現れるものたち:ルーフス
ルーフス→14歳の少年騎士(未)。ローザを探す途中で騎士団に捕まり、現在監禁中。
マシュー→東宮配下の鉄鎗騎士団の副長。優男。
その時ルーフスはちょうど、食事を運んできた若い騎士と雑談をしていたところだった。
「閉じ込められて、もう二十日くらいになるよな。いつになったらここから出してもらえるんだ?」
「しつこいぞ。東宮殿下の決定を待ちたまえと言ってるだろう」
そんなふうに冷たく返してくる騎士も、自分の好きな話題になると目を輝かせ、
「帝都の図書館もすごいものだが、至天宮の書庫もまたすごいものだ。図書館と違って一般市民には公開されていない分、重要な歴史的価値のある資料がたくさん収められている」
「へえ、すごいんだなあ。俺も読んでみたいよ。なあ、ここまで持ち出して来てもらえないか?」
「それは無理だ。宮外への貸し出しはしていないからな」
「至天宮まで行かなきゃダメなのか。読んでみたいのになあ。ちょっとだけ、至天宮につれてってもらうってダメか?」
「今はダメに決まっている。だが、そのうち機会がいただけるかもしれん。そのためにもおとなしくしていたまえ」
ここは帝都だけど、至天宮の中ではないんだな。
誘導尋問にやすやすと引っかかり、ルーフスの情報源となっていた。
と――。
騎士の目がさっと変わり、外へと続く扉のほうに向いた。ルーフスも気がついた。
「なあ、騒がしくないか?」
騎士は返事をせず、耳に神経を集中するようにしばらく黙り、
「ここにいたまえ」
すばやく扉をくぐって出て行った。その背が見えなくなると同時にベッドからとびおり扉に飛びついたが、すでに鍵がかかっていた。
くそ、急いでたから、うっかりかけ忘れるかと思ったのに。
ルーフスはとりあえずドアに耳を付け、外の物音を聞き取ろうとした。
やっぱり、騒ぎになっている。
さわぐ音の距離は遠い。しかし、この建物の中で、何かの騒ぎが起こっている。
楽しい騒ぎとは思えなかった。何か緊迫した、警戒するような……。
金属音がした。
戦闘だ! ルーフスは肩に力が入るのを自覚した。この建物の中で、戦いが起こっている。
相手は誰だ? 片方は騎士団に他ならない。その騎士団が戦っている相手は誰だ。
外のろうかに足音が響いた。ルーフスがパッと扉から離れた直後に鍵が開く音がし、扉がかすかに開いた。
ルーフスは、部屋に唯一ある木のイスに飛びつき、せめてもの武器防具にできるよう持ち上げた。だが、うかがうような一瞬の後にドアが大きく開き、そこには知った顔があった。
「ここは大丈夫か?」
さっと部屋全体を確認するその優男は、
……たしか……、そうだ、マシュー。マシューって呼ばれてた。鉄鎗騎士団の副長だ。
ルーフスはそう思い出した。ここに閉じ込められてから、一度も顔を見せたことがなかった相手だ。
「『ここは大丈夫』って?」
わからず問い返したルーフスに、副長はちらっとろうかを振り返った。よく見ると、右手にはいつでも戦闘に入れるようにヤリが握られている。
「……このとりでの中に、降魔がわいた。ここには出ていないか」
「降魔?! わいたって、どういうことだよ。この帝都には結界が張ってあるんじゃなかったのか?」
副長の女性的な目元が、さっと鋭くなった。
「なぜここが帝都だって知ってる? 誰に聞いた?」
しまった。ルーフスは思わず口を押さえた。騎士団長はここはザイン城だと言い張っていたのだ。
「……なんとなくそうだろうって思ってただけだよ。
それより、降魔がわいたってことは、亜神も?」
強引に話をそらしたことに気付かなかったわけはないだろうが、副長はそれを追及しようとはしなかった。
「上級降魔も、亜神も、今のところ確認されていない。だから、もしかしたら君のところかと思った」
「……イリスとラフィンが、来てるのかもしれないって事か?」
彼は首を振った。
「まだわからない。月の道が開いた様子さえない。
ただ、降魔はどこかから入ってきたんじゃなく、急にこのとりで内に現れている」
そしてルーフスに目を向けた。
「目的は君じゃないかと、僕には思えてならない」
「副長」
ろうかから声がした。いなか育ちのルーフスから見てもあかぬけない、帝都の騎士とは思えないような女が、手に何枚もの符をわしづかみにして部屋に駆け込んでくる。マシューがうなずくと、女はそのままマシューの横を通り抜けて、ルーフスの前までやってきた。
「しばらく、この部屋と君を封じさせてもらう。降魔がなだれこんできて襲われたら君も困るだろう? 受け入れて――」
「後ろ!」
ルーフスは叫んだ。だが、間に合わなかった。副長の背後、開いたままのドアの向こうにふいに現れた暗い影、それがヒュッと音を立てて動いた。
「なっ……!」
背を向けたままの副長がとっさに身をかわすのと、振り下ろされたムチが副長の肩をえぐるのとが同時だった。
「副長!」
女騎士が悲鳴をあげ、手にしていた符をろうかへと投げつけた。現れた赤い糸のようなものが、そこにいる大きな影にからみつく。
巨大な昆虫型の化け物だった。頭からひどく長い触角が生えており、それがムチのようにしなって副長を襲ったのだ。部屋の奥へと吹き飛ばされ、たたきつけられるように床に倒れた副長は、うめきながら肩を抑える。その指の間から、真っ赤な血があふれ出した。
そして、手にしていたヤリは取り落とされ、床に転がっていた。駆け寄り、ルーフスはそれを拾い上げる。
「治してあげて!」
女騎士に叫び、副長を背にかばう形で降魔の前に立ちはだかった。
「無理だ、下がれ……」
しぼりだすような副長の声をかき消して、ガラスの割れるような音とともに化け物をしばる赤い糸が砕け散る。ルーフスはヤリを持って身構えた。
こういう短いヤリの訓練は、ほとんど受けたことがない。この形の降魔とやりあったこともない。
刀があったら、まずは触角を落としていた。このヤリでは落とせる自信がない。
――短期決戦だ!
小さな頭部を狙い、思い切りふみ込もうとした。だがヤリをくり出すより速く、化け物が頭を振った。触角が不規則な軌道を描き、とっさにしゃがみこんだ頭の上を通り過ぎる。直後に化け物の足が動いた。横なぎに払われた鋭い足を避け、ルーフスはななめ後ろに大きく身を投げ出し、身を起こすと同時に、もう一歩後退した。その目の前に触角が振り下ろされ、石づくりの床を砕いた。
……近寄れない……!
ルーフスはヤリを握りしめ、化け物から注意を外さないまま、視界のはしで副長の様子を確かめた。女騎士が符をかざして治療しているが、副長自身はいまだ床に伏していて、立ち上がれる様子もない。
……手助けは期待できない。
女騎士のほうは、副長の治療をしながらルーフスと化け物を見比べている。
「さっきの、またできる?」
ルーフスはヤリを構えて化け物を牽制しながら、女騎士に言った。
「一瞬でいい、あいつの動きを止めて!」
「一度だけなら……!」
「一度でいい!」
早口に言い、ヤリを構えなおす。女騎士が符をつかみ出すのと同時に、ヤリを大きく振りかぶった。
化け物はすばやく反応した。がら空きになった胴に、触角がうちこまれようとする。その攻撃を待ち構えていたルーフスは、左から来た触角をヤリで受け流して上に跳ね上げ、
「今だ!」
叫んだ声に応え、符が投げつけられた。一瞬の光、それとともに現れた赤い糸が大きく広がって虫の頭部に絡みついた。
ルーフスは思い切りヤリを振りかぶった。頭部と胸部をつなぐ場所、細くもろいはずのつなぎ目にヤリをつきたて、……硬い手ごたえにはじき返された。
「なっ……!」
もろいはずの関節部は、鉄のように頑丈だった。化け物と戦うときは、必ず狙うようにと何度も教えられ続けてきた、急所のはずだった。
赤い糸が砕け散る。
自由になった化け物の大きな目が、ルーフスを映していた。その冷たい表面と同じ温度で心臓が冷えたとき、
――鋭い痛みが走った。
冷えた心臓が一瞬で熱くなった。
見える。
化け物の胸部、その真ん中あたりに、暗い光が見える。
周囲の何もかもが静止したようだった。さもなければ、一瞬が永遠に引き伸ばされたようだった。ルーフスは空中で停止した触角の間をすり抜けて化け物の頭部に駆け上り、ヤリをつきたてた。
化け物の体の奥の、暗い光をめがけて。
さっきはじき返されたヤリは、やすやすと化け物の体を突き破り、暗い光を貫いた。
周囲のすべてが動き出した。
触角はルーフスの背後で音を立ててしなり、そして床に落ちた。いきなり足元が崩れて、転びそうになったルーフスはあわてた。踏んでいた化け物の体が、砂のように崩れ去ったのだった。
「えっ……」
そこでやっと、そんな声が耳に届いた。ふりむくと、女騎士が呆然とこっちを見ていて、その足元に転がる副長も目を見開いていた。
「……何が……起こった?」
遅れて、ろうかからするどい金属音が届いた。
外では、戦いがまだ続いている。
「ごめん、これ、借りる!」
2人の返答を待つ間もなく、ルーフスはヤリを手にしたまま部屋を飛び出した。