ザイン城へ走る:ルーフス
ルーフス:14歳の少年騎士(未)。おさななじみのローザを探している。
アルト:自称「可愛いメイドのアルトちゃん」。奇声を発し、高速で走る。
疾走する馬車の荷台で、ルーフスは周りを警戒していた。
「そろそろ危ないあたりだよ!」
「わかった、任せて!」
御者台から飛んだ声に叫び返す。街道を行く荷馬車の護衛として同乗すること一日。強盗の出やすいあたりにさしかかると聞いていた。
……そして、そのあたりを抜ければザイン城だ。
ルーフスは刀のつかを握りしめた。そのとき、
「……すくぅぅうううん!!」
視界のはしに土煙が見えた。何か叫ぶ声も聞こえた。
「何か来るよ!?」
御者が悲鳴のような声を上げた。後ろからだ。何かが、土煙を上げるほどの高速で街道を追ってきている。刀を抜いたルーフスの耳に、もう一度叫びが聞こえた。
「る、う、ふ、す、くーん!!」
「化け物だよ!」
青ざめた御者に、ルーフスは「違う、ちょっと止めて!」と叫んだ。叫んでから無理だろうなと思ったが、思った通り御者は止めなかった。むしろ馬のスピードを速めようとする。
が。
「ルーフス、くーん!!!」
土煙が威力を増し、御者が悲鳴を上げる間に、疾走する人影がぐんぐん追いついてきて馬車の横まで来た。
上から下までメイド服を身にまとい、スカートのすそを両手で持ち上げ、上半身を全くぶれさせず、足だけを高速で動かして、2頭立ての馬車に併走する。
アルトだった。
「ルーフスくん、よかった、追いついた!」
息が荒れる様子もなく、走りながら荷台のルーフスを見上げてくる。
「停めて! 大丈夫、この人、俺の知り合い! 大丈夫だから!」
ルーフスはしばらく声を張り上げ続け、最終的に何とか、これが化け物ではなく人間のメイドだと伝えて馬車を止めてもらうことに成功した。
荷台に引き上げられたアルトは、馬車がまた動き出すのを待とうともせず、
「私、一緒に行って手伝うよ!」
こぶしをにぎって勢い込んだ。
「ルーフス君には色々助けてもらったし、儀式をする皇子さまってこないだのあの女の子でしょう? これも何かの縁だよ」
「アルトちゃん……」
率直にありがたかった。たった一人で、あのイリスとラフィン、そして帝国の権力者たちを向こうに回さなくてはならないのかも知れないと思っていた心に、アルトの真剣な声が染み入るようだった。
「……でも、巻き込めないよ。ありがとうアルトちゃん。気持ちだけありがたくもらっとく」
アルトは首を振った。
「助けてもらったもん。恩返しさせてよ」
義理がたいんだなあ。ルーフスは、東宮私邸での財布の件を思い出した。
「俺だって、アルトちゃんに十分助けてもらったよ。あの警備兵の人から守ってもらった」
「あれは……何にもできなかったし……」
「アルトちゃんいなかったら、俺たぶん途中で斬られてたよ」
ルーフスは本心から言ったが、「でも」とアルトは納得した顔をしなかった。
と、急に馬車が止まった。
「ちょっと、何かいるよ」
御者が緊張した声を出す。街道の先に大きな馬車が停まっていて、武装した兵士が2人、こちらへと向かってきていた。
「この道は通れん。戻って、別の道を行け」
兵士は威嚇するようににヤリをかざしてみせた。
「なんでだい。こんなところが通行止めになってるなんて、近くの村じゃ言ってなかったよ」
意外にもくいさがる御者に、
「通れないものは通れない。引き返して、旧街道に回れ」
兵士は取り付くしまもなかった。
「ルーフスくん、あれ、あの子!」
アルトがルーフスの肩をつつき、そして前方の馬車のほうを指した。目を凝らし、ルーフスも驚く。
そこに少年がいた。
細身で、仕立ての良い服で身を包み、銀のスプーンより重いものは持ったことがありませんという風情の少年が。
……あいつ、知ってる。
……アルトちゃんと初めて会ったとき、化け物がうろつく山の中で、木々の向こうに歩いて行ってしまったやつだ。
ほんの一瞬、見ただけのその姿だったが、ひどく鮮やかに記憶がよみがえって来た。
「無事だったんだね。エドアルドさんか騎士団に助けてもらったのかな」
アルトは笑顔になったが、ルーフスの胸には疑問がわいた。
「……あの子、なんでここにいるんだろ」
「え?」
アルトは意外なことを聞かれたと思ったようだった。
少年は立派な馬車の横に立ち、じっと道の先を見ているようだ。馬車をはさんで反対側に数名の大人がいて、何かささやきあっているようだが、静かにたたずむ彼のそばには誰もいなかった。
「貴族っぽいし、どっか行く途中じゃないかな。それで止められて、困ってるんじゃない?」
ルーフスは首を振った。
「違う。この道を通行止めにしてるの、あの人たちの手下だよ」
さっきこちらの馬車に声をかけてきた兵士たちがあちらの馬車のほうに戻っていき、大人集団の中心に立つ年配の男に何か伝えている。その男がこちらを向き、同時に少年もこちらを見た。
まっすぐに目が合ったのを、ルーフスは自覚した。
年配の男が、あれらを排除しろと命令したらしかった。明らかにさっきとは違う足取りで、ヤリを握った兵士たちがこちらへ向かってくる。
「こりゃあ、やばいなあ」
御者がぼやいた。
「悪いけど、引き返させてもらうよ」
「うん」
広い街道で、馬車を返すには何の問題もない。兵士たちがこちらに来る前にさっさと方向転換し、ルーフスたちを乗せた馬車はもと来たほうへと動き出した。
「どうするね。こっちはあいつらの言ったとおり、旧街道に行くことにするが」
ルーフスは少し考えた。ザイン城は、この新街道を行った先にあり、旧街道は離れている。御者には、新街道の先に用があるのだとあらかじめ伝えていた。
「旧街道に行くとなると、さっき通った街から別の道に行くことになる?」
「そうだね」
「じゃあ、そこまでいっしょに行くよ。悪いけど、そこで新しい人やとって、交代させてもらっていい? 給料、いらないからさ」
それだけ伝えて、ルーフスはふと振り向いた。道をふさいでいた馬車は、もうだいぶ遠くになっている。
その横で、さっきの少年が今もこちらを見ているような気がしてならなかった。
ひとつ前の街まで戻り、給料をきっちり分割して払って、御者は去っていった。アルトと二人、手をふって見送り、
「じゃ、行くか」
うなずいたアルトはルーフスに背を向け、上体を前に傾けた。
「さ、乗って」
「の、乗って?」
困惑するルーフスに、アルトはもう一度、
「乗って」
と言った。
景色が高速で後ろに吹き飛ばされていく。顔に当たる空気の抵抗が苦しいくらいだ。そして何より、
……怖い!
自分を背負ったまま街道を爆走するアルトの背にしがみつきながら、ルーフスは大量の冷や汗をかいていた。先ほど馬車で引き返してきた道を、ずっと速い速度でザイン城へと駆けていく。
「! アルトちゃん、止まって!」
ズザザザザと土煙を上げてブレーキがかかる。
「どうしたの?」
肩ごしに振り返ったアルトに、道ばたの大樹を指さして見せた。ここはもう、さっきアルトを馬車に乗せた場所だ。つまりもう少しで、あの通行止めの場所に着く。
「さっきのやつら、まだいるかもしれない。ここからは静かに行こう」
「そっか、了解」
そのまま忍び足で進もうとするので、
「いや俺降りるから!」
あわててルーフスは言った。
用心しいしい街道を進み、街道が曲がるたびに前方をうかがうと、やがて遠くに赤い色が見えた。
「いる」
「うん、いるね」
アルトもうなずいた。さっき見た、あの立派な馬車の飾り布だ。
「回り込もう」
二人は森に入り、十分に街道から距離を取って、生い茂る木々の中を進んだ。しばらく行くと、前方が明るくなり、森がとぎれていることが分かった。
「きっとザイン城だ! 良かった、たどり着いたね!」
うれしそうに駆け出そうとするアルトを急いで引き止める。
「待って! 城なら見張りがいるはずだよ。近寄るのはまずい」
アルトは足をピタッと止め、そのままそそくさと後退した。
「そ、そっか」
木の後ろに隠れるアルトを見ながら、
……あいつら、ザイン城のかなり近くにいたんだな。何であんなところに。
ルーフスはそれが気になった。
二人して大きめの木の後ろにかがみこんで城から見つからないようにし、
「……どうしよっか」
今更の作戦会議を始めた。
……とりあえず勢いで来ちゃったけど、何も考えてなかったなあ。
「お城の中に入らなきゃいけないんでしょ? 私、走ってる間に作戦考えてきたの」
あの速度で爆走しながら考え事ができるのか。ルーフスは内心唖然とした。
「私が殿下がたをお世話するために来たメイドってことにして、ルーフス君は追加の兵士だってことにすればいいよ。そうすればお城の中歩き回ってても不審に思われないし」
ルーフスは一瞬言葉が出なかった。
「……ええっと……」
「うん」
「それ……はさ、どうやって信用してもらおうか」
「大丈夫! 私、東宮殿下のメイドだから、えらい人の家来がどういう話し方するか知ってる!」
「……ええっと……」
「だから、お城の正面玄関探して……」
得々と述べるアルトの口を、ルーフスはとっさに右手でふさいだ。左手でその腕をひっつかんで木の後ろに引きこみ、姿勢を低くして身を隠した。
「いつになったらザイン城に入れるようになる!」
いらだった男の声がした。
「フォルティシスめが……! この私がわざわざ来たというのに」
どんどん近づいてくる。草を乱暴にふみつけながら歩いてきたのは、街道をふさぐ馬車のところにいた、年配の男だった。おろおろした様子の侍従を何人も伴い、そして、
……あの子もいる。
細身の少年が、男の怒りにまるで興味のない顔でその後ろを歩いていた。
「先に申しましたように、皇位継承者の清めの儀式でございますから、入ることはできないかと……」
侍従たちは困りきった様子だ。男は草を蹴った。
「私は皇帝の弟だぞ! なぜ入れぬのだ!」
皇帝の弟? 木のかげでルーフスはアルトと顔を見合わせた。まだ口をふさいだままだったことに気付いて右手を離し、
……ローザの叔父さんってことか?
その顔を見ようとしたが、木の根本に座り込んだ姿勢からでは、木や茂みがジャマをして、背の高い男の顔は見えなかった。
「しかし……」
「無能め、もう一度話をつけて来い!」
蹴りでもしたのだろうか、鈍い音と小さな悲鳴がし、侍従が一人、逃げるように馬車の方へで戻っていくのが見えた。
……こんな奴がローザの叔父さんなのか?
ジーク砦で会った東宮の冷たさ以上にショックだった。
「全く、どいつもこいつも能無しが」
「……入る必要はない」
初めて少年が口を開いた。無機質な声だった。しかしそれに、
「うん?」
と返した男の声が、気味の悪いくらい甘いものになっていて、ルーフスは思わずぞっとした。
「入らなくて良いのか? 遠慮しなくてよいのだぞ?」
……初孫にメロメロになってるおじいちゃんみたいだ。
さっきまでの暴君のような態度が、一瞬で消し飛んでいる。
背の低い少年が首を振るのが、草の間から見えた。
「入らぬ方がいい」
「そうか、そうか。入らぬ方がいいのだな」
男はにこにこしているようだった。声がやけにはずんでいるのが、ルーフスには意味不明だった。少年はそんな男に目も向けない。
「だが、フォルティシスの思うように進めさせるのもおろかだ。何か一石、放り込んでかき乱してみるのがよかろう」
「うむ。何を放り込もうな」
少年は顔を上げた。はっきりとこちらを、ルーフスを見た。
「それどもだ」
腕の中でアルトが「ひっ」とつぶやいた。責められるわけもなかったが、その小さな声ははっきりと男の耳に届いたようだった。
「誰だ! そこに誰がいる!」
ルーフスはあわただしく左右に目を走らせた。
……逃げるならどっちだ。アルトちゃんだけ逃がして、俺はふみとどまるか?
男がさらに怒鳴る。
「引きずり出せ!」
とにかく立ち上がり、剣を抜いた。侍従たちが次々に剣を抜き、早足に近づいてくるのが見えるようになる。そして、その後ろにいる男の顔も。
……ほんの少しだけ、東宮に似ているかもしれない。似ていないかもしれない。
「待て」
少年が口を開いた。男はいきなりにたっと笑い、
「どうした、ナーヴ」
急に上機嫌になったように問いかける。少年のほうは男の態度など気にもしないような無表情だ。
……ナーヴというのか。
「あれらは傷つけるな」
「そうか、傷つけてはいけないのだな」
今までの態度がウソのように、男はうれしそうにルーフスを見、何度もうなずいた。
「よしよし、この父に任せよ。……お前たち、剣を収めぬか!」
こいつら、親子なのか。そういえば似ているなとルーフスは気付いた。……でも、ずいぶん年の離れた親子だ。それに。
それに、とルーフスは思った。子供が親に取る態度じゃなくないか?
侍従たちは困惑ぎみに剣を収め、
「ジャマだ、ジャマだ。下がらんか!」
怒鳴り声を浴びて親子の後ろへと下がった。
二人は、少しの距離を開けて、親子と相対した。
……アルトちゃんを逃がせるようにしとかなきゃ。
ルーフスがさりげなくアルトより半歩前に出る前に、アルトが「あの」と口を開いた。
「私たち、森で道に迷ってたんです。その、ザイン城に行きたくて」
アルトちゃん、それ言っちゃう?! ルーフスはぎょっとしたが、
「えらい方がたくさん来てるらしいから、メイドと兵士でやとってもらえないかと思って! 私たち、勤めてたお屋敷をそろって首になっちゃった、哀れなメイドと剣士なんです!」
すごい。この状況で、潜入作戦開始してる! ルーフスは驚きを隠せなかった。
「えらい方ですか? お願いです、お城でやとってもらえるよう、門番さんに話して下さい! 生活かかってるんですう!」
祈るように胸の前で手を組み、キラキラした目で訴えるアルトを見ながら、
……いや、でも、無理じゃない?
ルーフスは思った。
この人たちも、ザイン城に入りたいのに入れないようだった。……むしろ、その人たちと仲間だと思われる方がまずいかもしれない。
「来い」
ナーヴが言った。
「えっ?」
ルーフスとアルトの声がハモる間に、
「ここで待て」
侍従たちか、あるいは皇弟かに言い捨て、森の中を歩き出した。
「ナーヴ? どこに行く?」
「ここで待て」
振り返りもせずに繰り返された言葉に、皇弟は「そうか、待つのだな」とにこにこしている。戸惑いながら、ルーフスとアルトはそのあとを追った。
皇弟らに声が届かないくらいまで森の中を歩いてから、
「……城に入ってどうする」
少年がやっと口を開いた。
「頑張って働きます! 私、メイド経験たくさんありますし、この子も剣の腕に自信あります!」
アルトが意気込んで言うはしから木の根につまづき、「ぎゃっ」と転びそうになるのをルーフスがあやうく支えた。
ナーヴは、しんねりとルーフスを見ていた。色素のうすい瞳には何の感情も読み取れない。何か言うことを期待されてるのだろうか。相手の真意がわからず、圧力ばかりを感じた。
「あの……。えっと、俺もがんばりますから、お城の人に……」
「あそこに、隠し通路の入り口がある」
ナーヴが急に言った。二人ははじかれたようにその視線の先を見る。木立の先、落葉樹ばかりが生えていて、落ち葉が厚く積もっている場所だった。
「かくしつうろ」
アルトが目を丸くして復唱した。
「え、なんで?」
ルーフスの胸には、
……こいつ、何をどこまで知ってるんだ?
これまで以上の警戒心が湧きあがった。俺が、ローザの友達だって知ってるのか? ジーク砦のことが報告されているとしたって、一目で俺が姿を消したローザの友達だとわかるものだろうか。
「だが、あの入り口に行くまでに、衛兵の視界に入る」
すっと歩む方向を変え、森のとぎれる場所に近づく。大木の後ろに隠れるように立つ彼の後ろに続くと、城の前の広場に立つ兵士が一人見えた。城のこちら側の壁には、開口部が一つもない。そのためか、辺りに見えるのはその兵士だけだった。
「何の策もなく行けば、たどり着く前にみつかり、扉を開ける間にとらわれるだろうな」
「じゃあ使えないね。どうしよう、ルーフス君」
アルトが困り顔になる。
……隠し扉があるなら使うつもりだって自白しちゃったよ。
カマをかけられているのかもと警戒し、返答を考えていたルーフスは、ちょっとぐったりした。
「策はある」
アルトに答えたのはナーヴだった。
「本当?!」
アルトの表情が明るくなる。ルーフスは急いで、ナーヴの方に身を乗り出そうとするメイド服の肩を抑えた。
「待って、アルトちゃん。
……何が目的だ? 俺たちに、何をさせたいんだ」
ルーフスはナーヴにまっすぐ向かい合って言った。
彼の背はルーフスより低く、年齢も10歳かそこらに見える。しかし、表情らしき表情を浮かべないその顔は、ひどく超然として見えた。
……何を考えているのか、さっぱり読めない。
「かき回せ。それでいい。そのくらいしかできまい」
「……? どういうことだ?」
「お前ごときに何かさせたいとは思わない」
言うなり、ナーヴはふところから符を抜き出した。ルーフスが刀に手をかけるより早く、ふわりと一振りする。
「ぎゃっ!」
と叫んだのはアルトだった。突風をあびたかのように森の中から吹き飛ばされ、開けた場所に転がり出る。
「誰だ!」
広場に立つ兵士が叫び、駆け寄ってくる。
「ギャ……ギャーッ!!」
アルトは叫び、立ち上がるなり猛スピードで走りだした。ルーフスたちとは反対の森の方へだ。
「待て!」
「ギャーッ!」
アルトちゃん。わざとやってくれたんだろうか。それとも素? 遠ざかるアルトと兵士の声を聞きながら、ルーフスは呆然としていた。
「行かぬのか」
ナーヴがこちらを見ている。ルーフスははっと我に返り、刀のつかを握りしめた。
「アルトちゃんの足なら大丈夫だと思う。でも、お前にお礼を言うかは後で決める」
そして走った。隠し扉の入り口の方へ。後ろから突風が追ってきて、厚く積もった落ち葉を吹き飛ばす。
その下に埋もれていた小さな取っ手が、はっきりと見えた。