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再会の記憶:エドアルド

 真夜中の東宮私邸、寝室で、エドアルドはふと目を覚ました。

 月が明るく、カーテン越しにうっすらと室内を照らしていた。

 ……まだ真夜中だな。変な時間に目が覚めちまった。

 横向きに寝返りを打つと、横であおむけに寝ているフォルティシスの顔が目に入った。

 眠りについたときは腕枕状態だったはずだが、お互いに寝返りを打ったものか、もう腕は外れてしまっている。東宮はぐっすりと眠っているようだったが、

 ……眉間にしわ寄せてやがる。

 夢の中でも仕事をしているのか、それともほかの何かなのか。眠っているというのに険しい顔をした帝国東宮の額をつついてやったが、眉間のしわは深いままだ。

 ……仕事ばっかしてるからだよ。

 ぼんやりとその寝顔を見ていると、なぜだか、初めてこの屋敷に連れてこられたころのことが思い起こされた。



 帝都に来る前、エドアルドは東方の激戦区に身を置いていた。狂ったように化け物を斬る『戦闘狂』と名高かったエドアルドの前に現れ、配下になれと破格の報酬を示してきたのが皇弟バサントゥだった。

 報酬などどうでもよかった。だが、化け物たちとの戦いの指揮を執る皇家の者ならば。

 東方戦線を鎮圧し、次の戦場を求めていたエドアルドは、求めに応じて帝都へとやってきた。やってきて早々、

「東部戦線の英雄がわが配下となったぞ」

 皇帝の子どもたちに自分をみせびらかす皇弟に、こいつの下に着こうとしたのは間違いだったかもしれないといらだちが募っていた時だった。

「あやつらは今は大きな顔をしているが、じきにこの私にひれ伏すこととなる」

 帝都にいる皇帝一族が顔をそろえる大きな儀式の途中、皇弟はそうつぶやいたのだった。

「私はすでに化け物をも従える力があるのだからな」

「……化け物をも?」

 自分に背を向け、壇上の皇帝を見ているバサントゥがにやりとした気配があった。

「化け物を自分の駒として操るすべがある。私だけが知るすべがな。10年ほど前、つまらん田舎で試してやったが、素晴らしい効果だった」

 息ができなかった。投げられた言葉の意味が、じわじわとしみこんでくるまで。

「突然に化け物に囲まれ、悲鳴を上げるあやつらの姿が目に浮かぶようだ」

 その言葉が、ダメ押しだった。突然現れたのだ。エドアルドの故郷を滅ぼした化け物たちは。

「てめえか!」

 エドアルドは刀を抜いた。バサントゥに斬りかかった。悲鳴を上げたバサントゥが一瞬で血に染まらなかったのは、暗殺を恐れて常に防御の符術を身にまとっていたからだと後で知った。

 代わりに自分の身を貫いた衝撃が、符術によって放たれた雷だというのも、後で知った。

 だが、それを放った術者が誰であるかは、一目でわかった。

 ――フォルテ。



 その後の記憶は、断片的だ。

 その場で、皇帝一族に刀を向けたとして、フォルティシスによって反逆者の烙印を押されたのだというが、そんなこともよく理解できなかった。

 全身をいばらで締め上げられるような苦痛に襲われながら、フォルティシスに引きずられるようにして東宮私邸へと連れてこられた。

 出迎えた使用人たちが一気にざわつき、

「東宮殿下、その方は……」

「犬だ。ここで飼う」

「……。大ケガされているようですが、お医者様を」

「いらん。誰も部屋に来るなよ。おい、歩け」

 通り過ぎた背後で、「一応、先生に連絡を」と話していたのが私邸執事たちだとわかったのも後からだ。

 どこを歩かされているのかも定かでないまま引きずられ、放り出されたのは私室を通り抜けた寝室の床だった。

 起き上がろうとしたが、うめき声がもれるばかりで、まともに体が動かなかった。

「フォルテ……」

 苦しい息の下から声が漏れる。

「フォルテなのか……。お前……東宮って……」

「馬鹿が。自制を覚えろと言ったろ」

 身を起こせないまま、なんとか向けた視線が、傲然と立つ男の姿をとらえた。

 間違いなく、フォルテだった。かつて帝都から遠く離れた学校で、ともに過ごし、ともに戦った仲間。仲間だったはずの相手。

 それが今は立派な衣装に身を包み、山ほどの勲章をつけ、冷たい目で自分を見下ろしている。

「なぜ邪魔した」

「感謝しろよ、助けてやったんだから」

「お前が邪魔しなければ、あいつを殺せていた……!」

「そのあと、近衛術士の集中砲火で消し炭だ」

 エドアルドは強く息を吐き、右腕で少しだけ体を起こした。

「……あいつは、俺の家族の、故郷の仇だ。生かしておけない……。俺は、」

 次の言葉を口にする前に、

「知ってるさ」

 フォルティシスは言った。

「エドアルド=イースター。お前の本名だな?」

 ほとんどなかった全身の血の気が、限界まで引くのが分かった。

「山間の、小さな村を任せられた騎士の家の生まれだ。8歳の時に降魔がわいて、領地の村は壊滅、お前以外の家族も皆殺し」

「お前……」

 エドアルドは震える唇から声を絞り出した。

「……なんで、知ってるんだ。いや、」

「領地を守れなかった罪で、騎士位と家名は剥奪。お前は書類上だけ近隣領主の養子になって、寄宿舎つきの学校に放り込まれた」

「知ってたのに、邪魔したのか。俺が家族の仇を取るのを」

「まともに授業に出ず、最後は出奔したから、公的にはお前、死んだことになってるぞ」

「お前は、あいつの側の人間なのか?!」

 こいつはもう、信じあい助け合ったフォルテじゃない。エドアルドは胸に焼き付けられるようにそう思った。今も尽きることのない憎しみが向かうべき相手、家族の仇の同類だ。

 それとも、最初からそうだったのか。あの信じあった日々も、こいつはずっとそうだったのか。

 東宮はエドアルドの貫くような視線を受け流し、横にひざをついて襟首をつかんだ。

「お前は今から俺の飼い犬だ。その烙印がある限り、俺には逆らえない。生かすも殺すも俺次第だ。

 化け物どもを殺す戦場は与えてやるから、東宮の兵士として、亜神と降魔を斬れ」

 襟首を突き放され、床に倒れこんだ。また身を起こそうとしたが、まるで力の入らない腕が震えただけだった。

「……答えろ……」

 苦しい息をはさみ、

「お前もまさか、あいつと一緒に化け物をおもちゃに……」

「それを知ってどうする?」

 にらみあげた目が、冷たく見下ろす瞳をとらえた。

「少しはものを考えて行動しろ、バカが。ここでムダ死にするか、生きて化け物どもを斬り続けるか、好きな方を選べ」

 床から起き上がれないまま、エドアルドはこぶしを震わせ、フォルティシスをにらみ続けた。

「わかったら俺に服従しろ。全て俺の言うとおり、逆らうな。いいな?」

 言い捨てるなり、フォルティシスはエドアルドの襟に手をかけ、ボタンを引きちぎった。白い首筋にかみつかれ、痛いほどに吸われ、エドアルドは心底驚いた。

「やめろ! 何する気だ!」

「逆らうなと言っただろ。忠誠を示してみろ」

「離れろ! 触るな! 殺すぞ!」

 力の入らない腕で必死に抵抗する耳に、冷たい笑いが届いた。

「お前の故郷、一度は壊滅したが、生き残った村人が今も細々と暮らしている。

 ……今、だれの領地か知ってるか?」

 エドアルドは目を見開いた。抵抗しようとする腕が止まった。

「俺の直轄領だ。俺の気まぐれでどうとでもできる。もし俺が死ねば、俺の前に領主をしていた叔父貴のものになるだろうな」

 ほほを指がなで上げるのがわかる。

「……わかるな?」

 エドアルドは唇を噛み、うめくように言った。

「絶対、殺してやる。お前も、あの野郎も、皇帝一族すべて……!」

「言ってろ。

 勝手に俺の前から消えたこと、ちょっとやそっとで許されると思うなよ」

 唇がふさがれ、舌がねじ込まれた。4年ぶりのキスがつれてきた強い鉄の味に、エドアルドはついに意識を手放した。




 『烙印を押された反逆者』として、東宮の私邸で飼われることになったエドアルドは、しばらくは私室に閉じ込められたような生活を送っていた。

 烙印を押された者は、至天宮には入れない。フォルティシスが至天宮にいる間は私邸でただ待っていろと言われていたが、そのうち簡素な制服を与えられて、

「この屋敷の警備兵ってことにしてやったよ。感謝して、せいぜい番犬として励め」

 そんなことを言われた。気取られまいとしていたが、ただフォルティシスの帰りを待つようなことはしていない。彼と使用人たちの目に触れないよう、剣の稽古はし続けていた。昼はそうして過ごし、フォルティシスが私邸に戻ってきた夜には時折、ベッドやソファや床でおもちゃにされる。

 フォルティシスは気が済むとさっさと服を着始めるので、こちらもすぐにベッドを出て、一言も口をきかずにソファで毛布をかぶる。胸に刻まれる屈辱に体が震え、いつかこいつと、皇帝一族をみんな八つ裂きにしてやる。その思いで眠れない夜もあった。

 戦場に連れ出され、狂ったように降魔を斬っても、胸のつかえがとれるには遠かった。あれがうわさに聞く『戦闘狂』かと、気圧されたようにささやきあう騎士団など目にも入らなかった。

 戦闘の後は必ず、東宮の私室でおもちゃにされた。いつかこいつも殺してやると思う心とは裏腹に、戦闘の熱が残った体はいつもひどく興奮し、体が離れるとすぐさまひどい自己嫌悪に陥る。そんなことを繰り返した。

 それでも復讐と故郷の人々のために逆らうことはできず、東宮の兵士として戦場に連れ出されては、その場の誰よりも戦果を挙げ、その夜はひどい屈辱と快楽を与えられる。そんな何もかもがばらばらな日常が、数か月続いた。


 晩秋の夜のことだった。


 いつも通りソファで毛布一枚をかぶって眠っていたエドアルドは、自分のくしゃみで目を覚ました。

 ……寒い。

 まずそう思った。毛布一枚ではどうしようもないほど、体が冷え切っている。

 ……昨日も、寒さであまりよく眠れなかったな。

 体を丸めたとき、またくしゃみが出た。両腕で自分を抱きしめるようにしても、どうしようもなく寒い。

 数日眠れないくらいは何でもないが、化け物どもを斬り捨てるだけの力は常に確保しておかなくてはならない。寒さと睡眠不足で体力を削られるのはもってのほかだ。

 ……上から警備兵の制服を着て寝るか? くしゃくしゃになりそうだな。別にどうでもいいけど。でもフォルテがみっともないだのなんだの言ってくるかも……。

 また一つくしゃみが出たとき、

「エディ、こっちに来い」

 背後のベッドから声がした。エドアルドは思わず息を止めた。

「寒いんだろう。風邪でも引かれたらこっちが迷惑だ。来い」

「うるせえ。別に何ともねえよ」

「いつお前に口答えを許した? 命令だ、来いと言っている」

 歯ぎしりしたい気分でソファから立ち上がり部屋の奥のベッドまで歩く。部屋の主は広いベッドの上に半分身を起こして待っていた。

「さっさとしろ。こっちも眠いんだ」

 ベッドの横で躊躇したところに不機嫌な声が飛ぶ。仕方なく上掛けをめくり、ベッドの隅ギリギリにもぐりこむと、腕をつかまれて引きずりよせられた。

「おい、触るな!」

「黙れ。寒いんだろ」

 言うなり頭を胸に抱え込まれ、背中に手を回された。

 上質の寝具も、自分を抱きしめる体も、確かに暖かかった。

「おとなしくしてろよ」

 それだけ言って口を閉じたフォルティシスは、ほどなくまた眠り込んだようだった。

 ……眠れるかよ、こんな奴の横で。

 そう思う間にも、フォルティシスの体温が、冷え切った体にしみこんでくるように感じる。ソファとはまるで違うベッドの寝心地と、昨夜の寝不足もあり、いつの間にかぐっすりと眠りこんで、ハッと目が覚めると朝だった。

 翌日も、その翌日も、そうやってフォルティシスの隣で眠ることになった。最初から抱きしめられて眠りにつくこともあれば、ふれあっていなかったはずなのに目を覚ますと相手の胸に額を押し付けていることもあった。

 ……そんな風に、体温を分け合うようにして眠る相手を憎み続けることは難しい。

 ひどく冷えたある夜、

「先に行ってベッドをあっためておけ」

 そんなことを言われ、書類をめくるフォルティシスを一人居室に残して先にベッドにもぐりこんだ。しばらく待ってもなかなか彼は現れず、うとうとと眠りかけたところにやっとドアが開き、近づいてきた気配が横にもぐりこんできた。

「エディ、あったまってるとこよこせ」

 寝ていた場所から押しのけられる。体温で暖まっていないところに追いやられ、少し目が覚めた。

「何だよ……。寒いだろ」

「俺の方が寒い。お前は今の今までぬくぬくしてたんだろ」

 そう言って触れた手は、確かにひどく冷たかった。

 エドアルドは少しぼうっとした頭のまま、手を伸ばしてフォルティシスのほほに触れた。

「お前、ほっぺた、すごく冷たいな……」

 手をそのまま相手の首に回し、引き寄せて胸に抱え込んだ。

「……おい、何の真似だ」

「寒いんだろ。この方があったかいって、お前が」

 冷えた髪にも頬をこすり付け、開いた掌を冷たい背中に押し付けた。冷えるなと思ったが、それよりも眠気が勝った。

「……おい、エディ、離せ。キスさせろよ」

 そんな声が小さく聞こえたが、返事もせず眠りに落ちた。


 結局、冬の間中、ベッドでフォルティシスと肩を並べ続け、

「おやすみ」

「おやすみ」

 いつからか、そう声を掛け合い、軽く唇を重ねてから眠るようになった。


 今もそうだ。


 あれから、3年が経っていた。同じベッドで眠るようになって4度目の冬が巡ってこようとしている。

 今夜も、すぐ隣に静かな寝息を立てるフォルティシスがいて、その眉間にしわを寄せた寝顔を見下ろしながら、この屋敷に連れてこられたばかりのことを思い出していたのだった。

 ……何の夢見てんだろな。仕事かな。夢の中でも書類読んでやがるのかな。

 短く固い髪をそっとなでてやると、東宮の険しい寝顔が和らいだ。そのまま何度もなでてやると、やがて寝息まで穏やかになる。

 ……殺してやるって言ってるのに。

 エドアルドは不思議な気持ちでその寝顔を見た。この自分の横で、これほど無防備な寝顔を見せるフォルティシスのことも、眠る彼の髪をこうしてなでている自分のことも、よく理解できないと思った。

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