あのころの夢を:ローザ
夢を見た。
夢の中で、ローザは6歳の子供だった。
あの館の子供部屋で、優しい姉と二人、ソファに座っていた。
「そうね。テレーゼという子がいるわ」
姉はそう話し始めた。ちがう、さっきからずっと帝都の話をしていたのだ。姉は帝都の城で、姫として育った。時折、そのころの話をすることがあったのだ。
「テレーゼ? 女の子?」
「女の子よ。私のすぐ下の妹」
姉の妹なら自分と一緒だ。幼いローザはそう思った。
「私や姉さまと似てる?」
イリスは苦笑した。
「あまり似てないわね。あの子はどちらかというとお父様似だけど」
なあんだ、とローザは思った。姉の異母妹に――自分にとっての異母姉だとは思わなかった――興味がもてなくなった。
「それ以上に、私もローザも、お母さま似だもの。お父様の子供たちとは、あまり似てないわ」
「私たち、お母さま似なの?」
「そうよ」
姉は優しく微笑んだ。3歳のころに他界した母を、ローザはあまりよく覚えていない。似ているのならうれしかった。
「兄さんは完全にお父様似ね。シャリムはまるでお父様に似てないから、あの子に比べれば私はまだお父様に似てるほうかしら」
ああ、そうだ。6歳の自分として姉の話を聞きながら、14歳のローザは思った。私は姉さまから、テレーゼ姉さまやシャリム兄さまの名前を聞いたことがあった――。
ノックの音に続いて、ドアが開いた。過剰な笑顔をたたえたラフィンが入ってくる。
「姫様、嬢ちゃま、ぼっちゃまが遊びにいらっしゃいましたよ」
「ルーフスが!」
ローザは嬉しくなってソファから飛び降りた。遠い帝都に住む、会ったこともない異母兄弟の話より、元気で優しい同い年の少年と遊ぶ方がずっと心ひかれることだった。
そうだ、あのころはそうやって、毎日ルーフスと遊んで過ごした――。
思い出すだけで、あたたかいもので心が満たされる。そんな一時期だった。ずっとそれが続くのだと思っていた。いつ、どうなるかわからない暮らしだと、姉からは言いきかされていたが、それを忘れるほどに楽しかった。
「あのね、内緒よ」
そう、ラフィンと姉にささやきかけたことがある。
「大きくなったら、ルーフスのお嫁さんになるの!」
ちょうど、屋敷のある浜辺の村で、結婚式が行われたのだった。村で浮いていたローザたちはもちろん参列できなかったが、ラフィンに付き添われて、着飾った花嫁の姿を木々の間からこっそりながめに行った。とてもとても素敵だったのだ。
大きくなったらきっとお嫁さんになろうと、帰る道みちローザは決めた。帰ってすぐ姉たちに報告したのだった。
「それはようございますねえ」
そう言いながら、ラフィンの眉がすうっと下がった。口元は微笑んだままだが。執事がそんな顔をするのは珍しいことだった。
「ラフィン? どうしたの?」
そこではっと気づいて、勢い込んで尋ねた。
「もしかして……ラフィン、ルーフスのことが嫌いだった?」
「いいえ、まさか、嬢ちゃま」
ラフィンは急いで首を振った。
「ラフィンもぼっちゃまが大好きでございますよ。大好きな嬢ちゃまと大好きなぼっちゃまがご結婚なさるなら、これほど嬉しいことはございません」
そう言いながら、ラフィンの眉はハの字のままだ。イリスがプッと吹き出した。
「ラフィンったら、強がっちゃって」
「強がってなどおりません、姫様」
首を傾げたローザに、イリスはいたずらっぽく笑いかけた。
「ローザ、ラフィンはね、あなたがルーフスと結婚して、どこか遠くに行っちゃったらと思って、今からさびしくなってるのよ」
ローザはびっくりした。そんな予定など考えてもいなかった。
「大丈夫よラフィン。ルーフスのお嫁さんになっても、遠くになんて行かないわ」
「嬢ちゃま、ラフィンは何もさびしくなどなっておりません。どうかお気になさらないでくださいまし」
「ううん、そんな顔しないで。大丈夫よ。ずっとここで4人で暮らせばいいのよ」
銀髪の執事の手を取り、一生懸命元気づけるローザを、イリスは微笑んで眺めていた。
「そうね。ずっとここで4人で暮らせたら……」
ふうっと、その姉の輪郭がゆがんだ。
ねえさま、と言おうとして、手を伸ばそうとして、ローザはぞっとした感覚に体を凍りつかせた。
すうっと景色が、イリスの姿が遠ざかる。
ローザの手の届かなくなった場所で、イリスは、しずかに背後を振り返った。
「ラフィン。来てくれたのね」
ローザのそばにいたはずのラフィンが、あちらからゆっくりと近づいてきていた。
「ようやくのお目覚め、まことにおめでとうございます、王よ」
姉は、あの涼やかな笑い声を立てた。
「そうね、ようやく。本当に長かったわ。何度も何度も生まれそこなって、やっと目覚めることができた」
そして小首をかしげてラフィンを見つめた。
「やはりあなたが一番にたどり着いてくれたわね。人とほとんど変わらないほどの力に堕ちてまで。この忠義は忘れないわ」
ラフィンは過剰な笑顔になる。
「王に一番にお目にかかる栄誉ほしさに、ついぬけがけを」
姉は楽しげに笑った。
「ああ、何だかあなたに王と呼ばれるの、変だわ。今まで通り呼んでちょうだい。
不思議ね。何万年と呼ばれ続けた王より、たった数年の姫様の方がしっくりくるわ」
ラフィンはうやうやしく頭を下げた。
「では、これまで通り姫様と」
姉はうなずき、あでやかな笑みを浮かべる。
「――さ、行きましょうか。道を開き、天へと攻め上る。私たちを地底へと落としたあの者たちを天の高みから落とす時が来た」
ラフィンはほんの少し、何か言おうとしたようだった。だがその口がはっきりと声を出すより早く、
「その前に。
ローザを迎えに行かないと。
そうでなければ、月の道は開けないわ」
姉の楽しげな声が響いた。
「そうでしょう、ラフィン?」
ローザはハッと目を覚ました。
「姉さま……!」
思わず漏らした声と荒い息とが、静まり返った寝室に消えていった。
至天宮奥、ローザの私室のさらに奥にある寝室だった。
まだ暗いベッドの上に起き上がり、ローザは深くため息をつく。
「姉さま。ラフィン……」
あのころの二人が自分に向けた笑顔が、優しい声が、ひどく遠く思える。
あの暖かな日々は、去っていってしまった。
今あるのは、豪華な調度で整えられ、何百人もの兵士に守られた、一人ぼっちの部屋だけ。
――ううん、ちがう。
ローザは首を振った。
去ってしまったのなら、また自分の力で別の暖かい日々を手に入れるの。ここで頑張るの。
――ルーフス。
ベッドの天蓋を見上げる。
――ルーフスもきっと、お父様お母様のところで暖かい日々を過ごしている。それを私が守るの。
うなずき、ベッドから出た。
もうじき夜が明ける。朝食を取ったらすぐ、至天宮を出発することになっている。
封印の儀が行われる、イラハル神殿へと。