至天宮、やってくる神がかり:シャリム
第三皇子シャリムは至天宮の廊下を歩きながら、忙しく兵士や家臣に指示を出していた。
何よりも気にしなくてはならないのは、
「弟妹は全員無事?」
「は、皆様ご無事が確認できました」
ほっとため息がもれた。
……よりにもよってこの時に、帝国全土から10数名の皇子が集められているこの時に、帝都に化け物が出るなどという非常事態が起こるとは。
シャリムは、異母弟妹にあまり思い入れがない。
特に、平民出身の母から生まれ、幼いうちに地方へと預けられた皇子らとはほとんど会ったこともない。場合によっては政敵になりうる彼らを家族だなどとは思えなかったし、表面上はともかく、本心では気を許すつもりもなかった。
……でもやっぱり、死なれたらちょっと気の毒だもんなあ。兄さんみたいに本心からどうでもよく思えた方が、ずっと楽なんだろうけど。
さっきとは別種のため息がもれそうになったとき、伝声灯から伝わってくる声に耳を傾けていた兵士が、立ち上がってこちらに駆けてきた。
「お1人は、城下の教会においでとのことです」
「早急に至天宮に戻るように伝えて。城下のほかの場所にも、化け物が出たって」
「なんと……!」
あわてて伝声灯に向かう兵士が、はっと立ち止まって脇によけ、礼をとった。教会にいる子が帰ってきたのかと思ったシャリムは、すぐさま目をうたがった。
「こんにちは、シャリム兄さん」
つぶれたシルクハットにおかしなデザインのタキシード。
短いステッキを振り、踊るような足取りで近づいてくる。
10歳より上には決して見えないその小さな少年は、今年15になる異母弟の、皇子フレリヒだった。
「君……! 何で来た……」
「僕んちにも父さんから手紙が来たもの」
神がかりの皇子は平然としたものだ。
……この子は来るはずないと思っていたのに……!
ジーク砦で会ったこと、そのときのローザ行方不明騒動を思い出し、シャリムは目がきつくなるのを自覚した。
「ローザヴィをさらって、僕はともかく兄さんにケンカを売って、よく至天宮に顔が出せたね」
異母弟はけらけらと笑い声を上げた。
「ローザは元気? ルーフスはここにはいないよね」
「ローザヴィの友達だっていう男の子だね。どうしてここにいないと知ってるの」
「わかるからだよ。ね、フォルティシス兄さん」
シャリムははじかれたように振り返った。数歩後ろに東宮フォルティシスが立ち、薄笑いを浮かべてフレリヒを見ていた。
……兄さん、いったいいつからそこに? シャリムにはまるでわからなかった。
「自分から手足を切り落とされにくるとは、感心な心がけだな、フレリヒ」
フレリヒは赤子のような笑い声を上げた。
「何の話? 兄さん。僕にもわからないことはわからないよ」
本気か、挑発しているのか、やはりシャリムにはわからなかった。わかるのはフレリヒの言葉が、兄の激怒の炎に油を注いでいることだけだ。
しかし、今はとりあえず、やらねばならないことがあった。
「兄上、城下に化け物が……」
「聞いた」
兄が続きの言葉を言う前に、
「僕の泊まる部屋、大鷹の間だよね? お茶飲みたいから行くね!」
フレリヒはステッキをくるりと回し、また踊るような足取りであちらへと消えていった。なぜ知っている、などという問いは、彼には何の意味もないのだろうと思うと、シャリムは力が抜ける思いだった。
「どういうつもりだ……?」
兄は薄笑いを消し、神がかりの異母弟が去っていった廊下をにらんでいる。
「フレリヒが来るとは思ってなかったよ」
ついぼやくと、異母兄の目がこちらを向いた。
「今からでも、あいつをつかまえて逆さづりにしてやる算段を整えろ。確実にだ」
「無理だよ! フレリヒが僕の手に負えるわけないじゃん」
「お前が代わりに逆さづりになるか?」
やつあたりはやめてよ兄さん、と言う代わりに、
「それより兄上。城下に降魔が出たんだよ。……異常事態だよ」
兄は舌打ちした。
「鋼斧騎士団に招集をかけろ」
符術士だけで構成された騎士団だ。
「結界に穴が開いてないか、術で呼んでいるバカがいないか調べさせる。それから……」
指示を出しつつ、東宮は執務室へと歩き出した。
そのあとに続いたシャリムの耳に、騎士団が着々と化け物を打ち倒しているという報告が届き始めた。