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過去、そしてしばしの平穏:エドアルド

エドアルド→東宮私邸の警備兵。反逆者の烙印を押され、東宮に逆らえない立場。

フォルティシス→現皇帝の第一皇子、東宮。最近、次期皇位継承者から外された。

 幼いエドアルドは、村の小道を走っていた。

 騎士である父の領地の、いなかの村だ。都からは遠く離れ、村人たちは畑をたがやしたり山で木を切ったりして暮らしている。さほど豊かではない。だが、おだやかで、とても平和な村だった。

 騎士は一代限りの称号というたてまえだが、実際はほぼ世襲だ。いずれエドアルドも騎士の称号を受け、父の領地を受けつぐことになるのだと誰もが思っていた。

「若さま、こんにちは」

 すれ違う村人らが親しげに声をかけてくる。領地自体は広いが、田舎なので人は少ない。だから村人全てが家族のようなものだった。

「こんにちは! あのね、キツネの親子を見つけたんだ! マリアリアに見せてあげるの!」

 右手の木刀をふり、はずんだ声を返すと、村人たちは笑った。

「いそぎすぎて転ばないでくださいよ」

 エドアルドは館への道を走った。領主一家が暮らす館の庭で遊んでいるはずの妹に、キツネの親子のことを教えて巣穴まで連れて行ってやるのだ。きっと喜ぶに違いない。

 そう思って足を速めた彼の前に、向こうからかけよってくる男がいた。館に住み込みで働いている老夫婦の、夫のほうだ。使用人ではあるが、住み込みで一緒に暮らしている彼らは、完全にエドアルドたちの家族としてあつかわれていた。エドアルドに向け大きく手を振る。

「若さま! だんな様がお帰りになりましたよ!」

「父様が?!」

 エドアルドは目を見開き、足を速めた。小川にかかる小さな橋をこえると、小さな館と、その前庭に立つ母と、老夫婦の妻のほうである料理番、そして妹を抱き上げる父の姿が見えた。

「父様!」

 かけよると、父は妹を母に渡し、エドアルドを抱き上げてくれた。

「おかえりなさい!」

「ただいま。いい子にしていたか、エドアルド」

「してた!」

 エドアルドを孫のように思っている料理番の女がいきおいこんで、

「若さまは、とてもおりこうでいらっしゃいましたよ」

と言う。父は「お前は良いことしか言わぬから」と笑った。

「本当ですよ。毎日の剣のけいこも欠かさずに」

 母も笑って言いそえた。

「そうか、えらかったな、エドアルド」

「うん!」

 エドアルドはうれしくなって父にぎゅっと抱きついた。

「兄様ばっかりずるい! マリアリアも!」

 甘えん坊の妹が、母の腕の中から手を伸ばす。

「お前はさっきまでひとりじめにしていたじゃないの」

 母が笑い、父もまた笑った。

「今日はエドアルドが優先だ。なあエドアルド、明日はお前の誕生日だものな!」

「うん!」

 幸福感でいっぱいになり、エドアルドはさらに強く父に抱きつこうとして……その腕が空を切った。

 一瞬の後にあらゆることが変わった。

 炎の熱さと、鉄さびのような匂い。

 群れをなす6足歩行の足音。

 切り裂かれた背中の激しい痛み。

 それらすべてが五感に飛び込んできた。

 血まみれのエドアルドはただ1人、燃え上がる館の前庭に呆然と立っていた。

 目の前には血に染まった妹が倒れていた。ふるえる手を、何とか彼のほうに差し出そうとする。

「兄様……。痛いよ……」

 つかもうとしたその手が、ぱたりと地に落ちた。



 悲鳴がほとばしりそうになってエドアルドは跳ね起きた。どくどく鳴る胸を押さえ、辺りを見回す。

 帝都にある東宮私邸の、寝室のソファの上だった。左手には花瓶が置かれたローテーブルがあり、足の方の壁面に広がった窓からは、早朝の柔らかな光が差し込みつつある。右手には広いベッドがあり、この国の東宮がこちらに背を向けて横になっていた。

 ……気付かれてない、よな? 起きてないよな?

 収まらない呼吸がもれる口を押え、フォルティシスの様子をうかがった。起き上がるでも、こちらを向くでもない。

 時間をかけて必死で呼吸を収めるまで、東宮が動く様子はなかった。エドアルドは小さく息をつき、音を立てないようそっと上掛けをどけてソファから降りた。そのまま静かに奥の水場に行ったので、背を向けた東宮が目を開いてじっと黙っていることには気づかなかった。

 水場の扉を閉め、蛇口を全開にして、頭から水をかぶる。

 ……誕生日には、毎年これだ。

 髪を伝って流れ落ちる水の冷たさを感じながら、自分に言いきかせる。

 ……ゆらぐな。こんなことでゆらぐな。化け物どもを一匹残らず斬り殺すことだけを考えろ。

 その思いと裏腹に、血にまみれた小さな手が目の前に浮かび、シャツの胸元を強くにぎりしめた。

 ……今夜は暑いと理由をつけて、ソファの方で寝ていて良かった。いつものように寝息が聞こえるほど近くで寝ていたら、フォルテに気づかれたかもしれない。

 水を止め、頭を上げる。鏡を見て、そこに24歳の自分を確認する。どんな化け物も、斬り捨てられる力を持った自分を確認する。

 ……ゆらぐな。

 もう一度強く胸の内でつぶやき、鏡の前を離れた。



 屋敷の外で一通り型をさらって部屋に戻ると、フォルティシスはもう軍服に着替えて、食事を取る居室のテーブルの方に座っていた。

「朝っぱらからどこに行っていた?」

 ぱらぱらと資料をめくる手を止め、尋ねてくる。

「外で刀を振り回してただけだ。……鳥の鳴き声で目が覚めちまってさ」

「ふん」

「お前、気が付かなかったのか? ずいぶんぎゃあぎゃあうるさかったぜ」

「いや」

 内心でほっとしながら刀を置き、フォルティシスの向かいに座る。遅れてメイドが食事を運んできた。食欲はなかったが、それを隠してパンを手に取った。

「ローザヴィが皇位継承者と告げられたことで、各地の貴族が混乱しているようだよ」

 資料をサイドテーブルに放り出し、フォルティシスもフォークを取った。

「だろうな」

「俺が東宮のまま、皇位継承者は取りかえるって言うんだからな。連中もわけがわからんさ」

「お前はそれでいいのか?」

 フォルティシスはプチトマトをフォークで刺し、鼻で笑った。

「むしろ好都合だ。面倒なことはあの小娘に全部やらせて、俺はやりたいようにやる。どうせあの娘に政治はできん。城のバルコニーに立って手を振る役を与えてやるよ」

 そして、呆れ顔のエドアルドの前にプチトマトを差し出した。

「エディ、やるよ。食べろ」

「やるよじゃねえだろ。代わりに食べてくださいって言え」

「主人がくれてやるエサを拒否する気か?」

「死ねよ。二つは食べてやるから、一つは自分で食えよ?」

 口をあけ、口中に差し込まれたフォークからプチトマトをかみ取った。もぐもぐかむのを、フォルティシスは薄笑いを浮かべて見ている。支配欲が満足するらしく、東宮は時折こういうことをしたがった。特に、苦手らしいプチトマト――そのことを周りに気取らせていなくて、知っているのはどうやらエドアルドだけらしい――が出されたときは、必ずやり始める。

 飲みこみ、フォルティシスが次のプチトマトにフォークを刺すより前に、先手を打って自分のフォークを刺してやった。

「ほら、一つは食えよ」

 口の前に差し出してやる。フォルティシスはじろっとこちらを見た後、フォークをエドアルドの手から取り上げてプチトマトを食べ、フォークだけこちらの手に戻してきた。

 ……なんだよ、俺の手から食うのは嫌だってのかよ。

 少し機嫌をそこねながら、二つ目のプチトマトを前に仕方なく口を開ける。

「……しばらくは忙しくなる。帰れん日も増えるだろうな」

「至天宮でゆっくり寝ろよ。お前のための建物があるんだろ」

 気のないそぶりで言ってやると、フォルティシスは不機嫌そうにふんとつぶやいた。

「あんな場所でゆっくり眠れるか。……門の前まで護衛についてこい」

「へいへい」

 ぞんざいに返し、カップの茶を飲みほした。反逆者の烙印を押されているエドアルドは、結界で守られた至天宮に入れない。フォルティシスが至天宮にいる間はこの屋敷にいるのだが、護衛という理由で正門前の広場までついて来させたがることがあった。

 朝食を食べ終えたフォルティシスが席を立つ。エドアルドも立ち上がり、警備兵の制服の上着を着て、愛刀を差した。宮殿に入るわけでもないので、出かける準備などこの程度だ。

「エディ」

 ふいにフォルティシスが近づいてきて、あごを持ち上げられた。出かける前のあいさつのようなものだと思い、しばらくされるがままにキスされてやる。左手が首筋をなでまわし始めたので、唇が離れた一瞬に「おい」と抗議した。

「これから出かけるんだろ。もう迎えが着くぞ」

「黙っておとなしくしてろ、バカ犬」

 首をなでまわしていた左手が、腰を強く抱き寄せた。右手も背にまわり、きつく抱きしめられた状態でもうしばらくキスされる。

 いつまでする気だよ、と思ったころに、ようやく唇が離れたが、腕は離れず、しばらくそのまま抱きしめられていた。

 こいつ起きてたんじゃないだろうな。ふとそんなことを思い、

 ……まさか。こいつがベタベタしたがるのはいつものことだ。

 そう自分に言い聞かせて、わき上がってきた不安を押し殺した。

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