神がかりの皇子と皇子たちと:キーオ
フレリヒ→現皇帝の第18皇子。悪名高い神がかりの皇子。
キーオ→フレリヒが幼少時から預けられている、辺境のウィーウッド伯爵家の長男。
ムエズィ伯爵家→第12皇子ヨハネと、ムエズィ伯爵の長子ジャムールと次子ウィンビの兄妹。
ローザ→新しく認められた第19皇子。
コトハ→ローザにつけられた騎士。ローザの異母兄である東宮フォルティシスの部下
人々の行きかう生き生きとした声が、一気に耳に飛び込んできた。
「いらっしゃい!」
「さあどうぞ、帝都名物だよ!」
あちこちからにぎやかな呼び込みの声が聞こえる。
振り返っても、さっきまでいた不思議な空間はどこにも見えない。たくさんの人々が歩く、大きな道が続いているのみだ。
「キーオ、あれだよ。クッキー屋さん」
背中のフレリヒがキーオの肩ごしに手を伸ばし、ステッキで右の方をさした。
数歩先に屋台のような小さな店が出ていて、老婆がニコニコしながらクッキーを売っている。入れ代わり立ち代わり客が訪れていて、繁盛しているようだった。
「すごくおいしいんだよ。
ねえ! 買って行った方がいいよ」
フレリヒがいきなり、左の方に向かって大きな声を出したのでキーオは警戒した。
……まさか、さっきの……?。
フレリヒが叫んだ方にいたのは、見知らぬ3人組だった。
そろってひるんだ顔をしている彼らは、男2人、女1人。全員が、キーオより少し年下くらいの年頃で、貴族らしい上質の服を着て、男のうちの一人だけが白い肌で、あとの二人は褐色の肌だった。
そして彼らは、フレリヒにいきなり声をかけられたことだけに驚いているようではなかった。
バッと三人で顔を見あわせ、『おい、あれ、まさか』とでも言いたげな視線をいそがしく交わしている。キーオのイライラに再度火をつけるのに十分なまなざしだった。
……ああそうだよ、これが悪名高い神がかりの皇子だよ。文句でもあるのか!
幾多の戦場できたえられた眼光でにらみつけると、白い肌の一人が明らかにひるみ、肌の色の違う男があわてたように一歩前に出て、白い肌の彼を背後にかばった。
背中で、けらけらと笑う声がした。
「キーオ、いじめちゃだめだよ。僕の兄さんだよ」
え。
キーオは思わず肩ごしに背中のフレリヒを振り返り、もう一度目の前の青年を見た。
……まだはたちにはなってなさそうだな。体つきも身のこなしも、剣の訓練を受けているようには見えない。
どことなくあかぬけない礼装に身を包んだ彼は、フレリヒとは似ても似つかない。フレリヒの異母兄である東宮やシャリムとも、まるで違っていた。
だが、供をしている2人の男女は互いによく似ていて、兄と妹のように思えた。
……いなかの貴族に預けられた皇子が、預けられた先の兄妹をつれているというところか?
「兄さん? あれがお前の?」
「そうだよ。何番目かの兄さんだよ。ね!」
その一言とともに、フレリヒは彼に向かってステッキを振ってみせる。振られた彼らはぎょっとしたようだった。神がかりの皇子に目をつけられたぞという態度に見え、元々の知り合いであるとは思えなかった。
……だが、フレリヒがそう言う以上、あの彼は皇子なのだろう。
にらんだ非礼を謝るべきか。……謝らないとだめだな。そう思って「失敬、」と足をふみ出しかけたとき、背後から声がした。
「フレリヒ兄さま!」
振り返ったそこに、息を乱した少女がいた。
いましがた至天宮の庭園で会った、あの少女だった。
背後には同じく、全力で走ってきたかのように息を切らした、あの女騎士がつきそっていた。
フレリヒがきゃっきゃと笑う。
「ローザも来たんだね。僕、わからなかったよ」
キーオにもわからなかった。
「なぜ、どうやってここに」
後を追うことができるわけはない。どことも知れぬ空間を通ってここまで来たのだ。東宮も、城の符術士集団も、今までただの一人だってその空間を追ってくることはできなかった。
……フレリヒの符術に対抗できる者など、誰もいなかったのに。
「兄さまが、クッキーを買いに行くとおっしゃっていたので……」
息を整えながらローザが言い、
「星形と丸型があるすごくおいしいクッキーと言ったら、ここです」
おつきの女騎士が、やけに力強く断言した。
……推理して走ってきたってことか。
納得した気持ちと、なぜか少し安心した気持ちになったキーオの内心など知るよしもなく、少女は言う。
「兄さま、お話をさせてください。あの時のこと、なんだったのか私知りたいんです」
フレリヒはキャラキャラと笑った。
「あの時のことって?」
少女は、一瞬言葉につまった。キーオの耳ではなく、後ろにひかえる女騎士のほうを気にしたように見えたが、
「ジーク砦でのことです!」
怒ったような声を上げたのはその女騎士だった。
「ああ、あの時のこと」
とぼけているのか本気なのか、フレリヒは笑う。
そして、
「ないしょだよ」
さらりと言った。
「おい、フレリヒ!」
叱りつけようとしたキーオにけらけら笑い、
「よけいなことはするなって言われたんだ」
まるで悪びれずにフレリヒは続ける。
「それに、ローザが今話すべき人は僕じゃないんだ」
「えっ?」
キーオと少女の声がハモるのと同時に、
「あ、あの」
横手から、遠慮がちな声がかかった。
半ば存在を忘れかけていた、あの三人組のうちの一人、フレリヒが兄と呼んだ一人だった。
よく見るとひどくきれいな顔をしている。顔よりまず身のこなしに目が行くキーオは、そこで初めてその彼の美貌に気が付いた。
彼はフレリヒとキーオではなく、少女を見ていた。
「ローザ? ローザって、呼ばれてるので合ってるんだよね?」
「え? は、はい。私はローザです」
そう返事をする少女は、なんで知ってるのかしら、どちら様かしらという顔だ。
こっちも、知り合いじゃなかったらしいな。そうキーオは思った。
「君を探している人を知ってるんだ。あの、多分君だと思う」
美貌の皇子は、そう言った。
「私を探している人?」
聞き返され、小声で「あっ」と言った。
「どうしよう、僕、あの子の名前知らない」
「えっ、どうするんだよお前」
「探してる相手、本当にあの子で合ってるの?」
肌の色の違う男女2人と、ぼそぼそ相談し始めた。
「……あっ!」
声を上げたのは少女の方だった。身を乗り出して早口になり、
「まさか、私と同じ色の目で髪の長い女の人と、背の高い銀髪の男の人ではありませんか」
「え、ううん、違うよ」
美貌の皇子は、妙に幼い表情で言った。
「男の子だよ。君と同じくらいの年の、茶色い髪で、剣を持った」
ローザは息をのんだ。
「僕のこと助けてくれて、それで聞かれたんだ。お城にローザって子はいるかって」
口を手でおおい、目を見開いて、ローザはただ立ち尽くしている。その肩が、小さくふるえ始めた。
「殿下」
女騎士がそっとその背を支えた。
「えっと……あの、」
少女の動揺に、美貌の皇子の方も戸惑ったようだった。背後の二人をちらちら振り返っているのは、どうしたらいいかわからないからなのだろう。
……この皇子は、預けられた家の人間をすごく頼りにしているんだな。
「ローザはどうしたいの?」
急に口を開いたのは、キーオの背にいるもう一人の皇子だった。
「ルーフスはローザを探してるんだね。ローザはどうしたいの」
「フレリヒ殿下」
女騎士が、だまっててくださいと言わんばかりの声を上げた。
ローザは口を手でおおったまま、ゆっくりうつむいた。その肩のふるえが、ゆっくりと治まっていく。
そして、
「兄さま」
上げた顔は、フレリヒに向いていた。
「あの時のこと、やっぱり教えてください。あれがなんだったのか、私は知りたいんです」
フレリヒは笑ってステッキを振った。
「知ることが、ローザのしたいこと?」
「いいえ」
少女はきっぱりと言った。
「私は、私の身を案じてくれる人のために、やるべきことをします。私を大事にしてくれた人が、幸せに暮らせるように、できることをします。しなければならないことをします」
そして急に美貌の皇子をふりかえった。
「私を探してるその子に、伝えてください。
お父さまお母さまの待つ家に帰って、幸せに暮らしてほしいと」
断ち切るような口調、そしてその内容に、皇子たちもキーオも驚かされた。
「えっ、でも」
「やっと、心が決まりました。
……あの子のこと、教えてくれてありがとう」
「でも」
美貌の皇子は言いかけ、
「……でも」
とそれ以上言える言葉がない様子でだまってしまった。
「さあ、兄さま、お話を……」
と言って振り返ったローザが目を見開いた。
「兄さま?!」
同時にキーオも気づいた。背中の重みが、何だか変わっている。
「フレリヒ?!」
負ぶっていたフレリヒのはずのものは、ふくろだった。どこかの店の横にでも積んでありそうな、小麦粉のふくろだったのだ。いつ入れ替わったのか、名高い剣豪のはずのキーオにもさっぱりわからなかった。
「またね、ローザ!」
どこかから声がした。キーオは頭上を見上げ、ローザと女騎士はそれぞれ別の方向を見た。それほどに、声がどこから聞こえてきたかはわからなかった。
わかるのは、悪名高い『神がかりの皇子』がその場から消え失せたことだけだった。
「フレリヒ! どこだ!」
叫んでも、それにこたえる声はない。