少年騎士監禁中:ルーフス
ルーフス→14歳の少年騎士(未)。ローザを探している。
ローザ→ルーフスの幼馴染。最近、皇帝の第19子として認められ、次期皇帝として指名された。
ツヴァルフ→東宮配下の鉄鎗騎士団の団長。銀縁メガネ。
閉じ込められて、五日ほどがたった。
ルーフスはその日のうちにそこいらを歩き回れるまでになり、鉄鎗騎士団の団長を驚かせたが、処遇が決まるまでは部屋から出るなの一言で、半ば監禁されたような状態にあった。
相変わらず、どこともわからない建物の、窓のない一室に押し込められ、そして放置されていた。
食事は三度三度、騎士らしきものがわざわざ持ってくる。
……メイドさんとかに持たせると、俺が人質に取って危険と思われてるのか?
「なあ、俺、いつまでここにいなきゃいけないんだ?」
3日目のことだった。ベッドの上にあぐらをかき、尋ねると、食事のトレイをサイドテーブルに置いた騎士はこっちを見もせずにそっけなく言った。
「団長がいいと言うまでだ」
「東宮じゃなくて?」
「私たちに指示を出すのは団長だ」
この部屋で目が覚めたときに食事を持って来てくれた、いかにも貴族の出らしい若い騎士だった。あの時はそれなりに親切そうに気遣ってくれたが、こちらがあっという間に元気になったせいか今はもうそっけない。
「ヒマだよ。体もまともに動かせないし。何にもやることないし、おかしくなりそうだ」
騎士はやっとこちらを見て、
「ふむ」
と言った。
「……君は、モジェンの精神性実在問題を知っているかね?」
「え、ごめん、何?」
「知らないか。100年ほど前、偉大な哲学者が提唱した問題で、今も学会で活発な議論が交わされているのだが、簡単に説明すると……」
ルーフスには全く理解できない説明をとうとうとした後、
「思索にふけるに、これほどのよい問題はない。この時間を使って考えてみたまえ。そのうち意見を交換しよう」
若い騎士は満足そうに去っていった。あの人にヒマだと言うのはやめようとルーフスは心に決めた。
翌日、また別の騎士に、同じことを訴えてみた。
「まあ、ヒマだよな」
あごひげを生やしているせいで年かさに見える騎士は、気安い調子でそう言いながらポケットを探った。
「これやるよ」
手渡されたのは、小さなサイコロが2つだけだった。
「……あ、りがとう。これ、どうすれば」
「振って遊ぶんだ。いくつの目が出るか予想して、振ってみて、当たればうれしい、外れたらちょっと悔しい。何回だってやれる。ヒマつぶしにはもってこいだよ」
「…………どうもありがとう」
善意は感じたので、やってみる努力だけはしてみた。
数時間後、夕食を運んできたあの若い騎士は、サイドテーブルに放り出してあるサイコロを見て、「ほう」と言った。
「いくつの目が何回出るかの調査をしているのかね。ふむ、精神性実在問題を知らないとは珍しいと思ったが、君は哲学より数学に興味があるのだね」
……帝都の人たちって、根本的に俺たちと別の生き物な気がする。
そんなルーフスのげんなりした内心をよそに、若い騎士が何をどう広めたものか、鉄鎗騎士団の中で、ルーフスは学術的好奇心の高い知的な少年という評判になったようだ。
「殿下が、本なら差し入れても良いとおっしゃってくださったぞ」
その日初めて食事を届けに来た知的な顔立ちの騎士が、ニコニコしながら、タイトルからして理解できない『なんとか論』の本を5冊も置いていった。
「半年前に出たばかりだから、地方出身の君は読んだことがないだろう? 帝都で評判の新進気鋭の学者の著作でね、学会に大きな衝撃を与えたもので……」
「……どうもありがとう」
この騎士は善意だろうけど、東宮は絶対わかっててわざと許可を出しただろうと、ルーフスはかなり恨めしい気分になった。
……ローザにもこんな嫌がらせしてるんじゃないだろうな。
幼い日を一緒に過ごした少女のことを思うと、つい気持ちが暗くなる。
……かわいそうにローザ。東宮を押しのけて次期皇帝に指名されて、きっとひどいいびりをされているに違いない。
そうじしたそばからホコリチェックされるとか、作った料理をまずいと捨てられるとか。
10歳の頃の小さなローザが、あの東宮にいびられて泣いているイメージが思い浮かび、いても立ってもいられなくなった。
……早くここから出ないと。俺にできることをやらないと。
部屋中歩き回りたくなるのをこらえ、ベッドの上にあぐらをかいて腕を組み、今後どうするか、眉間にしわを寄せて考えていると夕飯が来た。
運んできたのは昼に本を持ってきてくれた騎士で、
「実に興味深い書物だろう?」
うれしそうに話しかけてきた。もしかしてこの人たちもヒマなんじゃないかとルーフスは思った。
「……帝都では、色んな本が読めるんだなあ」
「ああ。国じゅうの智が、帝都に集まるからな」
「確か、大きな図書館もあるんだよな。俺、ちょっとだけ外に出て、その図書館を見に行ったりできないか? もうヒマでヒマで」
「それはさすがに無理だ」
「移動の間、ぐるぐる巻きにしばられてもいいよ。帝都の中だし、そんなに長時間じゃないだろ?」
「そういう問題ではない。殿下のお許しがあるまで、この部屋からは出せないんだ」
オススメの本を読んでくれたものと思ったらしい騎士は、
「こんな本が読みたいと言ってくれれば、自分が持ってくるから」
「じゃ、亜神と降魔について勉強できる本が読みたい」
「本当に勉強熱心だな。わかった、明日持って来よう」
と親切に言って去っていった。ばたりと閉まるドア、ガチャリという鍵の音を聞きながら、ルーフスはうなずいた。
今後のことを考える材料が増えた。
やはりここはザイン城ではなく、帝都なのだ。
さらに二日ばかりが過ぎた。
「なあ、騎士団長」
夕方、夕食を運んできた若い騎士とともに、久しぶりに騎士団長が顔を見せた。
「体調はどうだ?」
そのくらいのことを二言三言話し、去ろうとする彼に、ルーフスは思いきってそう声をかけた。
「少し、あんたと話したいんだ。ダメかな」
ドアを開けようとしていた若い女騎士が首をかしげるのが見えた。彼女とルーフスの間に立つ騎士団長は、わずかに銀縁眼鏡の奥の目を細める。
「ダメかな」
再度たずねた言葉に、若い騎士が口を開こうとする。それより早く、
「いいだろう」
騎士団長は言い、若い騎士に目で退室をうながした。若い騎士が出て行ったドアが完全に閉まってから、
「いずれ言ってくるだろうと思っていたが、意外と早かったな」
騎士団長は、食事に使う小さなテーブルの椅子を引き、ベッドにあぐらをかくルーフスの向かいに腰を下ろした。
「なんて言ってくると思ってたんだ?」
思わず投げた問いに、騎士団長は答えなかった。ゆっくりと腕を組む。
「答える義理はないな。話がその質問だけなら、俺は失礼するが」
なんだか意地が悪いな。ルーフスは鼻白んだ。
「その質問だけじゃないなら、手早くしてくれ。俺はけっこう忙しいんだ」
「わかった。じゃ、まず1つ目。あの、東宮の警備の人、大丈夫だったのか?」
銀縁メガネの奥の目が、ぐるりと丸くなった。
「は?」
「ジーク砦で会った、あの人。東宮の警備じゃなく、東宮の屋敷の人だっけ? ああ、そう、エドアルドさん、だ」
「いや、彼のことなのはわかるが」
騎士団長はくんだ腕をほどき、戸惑ったようにメガネを直した。
「その質問は予想していなかった」
「前にも聞いたけど、死んではいないくらいしか教えてもらえなかっただろ。
……ひどいケガしたのか?」
騎士団長はまたメガネに手をやった。時間稼ぎの仕草だったらしく、手をゆっくりとテーブルの上に戻し、それからやっと口を開いた。
「なぜ彼を気にかける?」
「え? いや、」
そこではっと気づいた。
……俺はいくつかあの人に親切にされている。
ジーク砦で、東宮の企みを教えてくれたこと。
ザイン城で、隠し通路からの侵入を秘密にしてくれたこと。
……裏切り行為スレスレのことばかりじゃないか。
あの彼の立ち位置がわからない。彼とこの騎士団長の関係性もわからない。いまここでその話をしたら、彼は処罰されたりするんだろうか。
「だって、イリスとラフィンを相手に戦ってたんだ。心配じゃないか」
騎士団長はふむと言った。
「……かなりの重症を負った。だが、今はもう快方に向かっている」
それから少し考え、
「あまり、彼の話は出すな。……彼は、皇弟殿下に剣を向けた罪で、反逆者とされている」
剣を向けたのは皇帝の弟に対してなのか。ルーフスは初めて知った。しかしそれは今の本題ではない。
「あんなに強いのにか?
ザイン城では、東宮とあの人、たった二人でイリスたちと戦ってたぞ」
「だからだ。
殺すには惜しいほどの剣士だから、反逆者でも生かされている。役に立たない人間なら、その場で死罪だった」
……ローザの母上も、役に立つから生かされてたのか? 何があったんだ?
「彼の話はここまでだ。他に質問は?」
「……。ローザが次の皇帝になるって聞いた。本当なのか」
「本当だ。正式に決定され、民にも周知された。
殿下が君を気にかけておいでだから内々では許すが、公の場では身分をわきまえた態度をとるようにな。
他には?」
ルーフスはぐっと拳を握る。
「俺はどういう立場になってるんだ?」
騎士団長はわずかにあごを上げた。
「長い前置きだったな」
「前置きなもんか。全部大事だ」
即座に言い返したのは意外だったらしかった。
「率直に言うが、我々にもわからん。ザイン砦の西の塔で何があった? なぜイリスリール姫は君を殺さなかった?」
「殺さなかった方の理由は、ジーク砦の近くで聞いた。小さい頃、ローザの遊び相手だったからだ。ローザの慰めになってたって、感謝してくれてるらしい」
「…と、君には言っている、ということだな」
真顔でそう返されたので、ルーフスは驚いた。
「他に理由があるって言うのか?」
「遊んでくれたのを恩に着て殺さない、などという理由は我々には信じられん。君は亜神がどういうものか知らんのだ」
……あの警備兵もそう言っていた。
「君をどう扱ったらいいのか、我々は決めかねている。とりあえず、イリスリール姫の手の届く場所に出したくはない。だが、」
メガネの向こうの目が、すっと細くなった。
「もう1つ率直に言う。
我々は君を信用していない。
イリスリール姫が殺さずに放置し、西の塔でのことを思い出せないと主張している在郷騎士の息子とやらを、野放しにはできない」
「主張って…! 本当に思い出せないんだ」
思わず腰を浮かしかけたルーフスの動きを、騎士団長はわずかな右腕の動作だけで制した。
「君と言う人間を信じていないわけではない。信じられるほどの材料も今はまだないが。我々にとって亜神は油断のならない恐ろしい敵で、ローザヴィ殿下はなんとしてもお守りすべきお方。万難を廃したいということだ」
ルーフスは言葉もなく座り直した。
「しばらくはここにいてもらう。おとなしくしているなら危害は加えん。その上でなにか要望があれば聞こう」
「……剣の稽古がしたい」
「東宮殿下に申し上げておく。ああ、君の刀は俺が預かっているから心配するな」
「あと、」
「ん?」
騎士団長は立ち上がりかけた動きを止めた。
「俺、ローザを守りたい。すぐじゃなくてでいい。ローザを守れる仕事がしたい」
まっすぐに相手の目を見たこちらを、騎士団長はしばし見返した。
「ローザヴィ殿下は我ら騎士団でお守りする。君は在郷騎士の息子だ。その任にない」
そして立ち上がった。
「実力もないだろう」
「でも……!」
思わず自分も立ち上がりかけた瞬間、いきなり胸につきさされるような痛みが走った。息がつまり、よろけそうになった体をテーブルに手をついて支える。
痛みは一瞬で去った。後にはなにも残らなかった。
「とにかく、しばらくはここでおとなしくしているように」
騎士団長の目には、ルーフスの異変は厳しい一言にショックを受けてのことだと映ったらしかった。
「君はいろいろ思いきったことをするが、これ以上、ローザヴィ殿下にご心労をおかけするな」
騎士団長が去り、一人になった部屋でルーフスは息を吐いた。
質問の答えは、大筋で予想通りだった。
……でも、今の痛みはなんだ?