神がかりの皇子を背負って:キーオ
フレリヒ→現皇帝の第18皇子。悪名高い神がかりの皇子。
キーオ→フレリヒが幼少時から預けられている、辺境のウィーウッド伯爵家の長男。帝国内でも名高い剣士。
「フレリヒ!」
巨大なシダ植物が生い茂る一角を走りながら、キーオは叫んだ。
「どこだ!」
前を走っていたはずの皇子の背は、枝と生い茂る葉に隠れて見えなくなっていた。
「フレリヒ――」
「ここだよ!」
え、と足を止めた瞬間、背中にフレリヒが降ってきた。いきなり首にすがられて驚き、キーオが一瞬体勢を崩しかけてふみとどまるうちに、フレリヒは完全に背に負ぶさってくる。
楽しそうにけたけた笑う声が耳のすぐ後ろで響く。
「フレリヒ! お前は……!」
爆発寸前の声を上げたが、返って来たのは赤ん坊のような笑い声だ。
「ほら、行こうよキーオ。歩かないと夜になっても出られないよ」
15歳になる彼だが、見た目は10歳にも見えない。体は小さく、体重も軽い。きたえ上げた剣士であるキーオにとっては、背負って歩くくらい苦ではなかった。
仕方なくゆすりあげてちゃんと背負い、フレリヒの指が指すほうへと歩き出した。
「ステッキ、自分で持て」
「うん」
ひとの背の上で、フレリヒはいつも通りの上機嫌だ。右手でキーオの肩につかまり、左手でステッキを振り回し始める。
周りは、巨大なシダ植物に囲まれている。人の背の数人分よりさらに高く、頭上を完全におおっている。城の庭園であるはずなのに、周りにあるはずの建物は全く見えなくなっていた。
ここはすでに、至天宮内の庭園ではない。
いつものことだった。フレリヒと2人で歩いていると、いつの間にかどこか別の場所を歩かされている。そしていつの間にか、ずいぶんと遠くであったり、壁の外であったり、歩いて行けるはずのない場所に出ているのだ。いまさら驚きはしない。
……さすがにうちの領までは帰れないだろうけどな。城下の市にでも出るのか。
キーオはため息をつき、また背中のフレリヒをゆすりあげた。
「東宮殿下のお怒りはたいそうなものだったぞ。うちみたいな下っぱ貴族じゃ、お前を守るなんて無理だからな」
背のフレリヒは笑う。
「僕のせいじゃないよ。兄さんはいつだって怒ってるんだよ」
ため息しか出なかった。
「わかってるよ。どうせお前、俺たちに守ってもらおうなんて思っていないだろう。恐いものなしだもんな。
お前、本当に何がしたいんだ」
きゃらきゃらと、そっくり返って笑う声が届いた。
「いろんなことだよ」
そしてぼすんと背にもたれてきた。
「キーオは何がしたいの?」
「俺?」
再度ゆすり上げてバランスを取り、
「俺だっていろんなことだよ。
化け物から領民と領地を守りたいし、ウィーウッド家の名声を高めたいし、親父と母さんに楽をさせてやりたいし、剣の腕ももっと上げたい。
ついでにちょっと領地が豊かになって、みんなでうまいものが食べられるようになるといいよな」
「僕、ミアンの作ったオレンジのケーキが食べたい!」
フレリヒが大喜びで言った。
「お前もちょっとは頑張って、母さんが心置きなくオレンジのケーキを作れるようにしてくれよ。神がかりの力を持ってるんだから」
半ばグチ、半ば本気で言ったが、いつも通り赤子のような笑い声しか返ってこなかった。
「そんなの持ってないよ。僕はしたいことをしてしたくないことをしないだけさ。したいことはわかるし、したくないことはもっとわかる。
……ねえ、何がしたいの?」
「え? だから俺は……」
応えかけ、キーオはぴたりと足を止めた。
……人がいる!
巨大なシダ植物に囲まれたうす暗い空間の前方に、少年が立っていた。
キーオは一気に緊張した。フレリヒとともに通る奇妙な場所で、誰かに会ったことはなかった。
……今の、あいつへの言葉か?!
14・5歳といったところか。上質の衣装に包まれた細い体は、剣士には見えなかったが、
……何物だ、こいつ。
一瞬も油断できない何かを、キーオは感じ取った。その少年の何がそう思わせたのかわからない。それが不気味だった。
「フレリヒ」
少年はひどく冷たい声を出した。
「何をしに来た」
……こいつ、フレリヒを知ってるのか。
ひそかに身構えたキーオの背の上で、フレリヒはけたけた笑った。
「遊びに来たんだよ。ね」
同意を求められたキーオが、いやちがうと言う前に、フレリヒはステッキをくるくる回して続けた。
「一緒にクッキーを買いに行く?」
「フレリヒ」
少年はフレリヒの上機嫌にかまう様子もなかった。
「よけいなことはするな」
フレリヒは少年の冷たい声にも、キーオの緊張にも関係ないといった様子で笑った。
「よけいなことじゃないよ。おもしろいことだよ。
僕はしたいことをするし、したくない事はしない。わかることはわかるし、わからないことはわからない」
くるくるとステッキが回る。
「ねえ、何がしたいの? それがわからないんだ」
少年は口を閉じ、じっとフレリヒを見た。ながめているのかにらんでいるのか、それともほかの何かなのか、キーオには判別がつかなかったが、
……襲いかかって来たら、どうする?
キーオもまた口を閉じて思考をかけめぐらせていた。
とにかく一度フレリヒを放り出して迎え撃つか。背負ったまま、フレリヒに案内させて全速力で逃げるか。はたまた、天才的な符術の使い手であるフレリヒが撃退してくれるか。
――最後の一つは期待できない。
「フレリヒ」
少年が口を開いた。左肩でゆるくくくった白銀の髪がゆれる。
「もう一度だけ言っておく。よけいなことはするな」
フレリヒは何かの発作でも起こしたかのように笑い転げた。
「よけいなことなんて、僕はしたことないよ」
……どの口が言う!
内心でキーオがツッコミを入れると同時に、少年はすっと上着のすそをひるがえし、右の方へと歩み去った。
その姿は、不自然なほどすぐさま闇に溶け、見えなくなる。
それでも、キーオは刀のつかに掛けた手を下ろせなかった。
背の上で、フレリヒがけたけた笑う。
「やっぱり行っちゃったね。ねえ、何がしたいのかなあ?」
「俺のセリフだ。……何者だ、今のは」
「一緒にクッキーを買いに来ればいいのにね。せっかくおいしいのに」
「味方には見えなかったぞ。お前と敵対してるのか?」
「ほら、行こうキーオ。夜になっちゃうよ」
フレリヒと会話が成り立たないのはなぜだろう。歩き出しながら、キーオは時々思う疑問をまた頭に浮かべた。わざとはぐらかしているのか、本当にこちらのセリフなど気に留めていないのか。
「お前、本当に何がしたいんだ」
フレリヒはまた、いつもの笑い声をあげた。
「面白いことだよ。それから」
どすんとキーオの背に体重を預けてきた。
「わからないことをどうしても知りたいんだよ」
「わからないことって……」
問い返しかけて、キーオは足を止めた。
左右に、建物がある。
そこはいつの間にか、至天宮前の商店街の中だった。