皇帝との謁見、山ほどの皇子たち:ヨハネ
ヨハネは、至天宮内の荘厳な廊下を歩いていた。
左右には兵士が立ち並び、通り過ぎる皇子たちにうやうやしく礼を取っている。その中をぞろぞろ歩く10人以上がすべて異母兄弟だというのが、笑えない冗談だと心底思った。
「こちらでございます」
先を歩くあの文官が、左手を指し示す。そこにある驚くほど大きな両開きの扉を、兵士たちが開けてくれた。
中は、大広間だ。
皇子たちは、ぞろぞろと中に入った。壁や柱にはあちこち年季の入った装飾があるが、いすやら机やらはなかった。
奥には、劇場の舞台のように、濃紺の幕が下りていた。
「謁見の間じゃないのね」
「あんな幕、前からありましたか、姉上」
見知らぬ女皇子と男皇子がひそひそ話している。皇子同士で知り合いということもあるのだとヨハネは初めて知った。
……そうか、それも当たり前か。
背後でぶあつい扉が閉まり、皇子たちは突っ立ったまましばらく待たされた。
帝都に到着した日、城下の教会で降魔に襲われたあの日から、3日が経っていた。
あの日、かけつけた騎士団に守られて、馬車で宮殿へと戻ってからは、城下に出ずに宮殿内で過ごせと東宮からの命令が出た。
……東宮の命令じゃ、仕方ないよな。
宮殿内でがんばる覚悟を固め、そして思い出した。
……そうだ、『ローザ』。ローザ、だ。
化け物から自分を助けてくれた少年が、ローザという子が宮殿にいるかと言っていた。
……探してあげよう。見つけても、どうやってあの子に伝えたらいいかわからないけど、探すだけ探さないと。
宮殿内を見て回ったり、ほかの皇子らとも話してみようと思ったのだが、半日ともたなかった。
あらゆる人々が、自分を見ると仕事の手を止めてひざを折るし、顔を合わせたほかの皇子は、警戒をうかがわせる礼儀正しい態度で、こちらも腹を割って話す気にはなれず、結局自分にあてがわれた豪華な個室に引きこもって過ごした。
一度、あの第三皇子シャリムが部屋にやってきたのは心底おどろいた。
「城下に出たんでしょ? 化け物に会わなかった? 大丈夫だった?」
……用があるなら自分が呼びつけられると思ってた。一人でほいほいやって来るなんて。
「兄上にはご心配をおかけしました。申し訳ございません」
彼は本当にきづかってくれているように思えたが、
「伯爵家の者たちとともに亡き母の墓参りをしておりましたところ、化け物が現れまして……。
騎士団がかけ付けてくれて、なんとか助かりました」
あの少年のことは、つい隠してしまった。
「そう。ケガがなくてよかったよ」
異母兄はほほえみ、
「退屈だと思うけど、いずれ父上のお呼びがかかるはずだから、いつでも出られるよう準備しておいてね」
と言って去っていった。
そしてその翌日、朝食が終わったころ、招集がかかったのだ。
大広間の左側にある、正面入り口よりは小さな木の扉が開いた。
皇帝の登場かと一同は注目したが、入ってきたのは皇帝よりずっと若い、精悍な顔つきの青年だった。
……あれが東宮のフォルティシスって人か。騎士団と一緒に最前線に立つって聞いてるけど、そんな感じだな。
皇子一同は礼を取ったが、彼はこちらに視線ひとつよこさず、広間の奥の幕にほど近い位置で、ヨハネたちに横顔を見せる向きで立ち止まった。
続いて、黒髪をあごのあたりで切りそろえた女と、その次にシャリムが入ってくる。女は内心の読めない優雅な微笑、フォルティシスとシャリムは無表情だった。
そしてやや遅れて、ヨハネよりずっと年下に思える少女が、シャリムの横に立った。礼を取る十数人の皇子に気圧されたようで、一瞬頭を下げ返そうとしたのをシャリムが止めたようだった。
……誰だろう。宮殿に慣れてない感じだな。でも、東宮と一緒にいる。10代前半で、大貴族の血を継いでて、田舎で暮らしてる女皇子って誰かいたっけ。
ほかにも数名がそのあとに続く。いずれも帝都住まいと見える皇子か、重臣の大貴族という様子だった。ヨハネが名前を知っている大物もちらほらいる。
……でも、あの子がいないな。
ヨハネは、広間中を見回して思った。帝都住まいの者たちよりもある意味で有名な、ある一人の姿が見当たらない。
子供のような姿。つぶれたシルクハット。おかしなデザインのタキシード。一目見ればすぐわかるはずの『神がかりの皇子』らしき姿は、広間のどこにもなかった。
今度は右奥の扉が開いた。足早に入ってきたのは、儀礼用のヤリを手にした兵士たちだった。
……なんだろうあの人たち。あんな制服、今まで見たことない。
彼らは幕の前に立ち、
「皇帝陛下の、おなりでございます!」
一言叫ぶと、奥に張られた幕を、さっと左右に引いた。
その奥には、さらに紗の幕がかかっている。それを透かすようにぼんやりと見えるのは、
……ベッド?
……皇帝はやっぱり、寝付いてるのか。
伯爵家の討論で出された、皇帝は病床にあるのではないかとの推測は当たっていたのだ。
「皇帝、レオラケウスである……」
かすれた声がした。語尾はのどに引っかかるようだった。
息を整えるような長い沈黙があって、
「わが皇子らに、皇帝の勅令を伝える」
また一つ、苦しげな長い息。
「余、亡き後の皇帝位は、第19皇子ローザヴィが継ぐものとする」
……今、何と言った?!
一呼吸遅れて、息をのむかすかな音が室内に満ちた。
「東宮は、今のままフォルティシスとする。
……だが、第28代皇帝は、ローザヴィが即位する」
「待ってください! 待ってください!」
いきなり、シャリムの横にいた少女が叫んだ。
「お父さま、私、そんな、……。皇帝には兄さまがなるべきです!」
あの子が、今呼ばれた第19皇子なのか。ヨハネは目を見開いた。
皇子は17人だといわれていたのに、どこからわいて出たんだろう。しかも、増えた数字は一人ではなく二人分だ。
東宮は平然としている。その横の女……多分第二皇子テレーゼはこの場にふさわしくないほど優雅なほほえみをたたえていて、第三皇子シャリムもしぶい顔だが動揺はない。
……この3人は、先に知らされてたんだ。ヨハネは頭に刻みつけた。
……兄さん姉さん、帰ったら母さん父さんにも、報告しなくちゃ。
彼らと違い、対照的なまでに動揺をあらわにしている者がいた。
「どういうことですか、兄上!」
東宮の反対側にいる男が乱暴な声を上げる。
……あれが悪名高い皇弟か。
ヨハネは納得する。そうと思って見たせいか、ひどく金のかかってそうな衣装に身を包んだその顔は、どことなく下品に見えた。
……皇弟だけは、このことを聞かされていなかったのか。
「そもそも何者ですか、その娘は。第19皇子?! 兄上の御子は18人ではなかったのですか」
ヨハネだけでなく、ほかのものたちも聞き逃しはしなかったようだ。
「18人?」
「17じゃなくて?」
というつぶやきが左右から聞こえた。
……僕らは知らなくて、至天宮でだけ知られている皇子が、もう一人いるのか。
「私に何の相談もなく……!」
怒り狂う皇弟に、紗の幕の前にいる兵士が「お静かに」と言った。
「陛下がお言葉をたまわります。さえぎるような無礼、なさいませぬな?」
皇弟はぐっと言葉を飲む。そして、幕の後ろから、またかすれた声が聞こえた。
「わが皇子らよ……」
それだけ吐き出すにも、とてつもない体力が使われているようだった。
「……ローザヴィを盛り立て、ローザヴィに従い、帝国を栄えさせるのだ。
……余の勅命、命より重いものと心得よ」
ふーっと長く息をつく音とともに、分厚い幕が左右から引かれた。
たったこれだけで、全土から皇子を集めた謁見は終わったようだった。
「兄上!」
幕をくぐろうとする皇弟が、兵士ともみあいになっている。東宮はそれを気に留める様子もなく左奥の扉から広間を出て行った。
「姉さま、兄さま、私どうしたら」
次期皇帝に指名された少女がおろおろと問いかけており、第三皇子がそれをなだめているようだった。
ヨハネの右側では、知り合い同士らしい女皇子二人が、
「どういうこと?」
「ローザヴィってどなたかご存じ?」
とひそひそ話し、その後ろでは別の男皇子が一人、ぽかんと突っ立っている。
少なくとも、その場に残った者たちのなかで事情を知るものはいないようだった。
また別の女皇子が一人、足早に広間を出て行き、それをきっかけに数名があとにつづく。ヨハネもそれにならった。
とにかく、兄さん姉さんに報告しなくちゃ。