騎士団長と修行するはずだった:ルーフス
ルーフス→14歳の少年騎士(未)。幼い日を共に過ごしたローザを探している。
ツヴァルフ→東宮配下の鉄鎗騎士団の団長。銀縁メガネ。
騎士団長ツヴァルフが「剣の稽古がしたいと言っていたな」とやって来たのは、ルーフスがもて余すヒマにうんざりし始めた頃だった。
窓のない部屋に監禁されて、一週間が経とうとしていた。もういい加減ここから出たい、とにかく体を動かしたいという気持ちは、とうにおさえられなくなっていた。
「時間があいたのでな。稽古をつけてやろう」
「ホントか?!やったあ!」
読む努力だけはしていた本を放り出し、ルーフスは勢いよく立ち上がった。
「修練場に移動しよう。来い」
いそいそとついていった先は、かなり広い石造りの部屋だった。
……立派な修練場だなあ。
ルーフスは感心しきって、ぐるりと周りを見渡した。
壁には何本も修練用の刀がかけてあり、すでに何人もが刀を取って手合わせや素振りにいそしんでいた。
……これはみんな騎士団の人かな。
みな、正装でなく修練用の楽な服で、外見からはよくわからない。だが、彼らが互いにくりだす剣の鋭さは、それぞれが相当の技量の持ち主だとルーフスに確信させた。
俺たちも同じように刀を取るんだろう。すぐ打ち合うだろうか。そう思ったのに、ツヴァルフは何も持たないまま修練場の真ん中辺りに仁王立ちした。
「まず、君は剣をとる上で一番大事なことはなんだと思う?」
「一番大事なこと……」
ルーフスは少し考えた。大事なことならいくつも思い浮かぶ。だが、そのなかで一番と言われると、考える必要があった。
「……冷静であることだ。
恐怖にも慢心にもとらわれず、水面のような心を保つこと」
「ああ、かなり近いな。だが少し違う」
一拍の間を置き、ツヴァルフは重々しく言った。
「剣をとる上で一番大事なこと。
……それは、筋肉だ」
ルーフスは一瞬頭が真っ白になった。それからどっといろいろ考えた。
「筋肉と平常心って、近いっけ」
「ああ、近い」
「……あ、そう。近いんだ」
騎士団長はムキッと両腕を曲げ、力こぶをつくってみせた。
「君は今俺を見て、でもこのお兄さん、あんまりムキムキじゃないぞぉ。どうしてかな?と思っただろう」
「そんな子供向けイベントみたいなノリではないけど」
「筋肉とは見た目ではないのだ」
騎士団長はルーフスの訂正を無視して言った。
「アマチュアがおちいりやすいミスがこれだ」
なんのアマチュアだろうとルーフスは思った。
「俺が君に伝えたいのはただひとつ。見せ筋は敵だということだ!」
「みせきん…」
「見せ筋にとらわれ、実用筋をつけない。結果、重たいばかりで戦いの役に立たない体が出来上がる。
そう、そこの銀盾騎士団の彼のように!」
ずばっと指差した先の見知らぬ騎士が、唐突なディスりにぎょっとした顔をした。
「…ど、同僚じゃないの? いいの?」
「早く実技に移りたい気はわかるがもう少し待て」
「いや俺そんなこと言ってない」
「見せ筋ばかりの肉体にはなんの意味もない。
そう、銀盾の副団長がテセル男爵令嬢に送り続けている恋文のように無意味なのだ!」
「キサマさっきからケンカを売っているのか!」
ギャラリーの一人が刀に手をかけて叫んだ。もしかしてあれが銀盾の副団長なんだろうか。ルーフスは大量の冷や汗をかきつつ、どうしたら自分がこの暴言連発機の一味ではないとわかってもらえるだろうかと、保身に全力疾走した考えをフル回転させていた。
「君は戦いの役に立つ筋肉の付け方とはどういうものだと思う」
「え? ええっと」
「そう! 上腕二頭筋だ!」
ルーフスは助けを求めて辺りを見回した。活発に打ち合っていたはずの騎士たちは、すでに彼らから大きく距離を取り、ひそひそとなにか言い合っている。そこの人助けてと手を差し出す一瞬前に、
「ふんぬっ」
騎士団長は一声叫び、己のシャツに手をかけたかと思うと、一気に脱ぎ捨てた。
――なぜ脱ぐ!
闘技場にその思いが満ちるのを、ルーフスはひしひしと感じ取った。
「いいか!」
騎士団長はムキッとポージングを決めてみせる。
「肥大させすぎず、貧弱にならず、その絶妙なバランスを保つのだ! そのためにまずは!」
「あの、ゴメンだけど!」
ルーフスはさえぎって叫んだ。
「俺、できればあの警備兵の人に剣を習いたい!」
「『彼』か。残念だが彼はここにはいない。俺が責任もって君の筋肉を指導しよう」
「この状況で他の人を指名した俺の気持ちを察してほしかった!」
「俺自身は、いずれ君を鉄鎗騎士団に推薦したいと思っている」
「えっ」
ルーフスは驚いた。彼がそれほどに自分を買い、評価してくれていようとは。
「まあ、東宮殿下に却下されるだろうから入団はないが」
「ねえじゃあ何で言ったの?!」
「だが、殿下に対して再考を促すための材料は確保しておきたい。
君の筋肉はまさしく理想的な実用筋なのだと主張できるだけのな」
「でも却下されるんでしょ?」
「うん、なにしろ君は立場が立場だ」
「ねえじゃあ何で言ったの!」
ルーフスはかなり強く抗議したのだが、ツヴァルフは気にもとめない様子でななめ上を見上げた。
「……筋肉が、足りないのだ……」
「そんなこと遠い目で言われても」
「今の鉄鎗には圧倒的に筋肉が足りん」
足りないのは脳みその方じゃないのかとルーフスは思った。
「何とかして筋肉を増やそうとしていたのに、こともあろうにスピード型軽戦士の『彼』が、俺たちを上回る剣の腕で殿下のお気に入りにのしあがってしまった」
「あの警備兵の人? 東宮のお気に入りなの?」
てっきり、あの二人はぎすぎすしてるのかと思っていた。
「ああ、うん。
ちょっと未成年には言えない方向性でお気に入りだ。と言ったからって、思春期爆発の妄想をたくましくしないようにな、少年」
「ならそんな話しないでよ!」
ルーフスの度重なる抗議にもかまわず、ツヴァルフはムキッムキッと数秒おきにポーズを決めながら、
「鉄鎗の誇りを取り戻すためには、彼にないものを得るしかない。すなわち筋肉!」
修練場に響き渡る声を張り上げている。
数名がこそこそとその場を出ていき、あとの者はみなできる限り壁に寄ってツヴァルフから距離を取り、こっちを見ながらひそひそとささやきあっている。唯一、さっき意味もなくディスられた銀盾の副団長だけが、部下らしき騎士に二人がかりで抑えられながら「勝負しろキサマ!」とわめき散らしている。無理もない。
「さあ! まずは筋肉体操だ。元気に腕を上げて~!」
「団長! だーんーちょう!」
ルーフスは、突然歌い出したツヴァルフの声に負けぬよう、必死で声を張り上げた。
「なんだ? 腕の角度は90度だぞ」
「体操のやり方は聞いてない。あのさ、俺、久しぶりに外に出たせいか、頭いたくなってきちゃった」
痛いのは本当だ。久しぶりに外に出たせいではないが。
「む。そうか。では今日はここまでにしておくか」
よかった! ルーフスは内心で人生に何度もないレベルのガッツポーズを決めた。
「では部屋に戻ろう」
言ってツヴァルフは歩き出す。
「筋肉修行は次の機会としよう。そうだな、俺の予定は…」
言いかけるのをルーフスはさえぎった。
「あのさ、団長も忙しいでしょ? 若手の人に相手してもらえればいいよ」
「いや、君の指導は俺が責任持って行う」
ツヴァルフはきっぱりと言った。
「なにしろ俺は、いずれ君を鉄鎗に推薦するつもりだからな」
「…でも、却下されるんでしょ?」
「ああ。君の立場が立場だからな」
ルーフスはがっくりと肩を落とし、
……何としてでも、ここを脱走しよう。
そう、強く心に誓った。