。そんなことを言われたのは初めてで、思わず目を瞬かせた。


「お、お前が居てくれたから……こうして手当してもらえたんだ。俺……このままだと殺されてたから……」

「ひどい怪我だったもんね……魔物にでも追われてたの?」

「いや、俺と同じ吸血鬼だよ……俺みたいなはぐれの個体があんまり強く成長したら困るやつがいるんだ。……助かったよ。ありがとう」


 ぺこりと頭を下げる。少年は随分と礼儀正しい。

 下げた頭のせいで黒髪が揺れて、それがなんだか懐かしい気がするのは、きっと前世で見慣れた色だからなのかもしれない。

 そして彼も随分と大変な立場のようだ。

 アテマでは守護吸血鬼と呼ばれる彼らが夜を守る為に徒党を組んでいる。そこからはぐれた少年のような吸血鬼は生きるのも大変なのだろう。


「同じ吸血鬼同士で……って人間も国と国で争ったりするもんね。ねえ、ちゃんと逃げられそう? それとも、しばらく匿った方がいいかな?」


 少年は少しだけ考えこんだが、首を横に振った。


「いや、これ以上巻き込みたくない。まだ追いかけて……」


 言いかけた少年の言葉を遮るようにコンコン、と窓が叩かれる音がした。

 エレノアの部屋は3階だ。公爵家の立派な屋敷は天井が高いから、前世での4階以上の高さがある。そんなベランダもない窓の外からノックしてくるのが人間であるはずがない。


「……もう来たのか」

「ど、どうする? さっきみたいに影の中に隠れてやり過ごす?」

「いや、手当してもらったけど、血の臭いはまだするから……絶対バレる。一か八かで飛び出すから、お前は気にしなくていい」

「いや、怪我してるよね。それじゃ逃げられないよ。ちょっと待ってて」


 窓の外のノックは鳴り止まない。むしろ苛立っているかのように、だんだんと強くなっている。それでも窓を破っては来ないのは、ここが公爵家だからかもしれない。

 カーテンを閉めておいて良かった。外からは少年が見えていないはずだ。

 今ならまだなんとか出来る余地がある。



 エレノアは机の引き出しから小刀を取り出した。羽根ペンの先を削る為の小さなものだ。だがその刃はよく研がれて鋭い。


「血の臭いがするのが問題なんでしょう」

「お前、何するつもりだ!」


 エレノアは躊躇いもなく、その小刀で己の左腕を切りつけた。 


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