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明け方のカレイドスコープ  作者: サワムラ
 間の話:東宮と警備兵、8年前の出会い
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 包囲された校舎と、それから寮で:フォルティシス

「平民寮に行く前に、やることが3つある」

「3つもかよ」

 不平をもらすエディに「必要なことだ」と釘を刺してやった。

「同時進行はできないのか?」

 ニーヴルのほうは建設的な提案を出した。フォルティシスはうなずく。

「二つは同時進行できる。俺が1つ片付けている間、お前がもう1つをやれ」

 内ポケットから取り出した符を渡すと、ニーヴルは珍しそうに裏表を返して見はじめた。

「この校舎を包んでいる結界が、どういう範囲になってるか、ぐるっと回って調べろ」

 結界に反応する符の使い方を教える。難しいことではないので、すぐ飲み込んだようだった。外倉庫で掘り出した刀を渡す。

「一応、用心のために持って行け。だが、うっかり結界からはみ出して化け物に殺されたりするなよ」

「一匹くらいなら返り討ちにするさ」

 笑ってみせるニーヴルにかぶせて、

「寄って来るなら好都合だ。5・6匹ぶち殺してやる」

 エディの紫の目がぎらぎらし始めたので、フォルティシスは焦った。

「待て、お前は俺の用事に付き合え」

 ニーヴルはうっかりで結界からはみ出すことがありそうだが、エディのほうは下手をすれば自分から結界を飛び出していきそうだ。そうなればまた手を焼く。

「でも……」

「こっちは俺1人で大丈夫だ。終わったら、校舎の入り口で待ってる」

 抗議しようとしたエディにニーヴルが通告し、さっさと階段を下りていってしまった。

「用事の二つ目ってのはなんだ」

 不機嫌そうなエディに、フォルティシスは最上階を指して見せた。

「殴り込みだ」



 ノックもなしに開けた学長室のドアの中では、学長がたった一人で机に向かっていた。フォルティシスの顔を見て、顔面から血の気が失せる。

 ずかずかと中ほどまで踏み込み、「おい」と言った。

「先に自白のチャンスをやるよ。俺に隠してること、全部吐け」

 学長は硬直した。

「……な、何も」

「隠しているなら反逆で、知らないというなら無能だ。どっちで裁かれるのが好みだ?」

 学長は目を見開いて沈黙し、やがてフーフーと苦しげな息になって、

「どうか、どうかお許しを」

 ひれ伏すようにした。

「誰が謝罪しろと言った? 全部吐けと言ったんだ。もう一度は言わせるなよ」

 傲然と見下ろしたフォルティシスに、学長はひどく丸くなった背で口を開いた。

 学生たちから聞いたことと大体同じだった。通信は前々から壊れていて、化け物がわいたと気付かれる可能性は低いこと。校舎と、2つの寮それぞれが別の結界で分けられていること。貴族寮には職員たちが、平民寮には職員と生徒らが残されていて、平民寮の結界はかなりもろいものであること。学校に残った学生のうち1人が武術教官の息子で、なかなかの使い手であること。

 そして、学生からは聞けなかったこともあった。

「いま生徒たちが出かけている宿泊施設にも、色々と防衛設備がございますが、あのあたりには化け物が出たことがなく、古いままで放置してございます。機能するかどうかわからないものも多く……」

「それが俺に知れたら困るから、実習から遠ざけようとしたのか」

「おおせの通りでございます」

 なにとぞお許しを、来年から改修を始める予定でございました、などと言いながらますます低頭する学長に、フォルティシスは怒りとあきれで言葉が返せなかった。

 ……そんな下らんことで、あんな回りくどい話を持ってきたのか。何を隠しているのかとかんぐったのに。

「伝声灯の修理はどうなってる?」

「は、それも来年から」

「そうじゃない、今だ。修理を試しているんだろうな?」

 学長は額の汗をぬぐうばかりだ。

「修理を試させろ。今すぐだ。ムリなら常に人を置いて、一瞬でも通信が回復したチャンスを逃すな」

 学長は泡を食って飛び出していった。

「くそっ……」

 扉が閉まるなり、フォルティシスは机を殴りつけた。

「教師ども、なぜ余計なことはして、肝心なことは黙っている……!」

「お前、ものが言いづらいんだよ」

 背後から、エディの声がした。フォルティシスは振り返り、ずっと黙っていた彼の紫の瞳を見返した。

「……どういうことだ」

「お前、先生と話すとき、妙に高圧的になるだろ。何か言ったらにらまれそうで、先生たちみんな小さくなってんだよ」

 いらだちがさらに加熱するようだった。

「聞きたいことだけ質問して、上から命令して。それだけだ。言いたいこと言えやしねえよ」

 腹の底からふきあがるようないらだちに唇をひきむすんでいると、エディはなおも続けた。

「学長がお前に、妙にビビってる。お前、やっぱりどっかの大貴族の出だろ。

 学長でさえああなのに、お前の機嫌をそこねそうなことは、怖くてできない。何がお前の機嫌をそこねることなのかわからないから、何もできない」

 腰抜けどもめ、とフォルティシスは内心で歯噛みした。

「俺は横で見ててすぐわかったぞ。お前、バカじゃなさそうなのにわからないのかよ」

 ぐっと言葉に詰まった。

「分からなかった理由もわかるぞ。……お前、人を信用してないだろ。誰も自分を信頼することなんてないって、正直に話すはずがないって、そう思ってるだろ」

 フォルティシスは愕然と顔を上げた。

「……違う」

「違わねえよ」

 違う。またか、と思っていたのだ。帝都でも、自分に正面切って何か言うやつなどいなかった。ここでもそうなのかと、そういうふうにしか思っていなかった。

 ……信じていなかったのだ。どうせだれも、自分を信じて正面切って話して来ることはないと。それが当たり前なのだと。

「信じてないから信頼されねえんだよ。信じろっていうなら信じさせろよ。信じて、お前から腹わって思ってること話してみろよ」

 父の顔が頭に浮かんだ。親父もそうだ。誰も信じていない。誰からも信じられない。俺も同じなのか。父の若いころに瓜二つと言われる俺は、精神まであの男の生き写しなのか。

「……あのさ」

 先ほどまでの厳しい声と、少しトーンが変わった声が耳に届いた。

「俺は、割とお前のこと信じてるよ」

 紫の瞳が、こちらを見ていた。

「犠牲が出ないよう、いろいろ考えてるんだろってこともわかる。お前の実力を知らないから、お前の作戦なら大丈夫だろうって人に言うまではできない。でも、お前が信じてつきあってくれって言うなら、俺は信じてつきあってやるよ」

 彼の紫の瞳には、いつも陰がちらついている。その陰が、美しい紫の深みをさらに増しているのだと、フォルティシスはそう思っていた。

 だが今、その陰が消え、強い光を宿した彼の瞳は、いつもよりもっと美しく見えた。

「でも、俺一人がそうでも仕方ないんだ。なあ、お前はさ、信じてくれる相手を作るべきなんじゃないのか」

「……お前は」

 お前は、俺を信じるのか。お前がその陰のことを何一つ明かしてくれないように、俺もお前に何一つ明かしていないのに。



 一階まで降りると、ちょうどニーヴルが帰ってくるところだった。

「きれいに校舎をぐるっと囲ってるかと思ったら、ちがうんだな。丸をいくつも並べたみたいな形だった」

 報告とともに、メモを渡してくる。フォルティシスはうなずいた。

「……これで、校舎から寮への最短ルートの割り出しができる。寮の方の結界がわからんから、今は推定だけどな」

「ああ、なるほど、それで調べる必要があったのか」

 ニーヴルは納得した。エディが小さくうなずいたように見えた。

「じゃ、平民寮に一番近いところ……結界の西のはしから走るか?」

「いや、まだだ。先に貴族寮に行く」

「貴族寮?」

「後回しで良いだろ、そんなの」

 2人そろって反対してくる。

「少なくともあっちは、結界しっかりしてるんだぜ」

「……俺はもう一本、呪のかかった刀を持ってる。呪のかかった刀と言ってわかるか」

 ニーヴルはうなずいた。

「父から聞いたことがある。化け物狩りのための武器だな」

「そんなところだ。寮の俺の部屋に置いてあるんだ。行って回収する。そうすれば全員一本ずつ呪のかかった刀を持てる」

「これもそうなのか」

 ニーヴルはさっき渡した刀をしげしげと眺めた。

「刀だけじゃなく、白符も何十枚か置いてある。まだ力をこめてない、符の元だな。そっちも回収して役立てたい」

「わかった。お前の言うとおりだ」

 ニーヴルが頼もしげにうなずく。

「危ない橋を渡る前に、戦力は十分整えておかなくちゃな」

「でも、急いだほうがいいだろ」

 エディが地に足の着かない様子で言った。

「日暮れまで時間がない。あいつら、夜目が効くんだろ? それまでに全員、連れてこないと」

「最悪、寮の中に結界を張って、一晩そこに立てこもる手もある。ごくせまい範囲で、相手が下級降魔程度なら、一晩くらいはなんとかなる」

「そうなのか……!」

 エディはほっとした顔をした。こいつ、寮に残されたものたちの事を、ひどく気にかけてるなと思った。

 嫉妬のようなものも感じた。だがそれ以上に、こいつが心配してるなら俺が助けてやりたいと思った。

「よし、まず貴族寮まで行くぞ。ついたら俺はすぐ自分の部屋に行くから、お前ら2人で残ってるやつらに事情を説明しろ」



 貴族寮までは問題なく到達した。途中、2匹の降魔に遭遇したが、ありがたいことにあまり強くない羽虫型だった。フォルティシスが応戦するまでもなく、エディとニーヴルが切り捨てた。

 ……確かに、エディほどじゃないにしろ、若手の武術教官並の腕はあるようだ。

 ところが、駆け込んだ貴族寮の玄関は、あろうことか釘を打ち付けられていて、

「おい、ウソだろ!」

「開けろ! 急いでんだよ!」

 結界内だから危険はないにせよ、泡を食ったエディとニーヴルががんがん扉を蹴り、ますます寮内の人間をおびえさせるという笑えない一幕になった。

 1人でまっすぐ自分の部屋に行く予定も、跡形もなく砕け散った。寮の職員に取り囲まれ、どうやってここまで来た、助けに来てくれたのか、校舎はどうなっている、助けは……と質問ぜめにされ、

「落ち着け、1つずつ説明する。とにかく心配はいらんから黙って聞け!」

 ひたすらうろたえるエディとニーヴルの代わりに、フォルティシスが説明する羽目になった。

「軍が来るまで時間がかかるかもしれんが、建物の中にいれば安全だ」

 結界のこともきちんと説明したのに、本当に本当かとすがられる。

「エディ、ニーヴル、こいつらなだめておけ。付き合ってたら日が暮れる!」

 押し付けて自分の部屋へと向かった。

 部屋には、一般的なカギの他に、符術のカギが二重にかけてある。しかし、そんなものがないほかの生徒の部屋にも、誰かが入った様子がなかった。

 ……武器や連絡手段を探そうとはしなかったのか。それとも、こんな状況でも、罰されるのを恐れたか。

 帝都から持ってきた愛刀と、いまだ力を力をこめていない符をごっそり持ち出す。他にもいくつか、帝都から持ってきた身の回りの品があったが、どれ1つ持ち出したいとは思えなかった。そんな自分を、フォルティシスは白々と眺めた。

 どれもこれも、いらないものばかりだ。

 だが、ここにはないもので、1つ持ち出したい、どこに行くにせよ持っていきたいと思うものがある。

 東宮の位も、何もかも、もしかしたら失うかもしれない。それでもいい。

 だが、あいつだけは。



 階下に戻ると、ニーヴルが演説をしていた。

「結界の中にいれば安全だ! せっかくだし学生用の高級食材食べつくしちゃえよ! 緊急時だから仕方ありませんでしたって言えば大丈夫だよ!

 あとはゴロゴロして、みんなでトランプ大会でもしてようぜ! 大丈夫だから!」

「武術の先生のお子さんがおっしゃるなら、そうなのかねえ」

 厨房係たちがささやきあっている。フォルティシスの説明より、『武術の先生のお子さん』の根拠のない演説の方が心に響いたようだ。

「持ってこれたか?」

 気付いたエディが駆け寄ってくる。

「ああ、これだ」

「……いい刀だな」

 ほれぼれと眺めている。国宝ものだからな、とは口に出さず、

「符にも力をこめてきた。投げれば使えるようにしてあるから、お前ら、5枚ずつ持て。ニーヴル、行くぞ」

 号令をかけ、さっさと玄関に向かった。



「いいか。目的は寮に取り残されたやつらを連れ帰ることだ。化け物退治じゃないぞ」

 エディの目をまっすぐに見て言う。彼は渋い顔でうなずいた。

「とりあえず、ここから一度走ってみる。帰りはお荷物連れで通るんだからな、あたりの様子をちゃんと観察しろ。ルートは適宜修正する」

 三人は校舎の結界まで戻ってきていた。平民寮に一番近い、結界の西のはしで符を渡す。

「全部、雷の符だ。使い方はわかるか?」

 ニーヴルはうなずき、エディも「投げればいいんだよな?」と言う。

「じゃ、行くぞ」

 2人はうなずき、符を左側のポケットに押し込むと、刀を抜いて切っ先を肩に置くようにした。実戦を考えた訓練を受けてきている。

 ……妙にやりやすいな、さっきから。

 ふと不思議に思った。

 駆け出し、結界のはしを通り抜けるとすぐ林に突っ込む。前方に、ぞわぞわとした気配がいくつも現れた。

「気付かれたぞ」

 感知力の高い種類だなと頭に叩き込んだ。

 エディの足が速度を上げる。フォルティシスより前に出て、茂みを突っ切って出た化け物の足を、きれいに一本、斬り飛ばした。

「足を止めるな、エディ!」

 フォルティシスは叫びながらその肩を押す。しんがりをつとめるニーヴルが、すり抜けざまにもう一撃くれたようだった。

 もう一匹、2匹、次々に降魔が現れた。先頭を行くエディが正確に先制攻撃を見舞い、フォルティシスかニーヴルが追撃し、できれば止めを刺す。連携は驚くほどうまく行ったが、

「寮に向かえ、エディ!」

 時折、吸い寄せられるように化け物を追おうとするエディに、何度も声をかけなくてはならなかった。

「寮だ!」

 ニーヴルが叫ぶ。ひどく長い道のりに思えた。木立の間に、平民寮の古ぼけた建物が見える。と、その玄関が開いた。

「こっち! こっちだよ!」

 中年の女が1人、ポーチまで出て大きく手を振っている。

「ここなら大丈夫だから!」

「管理人さん、出てくるな!」

「危ないから中へ!」

 エディとニーヴルが口々に怒鳴った。ポーチに近い木立から、ぞわぞわと巨大なクモのような化け物が現れる。女がひゃあと悲鳴を上げるのと、エディの足が速まるのとが同時だった。

 8本の足でまっすぐポーチへ進もうとした化け物の横から、エディは切りつけた。すぱりと何の抵抗もなく、足が2本断ち切られる。横手の足が上がり、人間の頭の位置を高速で横なぎにした。危うくよけた、とフォルティシスが認識したときには、化け物の胴がざっくりと斬られ、瞬きの間に砂になって崩れ去った。

「エディ!」

 こちらの声に、我に返ったようにポーチに走る。

 三人を迎えた女は、

「よく大丈夫だったねえ、恐かっただろ」

と繰り返した。

「急に林の中からあんなのが出てきてねえ。

 ここは結界が張ってあるから大丈夫だよ。騎士団が来るまで、ここにおいで」

 誤解されていることに気付き、フォルティシスは上がった息を整えて口を開いた。

「いや、俺たちは逃げてきたんじゃない。ここにいる人間を連れに来た」

「ここ、今何人いる? 全員集めてくれ」

 エディが勢い込んで口をはさんだ。ニーヴルは辺りを見回し、

「残ってる人、来てくれ! 大事な話があるんだ!」

 そして、

「レンシア! いるんだろ、俺だ!」

と声を張り上げた。

「なんだい、どうしたんだい」

 おろおろする女に、

「ここの結界は、あまり長くもたない。校舎のほうへ移動したほうがいい」

 エディが言った。一昼夜もつかどうかだということは、あえて伏せたようだった。

「今の話、本当か?」

 階段を早足に下りてきた男がいた。

「コック長さんだ」

 エディが言う。「他にも厨房の人と、掃除の人が何人か」

「本当だ。領主府からの救援はいつ来るかわからん。それまでここの結界はおそらく持たない。校舎の結界は強いから、そこまでたどり着けば大丈夫だ」

「でも、どうやって」

 管理人の女がおびえた顔になる。

「俺たちが守る。何人かずつ、がんばってあっちまで走ってくれ」

 コック長は首を振った。

「彼女らだけ、連れて行ってくれ。私は残る」

「どうして」

 コック長は、無言でフォルティシスらを2階へと招いた。

「レンシアが残ってるんだろ? どこにいるんだ?」

 ニーヴルがさかんに聞くが、コック長は答えず、2階の一番手前の部屋のドアを開けた。中で、座っていた女がぱっと顔を上げる。

「ニーヴル! 無事だったの!」

「ナンチェ、お前、」

 言いかけたニーヴルが、奥のベッドを見て青ざめた。

「レンシア、お前どうした!」

「ニーヴル……?」

 苦しげにそれだけ吐き出した女は、ベッドの上でひどくせき込んだ。

「少し前に領主府で流行った病か?」

 フォルティシスが問うと、ナンチェと呼ばれた方の女がうなずいた。

「三日前に、総主府に住んでいる姉がここに来たの。私とレンシアと三人で、一日おしゃべりして。

 昨日の夕方から二人とも体調を崩して、私はすぐ回復したけど、」

 視線が、ぐったりとベッドに横たわる女生徒の方に向く。息苦しそうで、かなりの熱があるようだ。時折せき込み、それもまた体力を削っているようである。

「レンシアはどんどんこういうふうに……」

 ニーヴルはすがるようにレンシアの手を取った。

「医者を……。なあ、何とか医者を呼べないか?」

「落ち着け。騒がなくても大丈夫だ」

 そこで口を閉じかけて、続けた。

「この病は、熱は上がるが寝ていれば数日で引く。若いなら死にはしない。大丈夫だ」

「こいつ博識だからさ、きっと言うとおりだよ」

 意外にも、横からエディが言い添えた。ニーヴルは二人の顔を見比べて「そ、そうか。そうなのか」ととりあえず静かになった。

「レンシア、聞こえたか? つらいけど、すぐ治るってさ。ちょっとの辛抱だからな」

 目を閉じてしまっている病人に語りかける。

「さっきの話だが」

 背後でコック長が言い、フォルティシス達は振り返った。ドアのところで今の騒ぎを見ていたコック長は、

「この子は走れない。子どもを一人で残しては行けん。私が一緒に残るから、あとの者たちを連れて行ってやってくれ」

「どういうこと?」

 ナンチェがニーヴルの顔を見上げる。

「……外で話そう」

 部屋を出て一階に降り、集まってきたほかの職員たちも合わせて、もう一度説明をした。

「それは……ダメよ」

 ナンチェが言う。

「レンシアには私が付き添うわ。コック長さんはその人たちと一緒に行って」

「子どもを残して逃げるわけにはいかん。死ぬまで笑いものだよ」

「レンシアに病気を持ってきたのは私の姉だもの。責任は取るわ」

 二人の言い合いに、

「二人とも、フォルテたちと一緒に行ってくれ。俺が残る」

 ニーヴルまで加わった。

「俺は特別な武器を持ってるし、元々の腕もある。もし結界が破れて化け物が入って来たら、俺が一番生き残りやすい」

「結界が壊れると決まったわけじゃないわ」

「君も子供だ。残して行けん」

 一歩も引かない三者が輪の中心で言いあい、管理人の女や清掃がかり達はおろおろとそれを見ている。エディがこっそりささやいてきた。

「……なあ、どうする」

「そうだな」

 この『どうする』は、どうやって全員連れて帰る、の意味だ。言われなくてもわかった。

「とりあえず……コック長!」

 生まれつきか、宮廷でいつの間にかきたえられたか、どんなにさわがしくても妙に耳を引くと言われる声を投げると、三人は言いあいをやめて振り向いた。

「食えるものはあるか。俺とこいつは、昼も食べてないんだ」

「え? ああ、それなら」

「とりあえず食事だ。それから寝る」

 あごで窓を指した。赤い太陽が、急速に沈もうとしている。

「……もう日が暮れる。今日の移動は、無理だ」

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