間の小話4 勢ぞろい、そしてそれから:ルーフス
ルーフス→14歳の少年騎士(未)。ローザを探している。
ローザ→ルーフスの幼馴染。最近、皇帝の第19子として認められた。
コトハ→ローザにつけられた騎士。東宮フォルティシスの部下
フォルティシス→現皇帝の長子、東宮。ローザの異母兄。
エドアルド→東宮私邸の警備兵。反逆者の烙印を押され、東宮に逆らえない立場。
テレーゼ→現皇帝の第3子。才女にして変人と名高い皇女。
シャリム→現皇帝の第4子。異母兄弟中でまともなのは自分だけだと常々思っている。
「ああ楽しかった。でももう帰らなくてはね」
ひとしきり盛り上がった後、イリスが突然そう言った。
「帰るの? じゃあ行きましょう」
「そういえば、扉開いてるな」
立ち上がった2人に、イリスは優しいほほえみを向け、
「帰るのは私とラフィンだけよ」
「おなごりおしゅうございます、嬢ちゃまぼっちゃま」
ラフィンとともにそんなことを言ってルーフスとローザを驚かせた。
「どうして? 姉さま……」
言いかけたローザがふいに黙り込んだ。ルーフスも思っていた。
……あれ、俺は、イリスたちの帰る場所が違うって知ってるぞ、と。
イリスとラフィンはどこかに帰る。
自分たちが帰るどこかとは別の場所に。
それを、以前にどこかで知らされたような気がしていた。
「私たち、どうしたらいいの?」
ひどく心細げに、小さな声でローザが言った。ラフィンが過剰な笑顔になる。
「嬢ちゃま、ここはそんなに怖い場所ではございませんよ。なんのご心配もいりません」
イリスも少し笑い、そして天井を見上げた。まるでそこに、ルーフスたちには見えない何かを見ているように、
「きっと、ずいぶん昔の誰かね。とても強い符の才能を持った人が、気まぐれに作って、あきて放り出してあったのよ。
何かのはずみに、そのスイッチが入ってしまったんだわ」
「何かのはずみって?」
「この仕掛けだけじゃない。何かが変えられようとしているわね。じわじわと、見つからないように、陰で何かをしている人がいる。その影響で、いろんなことが起こるでしょう」
「何かが、変えられようと……」
ローザは、なにか思い出すことがありそうなのに思い出せないという様子でその言葉を繰り返した。
そして、ひどく不安そうな声を上げた。
「姉さま、私、どうしたらいいの……」
その一言は、ルーフスの耳にはひどく重たく響いたが、イリスはが見せたのはなんでもないことのような華やかなほほえみだった。
「大丈夫、ここから出るのは簡単よ。みんなと一緒に行けばいいの。
ね、テレーゼ、シャリム」
ルーフスたちは驚いて、イリスの視線の先を見た。
開いた大扉の向こうに通路があり、イリスはその道が曲がるところを見ている。と、曲がり角のかげから、すっと黒髪の頭が現れた。
「では、この道をたどっていけば出られるのか?」
平然と口を開き、てくてくと近寄ってきたテレーゼに、イリスも平然とうなずいた。
「そうよテレーゼ。シャリムも出てらっしゃいな」
数秒の沈黙があって、曲がり角のかげから、おずおずとシャリムが顔を出した。
「イリスリール姉さん……」
何か言いたげな異母弟に、ただ明るい笑い声だけを残し、
「ああ、もう行かなくては。それじゃね」
「またお会いしに参ります、嬢ちゃまぼっちゃま。次はちゃんとお茶のご用意も」
イリスとラフィンは、毛糸玉が解けるようにその場から姿を消した。
「! 姉さん……!」
シャリムは目の前で起こったことに驚きの声をあげ、
「姉さま、ラフィン……」
ローザは胸の前で指を組み、切なげな声をしぼり出した。
ルーフスもまた、まるで永遠の別れであるかのようなさびしさが胸にこみ上げてきていた。理由のわからないその感情に、声も出せなかった。
そしてテレーゼは、
「では行こうローザヴィに見知らぬ君。私たちはこの道を行けばいいそうだ」
「姉さん、もうちょっと、もうちょっとさあ……」
いつもと全く変わらないほほえみでいつもと全く変わらない声の号令を飛ばした。
と、
「あっ! シャリム殿下テレーゼ殿下! ああっ、ローザヴィ様も!」
地獄で仏を見つけたかのような声が響いた。さっきシャリムたちが隠れていた通路のほうからだ。遭難中に人の姿を見つけたかのような様子で、コトハが駆け寄ってくる。
「コトハさん!」
自分も駆け寄ろうとしたローザと、何でそんなせっぱつまった声なんだろうと思ったシャリムは、コトハの後ろに軍服姿の男2人もいるのを見て急に納得した。東宮フォルティシスと警備兵のエドアルドだ。
……ここまで、3人で歩いてきたのね。
……あの2人に、コトハか。きっと、ものすごくいづらい雰囲気だったんだろうなあ。
「ご無事ですか? お怪我は? 心配しておりました!」
私の方は生きた心地がしませんでしたなどとは口に出さないコトハは、やたらとローザにかまい始める。その後ろで東宮が白々と一同を見た。
「2人足らんな」
「イリス姉さんと執事は帰ったよ。私たちは、この通路を行けばいいそうだ」
テレーゼがいつものほほえみで言う。
「そうか。いい加減この景色にもあきた。さっさと帰るぞ」
言うなり歩き出す東宮について、一同はぞろぞろと通路にふみ出した。
通路は、ゆるやかなカーブを描きながら上へと続いていた。
大きならせんのスロープを登っていくような感じだ。途中の壁には、いくつか扉があったが、どれも開かなかった。
エドアルドと東宮が先頭に立ち、シャリムとテレーゼ、その後ろにローザ、最後尾をコトハとルーフスが守る形で歩いた。
「昔の誰かが、気まぐれに作ったものじゃないかと、姉さまはそう……」
イリスの言ったことを話すローザの声を聞きながら、ルーフスは罠や、なにかしらの敵が出てくることを警戒していた。だが、道中には何ひとつトラブルが起こらず、誰もが歩くのに飽きて口を開かなくなった頃、初めて通路の突き当たりに、大きく開けた場所が現れた。
「うわ、なんだここ」
広場に一歩ふみ込んだルーフスは思わず声を上げた。
そこもまだ洞窟の中だった。だが、家がいくつも入りそうなほど広く、天井も高い。その真ん中に、明らかに人の手によって作られたとわかる、立派な台座があった。
そしてその上に、何か小さなものがのっている。
「扉もあるぜ」
先頭にいたエドアルドが、ずっと向こうの壁を指差した。これまで以上に大きな、城の正門かと思うほどの大扉が見える。
「あの台座に、扉が開く条件があるのかな」
「また好きって言うのかしら。そう言えばコトハさんは、一人で好きって言ったんですか?」
「ほえっ?! わ、私はちょっとした質問に正直に答えたら扉を開けてもらえました! いえ、本当にちょっとした質問で、アハハ!」
一行は警戒しながら広場へと入り、台座に近づいた。上にあるのは青いガラスでできたビンのようだった。
台座の方には一言。
『飲むべし』
それだけが彫りつけられていた。
「なんだろ、これ……」
ビンに手を出しかけたルーフスは、
「不用意に触るな」
鋭く飛んだ東宮の声に、あわててひっこめた。代わりにコトハが前に出て、台座を一周まわって瓶を観察する。
「殿下。真音薬……と書いてあるようです」
「どこ? あ、ほんとだ」
勝手に前に出たルーフスも、ななめから見て気づいた。瓶の表面に、そんな文字が彫りつけられている。
「ふむ。真音薬か」
一ミリも変わらない微笑みのまま、テレーゼが腕を組んだ。
「本に載っていたな。『飲むと、隠している本音が口をついて出てしまう薬物である』と」
その言葉に続いたのは静寂だった。全員、全く言葉を発しないまま、一斉にテレーゼを見た。
視線の中心で、テレーゼが平然といつもの笑みをたたええたまま、十秒。
「え? ……姉さん、なんて?」
「本に載っていたな。『飲むと、隠している本音が口をついて出てしまう薬物である』と」
りちぎに全文繰り返したテレーゼに、再度空気が凍る。
「飲むべしとあるということと、これまでのパターンから推測して、飲まない限りはあの大扉は開かないんだろう」
言うまでもないことをしっかり言い、それ以上特に感想がないらしいテレーゼはいつもの微笑みのまま口を閉じる。
後には静寂のみが残った。
……俺が隠してる本音?
静まり返った一同の中、ルーフスはなぜだか混乱した。
……俺が言いたいこと? したいこと……。
思わずローザを見た。驚いたことにローザもこっちを見ていて、目が合うとさっと視線をそらしてうつむいた。
……ローザ。ローザと何かあったんだ。ローザを探さなきゃって、そう思ってた……!
考え、考えても、霧がかかったように何も思い出せない。息ばかりが苦しくなって、ルーフスは肺の中の空気を全部吐き出した。
……ローザ……!
そんな真剣なルーフスをよそに、それ以外の全員はわりとどうしようもないことを考えていた。
……『ゴメンね、あたし実は東宮殿下のスパイなんだ。てへっ』。……無理無理無理! ローザヴィ殿下と東宮殿下、どっちの信用も地まで落ちる!
コトハは壮絶な危機感に襲われ、
……『兄さんは勝手だしひどいしもういい加減にしてよ! 僕に八つ当たりするのやめてよね!』 ……一生それをネタに兄さんにいびられる……。
シャリムは深刻に不安を募らせ、
……取り返しのつかんことを口走るな。きっちり脅せばだれも言いふらさんだろうが、知られていること自体が不愉快だ。あの小僧は殺せばいいが、他の連中はまだ利用価値がある。
フォルティシスは血も涙もないことを考え、
……そんな、どうしよう! こんなたくさんの人の前でルーフスに大好きって言うなんて……。きゃあはずかしい、ドキドキしちゃう!
ローザは危機感ゼロの恋愛脳を全開にし、
……冗談じゃねえ! 『お前のことは死ねと思ってるけどお前と寝るのはいつもすげー気持ちいい』とか、公衆の面前で言うくらいなら死ぬ!
エドアルドはいろんな意味でがけっぷちに立たされていた。
「では、誰が飲む?」
テレーゼがポンと投げた言葉が、場にすさまじい緊張をもたらした。視線が交錯する中、
「……シャリム。飲め」
「嫌だ! 断固拒否する!」
長兄の命令に、シャリムは人生でこの上ないほど強く主張した。眉を上げて追撃しようとする兄に、
「ここで僕が飲んでいいの? いろんな機密、全部喋るかもしれないよ?」
とっさにしてはぐうの音も出ない反論を突き付けた。舌打ちしたフォルティシスは、すっとルーフスに目をやった。
「小僧、お前どうせ何も考えてないだろう。飲んで聞く価値もない本音を垂れ流しておけ」
「ふざけんな! 自分で飲めよ!」
「はは。公衆の面前では言えないようなエロネタを垂れ流しそうか? 安心しろ、武士の情けで言いふらさずにいてやるさ」
と言ったフォルティシスのセリフはルーフスではなくエドアルドの胸に直撃したわけで、
「自分がそうだからって俺までそうだと思うなよ!」
ルーフスは動じることなく楯突いた。
「兄さま、やめてください! ルーフスはそんな品のない人じゃありません!」
意図せずエドアルドに第二撃を食らわせた妹に、フォルティシスは目を向ける。
「ならお前が飲むか、ローザヴィ」
「えっ……。そ、れは」
視線をさまよわせたローザに、あわててコトハがかばう位置に出る。
「殿下、さすがに妹君にそのような……」
「そうだ、自分で飲めよな!」
ルーフスもさらに言うのに、フォルティシスは不機嫌な顔でふんとつぶやいた。
「……待って兄上、なんでコトハには飲めって言わないの。僕や姉さんにまで言うくせに、自分の部下には飲ませないつもり?」
シャリムがいきなり参戦した。フォルティシスは鼻で笑う。
「部下は俺の所有物だ。俺は飲まんし、俺の所有物に傷をつける気もない」
「ウソだね。コトハが口走ったらまずいことがあるんでしょう」
「止めてくださいシャリム兄さま」
「そうです、ケンカなさってもどうしようも」
「もうさあ、じゃんけんにしようぜ」
皆が口々に口走る中、
「みんな、自分が飲むべきではないと判断しているのか?」
いきなりテレーゼが言った。
「それなら私が飲もう」
「え」
全員がそちらを見、次の瞬間に目にしたのは、ためらいなくビンのふたを開けて中身をあおる第二皇子の姿だった。
その白いのどが、ごく、ごくと二度動く。
「ねっ……姉さま!」
「姉さん!」
「テレーゼ殿下!」
悲鳴が三つ上がる中、空になったビンを口から離したテレーゼは「ふむ」とつぶやいた。
「甘ったるくておいしくないな。レモンかオレンジの味でもついていたらもっとおいしいのに」
そしてビンを台座に戻し、凍りついた一同に顔を向ける。
「私は昔から、甘ったるいものはまずく感じられてな。おじい様の館では、シロップ漬けの桃のパイがよく出るが、あれがひどく甘くて、毎回まずいと思うんだ。
でも、作ってもらった食べ物に文句を言うのはよくないことだ。だから何も言わずに毎回全部食べている」
それだけ言い、口を閉じた。後にはいつものほほえみが残る。
そのまま、5秒、10秒。
「え……? それだけ?」
「それだけとはなんだ、シャリム」
平然と問い返してくるテレーゼに、
……この人、本当に何もないんだ……!
脱力と、かすかな失望と、そのほか自分でもわからないもろもろとで、シャリムは思わず床に崩れ落ちた。
「期待でもしていたのか。馬鹿が。扉が開いたし行くぞ」
いつもより5割増しの冷たい声で東宮が号令をかける。のろのろと起き上り扉へと移動する一同の背後から、
「兄上」
テレーゼの声がかかった。
「歩きすぎて足が疲れてしまった。背負って歩いてくれないか」
東宮が驚きに棒立ちになるのを、シャリムは生まれて初めて見た。エドアルドさえ、そんなフォルティシスの表情を見たのは初めてだった。
「実はさっきから足が痛くてな。
これ以上歩くのは苦痛だと思っていたが、みんな歩いているのにそう言うのは良くないと思って、ずっと黙っていたんだ」
ぺらぺらと本音をしゃべるテレーゼが口を閉じてから、ギギギギギッと、やたら動きづらくなった首をめぐらし、フォルティシスはまずシャリムを見た。
異母弟は凍りついている。
反対側に首をめぐらし、エドアルドを見た。
……負ぶってやれ! いますぐ負ぶってやれ! 妹がおにいちゃんおんぶって言ってんだぞ!
全身からそんなオーラを放っている。
「…………疲れたら下ろすからな」
「ありがとう兄上」
いそいそと背中に乗ってくる重みにやたらと動揺する。そしてシャリムの脳が活動を取り戻したようだった。
「姉さん! 兄上が疲れたら僕が代わってあげるから!」
「いや、いい」
きっぱりとテレーゼは言った。
「君の体力では私の運搬は無理だろう」
……姉さんの本音、ひどすぎるよ!
再度床にへたり込みかけたシャリムに、
「いえ、今のはテレーゼ殿下の通常運行かと」
「それフォローのつもり?! とどめのつもり!?」
コトハの余計なひと言が襲い掛かった。
いつもの薄笑いが消え失せた顔で妹を負うフォルティシスと、いつものほほえみで兄の背に負ぶさるテレーゼとの姿に、
「ローザ、……あのさ、その、」
ルーフスは最大級の勇気をしぼり出した。
「疲れてるよな。背負ってやろうか?」
「えっ。そ、そんな、いいのよルーフス!」
一気に真っ赤になったローザが、やたらと顔の前で手を振る。
「ルーフス騎士じゃない! 手がふさがったら剣が使えないわ!」
「そ、そっか、そうだよな。ハハハ」
「そ、そうよ。うふふ」
ぎこちなく笑いあう14歳二人に、ごく遠くからコトハの「行きますよ~」という小さい声が飛んだ。
大扉は、今までの扉のように全開にはなっていなかった。わずかに開いたそのすきまからでは、人間はすりぬけられない。
「わざわざ開けねえと出られないってことか。これがこの洞窟の出口っぽいな」
刀のつかに手をかけたエドアルドが先頭に立ち、ゆっくりと扉に手をかける。ルーフスは刀に手をかけ、突然敵が飛び出してきてもローザを守れるように十分に警戒した。
エドアルドがゆっくりと扉を押す。
少しずつ広がるすきまから、どっと光が差し込んだ。
「! ローザ!」
とっさにローザをかばおうとし、その瞬間にはすべてが光に沈んだ。
ルーフスはハッと顔を上げた。
湿った空気があたりを取り巻いている。
左右を見渡し、そこが建物の間の細い路地であることに気が付いた。
……そうだ、帝都に来ていたんだ。
小さな教会の前で化け物と戦い、駆け付けた騎士団から逃げてきたのだった。人目をさけて建物の間の路地に入り、置きっぱなしの木箱にもたれて休むうち、座ったままうつらうつらしていたらしかった。
……夢を見た気がする。
幸せだったような、もどかしいような、奇妙な感覚が体のどこかに残っている。
ルーフスは頭を振った。
……行こう。
まだ、化け物の起こした騒ぎは収まっていないようだった。
……行って、俺に助けられる人がいたら助けよう。そして、ローザも……。
ルーフスは、夢の残りを振り払うように立ち上がった。