異母妹来襲:フォルティシス
「逃げ出すなよ」
と嗤ってやったのが効いたのか、エディは翌日もいつも通りやってきた。
「魚、よこせ」
やたらぶっきらぼうな態度になっている。無言で手招きしてやると、怒りと困惑と羞恥がないまぜになった顔になる。
「二言はないんだろ?」
「うるせえ!」
すぐそばにひざをついた彼を引き寄せ、唇のはしに触れるだけのキスをした。彼はほっとしたようだった。そそくさと離れ、たき火を作り始める。その背中を見ていると、急に昨日のようなキスがしたくなり、
「エディ」
一声呼んで振り向いた彼の手を強く引き、倒れそうになったのを胸で受け止めて抱きすくめた。抵抗されるより早く唇をふさぎ、気がすむまで舌を絡めた。
「お前もう死ねよ!」
唇を放すと、昨日と同じく涙目になった彼が頬を真っ赤にして怒鳴る。鼻で笑ってやった。
「なんだ、やっぱり経験ないのか。頬にキスから教えてやったほうがよかったか」
「ちがうっつってんだろ! 死ね!」
ひどく愉快になって、フォルティシスは声を上げて笑った。それも彼の気に障ったようで、でもわめくのも弱みをさらすように思ったのか、小さくうなった後、「死ね」ともう一度言った。
そんな風にして、会ったり会わなかったりし、会った日はキスを要求して、頬にしてやったり唇に触れてやったり、たまに深いキスで涙目にさせてやったりの日々が過ぎて行った。
最初はいろいろなものに耐える様子だった彼も、だんだんに慣れてきたようで、唇に触れる程度ならば動揺しないようになり、頬にキスだけだと拍子抜けしたような顔をすることもあるようになった。二人で森の奥に出かけ、川や岩場で釣りを教えてやることも多く、学校になどほとんど顔を出さない日々が続いた。
そんなある日のことだ。釣り用具を背負って歩いていたフォルティシスは、森の入り口からほど近いところでエディにはちあわせた。
「珍しいな、こんなとこで会うの」
「このまま岩場の方に行くか? ここからだと近いだろ」
立ち話をしていたところに、
「ああ、いた、兄上」
聞き覚えのある声が耳に届いて、フォルティシスは振り返り、森の入り口の方から歩いてくる少女を目にした。
「テ……」
思わず名前を口走りそうになって、とっさに口をつぐむ。田舎だが、主要な皇子の名前くらい知られていてもおかしくはない。
ツヤのある黒髪をあごの長さで切りそろえ、簡素なドレスを着、動きやすいブーツでまっすぐに歩いてくる。予想もしていなかった姿に目を疑ったが、何度かまばたきしてみても、そこにいるのは見慣れた異母妹、第二皇子テレーゼだった。
「森にいるかもしれないと言われて来てみたが、合っていたな」
テレーゼは、帝都で暮らしていたころ、毎朝顔を合わせたときと同じ態度、同じ完璧なほほえみだった。数か月ぶりの再会だということも、こちらが追放同然に帝都を追い出された身だということも、この娘には全く関係がないらしかった。
「お前の知り合いか?」
エディがいぶかしげに言った。フォルティシスは少しあわてて、近くで立ち止まったテレーゼを指し、
「妹だ。遊びに来たらしい」
何故か弁解がましく紹介した。妹、と彼は意外そうにする。
「兄上、この人は?」
テレーゼが無邪気に聞いてくる。はたと言葉に困った。こいつを何と紹介すべきだ?
「……俺と同じ、この学校の学生だ」
「そうか」
そして彼に向き直り、
「兄がいつもお世話になっています」
と頭を下げた。何かの本でこうすべきと読んだのであろう行動に、エディは面食らった様子で、
「あ、いや、こちらこそ」
などとペコペコしている。
「そういうことだ。今日は釣りは教えてやれん。だから……」
言いかけたフォルティシスに、彼はあわてた様子で、
「バカ、そんなことどうでもいいだろ」
と言った。
「せっかく妹が会いに来たんだろ。俺なんかに気を使ってないで、ちゃんと相手してやれよ。
こんなとこで話してないで、どっかゆっくりできるとこ連れてってやれ」
そして「ほら!」と寄宿舎の方へフォルティシスの肩を押した。そんな彼の態度は、フォルティシスには予想外だった。
結局そのまま、出てきたばかりの寄宿舎へとテレーゼを連れて戻った。彼の振る舞いに一切の文句をつけない管理人は、授業が行われているまっただなかの時間に、男子のみの棟にどこかの少女の手を引いて戻ってきてもやはり何も言わない。ほかの学生の侍従が見とがめ、これ見よがしにひそひそとささやきあい始めたが、フォルティシスにはどうでもいいことだった。
「適当に座れ」
「では、ここに」
初めて来た部屋を見回すこともせず、木のイスに収まった。
「こんなところまで何をしに来た、テレーゼ」
冷たい目も、この異母妹には何の意味もない。
「兄上に伝えることがあって来た。兄上、帝都に姉さんが戻ってきたんだよ」
あのほほえみをピクリとも変えないまま、フォルティシスを心底驚かせることを言った。第二皇子とされているテレーゼが姉と呼ぶ人間は一人しかいない。
「イリスリールがか?!」
「ああ」
彼女は、兄の驚きになどまったく気づかない様子でゆったりと足を組み、
「兄上がここに送られてからすぐだ。つまり、姉さんが帰って来るから兄上が遠ざけられたというで、父上は姉さんに帝位を継がせることに決めたんだろう」
「……だろうな」
それを自分相手にここまでずけずけ言えるのは、この妹だけだ。密告する風でもなく、こんなことになったがどうするかと相談する風でもなく、淡々と事実を告げてくる。
「ああ」
ふと思いついたようにテレーゼが言った。
「後半は、ただの私の予想だ。父上からは、兄上に現状を伝えるようにとしか言われてないのに、すこし言い過ぎたかな」
「親父?! お前、親父に言われてここに来たのか」
テレーゼは平然とうなずいた。
「兄上のところに行って、現状を伝えるようにと言われた」
親父、何を考えてる? フォルティシスは考えたが、一つ考えればその裏を考え、さらにその裏を考え、と次々に思考が湧き出してきて、どれとも確証が得られなかった。
……親父の考えなどわかるわけがない。ただの気まぐれってことだってありうるんだ。
「俺の返事をもらってこいと言われているか?」
「いや。現状を伝えるようにとだけだ」
「……帰ったら、お前の祖父の屋敷、更地になっているかもしれんぞ」
「そうなのか。王宮にも寝支度はあるから大丈夫だ」
「お前のいない間に祖父たちが皆殺しになっているかもしれないという意味だ」
テレーゼはまったく表情を変えず、「そうなのか」と繰り返した。
「なぜそう判断したのか聞かせてくれ、兄上」
フォルティシスはひたいを抑えた。
「いい。冗談だ、忘れろテレーゼ」
「ああ、今のは冗談か。ならば笑うのが礼儀だったな。もう一度言ってくれ兄上。今度はちゃんと笑う」
本当に頭痛がしてきた。
……あいつに会いたい。
そんな言葉と、うれしそうに魚をかじる姿が頭に浮かび、フォルティシスはそんな自分にも驚いた。
「世の中には笑わなくてもいい冗談もある。覚えておけ、テレーゼ」
「そうなのか。どういう冗談だと笑うべきで、どういうものは笑わなくていいんだ?」
この娘と話していると、どこまでも脱線する。
「帰ってからイリスリールに聞け。話を戻すぞ。帝都に帰って、親父に何と報告する?」
「兄上に現状を伝えてきた、と」
本当にそれだけで済ますのがこの娘だ。
「俺の様子がどうだったかと聞かれたら、何と答えるんだ」
「病気をしている様子はなかった。やせたり太ったりもしていなかった」
「お前の話を聞いて、どんな反応だったかと聞かれたら?」
テレーゼはうなずき、
「まず、『イリスリールがか?』と言った。そして、『だろうな』と言った。そして……」
「もういい」
放っておけば、フォルティシスの言った言葉をすべて正確に再現するだろう。
改めて思った。この娘にスパイは無理だ。追放された東宮に現状を知らせ、ゆさぶりをかけても、その効果のほどを報告できない。
だからこそ、なぜテレーゼを使いとして寄こしたのか、父の意図が読めなかった。
さまざまに考え、途中途中に「ただの気まぐれではないか」という疑念が挟まる。黙って考え続ける兄の姿を気にするでもなく、
「兄上、どこかでお茶をもらってきてもいいだろうか」
テレーゼは悠然としている。
「……持ってこさせるから座っていろ。飲んだらもう帰れ。
……いや」
思い直し、浮かしかけた腰を戻した。
「俺の不在を知って、イリスリールは何と言っていた?」
「『兄さんの姿が見えないけれど』と言った。シャリムが『姉さんが帰ってくるちょっと前に、どこか別のところに派遣されたらしいけど、僕たちにも場所は分からないんだ』と言った。『いったいどうして?』と言った。シャリムは黙っていた。私が『わからない』と言ったら『何かわかったらすぐ教えてちょうだい』と言っていた。
……ああ、だから、ここに兄上がいると父上に聞かされた帰りに、姉さんにはそのことを伝えてきたよ」
「なんと言っていた?」
「『そうだったの、ありがとうテレーゼ』と」
どんな表情だったかと聞きたかったが、この娘にそんな質問は意味がない。
「テレーゼ、帝都のだれかに、お前の話を聞いた俺が何と言っていたかを聞かれたら、ずっと黙っていて、茶を一杯飲んだら帰れとだけ言われたと伝えろ」
妹は実に素直にうなずいた。
「わかった」
そしてフォルティシスが持ってこさせた茶を一杯飲み、
「さよなら」
そう言って帰っていった。最初から最後まで、いつもと変わらないテレーゼだった。
翌日顔を合わせたエディは、はるばる遊びに来た妹が、茶を一杯飲んだだけで帰って行ったと聞き、かなり驚いた顔をした。
「なんでだよ。この辺案内してやれよ。ふもとの町に、女の子が喜びそうな店もたくさんあるじゃねえか」
「あいつはそういうものに興味ない」
「だからって。結構うまい料理を出す店だって……。いや、俺は入ったことないけどさ、あるんだろ?」
「そういうことにも興味がない」
昼下がり、いつもの湖のほとりだ。朝から釣り糸を垂れていたフォルティシスの背を見つけた彼は、
「なんでいるんだよ? 妹は?」
とあわてた様子で声をかけてきたのだ。
近くにある街の宿に泊まるようなことはせず、とっくに帰ったと教えてやったら、古い折りたたみイスに腰を下ろしたフォルティシスの横で棒立ちになった。
「……冷たいんだな。お前の妹とも思えない、かわいい子だったのに」
眉根を寄せて言うのに、少しイラだちがわいた。
「……母親が違うからな。似てはいないさ」
その一言で、彼はいろいろなことを想像したようだった。
「あ……、そうなのか。悪い」
小さくつぶやき、黙ってしまった。
妙に気まずい沈黙が続き、フォルティシスは次第に居心地が悪くなった。
「お前、ああいうのが好みか」
聞いてやると、彼は「え?」と問い返した。
「かわいい子だった、と言ってたろう。ああいうのが好みか」
「あー。バカ、ちげえよ。お前になついてて、かわいい妹だったじゃねえか」
フォルティシスは目を見開いた。それこそ意外な一言だった。
「お前の妹に手ぇだしたりしねえから安心しろ」
「なついてる? あいつが俺に? ありえないだろ」
「え? なんでだよ。なんかなついてる感じしたぞ」
「ありえん。あいつには、誰かになつくってことがまずない」
「そうか?」
彼は納得しない風だ。
「確かに、なんか、不自然な笑い方だったけどさ」
フォルティシスは横に立つ彼の顔を見上げた。あれだけの時間で、テレーゼの不自然さに気付くものは少ない。
……前も思ったが、こいつ鋭いな。
「でも、……なんか、お前になついてるんだなって、思ったんだよ」
彼は首に手をやり、湖の向こうの遠くを見ていた。