地下、閉ざされた隠し通路の前で:ローザ
ローザとコトハは、兵士と対峙していた。
「ジャマはやメナさい」
奇妙な発音が、半分崩れた顔の口からもれる。
「ワタシは、テレーゼ様のトコロにいくのです」
手首から先がだらりと下がった両手を、胸の高さまで上げた。
「いまゴロ、ココロぼそさにないておいででしょう」
「テレーゼ殿下は泣いたりしない。今頃は冷静に、脱出手段をお考えよ」
言い返すコトハは、右手に愛用の呪のかかった銃、左手に短刀をかまえている。油断のないコトハにかまわず、
「おカワイソウなテレーゼ様」
異形は突然、身をよじって頭をかきむしった。
「ミンナ、あのかたを誤解する」
「誤解しているのはあなたのほうよ」
言い返しながら、コトハはじりじりと右に移動している。左肩で背後にかばったローザを押すようにしながらだ。そちらのほうに、この地下室に降りてきたはしごがある。
頭をかきむしる兵士を警戒しながら、コトハは低い声を出した。
「わたくしが何とか食い止めます。
ローザヴィ様、いそいで至天宮へこのことをお伝えください」
私だけ逃がそうとしている。ローザはそう直感した。
「ダメです。あの人を倒します」
「ですが……!」
2人の視線の先で、化け物と化した兵士は、両手をぐにゃぐにゃと動かしている。
「テレーゼサマ……」
うめくような、夢にうなされているような声がぐにゃぐにゃともれた。
「あの方はココロヤサしく、ジュンスイで、高潔なカタなのです」
「そんなの……」
「そうかもしれません」
コトハをさえぎってローザが言ったので、コトハは驚いたようだった。
「テレーゼ姉さまはお優しいし、純粋だし、高潔な方だと思います」
「……まあ、確かに、純粋といえばある意味……」
コトハは眉間にしわを寄せたが、異形はいきなり何度もとびはねた。
「ソウ! そう! あなたはわかってくれる!
あのおヤサシい方が、どれほどカナシい思いをされてきたか!」
両手を振り上げ、さらに飛び跳ねた。
「きっとワタシを求めて泣いてらっしゃる! 行ってアゲナイと!」
「それはないと思います」
きっぱりと言った。とびはねかけた異形がぴたりと止まった。
「テレーゼ姉さまは、優しいし純粋な方です。でも、あなたが思っているような方では、絶対ないと思います」
ちょっとあごを引き、すでに崩れてしまった異形の顔の辺りを見つめた。
「姉さまには、悲しいとかさびしいとかはないんです。でも、優しくて純粋な人です。私にはそう見えます」
ブキュッというような音がした。異形の胸の辺りからだ。
「アナタも、テレーゼサマをワカってくれない」
冷えた声が届く。
「テレーゼ様を一番誤解してるのは、あなたじゃない」
コトハが投げつけるように言った。また、ブキュッという音がした。
「でも、」
ローザが言いかけた瞬間、
ブキュッ。
ひときわ大きく、何かが裂けるような音がした。
「ローザヴィ様!」
コトハが思い切りローザの腕を引いた。反応する間もなく体勢を崩した、その肩すれすれを、何かが通り過ぎる。
ヤリ?!
そのヤリが、そのまま横なぎに払われた。とっさにコトハがローザをかばった。差し伸べた左腕に、ヤリが叩きつけられる。
コトハののどから、声にならない悲鳴がもれた。
「コトハさん!」
女騎士はひるまなかった。一瞬ののちには銃から放たれた弾丸がヤリを打ち抜き、異形もまた悲鳴を上げた。
ヤリは、異形の胸から突き出していた。代わりに両手が消えうせていて、
両手が、ヤリに形を変えて胸に移動したみたい……。
ローザはぞっとした。赤い血をぼたぼたと垂らしながら、猛スピードでヤリが後退し、化け物の胸へと吸い込まれる。同時に両肩から腕が突きだした。右腕の方から、血が流れおちている。
……侵食。
そんな言葉が頭に浮かんだ。
……月の道を安定させるために、皇帝一族の者を降魔に侵食させたいと、姉さまが言っていたって。
ジーク砦で東宮フォルティシスから聞いた話を思い出す。
侵食。これは、それじゃないのか。
理由のない確信が頭に浮かぶ。
兵士の左腕がひっこみ、右腕が急激に伸びた。ムチのように振り回されるそれに向け、コトハがさらに銃を撃つ。だが、弾丸はことごとく右腕のムチにはじきとばされた。
「くっ!」
コトハの狙いが変わった。右腕ではなく、兵士の頭、それから胸へ。しかしそれらも、はげしく振り回される右腕にはばまれ、周りの壁をえぐるばかりだった。
ローザは符を握りしめた。
さっと駆け、兵士から一番離れた壁ぎわまで後退する。そして叫んだ。
「テレーゼ姉さまは、あなたを必要としていません。執着するのはやめなさい!」
「えっ! 何を……!」
コトハが驚いた声を上げるのと、兵士ののどから悲鳴のような金切り声があがるのが同時だった。
半分崩れ落ちた兵士の顔が、まっすぐにこちらを見た。伸びた兵士の右手が、ローザめがけておそいかかる。
狙いすまして、ローザも思い切り投げつけた。
氷結の符を。
寸前まで迫った兵士の右手が、床から突き立った氷のかたまりに包まれる。限界まで伸びた腕が、その長さで氷漬けになった。
「コトハさん!」
叫ぶまでもなかった。強力な武器をぬいとめられ、無防備になった兵士の体に、コトハの銃が続けざまに撃ちこまれる。いくつもの弾丸が兵士の頭を、体を貫き、
「!」
左胸を撃ち抜かれた瞬間、兵士の体は砂になって崩れ去った。
「…………」
2人は、しばらく動けなかった。今さらながらに呆然と兵士のいた場所をみつめ、
「コトハさん、腕は……」
はっと我に返ったローザは、コトハの肩にすがる。一撃を受けたコトハの左腕はだらりと垂れ下がり、力が入らないように見えた。脂汗を浮かべ、息を乱しながら、コトハは低い声を出す。
「まずい、かもしれません」
「今、治します!」
コトハは首を振った。
「あの兵士、間違いなくダイナ公の家の者のようです。よく至天宮に出入りしている者です。
そんな人間が、化け物に変化した……。
いそいで東宮殿下と騎士団に知らせないと、まずいかもしれません」
ローザは、治癒の符を発動させながらうなずいた。
ほかにも、化け物になる人間がいるかもしれないのだ。