表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/114

隠し通路を進んで:シャリム

テレーゼ→現皇帝の第3子。才女にして変人と名高い皇女。

シャリム→現皇帝の第4子。異母兄弟中でまともなのは自分だけだと常々思っている。

イリス→現皇帝の第2子で、テレーゼやシャリムの異母姉。1年前に残忍な亜神となり、東宮と敵対している。

フォルティシス→現皇帝の長子、東宮。イリスたちの異母兄。

 強くたたいても、現れた壁はびくともしない。

「これは無理だな。私たちでは地下室に戻ることはできないようだ」

 いつもの笑顔で、符の灯りをかかげたテレーゼは無感動にそんなことを言う。

 ――つまり、このどこにつながってるかもわからない地下通路に、たった二人で取り残されたってことなのに。

 ローザヴィとコトハは大丈夫だろうか。シャリムはそう思いながらしかたなく身を返し、奥へと続く通路を歩き始めた。

 双晶宮の地下室で、テレーゼの家の兵士に襲われ、2人まとめて通路に放り込まれたと思ったら、通路の入り口が閉じてしまった。叫んでも、向こう側の声すら聞こえないし、打つ手はなかった。

 通路の奥に進むしかない。



 通路はゆるく下りながら、長く長く伸びていた。いかにも、緊急時に逃げるためだけの隠し通路ですといったせまい道を、すたすた進んでいくテレーゼの後ろについていく。

 ……前にもこんな風に、変な通路を姉さんと2人で歩いたような……。

 いつのことだか思い出そうとしたが、まるで思い出せない。と、テレーゼが急に口を開いた。

「いま、至天宮から出た」

「……え? 何、姉さん」

「方角と距離を考えていたんだ。私の歩幅と歩数、方角から考えて、私たちはいま至天宮の地下から抜け出した」

 シャリムはしばし唖然とし、

 ……姉さんがそう言うなら、そうなんだろう。

 そう思いつつ、なんだかがっくりする気分だった。

 ……そんなすごいことまでわかるのに、何で昔からああ……。

「つまりここは、至天宮の強い結界の外だ」

 テレーゼの何でもない事のような一言に、シャリムは我に返った。

「……一応、至天宮ほどじゃないけど、帝都全体にも結界は張ってあるよね」

「ああ。だが最近不安定だ」

 異母姉はさらりと言う。

「化け物が出てきてもおかしくはないな」

 やめてよそういう怖いこと言うの。とは思ったが、テレーゼに言っても無駄だと反射的に思ったので口からは出なかった。

「姉さん、さっきの兵士だけど」

「うん」

「確かに、姉さんのところの人だよね?」

 テレーゼはいつもの笑顔でうなずく。

「ああ。12歳のときのケガのあとが腕に残っていた。本人だな」

「ケガのあとなんて、よく知ってるね」

「ケガをしたその場にいあわせからな。私がお医者を呼んで、来るまでの間に止血した」

 姉さんがそう言うならそうなのだろう。うなずいたシャリムに、テレーゼは続けた。

「イリスリール姉さんと同じようになったものが、もう1人出たか」

 ……やっぱり、そういうことだよね。シャリムは苦くため息をついた。

「もう1人出たってことは、これからさらに続いてもおかしくないね」

「ああ。早くここを出て、対策を取らなくては」

「でも姉さん」

 シャリムは気にかかっていたことを口に出した。

「さっきの彼、イリスリール姉さんが亜神になったときと、かなり違ってた」

「そうだな。姉さんの手は、伸びたりしなかった」

「そうじゃなくて……」

 シャリムは目の前の姉の言葉にため息をつき、そうして考える。

 もう1人の姉のことを。



 1年前。

「ではお父さま、私がこの国を自由にしていいのね?」

 そう言って姉は笑っていた。子どものように無邪気な笑顔で。

 そのころ、いやもっと前から、2歳年上の姉は、シャリムより年下にしか見えなくなっていた。

 至天宮に帰ってきたとき、イリスが17のときから、まるで姿が変わっていない。ほぼ同い年の兄は、20代の年齢相応の外見になっているのに。

 その、17の頃の姿のままのイリスリールと、長兄フォルティシス、テレーゼとその祖父ダイナ公、そしてシャリムと特別な重臣数人。10名足らずのものが皇帝の枕元に呼び寄せられたのだった。皇帝が何も言わないうちから、妙な緊張感が広い病室をつつんでいた。

「イリスリール」

 父の病状は、今よりはまだマシだった。だが、そのときの父の声は、ひどく小さかった。

「余は、これ以上の政務ができぬ。お前が皇帝となり、この国を統べよ」

 妙にふるえた声で告げられた言葉に、だれも言葉を発しなかった。ただ、強い驚愕だけがその場を包んだ。

 シャリムは反射的にフォルティシスを見た。東宮である兄は目を見開き、凍り付いていた。

 次にイリスリールを見た。同じように驚いていると思っていた。だが、姉は笑っていたのだった。

「ではお父さま、私がこの国を自由にしていいのね?」

 ころころと愛らしい笑い声が、そののどからもれた。

「それじゃ、ローザを連れに行かなくちゃね。

 ねえお父さま、私、安定した月の道を開きたいの。そのために、皇家の血を強く宿してる子を、一人か二人、もらえるかしら。降魔に浸食させるわ」

「……えっ?」

 シャリムの口から、思わず声がもれた。

 広間はしんと静まり返り、他の者たちもみな、イリスを見つめていた。

「姉さん、月の道というのは、化け物がこの世界に来るときに開くものだ。安定して道が開けたら、化け物がこの地に来ほうだいになるよ」

 テレーゼがわかりきったことを言った。わかりきったことだったが、この場の全員に必要な確認だった。

 ……帝位を譲ると宣言された皇帝の娘は、おかしいことを言っている。

「そうよ、テレーゼ」

 イリスはあでやかに笑った。何の悪意も、邪気もない笑顔だった。

「私は、亜神がこの世界を自由に通れるようにしたいの。今はいろいろ制約があって、とても大変なのよ」

 何気ない雑談をしているかのように、軽く肩をすくめてみせる。

「おかげで、私に仕えるべきものも、たった一人しかこちらに来ていないわ」

「姉さんに仕える者は、双晶宮だけでも10人はいるはずだよ」

 テレーゼもまた、何気ない雑談をしているかのようないつもの笑顔だ。こちらがおかしいのは前からだから、おかしくはない。

「違うのよテレーゼ。私に仕える亜神たちよ。仕方ないわね。亜神にとって、人と同じ力に堕ちるなんて、この上ない屈辱だもの」

 テレーゼはいつもの笑顔で、何か返事をしようとしたようだった。その肩をフォルティシスがつかみ、力任せにダイナ公のほうへと突き飛ばした。

「イリスリール。何を言っている?」

 イリスの前に立ちはだかる兄の手は、腰の刀にかかっていた。

「もう、兄さんったら。もう一度説明しなきゃいけないの? テレーゼはお利口だからすぐ理解したわよ」

 兄の放つ殺気を気にもしない様子で、イリスはふざけたようにむくれてみせる。そして笑った。

「無理よ、兄さん。兄さんがどれだけ本気になったって、私に傷ひとつつけられないわ。

 だって兄さんは、ただの人間だもの」

「俺がただの人間なら、お前はなんだ?」

 兄の問いが、静まり返った皇帝の病室に響いた。

 イリスは明るい笑い声をあげた。

「私? 私はね――」

「フォルティシス……」

 苦しげな声がイリスの言葉をさえぎった。

 皇帝が、ヴェールのうしろから声を発したのだ。

 苦しそうな、だがさっきまでの震えのない、確かな声だった。

「その娘は化け物となりつつある……。討ち取るのだ。東宮として、この国を守れ」

 兄の足がいきなり床を蹴った。

「兄上!」

 シャリムが叫ぶ間もなかった。抜き放たれた刀が、イリスに襲い掛かり、鋭く切ったのは何もない空間だった。

「もう、兄さんったらひどいわね」

 声は中空からだった。――イリスは、平然と宙に浮き、シャリムたちを見下ろしていた。

 ……宙に浮いている?!

 シャリムは愕然とした。

 姉はもう、『ただの人間』ではない。

「お父さま。私を皇帝にするという話は、ないことになったの?」

 ヴェールの向こうに語りかける。父の返事はない。

「ま、仕方ないわね」

 イリスはくすくす笑いながら肩をすくめた。

「下りてこいイリスリール。それとも、引きずりおろすか?」

 兄が左手に符をつかんで言った。イリスのくすくす笑いは止まらない。

「あんまり殺気立たないで、兄さん。鬼ごっこも面白そうだけど、目が覚めたばかりで、私もまだ万全じゃないの。

 遊ぶのはまた今度にしましょう」

 兄の手が符を投げた。それが光を発する前に、イリスの姿は毛糸玉がほどけるように消えた。

 あとには、何もない空間と、あまりのことに言葉も出ない人々だけが残される。

「イリスリール……!」

 兄が、うめくような声を出した。テレーゼだけがただ一人、平然と立ち上がっていた。

「父上、姉さんの討伐を命じたということは、次期皇帝は兄上に戻ったと考えてよろしいですか」

 何事もなかったような声でたずねる。

 ヴェールの向こうは静まり返り、父からの返事はなかった。



「――洞窟だな。こんなところがあったのか」

 前を進むテレーゼがつぶやくのが聞こえ、思い出に沈んでいたシャリムははっと我に返った。

 双晶宮地下から続くかくし通路は、とちゅうからかなり急に下っていた。左右の壁に手をつきながらしばらく進んだそこで、向かう先に大きな空洞があるのが分かった。

「……ああ、本当だ、洞窟……」

 歩きつかれて少し上がった息をおさえながら、シャリムも前方を見渡した。

 第二皇子の言うとおり、そこは地下の洞窟のように見えた。天井は通路から出たところで急激に高くなっていて、大人の背丈2人分ほどになっている。

 テレーゼが持つ明かりの符だけでは、広い空間のほとんどは闇に沈んで見通せなかった。シャリムも符を取出し、灯りをともす。すると急にあたりが明るくなった。見ると、鍾乳洞の壁にいくつも灯りが設置されていて、光を放っていたのだった。

 そこは広間のようになっていたが、向かいに2つ、左手にも2つ、横穴が見えている。ヘタに歩き回ると取り返しのつかないほど迷いそうだ。明るくなって一旦ほっとしたシャリムは、改めて不安になった。

「どっちに行けばいいんだろう」

 つぶやく間に、テレーゼがナイフを取り出して、出てきた通路の横の壁にガリガリと傷をつけた。長い線が一本。

「時計回りで行こう」

 そう言ってすたすたと左手の通路に歩み寄っていく。

 ……総当たりってことね。

 シャリムはこの後の苦労が目に見えるようで、ため息をついた。

 わきの壁に二本線の傷をつけ、テレーゼは符の灯りをかかげて一番左手の通路に踏み込んだ。何の不安も感じさせない無造作な足取りに、むしろシャリムの不安があおられる。今まで進んできた通路より広い道だったので、足を速めて異母姉の横に並んだ。

「ここが外につながる道だといいけど」

「一本道とは限らない。この先で、いくつにも枝分かれしてる可能性もある」

 テレーゼは容赦なくいやな可能性を挙げてくる。こちらの感情などお構いなしだ。

 ……イリスリール姉さんは、テレーゼ姉さんには感情が分からないのだと言ってたっけ。

 確かにそうだ。そう見える。幼いころから近くにいたシャリムには、つくづくと納得できる言葉だった。

 ……あの兵士の言っていたことには、やっぱり、まるで賛成できない。あれは、あの兵士の願望なんだろう。

 ……あの兵士がケガをしたとき、手当てをしてあげたと言ってたな。それで姉さんをとても優しい人だと思ったんだろうか。自分だけが理解していると思ったんだろうか。

 シャリムは、意味もなく右の手のひらを上着のすそに強くこすりつけた。何かそこに汚れたものでもついていて、それをぬぐわずにはいられないように。

 ……その思いが、あの兵士をおかしくしたんじゃないか。

 そんな気がした。

 ……だが、ただ願望を持つだけで、人間があんなふうになることはない。

 イリスリール姉さんだろうか。姉さんが、何かを仕掛けた? でもどうやって? あの兵士はダイナ公の屋敷の兵士だから、帝都から出たことがないだろう。姉さんは帝都に入れなくなっているはずだ。父上の病室から姿を消して以来、一度だって姿を現したことはないんだから。

 と。異母姉弟二人は足を止めた。道はゆるく曲がり、その先で土に覆われている。

「この道は行き止まりか」

「……いくつにも枝分かれしてるより、まだましだね」

 2人は来た道を引き返す。

「双晶宮から抜け出すための通路がここにつながってるんだから、どこか一つは外につながってるはずだよね」

「一つとは限らないな。大事を取って、二つ三つはルートが確保してあるかも」

「ああ、そうか。そうだね」

 そこでテレーゼがふとあごを引いた。

「……風が入ってきた」

「え?」

「空気の流れが変わったんだ。どこかで、外に続く道が開いたのかもしれない」

 シャリムは血の気が引くのを感じた。

「それ、まさか、さっき僕らが来た……」

「あの隠し通路が開いた可能性はあるな」

 テレーゼはいつものほほえみでうなずく。

「その場合、あの兵士が追ってきたか、ローザヴィとコトハが入ってきたか、ローザヴィたちに報告を受けた騎士団が入ってきたか、だ」

 シャリムには返事ができなかった。

 もし、兵士が追ってきたのだとしたら。

 ローザとコトハは殺されているかもしれない。

 そして、自分たちだ。袋小路のせまい道に立つ自分たちを、もし兵士が見つけたとしたら。

「姉さん、とりあえず急ごう!」

 シャリムはテレーゼの手を引いて、通路を駆けた。とにかく、この袋小路からは出なくては。そして、隠れられる場所か、ここから出る道を探さなくては。

 ……そんなものがすぐ探せるのか? もし兵士が入ってきたなら、わき目もふらずにこちらへと迫ってくるはずだ。そして、たくさんの灯りに照らされたこの場所で、簡単に自分たちを見つけるだろう。

 通路の出口まではすぐだった。

「姉さん、とにかく隠れられる場所を……」

 早口に言いながら用心深く広場をのぞいたシャリムの目に映ったのは、

「うわっ! うわっうわっうわーっ!!」

 壁に開いた穴から転がり出てきた少年が一人。

 その横に開いた別の穴から転がり出てきたメイドが一人。

 そして耳には、

「ギャーッ! ギャーッギャーッッ!!」

 メイドが発するとんでもない奇声が届いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ