帝都、メイドとの再会:ルーフス
ルーフス:14歳の少年騎士(未)。おさななじみのローザを探している。
アルト:自称「可愛いメイドのアルトちゃん」。奇声を発する。
ルーフスは大きな商店の裏側の壁にかくれて座り込み、耳をすましていた。
……化け物たちはいなくなってるみたいだ。でも、騎士団が……。
「小班に分かれ、すべての道を確認しろ!」
聞き覚えのある声が鋭く響き、ルーフスはびくっとなる。
あの人だ。銀縁メガネの騎士団長。東宮の手下。
……今、見つかるのはたぶんまずい。
ジーク砦の森で騎士団に包囲された状態から、ローザの符の力で1人だけ浜辺へと逃がされたあの夜。
結局朝まで浜辺で座り込んで過ごした。
ローザのこと。
イリスのこと、ラフィンのこと。
あの東宮のこと。
故郷の父母の顔も浮かんだ。ひときわ考えたのは、浜辺で会ったラフィンの言葉だった。
ぼっちゃまはこれ以上かかわってはなりません。おうちにお帰りなさいまし。
嬢ちゃまのお気持ちをくんであげてくださいましねえ。
このまま帰るのが、ローザのためなのか。ローザのところに行って、自分が何かできることがあるのか。さんざん考えた。考えたが分からなかった。
ラフィンが教えてくれた宿に移動もせず、そのまま朝まで砂浜に座り込んで考え、選んだのは、街道に出て帝都に向かう荷馬車に声をかけ、護衛がてらに乗せてもらえないかと頼むことだった。
ローザは今、どこにいるんだろう。帝都に来てるだろうか。
そう思いながらたどり着いた帝都は、ものすごい人出だった。
「全土から、皇子さまたちが集められてるんだってさ。知ってるかい、皇子さまってのはえらくたくさんいるんだよ」
ルーフスを乗せてきてくれた荷馬車の主が、別れ際にそう教えてくれた。
「集められてるって、何で? 何かあったのか?」
「さあ、そこまでは」
ローザだ。ルーフスはそう思った。新しい皇子として、ローザが皆に紹介されるんだ。きっとそうに違いないと。
……ローザはきっと、この帝都にいる。あの、厳重な警戒の至天宮に。
ルーフスは顔を上げ、身を隠した商店の屋根よりもずっと高い塔を見上げた。
皇帝の住む城、至天宮。
帝都についてからずっと、どうにかそこに入れないかと歩き回ったが、どこにもスキがない。
……それどころか、化け物までわいて……。帝都には化け物は入れないんじゃなかったのか。
化け物自体は何とかなった。それよりもやっかいなのが、退治に出てきた騎士たちだ。
俺はどういう立場になってるんだろう。東宮の敵か、味方か、どうでもいい存在か。
それがわからない限り、騎士たちに見つかることはどうしても避けたかった。
化け物が出て以来、頻繁に城下を見回るようになった騎士団の目をかいくぐり、今日で三日目だ。さすがに、疲れがたまってきた。
……至天宮に入るのは無理かもしれない。
もうとっくにわかっていたことを、ルーフスは改めて考えた。
……もし、忍び込むことができたとしても、そこからどうやってローザに会うんだ。途中で捕まって、終わりだ。
そんな考えが浮かぶのも、疲れのせいかもしれなかった。
……せめて、ローザが無事でいるかどうかだけ確かめたい。でも、どうしたらいいんだ……。
「この裏手は誰か見たか?」
驚くほど近くで声がして、考えにに沈みこんでいたルーフスの心臓が跳ねた。
「まだみたいだな。行こう」
騎士が、少なくとも2人、こちらに向かってきている。ルーフスは辺りを見回し、声とは反対方向に小走りに駆けた。路地は建物をぐるっと取り囲んでいる。建物の裏を通り抜け、反対側から脱出するしかない。
建物の裏の角を曲がり、大通りに突き当たる道に踏み出したとき、
「どうやら、一匹残らず倒せたみたいだね」
真正面から別の声がして、ルーフスは踏み出しかけた足を止めた。
ヤリ使いの優男の顔が浮かぶ。
……この声、騎士団の副長だ!
建物の表側、大通りを、鉄鎗の副団長が他の騎士と話しながら歩いている。右側から歩いてきて、ルーフスのいる路地の前を左側へと通り過ぎた。
だが、通り過ぎたすぐの場所で立ち止まったようだった。
「付近の様子は?」
「はい、われらはこの区画を見回りましたが……」
また別の騎士たちが現れたらしく、足を止めて話し始めたのだ。
背後からも声がする。
「化け物はいなさそうだな」
「いやでも、一応はぐるっと確かめておこう」
路地を歩いて、近づいてきている。
……どうする?
ルーフスは上下左右を見渡した。
……ほかに、出口は……!
あるはずもない。騎士団副長らのいる大通り側か、見回りの騎士たちが来る側かしか、この路地から出る道はない。
屋根の上?
無理だ、この壁は上れそうにない。
イチかバチか、副長たちの横を走り抜けるしかない。気付かないことを祈るしか……!
「今、音がしなかったか?」
背後の声がすぐそばまで近づいていて、ルーフスは声を上げそうになった。
……もう数歩で角を曲がって、俺が見える位置に来る。
タッと足を速め、大通りに一歩踏み出そうとしたそのとき。
「ギャーッ!!!」
ものすごい声が響いた。化け物の断末魔か、巨大な鳥の鳴き声かという響きだった。
「何だ?!」
背後でも大通りでも、騎士たちがざわめいた。
「ギャーッ! ギャーッ!! 化け物!!」
「化け物だと!?」
「まだ残っていたか!」
「総員、掃討に向かうぞ!」
騎士たちの声が交錯する中に、
「助けてーっ! ギャーッ!」
人の言葉と奇怪な悲鳴が交互に聞こえる。この叫びは。
「アルトちゃん?!」
思わず大通りに踏み出した瞬間、ルーフスは左手からものすごい衝撃を食らって吹っ飛んだ。耳元で怪鳥の叫びが聞こえる。
「ギャーッ!!」
吹っ飛んだ体が地面に落ちる前に、すごい力で引っ張られた。そのまま飛ぶような勢いで、左の二の腕を起点に宙を引っ張られる。
「ギャーッ!!」
ぶつかってきたのはアルトだった。
叫びながら超高速で走ってきたアルトに出会いがしらにはねられ、そのときに服と服が引っかかりでもしたのか、疾走するアルトに引っ張られ、あまりの速さに足も地につかず、浮いた状態で高速移動しているのだ。
「ギャ――――ッ!!!」
相変わらずのとんでもない俊足だった。ルーフスがなんとか地に足をつけようと悪戦苦闘する間に、騎士たちの姿などとっくに見えなくなり、それどころか市街地を抜け出して、林が広がる場所にさしかかっていた。
「アルトちゃん! あ、る、と、ちゃん!!」
声を限りに呼ぶと、
「えっ」
の一声とともにアルトは急ブレーキをかけた。ローヒールパンプスのかかとが土と激しくこすれ、摩擦でこげくさい匂いをたてる。
……そんな止まり方をする人間、生まれて初めて見たよ……。
「今、ルーフスくんの声が……」
急におしとやかなメイドのようになってあちこち見回すアルトに、
「……アルトちゃん、ここ、ここ」
ルーフスは何とか言った。アルトは肩ごしにふり返り、
「ルーフスくん?! なんでここに!」
腕のナイフ入れがメイド服のエプロンのヒモに引っかかっているせいで、アルトと背中合わせ状態で半ば宙吊りになっているルーフスを驚いた目で見た。
木の陰にこそこそと身を隠しつつ、二人は額を寄せ合った。
「そういえばアルトちゃん、いつからいなかったっけ」
「ルーフスくんと東宮殿下たちがジーク砦に行くとちゅうで、スキを見て逃げたの」
そんな前からいなかったんだ。そういえばジーク砦で姿を見なかったとルーフスはいまさら思い出していた。
「私ね、実は、あの近くの村のお屋敷で働いてるの。あの時、たまたま村に向かう道の近くを通ったから、ダーッて逃げちゃった」
この子の人間ばなれした足なら、馬に乗った騎士たちでも追いつけなかったろう。ルーフスは納得した。
「あの近くからここって、結構遠いよね。どうして帝都に?」
「うん……」
アルトはポケットを探り、小さな財布を取り出した。それなりの金額がつまっているらしく、ふくらんでいる。
右手にその財布を持ち、左手で木立の向こうを指さした。
その指す方には、林の中に隠れるように、古そうな屋敷が建っている。
「私、東宮殿下の私邸で働いてたでしょ?」
「あれが東宮の家なのか」
「そう。何年か前に至天宮を出て、あそこに住むようになったんだって」
ルーフスはちょっと不思議な思いでその屋敷を見た。古くかざりけのない建物で、さして広くもなかった。
そもそも東宮って、皇帝の跡取り息子なんだから、宮殿に住むもんじゃないのか。なんで至天宮を出て、こんなところに家を持ってるんだろう。
「私もあのおうちでメイドしてたんだけど、おひまを出されちゃったの。住み込みだったけど出て行かなくちゃいけなくて。
で、私、一文なしだったんだよね」
「……働いてたのに、何で?」
「聞かないで」
やけにぴしゃりと言い、アルトは顔をあさってのほうに向けた。
「荷物まとめて、お世話になりましたって出てくときに、メイド頭さんにお金あるのか聞かれたの。
ないけどなんとかなると思いますって答えたら、なるわけないでしょうって叱られて、これ」
手の上の財布を振ってみせた。
「ポケットから出したの、そのままくれたの。
実際すごく助かって、いつかちゃんとお礼言って返そうって思ってたの」
「今の勤め先の給料貯まったから、返しに来たんだ」
アルトはこっくりうなずいた。
「今のお勤め先、地主のおばあ様が1人で暮らしてるお屋敷なんだけど、事情を話して返しに行きたいって言ったら、何日か留守にしてくれるほうが私も気が休まるわって許してくださって」
「……いいのかな、それ」
「言わないで」
アルトはまたあさってのほうを向いた。
「……それでここ何日か、こっそり来てはお屋敷の様子をうかがってたの」
「はあ」
ルーフスは首をひねった。
「なんで様子うかがうの? ごめんくださいって言うんじゃダメなの?」
アルトは首をぶんぶん振った。
「殿下もエドアルドさんもいないときじゃないと!
恐い!」
あきれて言葉が出なかったルーフスをよそにアルトはうろうろとその場を歩き回り、
「殿下は至天宮においでになることも多いけど、エドアルドさんはほぼお留守番なんだよね。
何とかして2人ともいないときじゃないと……!」
「そっか。あの人、警備兵だっけ」
「うん。なんかね、反逆者の烙印ってのがあるせいで、エドアルドさんは至天宮には入れないんだって」
反逆者の烙印。ローザの母にも押されていたというものだ。至天宮に入れなくする機能もあったのか。
ローザの母上は、どうしてそんな。
ルーフスはアルトと再会してうれしくなっていた心が沈むのを感じた。
「けど、時々殿下と一緒にお外に行ったりするの。そのスキを狙いたいんだけど……」
「まあ、アルト!?」
得々と述べていたアルトが凍りついた。その背後、屋敷の方に、メイド服を着た女が頬に手を当てて立っている。
「あなたアルトでしょう? 帰ってきたの?」
「めっ……メイド頭さん……」
アルトは、油の切れた歯車のような動きで、首だけそちらに向けた。
「お勤め先をまた首になったの?! あなたもう、メイド業はあきらめてほかの仕事をした方が……」
「ちがいます!」
「借りてた財布、返しに来たって言ってます」
アルトはほほをふくらませ、ルーフスは弁護に入った。
「まあ。返さなくてよかったのに。……あなたも、わざわざついてきてくださって、ご迷惑をかけてしまいましたね」
東宮私邸のメイド頭は、ルーフスがアルトの新しい職場の関係者であると思い込んだようだった。
……そう思っておいてもらおうっと。ルーフスは内心でうなずいた。
「それにしたって、こんなところで何をしているの。
お屋敷に入りなさいな。みんな、あなたがまともに生きてるか、本当に心配していたのよ」
「ほ、ほんとですか?! みんな、そんなに私のこと思いやってくれてたなんて……!」
……感動していいところかな、これ。ルーフスは疑問に思った。
「元気な顔を見せてあげなさいな。お茶くらい出しますよ」
「いえ、いいです!」
アルトは、勇気をふりしぼって情を断ち切るような声で言った。
「お屋敷に入って何かこわしてもいけないし、まんいち東宮殿下やエドアルドさんに会ったら、叱られるだけじゃすまないし!」
……胸張って言うことかな、これ。
「こわすのはともかく、殿下やエドアルドさんは大丈夫よ、今朝からお留守なの」
メイド頭は笑った。
「次期皇帝になられる皇子様のために、何か儀式をするんですって。西方のザイン城においでになってるわ」
「次期皇帝になられる皇子様?」
アルトは首をかしげた。
「それって、東宮殿下のことですよね?」
「ううん、違うわ。
新しくおひとり、女性の皇子殿下が出てこられたの」
ルーフスは思い切り身を乗り出した。
「それ、ローザ、ローザヴィのことじゃ!」
「そう、そんなお名前よ。城下に告知が出てたでしょう」
メイド頭はほほえみつつも、ちゃんと殿下とお呼びしないとだめよとたしなめた。
「まだ14歳の、お小さい姫様ですけど、その方が東宮殿下の代わりに次の皇帝になられるんですって。
その姫様とご一緒に、西方のザイン城に」
「アルトちゃん、俺行くよ!」
「え? ルーフスくん?」
アルトがそう言う間もなく、ルーフスは地を蹴ってその場を駆けだした。