ふたたび森の中 再会、執事とその主:ルーフス
ルーフス→騎士である父の代理で化け物討伐に向かっている14歳の少年
ラフィン→ルーフスの幼馴染であるローザの執事
血にまみれた光景に、ルーフスは言葉を失った。
アルトとはぐれ、警備兵を見失い、ひとり森を抜けてたどりついた糸杉の近くの村は、壊滅していた。
村のあちこちに、血にまみれた死体が転がっている。むき出しの地面には大量の血が流れていた。焼け落ち、煙だけがくすぶっている家もある。
「……生きてる人、いないのか!」
叫んだが、答える声どころか、ぴくりと動くものすらいない。ルーフスは倒れ伏すものたちの一人に駆け寄った。
完全に、息がない。そのことを確かめてぞっとした。
……いや、落ち着け。誰か生きてるかもしれない。探すんだ。
そこでルーフスは気づいた。死体の傷が、見慣れないものだ。
「これって……」
3本の傷が平行に、深く走っている。巨大な獣に、爪でなぎ払われたかのようだった。
これまで見てきた降魔はみな、巨大な虫のような姿をしていた。こんな傷がつけられるものなのか?
――降魔だけじゃない、亜神もいる。
――お前、下級の降魔としか闘ったことがないんだろ?
さっき助けてくれた警備兵の言葉が頭をよぎった。
……これが『亜神』というやつなのか? 下級ではない降魔なのか?
戦って、勝てるだろうか。自信はなかった。
……とにかく、生きてる人を探そう。できる限り助けて、一緒に山を下りよう。
そう決めて立ち上がり、思い直してもう一度ひざをついた。
「ごめんな。騎士団が着いてくれれば、きちんととむらってくれるから」
簡単な祈りの言葉を唱え、開きっぱなしの目を閉ざしてやってから、そこを離れた。
あの警備兵の後を追って山を登ったが、一度見失った後姿をもう一度見つけることができないまま、先に木々の間に建物を見つけたのだった。
……村だ!
ほっとしてそちらに向かい、すぐ目に飛び込んできたのが血まみれの光景だった。
「誰かいないか?!」
叫びながら回った村の中には、頑丈な壁に大穴があき、扉が破壊され、赤黒いものが飛び散っている家が何軒もあった。
「誰か……!」
燃え上がる家もあったが、ルーフスの叫びにこたえる声はなかった。
……皆殺しになったのか。
血の気が引いていくのが分かった。
……いや、きっと逃げた人もいるはずだ。だからもう、誰もいなくて。
そう思った瞬間、進む先に新たな死体を見てルーフスは青ざめた。
……しっかりしろ、しっかりしろ!
自分を叱りつけ、「誰かいないか?! 助けに来た!」と叫びながら死体をよけて先に進んだ。村はほとんどそこで終わっていて、行く手に森と、その森の際に、一軒の家があるのみだった。
……壊されてる……。
北と東の壁に大穴があき、屋根が傾いていた。赤く染まる室内のイメージが強く頭に浮かんだのを打消し、また自分をしかりつけて崩れた壁のがれきを踏み越え、家の中に踏み込んだ。
「誰かいるか?!」
声をかけると同時に、動くものを見て、ルーフスはとっさに息を止めた。
人がいた。
室内で一人立っていた長身の男が、一つにくくった長い銀髪を揺らしながら振り返ったのだ。
ラフィンだった。
4年前に浜辺の村で別れた時のまま、ローザとともに旅立っていったあの時のままのラフィンが、あの時のままの微笑みを浮かべて立っていた。
ルーフスはしばし、動けなかった。
「ラ……フィン?」
銀髪の執事の顔に、あの過剰な笑みが浮かんだ。
「これはまさか、ルーフスぼっちゃま?」
その笑みを見たとたん、張りつめていたものが崩れ落ちるのが分かった。
「ラフィン!!」
叫び、駆け寄り、幼いころのようにその胸にしがみついた。ラフィンもまたあのころのまま、子供にするように抱きしめてくれた。4年前よりずいぶん背が伸びたつもりでいたが、ラフィンの方がずっと高かった。
「なんと大きくなられて……」
昔のままの優しい声に、涙があふれそうになったのを必死でこらえなくてはならなかった。
「お元気でらっしゃいましたか、ぼっちゃま。今頃どうなさっているだろうと、いつも思っておりましたよ」
「俺もだ、ラフィンとローザがどうしてるかって……。手紙、くれなかったじゃないか」
大きな手が頭を撫でてくれた。
「ああ、お許しくださいましねえ。嬢ちゃまにもご事情がおありだったのですよ。……お母さまは、お元気にしていらっしゃいますか」
ラフィンはよく、母上のことを気にかけてくれていた。ルーフスはそのことを思い出した。
「うん、あの後しばらくで、病気、よくなったんだ」
「それはようございました。ぼっちゃまも、お父様と同じ立派な騎士様になられたのですね。ラフィンは鼻が高うございますよ」
騎士様、の一言で、ルーフスは現実に引き戻された。そうだ、俺は騎士なんだ。市民を守るためにここにいるんだ――。
「ラフィン、」
うずめていた胸から顔を離し、一生懸命大人の自分の声を出した。頭1つ分上にあるラフィンの笑顔が、どうしましたと言いたげになる。その笑みを見ていると、また子供の自分に引き戻されそうで、ルーフスは拳を握りしめた。
「驚かないで聞いて。近くに化け物たちがわいた。村が襲われて、人が殺されたんだ」
「おや、それは」
ラフィンはあの微笑みのまま、眉ひとつ動かさなかった。
「俺は化け物を倒しながら、生きてる人を探してるんだ。ラフィンは早くここから……」
そこではっと気づいた。
「ラフィン、まさかローザも一緒か?! ローザはどこだ?」
ラフィンは困った笑いになった。
「ぼっちゃま、実はラフィンも、嬢ちゃまをお探ししているのですよ」
さあっと血の気が引いた。
「ローザ、近くにいるのか?!」
「おそらくは。ですが……」
ラフィンは突然言葉を止めて、すっと背後を見た。ごく稀にしか見せない、鋭い目だった。
「ぼっちゃま、どうか、何があっても静かになさいましねえ」
そう言うと、急にこちらを抱え上げた。
「うわっ!」
「失礼いたしますよ」
子供のころのようだった。彼は細い見た目によらず怪力で、ローザとルーフスをまとめて抱え上げるくらいは朝飯前、木でできた大きな家具も一人で持ち上げて鼻歌交じりに模様替えをするくらいだったが、14になった自分が子どものように持ち上げられるのは予想だにしていなかった。
彼はすたすたと、部屋の隅の大きなクローゼットに寄り、片手だけでルーフスの体を支えてその扉を開けると、その中にルーフスを下ろした。
「しーっ」
口の前に人差し指を立てて笑い、子供に言い聞かせるようにする。
「絶対に、声を上げてはいけませんよ、ぼっちゃま」
「ラフィン……!」
言う間に扉が閉まった。
両開きの扉の間にはわずかの隙間があり、ルーフスはそこに必死で目を近づけた。
同時に、めきめきと音を立てて、わずかに残っていた南と西の壁が崩れ落ちる。
その向こうに、森の木々を背にして、少女が立っていた。
……あれは。
ルーフスは目を見開いた。
イリスだった。
つややかに流れるまっすぐな髪、しなやかで細い体、優しげで、だが幼い印象も与える大きな瞳。優しくローザを見守り、ルーフスに笑いかけたあのころのままのイリスが、そこにいた。
……あのころのまま?
……8年前、別れたときのまま……。
ルーフスは違和感と、湧き上がるような不安にとらわれた。