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 過去 少女と執事との別れ:ルーフス

 ローザとの別れも、突然に訪れた。


 草の生える丘を駆けあがると、丘の下の屋敷の庭に何人もの人手が集まっているのが分かった。

 この辺りでは見たことのない筋骨隆々とした男たちの中に一人、背の高い細身の青年があれこれ指示を出しているらしい姿が、ひときわ目立って見える。

「ラフィン!」

 限界まで張り上げた声が聞こえたか、微笑んだように見える彼は、いつも通りのきっちりした服の上に外出用のコートを着込んでいる。

 ……やっぱり、本当なんだ。

 信じたくない思いとともに駆け寄ると、ゆったりと歩み寄ってきた彼は、

「これは、ルーフスぼっちゃま」

 いつもの、過剰ににこやかな笑顔になった。この4年間、常に見せてきたのと何も変わらない笑顔に。

 カランド家の別荘からここまで、10歳のルーフスが走り続けるにはかなりの距離だ。すっかり上がってしまった息を整えながら呼びかけた。

「ラフィン、俺、」

 一つ二つ、大きく息を吸い、

「行っちゃうって、今聞いて、それで」

 ラフィンのにこやかな笑みに、一片の影が差した。それから彼は丁寧に頭を下げた。

「ぼっちゃまには、本当にお世話になりました。心の底からお礼を申し上げます」

「……本当なんだ」

 こぼれた言葉にも、ラフィンははっきりとは答えなかった。屋敷の方を振り返り、

「嬢ちゃまは、ご自分のお荷物をまとめておいでです。じきに出ていらっしゃいますから、会って行ってあげてくださいましねえ」

 そう言ってまたこちらを向いたときには、いつものにこやかなばかりの笑みに戻っていた。

 と、屋敷の玄関から、小さなカバンを下げた男が大股で出てきて、それを追うように、

「私、自分で持つから、持つから」

 ローザが出てきた。やはり、外出用のコート姿だった。

「嬢ちゃま」

「ローザ!」

 ルーフスとラフィンが同時に呼びかけるのにこちらを向き、はっと口元を抑えて立ち尽くすローザに、ルーフスは駆け寄った。ラフィンの方は、ローザのカバンをそのまま馬車の方へ持っていこうとした男に歩み寄ると、

「それはこちらへ」

とにこやかな笑顔のままで手を差し出し、有無を言わさず受け取った。

「引っ越すって、本当に?」

 さっきラフィンに確かめたことをもう一度繰り返すと、ローザは小さくうつむいた。

「……仕方ないの」

 なんで、とは聞けなかった。聞いてはいけないことは、6歳からの4年間で何となく理解していた。

「どこに?」

「わからない」

 せめてと投げかけた問いにも、ほしい答えは返らなかった。

 なぜローザたちがこの土地に来たのか、ルーフスは知らない。なぜこの土地を去らなくてはならないのかもわからない。でも、ローザたちにも自分にもどうしようもない理由なのだということだけは、薄々理解していた。

 ならば自分にできるのは、ローザに少しでも笑ってもらうことだけだ。不意にそんな風に思った。

 ローザが顔を上げる。

「でも、姉さまからも、言われたとおりにするようにって手紙が来たから……」

「イリスから? ……そう、なんだ。じゃあ、きっと何も心配いらないんだよ!」

 ルーフスは必死で明るい声を出した。

 ……イリスが今どこにいるのかさえ、俺たちにはわからないのに。そんな思いは振り払った。

「イリスの言うこと、いつだって正しいしさ。新しい場所でも、きっと友達ができるよ。今度は、子どもがもっとたくさんいる場所かもしれない」

「そうね……。そうね」

 ローザがやっと少し微笑んだので、ルーフスはほっとした。

「ローザとラフィンだけで引っ越しの支度してるのかと思ったよ。手伝おうと思ってきたけど、こんなにたくさんの人が来てたんだな」

 この辺りでは見たことのない者たちが、5人ほど立ち働いている。屋敷は広いとはいえ、住んでいたのはたった2人だ。5人がかりでの荷物の積みこみは終わってしまっているようで、ヒマそうに座っている者すらいた。

「お父様がよこしてくれたの」

 ルーフスは驚いてローザを見た。彼女の口から、父というものの存在を聞いたのは初めてだった。

「お父様? ローザのお父さん、生きてたんだ」

 ローザはまた、小さくうなずいた。

「あ……ゴメン、勝手に死んでると思ってて」

「ううん、いいの。一度も話したことなかったし」

「あ、じゃあお父さんのところに行くのか。

 これからは一緒に暮らせるんだ」

 そうに違いないと思い、弾んだ声で尋ねたが、ローザは小さく首を振った。

「わからないけど、多分違う」

「……そう」

 ローザはまた暗い顔になった。ルーフスも、尽きかけの空元気を頑張って奮い立たせなくてはならなかった。

「ええっと……。立派な馬車だなあ! これなら……」

「嬢ちゃま」

 後ろから控えめな声がかかった。ローザのカバンを手にしたラフィンがにこやかに近づいてくる。

「お荷物が小さいようですが、もしかして、あのタペストリーをお忘れでは?」

「あっ!」

 ローザは口元に手をやり、ルーフスやラフィンが取ってくると言う暇もなく「そうだったわ!」と屋敷の中に駆け戻って行った。その姿が見えなくなると、ルーフスの口からため息がもれた。

「ラフィン、ごめん……。俺、うそついた」

 執事は、口元の笑みはそのままで目だけを少し見開いた。

「おや。ラフィンはいつの間にぼっちゃまにだまされていたのでしょう」

「ずっとローザと一緒にいて、守ってやるって言ったのに」

「……ああ」

 彼は見開いた目を細め、少しさびしそうな笑みになる。

「ぼっちゃまのせいではございませんよ。

 そのようにお気にかけていただいて、ラフィンはとてもうれしゅうございます」

 言葉を返せないままうつむいたルーフスの顔をのぞき込むようにして、

「ぼっちゃまのおかげで、嬢ちゃまはこの土地でとても幸せでらっしゃいましたよ。ラフィンは本当に感謝しております。

 ああ、ぼっちゃまのおうちの奥様にも、お礼を申し上げたかった」

「母上、すぐは無理だけど、後で来るって言ってた」

「そうでしたか。お体が悪いのに、なんともったいない。

 ……でも、準備ができたらすぐ立たねばならないのです」

 ラフィンはちらりと人足たちに目を走らせた。そのうちの一人から、もう準備はできていると急かすようなうなずきが帰って来る。

「ぼっちゃま、奥様に、ラフィンと嬢ちゃまがお礼申し上げていたとお伝えくださいまし」

 ローザが戻ってきた。ラフィンはまたにこやかすぎる笑みに戻り、「もうお忘れ物はございませんか?」と問いかける。

「うん……全部持ってきたわ」

 ローザはうなずき、ルーフスを見た。

「ルーフス、……今までありがとう。さようなら」

「ローザ……!」

 荷物を積んだ馬車が一台、二人が乗る馬車が一台。そちらに向け歩くローザを、ルーフスは追いかけた。

「ローザ、引っ越しが終わったら、新しい家がどこか、手紙を書いてよ。俺、返事書くから。すぐには無理でも、いつか必ず会いに行くから」

 閉まった扉の窓越しに話しかけると、ローザはかすれた声で「うん」と言った。

 それ以上のやり取りを待とうともせず、見知らぬ御者が馬にムチを入れる。動き出した馬車を追って、ルーフスはその横をしばらく駆けた。

 思ったより馬車は早い。

 すぐに引き離され、追いすがろうと足を速め、それでも追い付けず立ち止まったルーフスに、

「さよなら、さよならルーフス、元気で!」

 窓から叫んだローザの声だけが届いた。


 手紙は結局、来ることはなかった。


 ……守ると誓ったのに。

 ルーフスの胸にそんな思いだけを残して、ローザもまた、ルーフスの前から消えた。

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