兄弟会議とそれから:ローザ、フォルティシス
「ナーヴだと?」
いつものほほえみを浮かべたテレーゼから報告を受けたフォルティシスの眉間にしわがよった。
「叔父貴はその、ナーヴのフリをしたやつに操られていたってことか?」
「たぶんそうだろうね」
テレーゼはうなずく。
「外見は全然、本物のナーヴには似てなかったよ。精神操作的なものを受けてたんじゃないかな」
シャリムも言い添える。長兄がいまいましげに舌打ちするので、ローザはどうも話に入りかねた。
「ナーヴというのはね」
解説してきたのはテレーゼだった。
「私たちのいとこだよ。つまり、父上の弟であるバサントゥ叔父上の1人息子だ。5歳と2ヶ月と16日で急死したんだ」
「叔父上はナーヴを溺愛してた。亡くした後はひどく落ち込んだり荒れたり、そんな状態だったらしいよ」
シャリムが付け足した。
至天宮の東宮執務室だ。
ローザとフォルティシスは、地底の洞窟から救い出されてケガの手当てをうけたばかりのテレーゼとシャリムから、ことの報告を受けていた。
『兵士に襲われてローザ・コトハと分断された後、2人は未知の鍾乳洞に迷い込んだ。
出口を探すうち、バサントゥと、ナーヴのフリをした謎の少年に出会い、襲われ、テレーゼが足に大ケガをした。
もうダメかと思ったところで、バサントゥの足元が崩れ、なんとか助かった。そのあとすぐ駆けつけた騎士団によって救助された』
――というのが、シャリムが語ったその後だった。
「叔父上は、最初から私たちを襲ってきたのではなく、ここで子どもを見なかったかと聞いてきた。あの兵士の代わりに私たちを追ってきたようではなかったな」
「だからって、あの兵士に叔父上が関係してないとは言い切れないけどね」
テレーゼとシャリムが口々に言い、長兄は不機嫌な顔のままでうなずいた。すでに至天宮内の皇弟バサントゥの居住区はフォルティシスが押さえ、根こそぎ調べさせているが、彼が何をたくらんでいるのかわかるようなものは、何一つ見つかっていなかった。
すべてはバサントゥとともに闇に消えてしまったのだ。
「で、叔父貴が探していた子どもというのはなんだ?」
フォルティシスが尋ね、
「さあ。聞き出す前にナーヴの話になって、それ以上探れなかった」
テレーゼが答えてシャリムがうなずく。
横で見ていたローザは、3人にどことない違和感を覚えた。尋ねた長兄にも、答えた異母姉兄にも。だが、それがなんなのかわからないまま、長兄が次の言葉を口に出した。
「で、王冠、か」
「うん」
テレーゼがごく軽くうなずき、
「ああシャリム、君はちょっと席を外してくれ」
さらに軽く言った。
「え? なに急に。何で――」
テレーゼに向かっては抗議しかけたシャリムだったが、
「シャリム」
長兄の視線を浴びると口を閉じ、すごすごと部屋を出て行った。
「あの、姉さま……」
ローザは戸惑ったが、
「兄上、ローザヴィにはあのこと」
「話した。叔父貴が、封印の儀うんぬんを言っていたか?」
のやりとりでハッと思い出した。
……封印の儀。
皇帝の子を宿した女が、かならず受けるという儀式。受けられないまま生まれてきた子は、すぐさま殺すようにと強く言い渡されている。そしてそのことは、皇位継承権第1位第2位にしか伝えられないのだ。
フォルティシスとテレーゼは、ローザが来るまでは第1位と第2位だったから聞かされている。だが、シャリムは、皇位継承権3位より上になったことがない。だから外に出したのだ。
テレーゼはよどみなく、叔父たちの言葉を完璧に再現しながら語った。
『封印の儀さえ行われなければ』
『本当ならば、王冠を持って生まれるのは、イリスリールめではなくわが息子ナーヴだったのだ』
『王冠があれば、ナーヴがあのような下らぬ病に倒れることなどなかったというのに』
バサントゥがそのように言ったこと、
『私は王冠を持って生まれてきたの』
『違うのよテレーゼ。私は、人間たちの王ではないの』
イリスが、そのように言ったこと。
……姉さまは、亜神たちの王として生まれてきたということ? 皇帝の血を継いだものは亜神の王として生まれることがあって、それを封じるための儀式だということ?
「封印の儀。そういうことか」
フォルティシスがつぶやいた。ローザと同じように思ったようだった。
「叔父さまは、イリス姉さまから王冠を取り戻すと言ってらしたんですよね?」
ローザは思わず口をはさんだ。
「では、姉さまを元通りの人間に戻す方法があると……!」
「それはわからないな。今までの話は、あくまで叔父上がそう解釈していたというだけだ。事実は違うのかもしれない」
テレーゼのにこやかな一言が、ローザの希望に大きくヒビを入れた。
「とにかく、マヌケの叔父貴はナーヴのニセものにあやつられて、皇帝一族の面汚しを続けてくれたってわけだ」
フォルティシスが苦々しくつぶやいた。
「そのニセものは今も生きていて、所在は不明と。
兵力を裂いてでも、必ずとらえて吊るす。
テレーゼ。そいつの似顔絵は描かせられるな?」
「私たちの見た姿の分はね。でも、もし亜神なら、全く別の姿になれるのかもしれないから、どこまで役に立つかはわからないな」
テレーゼのにこやかな一言は、今度は東宮の機嫌を大きくそこねたようだった。正論であっても他の人間ならにらまれていたところだったが、長兄は舌打ちしただけだった。
……テレーゼ姉さまをにらんでもむなしいだけって、わかってらっしゃるのね。
ローザはそう思い、姉さまはもうちょっとどうにかならないかしらと考えた。
「例の兵士は?」
「数ヶ月前から様子が変だったと、おじい様の館の兵士が口をそろえている。だが、いつからかははっきりしない。そのころ、特に何があったとも聞いていない。
ああ、今のところ他には、様子が変わった兵士も召使もいないようだ」
「引き続き監視しろ。
ローザヴィ、お前も周りの人間を気をつけて見ておけ」
「はい。……あの、兄さま」
「なんだ」
「お父さまに、お話を聞くことはできませんか?」
一瞬、沈黙が降りた。
「イリス姉さまのことも、王冠というもののことも。お父さまは何かご存じかもしれません。だから、兄さまを飛び越えて姉さまに帝位を譲るつもりだったのかも」
フォルティシスが発した声は、ひどく冷たかった。
「親父に話を聞く、か。
親父の意識があって、親衛隊を黙らせられればな」
「私は次期皇帝らしいです。それを振りかざして、黙ってもらうことはできないでしょうか」
「さあな。それなら俺がにらんだほうが確実だ」
兄は皮肉な笑いを浮かべた。だがそれは、ヒヨコあつかいの次期皇帝への皮肉ではなかったらしい。
「もうひとつ、一番大事なことがある。
親父が正直に話してくれる気になれば、だ。生まれてこのかた、そんな機会に恵まれたことがないな」
……それ以上、何も言えなくなった。
「『予定』はこのまま進める」
切り捨てるように兄が言った。私の封印の儀のことだわ。ローザは思った。
封印の儀を受けなければ、もしかしたら私も、姉さまのようになるのかしら。
そんな思いが、雨雲のように心にわいた。
……あの人も、王冠と言っていた。私は、王冠を持つ子の代わりとして生まれたのだと。
『たくさんの女が、皇帝の子を産んだ。だが、誰一人、王冠を持つものを産むことはできなかった。……お前の母以外はな』
『皇帝は、王冠を持つものを必要とした。だから、自分から逃げようとしたお前の母に、反逆者の烙印を押して支配した。
……子がもし失われたとき、代わりを産ませるためにな』
もうずいぶんと前のことになってしまった。長兄と初めて会ったころのこと。
フレリヒに導かれて砦を脱し、ルーフスとともに踏み込んだ夜の森で出会った奇怪な老人。正体不明のあの老人が、ローザはイリスの代わりとして生まれたのだと言ったのだった。
……そう、あの時はルーフスがいた。
引き込まれるように、そんなことが浮かんだ。
……ルーフス、今どこにいるの。
不意に浮かんだその考えを、ローザはこぶしをにぎりしめて振り払った。
……ううん。ルーフスはきっと、お父様お母様のところで幸せにしている。私はルーフスのために頑張るの。いつか平和な国が戻るように。
そう己に言い聞かせたが、それな心のうちにうつろに響いただけだった。
幼い、楽しい日々を共に過ごした少年に、今、そばにいてほしかった。
私邸へと帰ると、エドアルドは明かりもつけないままの東宮私室で床に座り込み、ソファにもたれかかっていた。
入ってきたフォルティシスに、目を向けようともしない。だが、
「叔父貴が死んだぞ」
その一言に、はじかれたように顔を上げた。
「死んだ?」
「叔父貴自身が化け物に変わったそうだ。テレーゼとシャリムを襲って失敗し、最終的に他の化け物に食われたようだ。……似合いの最期だな」
「なんで……」
エドアルドが声を上げ、ラグの敷かれた床を殴った。
「なんで俺に斬らせなかった! あのときでも、あの後でも、いくらでもチャンスはあっただろうが!」
「なかった」
フォルティシスは冷静に返した。
「叔父貴はマヌケのはずだが、そういうところでは妙にスキがなかった。証拠にもならん一言をお前にこぼした程度で、確実な証拠は決してつかませなかった。
何でかと思ってたが、参謀がついてたらしいな」
「知るかよ!」
そんな情報など、エドアルドにはどうでもいいようだった。
「てめえが無能だからだろ! この国で一番偉いって、誰をふみにじってもいいんだって顔しやがって、あんな外道一匹殺すことすらできやしねえ!
ずっとずっとずっとずっと、野放しにしやがって!」
そこで急に、エドアルドの目から涙があふれ出した。
「……俺は……なんのために…………」
腕で目をぬぐい、顔を伏せてしまう。エディ、と名を呼ぶこともできず、フォルティシスはその震える肩を黙って見下ろしていた。
やがて、エドアルドは顔を背けたまま立ち上がった。
「寝る。疲れた」
背を向け、続きの寝室へと歩き去ろうとしたその体を、フォルティシスは追いかけて後ろから抱きすくめた。
「悪かった」
腕の中で、エドアルドの体がこわばるのが感じられる。
「なんとかできないかと、思ってはいたんだ。何もできなかった」
強く抱きしめ、黒髪に頬を押し付けた。
「こんなことになるなら、なんとしてでもお前に斬らせてやればよかった。……悪かったよ」
エドアルドは体を硬直させたまま、しばらく黙っていた。
「……お前のせいじゃないのはわかってるよ」
小さな声が、かすかに聞こえた。
「でもさ……、でも……」
そこまで言った言葉がとぎれ、エドアルドはそれきり黙りこくった。