目が覚める前に・目が覚めた後で:ルーフス
ルーフス→14歳の少年騎士(未)。ローザを探している。
ローザ→ルーフスの幼馴染。最近、皇帝の第19子として認められ、次期皇帝として指名された。
はっと目を開けると、何も見えなかった。
……あれ。
数回まばたきをした。目を細め、広げ、そうしている間に目が慣れて、ぼんやりと辺りが見えるような気がした。
それでも、辺りはほとんど完全な闇だった。
明かりはほとんどない。何の音もしない。人も動物も、いる気配はなかった。
ひたすらに暗く、何もない空間。そう思えた。
……どこだ、ここ。
俺はどうしてこんなところに。
考えたが思い出せなかった。頭に濃いもやがかかったようで、自分が誰で、今までどうしていたのか、わからなかった。そのことへの焦りすら生まれなかった。
「ええっと……。誰か! いないのか!」
大声を出したとき、背後から、かすかな声がした。
「許してくれ。どうか。……どうか」
語尾が涙ににじんで消えた。
「だ、……誰だ?」
恐る恐る振り返ると、そこは月明かりよりもかすかな明るさと、人影があった。
イスに座って背を丸めたような姿勢で、両手で顔をおおっているように見えた。
「愛していた。愛していたんだ。ただそれだけなんだ。……ああ」
低い、男の声だった。苦痛と後悔にまみれ、かすれたのどからしぼり出されるようだった。
慎重に一歩、そちらに進んだ。
「……あの」
遠慮がちにかけた声に、人影は反応を返さなかった。
「本当に、本当に……。……許してくれ」
涙とともにこぼれ落ちるその声は、聞いているこちらの胸さえしめつけるほど苦しげだった。
「どうしたんだ? なあ、大丈夫か?」
もう少し大きな声で言ったが、やはり返答はない。ただ、顔をおおう手の間から、苦しげな声がもれ聞こえるだけだった。
……俺の声、届いていないんだろうか。
もう一歩、さらに一歩ふみ出し、人影に近寄った。
「なあ、あんた……」
肩に手を伸ばした瞬間、心臓に杭を打ち込まれたような痛みが走った。
「……ぅわっ!」
はっと目を開けると、天蓋が見えた。
そのときルーフスにはそれが天蓋だとわからなかった。天蓋つきのベッドなどというものに寝たことがなかったからだ。それよりも、
「団長、目を覚ましました!」
ベッドサイドでした声に聞き覚えがあると思う方が早かった。
「誰だ……?」
声がやけにかすれ、のどが痛かった。
なんだこれ、俺は病気にでもなったのか?
そう思いながら身を起こすと、意外にも体は軽かった。
「まだ動くな」
今度の声ははっきりと聞き覚えがあった。
……東宮と一緒にいた、騎士団長だ。銀縁メガネで、オノを使う……。
ルーフスは、少しせまい部屋の奥に置かれたベッドに寝かされていた。あちらの壁にドアがあり、その横のイスに騎士らしき者が2人座っている。そして、そのドアのノブに手をかけていた男が、すっとその手をひっこめるのが見え、それがあの騎士団長だった。代わりに、イスを立った騎士らしき男が、細く開けたドアから足早に部屋を出ていく。
騎士団長は、起き上がったルーフスの横まで来ると立ち止まり、しばらくルーフスを見下ろしていた。
「気分はどうだ?」
妙に無表情な問いかけに答えるには、頭が混乱しすぎていた。
「……あんた、ジーク砦で会った騎士団長だよな?」
「そうだ。気分はどうだ」
再度問われ、ルーフスは少し考えた。
「のどがカラカラだ。あと、腹が減ってる……気がする」
「ああ、三日も経ってるし、道理か。今、水と何か持ってこさせる」
残っていた方の騎士が部屋を出ようという様子でドアを開けた。そのドアがいきなり廊下側から大きく開けられ、人が入ってきた。せかせかとした足どりとは対照的にぼんやりした表情の男で、
「目が覚めたって? 検査させて」
ずかずかと部屋に入ってきた。
「おい……!」
出ていこうとしていた騎士が声を荒げるが、騎士団長がそれを制し、
「そうだな、まずは見てやってくれ」
一歩引いて、ベッドサイドの場所を開けた。男は丁寧さのかけらもない態度で「はい」とだけ言い、持っていたかばんをルーフスのベッドにドンと置く。
男は、符術士のみで構成された、鋼斧騎士団の一員なのだそうだ。符術医というやつで、ルーフスが担ぎ込まれてから診てくれたのがこの男だという話だった。符が何枚も頭上に飛び交い、何をされているのかよくわからない状態のまま、騎士団長からそんな説明を受けた。
「なんか、変だねえ」
一通り何かをしたのち、男はぼんやりとした口調でそう言った。
「変とは?」
「なんか、変なんだよ。ボク以外のやつには変だってわからない程度のビミョーさだけど、確かに何か変」
「どういうことだ、わからん」
思わずルーフスもうなずいた騎士団長の一言に、
「わからなくても、何の不都合もないでしょ? 理解できるように言ったら、鉄鎗の団長、何かできるの?」
ルーフスはうわっと思ったし、騎士団長の顔もひきつった。符術医の男はそんなことに構う様子も見せず、
「なんか変だけど、何が変なのか分からないし、何をしたらいいかもわからないから何もできない。放置。以上です」
最後の一文だけていねいな口調に戻し、符術医の男はさっさと出て行った。
「……彼は、君がここに運ばれてきたばかりの時にも診てくれたのだが」
鉄鎗騎士団の符術士によって傷の手当がなされ、しかし意識が戻らないまま、ルーフスはここまで運ばれた。かつぎこまれてすぐ呼ばれたさっきの符術医は、色々調べた後、
「よくわからない。ボク以外の人にはもっとわからない。寝かせとくしかないですね」
と言い、何の処置もしなかったそうだ。
「驚いたかもしれんが、鋼斧騎士団の連中は例外中の例外だ。誇り高い帝都の騎士が、みんなああだとは思わないでくれ」
騎士団長はごくばつの悪い顔で一つせき払いをし、
「で、だ」
と即座に話題を変えた。
「あれから何があった?」
「あれから?」
「俺が君に追いついたとき、君は一人で苦しみ、倒れる寸前だった。その前に何があったか、知っておかなくてはならん」
ルーフスはそこで初めて、あれ、と思った。
そういえば、運ばれてきたとか、三日経ってるとか言われたが、なぜそんなことになったのか、思い出せなかった。
ローザを守ろうと、ザイン城に行った。それは覚えている。
アルトとナーヴの助けで隠し通路に入ることに成功し、暗殺者らしきものたちを見た。
そうだ、あの警備兵と出くわして叱られたんだった。
でも引き返すことはせず、騎士たちの目を盗んで城の中を走るうち、ラフィンと東宮たちが戦っているのに行き会った。
……それから……。
それから、とルーフスは自問した。思い出そうとすると、頭の中にもやがわき上がってくるような気がした。
……何があった? 俺はどうして倒れた?
騎士団長は、彼が自分に追いついたとき、苦しみ、倒れる寸前だったと言った。騎士団長に追いかけられていたのか。
そうだ、西の塔だ。そこにローザがいると聞いて、駆けつけて。途中で騎士団長とはちあわせたのは覚えている。らせん階段を駆け上って、
それから、どうなった?
「俺は、西の塔で倒れてたのか?」
じわじわと頭が痛くなるような感覚を覚えながら、ルーフスは騎士団長に問うた。
「ああ、そうだ。……そういえば君に名乗っていたか? 俺は東宮殿下直属、鉄鎗騎士団の団長、ツヴァルフと言う」
「俺はルーフス=カランド。西方の在郷騎士の息子だ」
ツヴァルフはうなずき、
「君がザイン城に侵入したことについては、おとがめなしと東宮殿下が決定しておられる。やり方はどうかと思うが、ローザヴィ殿下のためだからな。だから、何があったか、包みかくさず話してくれ」
「ええっと……」
頭が痛い。ルーフスは我知らず右手でこめかみを押さえながら考えた。
「ろうかで、会ったんだよな?」
「ああ。君は俺を振り切って西の塔にかけ上がった。降魔の集団が来て、俺はすぐには追えなかったんだ。もしかして」
騎士団長は、こめかみを抑えてうつむくルーフスをながめた。
「覚えていないのか?」
ルーフスには返事ができなかった。頭の中のもやはますます濃くなり、伸ばした指の先さえ見えないように思われた。
無言で頭を抱えるしかできない。うつむいた耳に、騎士団長の声が降ってきた。
「イリスリール姫と、配下の亜神が来たんじゃないのか?」
「イリス……ラフィン……」
うめいたが、思い出せなかった。
「その2人は、小広間で東宮殿下と戦っていた。殿下の作ったオリを破り、小広間から姿を消して、その後は誰も姿を見ていない。
2人は、西の塔のことに気付いていたらしい」
ああ、そうだ。そう言っていた。では、広間から姿を消した後、自分と同じ西の塔に現れた可能性は高い。
「! ローザは大丈夫だったのか?!
俺が西の塔で倒れてて、ローザは」
顔を上げて身を乗り出すと、騎士団長は驚いたようだった。
「ご無事だ。
そうか、知らなかったか。ローザヴィ殿下はザイン城においでではなかった。身代わりの人形を用意して、イリスリール姫をおびき寄せる作戦だったんだ」
「え……。
あ、そうか、そうだ。西の塔に、人形と符があった」
西の塔にかけ込んで、それを見たのだ。おとり作戦だったと理解した。それから……。
ノックの音がして、スープや水差しのトレイを持った騎士が入ってきた。騎士団長が目で少し待てと合図する間、ルーフスは頭を抱えて動けなかった。
「……ごめん、思い出せない……」
騎士団長はうなずいた。
「ならば仕方ないな。しばらく待とう。だんだん思い出すかもしれない」
うなずき返し、
「ローザは、無事なんだな?」
「ご無事だ。今も安全な場所にいらっしゃる」
ほっと息をついたルーフスに、
「しかし、君の情報次第で、ローザヴィ殿下の御身に関わることがあるかもしれない。何か思い出したら、すぐに俺でも誰でも伝えてくれ」
……おどしかな、これ。
ルーフスがそんなふうに思った一言ののち、ツヴァルフは壁際の椅子へと下がった。代わりに、ドアの前にひかえていた若い騎士が寄ってきて、木のカップ注いだ水を差し出してくれた。一口二口飲むと、頭の痛みがやわらぐのが分かる。
「食べられそうかね?」
いかにも中央の名家の出らしい話し方で、スープも差し出された。暖かい湯気のにおいに、ひどくほっとした。
「ありがとう」
「食べられなさそうなら残したまえ。足りなかったらまた持ってくるよ」
若い騎士は親切な様子だった。ありがたく、空っぽだった腹に食事を詰めこもうとスプーンを取って、
「あのさ、さっき、東宮の作ったオリが破られたって言ってたけど」
気がついて手を止めた。上体を傾け、若い騎士の後ろにいる騎士団長をのぞき込む。
「ローザの兄さんと、あの警備兵の人、無事?」
騎士団長の眉根が寄った。
「東宮殿下は、もちろんご無事だ。警備兵のほうも、命に別状はない」
「怪我したのか?!」
「命に別状はない」
騎士団長はくりかえすばかりだ。食事を持ってきてくれた騎士が、怒ったような顔でつぶやいた。
「自業自得だ。たまにはこりればいい」
なんで、そんな冷たい。ルーフスにはショックだった。警備兵の身分だから、騎士たちからは軽んじられてるんだろうか。それとも、烙印を押された反逆者だから?
ツヴァルフが口を開いた。
「いずれにせよ、君が気にかけることではない。食べるなら食べて、何があったか早く思い出してくれ」
「……うん」
スープをすくい、口に入れた。食べ始めると、急に空腹が強く意識され、ルーフスはかき込む勢いでトレイの上を空にした。
「そんなに急に食べて大丈夫なのか?」
「うん、これすごくうまいよ」
「おかわりは?」
「うん!」
持ってきてもらった料理もきれいに片づけ、ほっと一息ついた。
「元気だな」
ツヴァルフはあきれているようだった。
「一時はこのまま目を覚まさないかとも思ったが、その様子じゃ大丈夫そうか」
ちらりと目配せすると、若い騎士は食器を持って出て行った。ツヴァルフも立ち上がる。
「だが、しばらくはここで安静にしていろ。東宮殿下からも、そのようにご命令だ」
「……なあ、ここってどこだ?」
そのまま出て行ってしまいそうな気配を感じ、ルーフスは気になっていたことを尋ねた。
「さっき、ここに運ばれてきたって言ったよな。ザイン城じゃないのか?」
「……ザイン城だ」
その言い方に引っかかるものを感じ、「え、でも」とルーフスが口を開くより早く、
「そのあたりはおいおい説明する。
とにかく君には、しばらくこの部屋で生活してもらう。騒いだり、暴れたりするようなら武力制圧も許可されている。が、なるべくしたくない」
銀縁メガネを押し上げる仕草が、表情を隠そうとしているように見えた。
「殿下からのご命令ではないが、書物なりカードなり、ヒマつぶしになるようなものなら差し入れよう。おとなしくしていれば、君に危害を加えることはない」
待ってと言うより早く、騎士団長はドアを開けて出て行った。ドアが閉まり、そしてガチャンと金属音がする。
……カギがかかった音じゃないか、今の。
ルーフスは改めて部屋の中を見回した。ベッドを4つも置けばいっぱいになる程度の広さだ。ベッドのほかには、さっきまで騎士たちが座っていたイスが残されているだけ。壁には、今ツヴァルフが出て行った扉と、その左側の壁にも小さなドアがあった。
……窓がどこにもない。
慎重にベッドから降り、よろけながら左側のドアに歩み寄る。しばらく耳を押し当てたが何の音も聞こえなかった。そっと開けると、そこはせまいバスルームだった。手の届かないほど高い位置に窓があるが、頭も通らないほどの小ささだった。
正面のドアのノブをひねる。がちっという手ごたえがあるだけで、開きそうになかった。
ベッドに戻り、もう一度狭い部屋を見回した。
……監禁されてるんじゃないのか、これ。