初めて出会った日のこと:シャリム
シャリム→現皇帝の第4子。異母兄弟中でまともなのは自分だけだと常々思っている。
テレーゼ→現皇帝の第3子。才女にして変人と名高い皇女。シャリムのすぐ上の異母姉。
イリスリール→現皇帝の第2子だが、存在を隠されていたシャリムのもう一人の異母姉。1年前に残忍な亜神となり、東宮と敵対している。
フォルティシス→現皇帝の長子、東宮。シャリムの異母兄。
シャリムは、異母姉テレーゼと初めて出会ったときのことを覚えていない。
物心ついたときには、テレーゼは異母姉としてそこにいた。長兄フォルティシスが、逆らえない長兄としてそこにいたのと同じように。
異母姉テレーゼを、変わった人だと認識したときのことも、覚えていない。
物心ついたときにはすでにテレーゼは変わった人間だった。幼いシャリムですら、
……なんでそんなこと言うの。
そう強く思うようなことを、1つ年上の異母姉はぺらぺら言ってしまうのだった。
遊び相手として選ばれた貴族の子どもが、ひどいことを言われたと泣いてしまうこともあった。泣き出した子どもを見て、テレーゼは言うのだった。
「だれか、お医者様を呼んでくれ。どこか痛いようだ」
周りのものはあっけに取られる。ヒソヒソとささやき交わす使用人たちの中、自分は彼女の弟だという自覚のあったシャリムだけが、いたたまれない気持ちにされるのだった。
「ごめんね。姉上の言ったことは気にしないでね」
後からこっそり、そんなフォローを入れにいったこともある。
その頃のシャリムは、テレーゼを『姉上』と呼んでいた。長兄フォルティシスを『兄上』と呼ぶのと同じように。
もう1人の異母姉と初めて出会ったときのことは、はっきりと覚えている。
6歳の時だった。
「はじめまして、テレーゼ。お兄様と同じ、黒髪なのね。シャリムは、お母さまに似てるのかしら」
ほほえみながらこちらに手を伸ばした、2つ年上のもう一人の異母姉は、もしかしたら次期皇帝になるかもしれない人だ。面会前に、テレーゼの祖父ダイナ公からそのように聞かされていた。
なぜ、6歳の今日まで会うことがなかったのか。
なぜ、フォルティシスと3日しか誕生日が違わないのか。
母上はどこの家のお嬢さまなのか。
それらは決してたずねてはならないと、強く言いきかされていた。
決して失礼のあってはならない相手なのだ。この、長い髪を柔らかに揺らした異母姉は。
フォルティシスはいなかった。テレーゼと2人、昨日初めてその存在を知らされた異母姉を前にして、シャリムはごく緊張していた。
テレーゼはまったくひるむ様子がなかった。いつも通りの無表情だった。
「はじめまして。テレーゼという。あなたがイリスリール姉さんか」
そう、そのころのテレーゼは、表情がなかった。いつも無表情だった。無表情で、初対面の異母姉を「姉さん」と呼んだ。
異母姉の後ろにいる数名の重臣が目を見開いた。シャリムも内心でギョッとしたが、イリスリールの目は細められ、口元がかすかに笑った。
「今、姉さんって?」
「父親か母親かが同じ年上の女性のことは、姉さんと呼ぶのだと本で読んだ。間違ったろうか」
このころからテレーゼは、何かというと、本で読んだ知識を出してきた。一応、本で読んだことでも間違っていることがあるということも知っていて、それもまた本で読んだらしかった。
重臣が口を開けた。イリスリールが「いいのよ」と言った。
「ふふ、そうね。あなたに姉さんと呼ばれるの、なんだかうれしいわ。姉さんでもお姉ちゃんでも、呼びたいように呼んで」
「姉さんにする。お姉ちゃんだと長い」
イリスリールは、明るく声を上げて笑った。
「そう。じゃ、姉さんで」
「わかった。姉さん」
姉はまた目を細める。
「本当に楽しいわね。家族だって感じがする。決めたわ、私もお兄様のこと、兄さんって呼ぶことにする」
そう宣言し、姉はまた笑う。
「お兄様、きっといやな顔するわね。
ね、シャリム。あなたも私たちの事を姉さんって呼ぶといいわ。私はイリスリール姉さんよ」
初対面の異母姉は楽しげに笑う。異母兄が時々浮かべる、ひどく恐ろしい笑い方とはまるで違っていた。
「ほら、呼んでごらんなさいな」
ためらいつつ、
「……姉さん」
ごく小声で言うと、なんだかひどく気恥ずかしかった。でも、それでいいのだという気もした。
うれしそうに微笑むイリスリールと、完全に無表情のテレーゼ。
姉上というより、姉さんなのだ、この2人は。そう思えた。
「そう。そうよ。二人とも、お兄様……兄さんのことも、兄さんって呼ぶといいわ」
イリスリールはころころと笑った。
「兄上なんて立派な呼び方、兄さんにはもったいないわ」
「わかった。私も兄さんと呼ぶ」
テレーゼが平然とそう言った。
シャリムは困った。そして尋ねた。
「兄上が恐くないの?」
イリスリールは長い髪を揺らして首をかたむけた。
「恐い? あなたは兄さんが恐いの?」
黙っていると、イリスリールはわずかに目を細めた。
「そう。そうね。あなたから見たら恐いわね」
そして静かに微笑んだ。
「恐いわよね、兄さんは。……困ったものね」
そう言った笑顔が、
……なんだか、さびしそうだ。
そんな風に、シャリムには見えた。
テレーゼはそうは思わなかったらしかった。
「姉さん、1つ教えてくれ」
「なあに?」
「私が姉さんと呼ぶことで、姉さんはどんな得をするんだ?」
シャリムは驚いてテレーゼの顔を見た。イリスリールのほうは、シャリムほどではないが、やはり軽く目を見開いていた。
「得をする? 別に得はしないわ。あなたにそう呼んでもらえてうれしいだけよ」
「うれしいとは、自分が何か得をすると認識したということだ」
「あね……姉さん、ちがうよ」
シャリムは思わず言ったが、イリスリールは小さく首をかしげたくらいだった。そして、すっとテレーゼの目をのぞきこんだ。長いまつげの奥に淡い灰色の目があって、一つ二つまばたきすると少し細められた。赤く小さな唇が開く。
「そう。あなたは感情がわからないのね」
「そうなのか」
感情が分からない? 6歳のシャリムのにはその意味が分からなかった。
でも、姉がそう言うならそうなのだろう。そんなことを自然に思った。
たった2つ年上、8歳のはずの異母姉は、ひどく大人ぽく見えた。
「だとしたらあなたは、たくさんのことを覚えなくてはならないわね」
イリスリールは、少し困ったように笑った。
「覚えるのは得意だ」
「そう。あなたは賢くて有名だものね。双晶宮に閉じ込められていても聞こえてきたわ」
「双晶宮とはなんだ?」
「私の家よ。この至天宮の中にある建物。
今までは、ほとんど双晶宮から出してもらえなかったの」
「なぜだ?」
それは聞かない方がいいことなんじゃないか。シャリムは思ったが、イリスリールは邪気のない笑顔になった。
「そうね。どう言ったらいいかしら。
……私とお兄様、兄さんの誕生日が、3日しか違わないことは知ってる?」
「姉さん、それは言ってはいけないんだ。ダイナ公がそう言っていた」
シャリムは脱力し、イリスリールは声を上げて笑った。
「いいのよ、テレーゼ。私が言うのはいいの。あなたやシャリムが、私たちだけの場所で言うのもいいの」
「そうなのか」
真顔で返すテレーゼは、やはりシャリムには理解できなかった。
「私はね、正式な皇妃の生んだ東宮と、ほぼ同時に生まれた平民の娘なの。だから……」
静かに語る姉の柔らかな声を、もう一人の姉が真剣な顔で聞いている。ずいぶんと対照的な二人の異母姉を、シャリムは不思議な気分で見比べたのだった。
数日後、宮中で異母兄と出くわした。あ、やばいとシャリムが思うより早く、
「兄さん」
一緒にいたテレーゼがそう呼びかけた。フォルティシスに付き従っていた大人たちが目を丸くした。
フォルティシス本人はそのような変化を起こさず、テレーゼを見ただけだった。
「イリスリールから聞いている。あいつは何を言っても聞かんからあきらめるが、お前は今まで通り兄上と呼べ」
「わかった。兄上も姉さんに会ったのか」
「……俺は小さいころから、たまに会っている」
兄はそれだけ言って、シャリムの方は見もせずに去っていった。
兄さん、イリスリール姉さんのこと、ずっと前から知ってたのか。知ってて、僕達には隠してたのか。シャリムには意外だった。
そしてもう一つ、
……テレーゼ姉さんは、僕にはやっぱり理解できない。
それまでも何度も感じてきたその思いも、胸に浮かんだ。
その思いは、その後もずっとずっと続くことになった。
「そうする方が良いと、本で読んだ」
テレーゼがそう言って、人前ではほほえみを浮かべるようになってからも、大人になってからも、ずっと。