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イラハル神殿を囲む森で:ルーフス

 化け物の体に、刀が突き刺さる。

 砂となって崩れ落ちた一匹にかまわず、ルーフスは即座に振り返って真後ろにはいよっていた巨大なクモの足を切り落とした。がくんと地に落ちた胴体に、刀が一閃する。奥深くに見えた暗い光が砕け散り、同時にクモの体はチリのように崩れ去った。

 風に吹き散らされるチリを見下ろし、ルーフスは強く息を吐く。

 ……次は、どいつだ。

 ……全部殺してやる。

「すごい! ルーフスくん、すごいよ!」

 突然耳に飛び込んできた声が、ルーフスをはっと我に返らせた。

「あ、あれ?」

 夢から覚めたような気分で、辺りを見回す。

 森の中だ。

 木々の間を抜ける、馬車では通れないほどの狭い道。

 ルーフスはその上にいて、今、離れた木の陰から、一人のメイドがこちらに駆けてきているのだった。

 ……誰だ、あれは。あの人間は。

 一瞬よぎった疑問に、ルーフスはあわてて首を振った。

 ……なに考えてるんだ。アルトちゃんだよ。一緒にここまで来てくれた、アルトちゃんじゃないか。

 刀を持つ手が、なぜかひどく震えていた。自分のものではないようなその手をムリに動かし、なんとか刀をさやに収める。

 アルトは何も気づかない様子で駆け寄ってきた。

「ルーフスくん、すごい! 殿下のところの騎士様みたい!」

「う、うん」

 何とか笑おうとしたその時、心臓に痛みが走った。



 日が暮れる。

 木々の向こうに太陽が隠れてしまうと、地元の猟師に教えてもらった道をたどるのはもう限界だった。

 ちょうど猟師たちが使う小さな小屋にいきあい、ルーフスとアルトは中に入って火をおこした。

 途中の村で調達した保存食を食べるともうすることもなく、2人で黙って火を囲みながら、ルーフスは天井を見上げた。

 ……さすがに疲れた。

 地下道を抜け出してから、たった一日。またアルトに背負われて高速で街道を駆け、明日の早いうちにイラハル神殿の近くまでたどり着けるという場所まで来ていた。

 ……昨日の朝には、騎士団に捕まったままだったのに。

 化け物の襲撃があって、部屋を抜け出したらナーヴに会って、フレリヒがアルトちゃんを連れてきて、2人で地下に転がり落ちて。

 地下で、貴族らしき不思議な姉弟に会って、化け物に襲われていたのを助けて、そしてアルトちゃんとと2人、地下道を抜けてきた。

 ナーヴから聞いた、イラハル神殿という言葉だけが手がかりだった。そこでどうするのかも考えられず、とにかくここまでやってきた。

 ……ザイン城の時と同じだ。こんな不確かなことに、またアルトちゃんをつきあわせちゃったな。

 ルーフスが天井から視線を戻したその時、

「ルーフス君は強くていいねえ……」

 火のそばでひざを抱え、アルトがぽつりと言った。

「化け物をばったばった倒せてさ。すごく騎士様って感じする。

 ……私は何にもできないメイドだから……」

「そんなことないよ」

と反射的に言ったものの、今まで聞いてきたメイドとしての評判を思い出し、二の句が告げなくなってしまった。

「……いや、アルトちゃんさ、もっと他に向いてることあると思うよ。すごいってみんなが拍手するような仕事あると思うよ。メイド以外なら」

 アルトはぎゅっとひざを抱え込んだ。

「私ね、小さいころ何もさせてもらえなかったの」

 抱え込んだひざ越しに、揺れる炎を見るようにしていた。

「服を着るのも、部屋の掃除も、何かを持つのも全部メイドさんがしてくれたの。うちはそんなに裕福な家じゃなかったから、メイドさんは二人くらいしかいなかったんだけど、その2人がてきぱき動いて何でもどんどん片づけてった。

 私はぼさっと立ってるだけ。

 それが当然だと思って10歳くらいまで育って、急にある日気づいたの。私、同い年の子たちができることがなんにもできないんだって」

 揺れる炎の光を浴びて、アルトの背後の影も揺れていた。

「今でも覚えてる。気づいたときはもう、全身からサーッて血の気が引いた。私は何にもできない人間で、そんなことにも気づかなかった人間なんだって。

 本当に、ダメダメな人間なんだって」

「そんなふうに思わなくても……」

 あまりにかたくヒザを抱え込んだアルトの姿に、ルーフスは思わず言った。だが、アルトにその言葉が届いた様子はなかった。

「ちょっとずつでも、いろいろできるようになろうと思ったの。でも、周りがそれを許してくれなかった。そんなことをなさらなくていいんですって。もっと大事なことをなさるべきなんですって」

「大事なこと?」

 アルトはそこでやっと笑った。

「えらい人になるための勉強。

 うちの人たちね、私は将来すごくえらい人になるもんだと思ってたの。ボタンを留めたり、部屋を片付けたり、そういうことに時間を使ってたら、えらい人になる邪魔だって本気で思ってたの」

 笑った眉が、また下がった。

「でも、えらい人になる可能性なんて、実際は全くなかったの。私はこのまま、ボタン一つ自分で留められない人間として生き続けるんだって思ったら、もう我慢ができなくなっちゃって。

 で――飛び出しちゃった。ダーッて」

「走って?!」

 アルトはまた笑った。さっきと違い、少し楽しそうな笑い方だった。

「人生初めての全力疾走だったよ。いつもは優雅に歩いて、急ぐときは馬車だったから。でも、走ったらすごく気持ちよかったの。馬よりずっと速かったの。

 楽しくて楽しくて一晩中走り続けて、明け方に力尽きて倒れた場所が、すごく親切な貴族のお屋敷の前だったの」

 あの速さで一晩中走り続けたら、どれほどの距離になるか。ルーフスには想像もつかなかったが、家の者が追ってこられないくらい遠くまでたどり着いただろうことは分かった。

「お屋敷にかつぎ込まれて介抱されて、どこのだれか聞かれて答えられないでいたら、いろいろ深読みされたみたいで、何も言わずに下働きとして雇ってもらえたの。

 何にもできなかったけど、古株の使用人の人たちが親切になんでも教えてくれた。たぶん、何かすごくかわいそうな境遇の子だって思われてて、それでみんな親切にしてくれたんだと思う」

「それだけじゃないよ。きっと、アルトちゃんが一生懸命だったからだ」

「そうなのかな。そうだといいけど」

 ひざを抱え込んだアルトの腕から、力が少し抜けた。

「2年そこで働いて、ご主人様が寿命で亡くなられて、お子様もいらっしゃらなかったから解散になったのね。おまえはどうするんだって聞かれて、そこで思ったの。私、メイドになりたいって。うちで何でもてきぱき片付けてた、あの立派なメイドさんたちみたいになりたいって」

「……反対されなかった?」

 いろんな意味で、と口に出さなかったのだが、アルトは笑って首を振った。

「正直には言わなかったの。都が見てみたいから行ってみますって……これも本気ではあったんだけど、それだけ言って、ほかのお屋敷に雇われる人たちと別れて都を目指したの。帝都だったらたくさんお屋敷があるから、私を雇ってくれるところもあるかもしれないって思って。

 途中でメイド服を手に入れて、都についたあとはいろんなお屋敷を渡り歩いたの。

 途中で、東宮殿下が城下におうちを持ってるって聞いて。東宮殿下って人をおそばで見てみたいってすごく思って、雇ってもらうチャンスをうかがって」

「よくもぐりこめたね」

「運が良かったの。……結局すぐクビになっちゃったけどね。

 それに……東宮殿下をおそばで見て、やっぱり私にはえらい人になるなんて無理だなって、よくわかったよ。

 私今も、何にもできないメイドだから」

「俺を助けてくれてるよ」

 ルーフスは力を込めて言った。アルトがこちらを見た。

「何もできないなんてこと、ないよ。

 俺は、アルトちゃんにすごく支えられてる。本当にいろいろ助けてもらってる」

 アルトは、でへへ、というような笑い方をした。

「だといいけど」

「本当だよ」

 アルトはルーフスのまっすぐな視線を受け止めていた目を外し、ちょっとうつむき加減になった。

「私も、ルーフス君と出会えてよかったなあ。

 いろいろ辛いこともあったけど、あの時家を飛び出してよかったって、それだけはいつも思うの」

「うん。俺もアルトちゃんと会えてよかった」

 アルトはまたでへへと笑い、照れたのを隠すようにひざに顔を埋めた。

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