森の中で、警備兵との出会い:ルーフス
ルーフス→騎士である父の代理で化け物討伐に向かっている少年
アルト→自称「可愛いメイドのアルトちゃん」。奇声を発し、高速で走る。
体重を乗せて振りぬいたルーフスの剣が、ようやく化け物の足の一本を斬り飛ばした。
バランスを崩して傾いたその一瞬に、巨大な昆虫の腹に剣をつきたてる。化け物は砂のように崩れ去った。
「……倒せた……」
荒れた息を収めながら、ルーフスは剣を下ろす。
森の中で、ルーフスとアルトの前に現れた二匹目の化け物は、さっき現れたものより一回り大きく、てこずった。
「大丈夫ルーフスくん!」
木の陰で「ギャーッ!」と叫び続けていたアルトが、メイド服のすそを蹴ってかけよってきた。その両手が不自然に曲がっている。
「大丈夫、ケガしてないよ。……なんで、石、両手に持ってるの?」
バツが悪そうに笑ったアルトは、
「投げようと思って拾ったの。まごまごしてるうちに終わっちゃったけど」
両手に一つずつにぎった拳大の石を、エプロンのポケットに押し込み始めた。
再利用するつもりなんだろうか。……いや、石とかどうでもよかったんだ。
ルーフスは頭を振り、
「化け物、たくさんいるんだよね? 俺、討伐に行って来る。アルトちゃん、どこで化け物と出会った?」
「あっち! でっかい糸杉があって……」
アルトは、さっき走ってきた方を指さした。確かに、ちょっと遠いが一本だけ目立つ糸杉が見える。そしてその向こうに、
「あれ……村か?」
屋根らしきものが、木々に紛れて見える。
「そう、あの村の近くで化け物がたくさんいるのにばったり会ったの」
「襲われてるかもしれない。行ってくる!」
……もしあの村に、ローザがいたとしたら。
そう思って駆け出そうとしたルーフスのそでを、
「待って、私も行く!」
アルトがつかんだ。
「誰かひどい目に合ってそうなのに、私だけ逃げるとかできないし。一緒に行く」
「でも、」
アルトちゃん戦えない人でしょ?と言いかけてからルーフスは少し考えた。
「アルトちゃん、腕力に自信ある?」
「自信……までは。普通くらい」
ルーフスはうなずいた。
「じゃ、来るだけ来て、もし子供がいたら抱えて逃げて。
男の人で普通程度に腕力あるなら、子供二人くらいは抱えられるかな」
アルトの口元で「ブムッ」というような音がした。
「な……なんで?」
「え? 何?」
「その、私が、……」
「え?」
ぼそぼそ言って聞き取れない。
「何が? アルトちゃん」
「も、もういいから行こう! あっちだよね!」
とアルトが指さした方向に、人の姿があった。
ルーフスもアルトもぎょっとした。
少年だった。
ルーフスと同じくらいの年に見える少年が、一人で山の中を歩いている。
細身で、仕立ての良い長衣をまとい、腰に守り刀らしき短刀を一本差しているだけ。左肩でゆるくくくった白銀の髪からも、どこかの貴族の子供、それも銀のスプーンより重いものは持ったことがありませんという育ちに見えた。
そんな、宮殿の中にいそうな少年の姿が、まるで似つかわしくない林の間を歩いて行く。
硬直していたのは一瞬だった。
「お、おい!」
「待って!」
二人は同時に声をかけたが、少年は一切反応しなかった。少し大きな声を出せば届く距離で、驚いた二人の声は十二分に大きかったのだが、それが聞こえていないように、歩くスピードを全く変えずに木々の間に消えた。
「行っちゃった!」
アルトは真っ青になり、少年の消えた方を指さした。
「きっと村の子だよ、止めないと!」
叫ぶように言った瞬間、背後のしげみがふみつぶされた。
二人同時に振りあおいだ、すぐ後ろにあったのは、蚊を人の背丈より大きくしたような生き物だった。
「化けっ……!」
「ギャーッ!!」
ルーフスが刀を抜くより早く、化け物に近い位置にいたアルトが、とんでもない悲鳴を上げた。そのまま化け物と反対方向……つまり、少年が消えていった方向へと、とんでもない勢いで走り出した。
「アルトちゃん!」
一声呼んだが、現れたときと同じとんでもないスピードで、あっという間に木々の向こうに見えなくなる。追おうとした目の前に細い足が叩きつけられ、間一髪かわした頭をかすめて地面を砕く。
「くそっ……!」
化け物に向かって刀を構えたとき、ぶしゅっという音がした。
巨大な虫の胴体がいきなり地面に崩れ落ち、砂が吹き散らされるように消える。
その向こうに、人間が立っていた。
頭を持ち、2本の手を持ち、2本の足で立っている。ボロボロだが服を着て、腰には短剣らしきものを差していた。
だが。
……違う、人間じゃない!
背筋を粟立て、ルーフスは刀を握りなおした。
立っていたそれの顔には大きく広がった口しかなかった。左手だけが異様に長く、大きかった。今まさにその左手で、蚊の胴体を握りつぶしたようだった。
……化け物だ。さっきのやつより強い……。
「お前、ニンゲンか」
……口をきいた?!
ルーフスは驚き、人型の化け物を見つめた。確かにその三日月形の口が動き、ざらざらした声を発した。
「ニンゲンか?」
化け物は再度言った。ルーフスは刀を握りしめたまま、その隙をうかがった。
「お前こそなんだ? 降魔か?」
化け物は正式には「降魔」と呼ばれる。なぜそう呼ばれるのか、ルーフスは知らない。一般市民のほとんども、その呼び方を知らず、化け物と呼んでいる。ルーフスたちのように討伐作戦に加わるものでもなければ知らない呼び名だった。
相手は、ただ短い声を返してきた。
「ニンゲンか?」
「…………」
「ニンゲンか?」
「……だったら何だ」
「ニンゲンか」
三日月型の口の端が吊り上った。同時に、長く大きい左手がすうっと持ち上がった。
間一髪、ルーフスは横に跳んだ。振り下ろされた左手が髪をかすめた。激突した地面を大きく砕いた左手が、即座に横なぎに払われる。前に身を投げ出してその下をかいくぐり、
……いける!
前転した勢いで体ごと突進し、その右肩に斬りつけた。
確実に切り裂ける一撃だった。だが、
「えっ?!」
思わず声が漏れた。化け物の体に命中した刃は、まるで普通の棒で殴ったかのような手ごたえだけで跳ね返された。
「がっ……!」
驚愕とともに首をわしづかみにされ、息がもれた。化け物の左手に、がっちりと首をつかまれている。
足が地面から離れる。首をつかんだ腕に宙づりにされた。その手めがけて刀を振ったが、やはり叩いたような手ごたえだけで、ローブの表面すら切り裂けなかった。
化け物の口がにたにたと笑った。
長く大きな左手がゆっくりと引かれ、化け物の顔が目の前に迫る。
右手の方が、ルーフスの頭にゆっくりと乗った。
目の前の降魔の顔は、真っ赤な口内を見せて笑っている。
「死ね、ニンゲン」
すうっと頭に重みがかかり、
「死ぬのはそっちだ、化け物」
背後から急に声が聞こえたと同時に、顔のすぐ横を抜身の刀がかすめた。下から上へ――そして同時に、降魔の左腕が切り落とされた。
降魔は口をゆがめて凍りつく。左腕は砂と化して散り、支えを失ってルーフスは地面に落ちた。その前に踏み出した背があった。
「どいてろ。あれは普通の刀じゃ殺せない」
背を向けたまま、若い男の声が言った。人間だった。腰に刀を帯びていて、左手をそのさやに、右手をその柄にかけていた。
「呪のかかった武器は持ってるか?」
「呪?」
ルーフスには意味が分からなかった。
「え、いや、これしか」
相手は、降魔に向いたまま、うなずいたようだった。
「なら、とにかくぶん殴れ。一応ダメージは入る。ひるませることもできる。ひるませて……」
「かあっ!」
降魔が叫び、地を蹴った瞬間、刀にかかる男の腕に力が入ったように見え……ギャッと叫んで後退したのは降魔の方だった。その胸が斜めに大きく切り裂かれている。
ルーフスは目を見開いた。刀の軌跡が見えなかった。刀はすでにさやに戻されている。次の瞬間、男は素早く降魔のふところに踏み込んだ。
「こいつらの武器を奪え」
「あ」
一言、息のようなものが降魔の口から洩れた。そののどに、短剣が深く突き刺さっている。ルーフスは息をのんだ。さっきまで降魔の腰にあった短剣を、男は一瞬で抜き取って相手ののどに突き立てたのだ。
「死ね、化け物が」
男が憎悪を込めてつぶやくと同時に、降魔は霧散した。服も、身に着けていた短剣の柄も、同じように塵になって消えたが、男が持ったままの短剣だけはそのまま残っていた。
「あいつらの武器には特殊な呪がかかっていて、それでなら殺すことができる。覚えとけ」
振り返ったのは、若い男だった。剣士としては細身で、どちらかと言えば中性的な、整った顔だちをしている。今、目にもとまらぬ技を見せたことがうそのような外見だった。よく見ると、着ているものに覚えがある。飾り気のない黒い上下は、帝国の城の周りを歩いている警備兵の制服だった。
……なんで城の警備兵が、ここに。
「やるよ」
彼は無造作に短剣を放った。
「それを持って、ここから離れろ」
「待って!」
そのまま山を登って行こうとした彼を、ルーフスは必死に呼び止めた。
「あれだけじゃない、降魔が山ほど湧いてるらしいんだ! 一人じゃ無理だ。俺も行く!」
彼は足を止めて振り返った。
「降魔だけじゃない、亜神もいる」
「アジン?」
「お前、下級の降魔としか闘ったことがないんだろ? そんなやつが戦力になるか。化け物は俺が皆殺しにするから、お前はどっかに隠れて自分の身だけ護ってろ」
「待って、亜神ってなんだ?」
彼は問いかけを無視した。
「じきに東宮のノロマな騎士団が来る。心配なら保護してもらえ」
「東宮……あ、待って!」
どんどん話について行けなくなり困惑するルーフスを残し、彼は斜面を駆けあがると、すぐに見えなくなってしまった。
ルーフスは少し悩み、
……村を見に行って、誰かいたら助けないと。
地面に放り出されたままの短剣を手に取ると、そのあとを追った。
……騎士として、民を守るんだ。それがきっと、ローザを守ることにつながる。
あれからずっと、そう思って生きてきたのだ。